第十二話 無限大の世界
基本的にどんな街にも結界が張ってある。
結界と言ってもその形態は様々で、オレも目で見たことはないが帝都なんかは魔術で構成されたガラスのような結界を街を囲むように張っているらしい。他には単純に強靭な背の高い壁で囲っている街もあるし、魔物が嫌がる臭いを発する木を設置している街もあるそうだ。
そういった物理的な壁、自然的な壁であっても街を守るために設置してある装置を結界と呼んでいる。
ここ〈ディストール〉の結界は毒霧。
街を囲むように霧が散布されている。無論、人工的に。
霧には魔物にのみ効く毒が盛り込まれている、人には無害だ。
魔物が霧に入り、彷徨い、街にたどり着くまでに毒によって死に絶えるよう設計されている。
だからまぁ、〈ディストール〉の周りには魔物の死体がうじゃうじゃあり、旅人は不気味な霧も相まって嫌がる。一日に一度清掃が入るが、清掃が入るのは深夜なので今の昼の時間帯は普通に魔物の死体が置いてある。
オレとアシュは霧の中、魔物の死体を避けながら南へ向かった。
霧が晴れる境界線には標識柱が立ってある。
“ようこそディストールへ”……なんて心にも思っていない文字が書かれた標識だ。
オレは標識の前で立ち止まる。
「どうしたの?」
「いや、生まれてこのかた……この標識より先に行ったことがないんだ」
以前に、霧の中を面白半分に周ったことはあるが、境界線は越えなかった。
そこから先はオレにとって別の世界だったんだ。未知で怖くて何が起きるかわからない。退屈を否定しながら、変化を怖がったオレには越えられない壁だった。
不安と高揚。
二つの相対する感情が渦巻く。オレが一歩踏み出せずにいると、アシュがオレの右手を両手で包み込んだ。
「大丈夫だよ。
怖くないから」
子供をあやすようにアシュは言う。
柔らかい手。けど、ちょっと冷たい手だ。
オレはアシュに引っ張られるまま、霧を抜ける。
「あっ……」
――太陽の光がオレを迎えた。
真っ暗な霧から一転、眩しい光が視界を支配する。
たった一歩、たった一歩抜けた先に広がっていたのは広大な森と遠くに見える海。オレは上から大自然を見下ろす。
〈ディストール〉は高地にある街だったようだ。はじめて知った……みんな当たり前なことすぎて、口にしなかったのだろう。
「やべぇなオイ……!」
オレは思わず走って、断崖の上に行く。
緑と青の美しい景色を上から眺める。
「なんつーか……はじまったなぁ、って感じだな」
ファンファーレの音が聞こえる気がする。
肺に送り込まれる空気がいつもより多い気がする。
陽の光がいつもより暖かい気がする。
あの美しい湖も、
赤と青の花が咲き乱れる花畑も、
煌びやかな川が流れる渓谷、
海の側にある白の町、
そしてあの太陽の照り返しで光り輝く海――
――その全てに、オレは行くことができるのだ。
無数の選択肢。昔なら立ち止まり、動けなくなったかもしれない。
今はひたすらにワクワクする。目に見える全てが、オレの行動範囲なのだ。
「アンタは……この景色を、オレに見てほしかったのかな」
今でも時々夢に見る。
爺さんが生きていて、オレは爺さんの弟子として世界の各地を周る夢を。
今も、隣でオレの肩に手を置いて、笑いかけてほしかった。
なんて、センチになってる場合じゃねぇな。
冒険は笑顔で始めるものだ。
「いまからつづら折りを降りて、森を抜けて港町へ向かう。
見て、海の側に白い町が見えるでしょ?」
「ああ。あれが港町〈カラス港〉か」
「あそこを目指す。多分、一日かかると思う」
「りょーかいりょーかい。
森の中に湖があるな……あそこまで行ったら休憩して、飯にするか」
「うん!」
崖から繋がる坂にオレは足を踏み入れる。
後ろを振り返ることはなかった。
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つづら折りを降りきると、当然ながらアレが居た。
先ほどまで、その死体は散々見たが、生きているのを前にするのは初めてだ。
「【ググ――ギッ!!!】」
赤い眼をした狼型の魔物。
「“狼魔”だね。人間の皮を好む魔物……」
「悪趣味だな」
アシュは杖を構え、オレは“獅”と書かれた札を手に取る。
「解封、獅鉄槍――」
札から蒼き槍が飛び出る。
オレは槍を右手に取り、クルクルと手首を返して回し、矛先を敵に向ける。
「……。」
アシュがオレの解封を見て目を細めていた。
「お姉ちゃんの中から見てる時も思ったけど、
その術、凄く変」
「そうなのか?」
「うん。すごく……気持ち悪い魔力の動きしてる。
よく成立してるね」
「ひでぇ評価だなオイ」
敵は七匹、生意気にもこっちの出方を見ていやがる。
「姉の方はバリバリのインファイターだったがお前はなにが得意なんだ?」
「形成の魔力、緑魔を使った魔術攻撃」
「形成の魔力か……あ!
じゃあアレできるのか? ファイアーボール!」
「できるよ。
――見たい?」
「見たい。
凄く見たい!」
男の子のあこがれだからな。
「わかった。
頑張る……」
オレはすぐ後に今の発言を後悔する。
「あの――アシュさん……」
アシュは宣言通り、杖を掲げて頭上に炎の塊を作り出した。
緑の魔力を注ぎ込み、その塊を大きくしていく。
オレの想像していたファイアーボールは精々、オレの背負っているバックくらいのサイズだ。大きくても人間くらいのサイズだ。
なのに、アシュが生み出した炎の塊は小屋ぐらいなら飲み込んでしまう大きさを誇っていた。
「待て待て待て! そんな大きさ求めてないって!
山火事が起きるから! それ、雑魚を蹴散らすレベル超えてるから!
ほら見ろ、“狼魔”さんたち腰が抜けて立てなくなってるだろうが!」
「大丈夫。火はすぐに水の魔術で消すから」
無慈悲な炎が“狼魔”を焼き尽くした。
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アシュはシュラと違い、援護型の魔術師らしい。
シュラが赤の魔力による身体強化のごり押し戦法を得意とするなら、アシュは緑の魔力による魔術攻撃を得意とする。二人そろえばバランスの良い姉妹だ。
オレとアシュは“狼魔”を倒した後も何度か魔物とエンカウントした。アシュには例の大火力は自重してもらい、オレが前に出て獅鉄槍による攻撃をかまし、打ち漏らした相手をオレの想像通りの大きさのファイアーボールで焼き払ってもらう。
魔物はオレが考えていたより遥かに弱く、魔成物を使わずとも赤の魔力を灯した拳で打ち抜けるほど脆い。結構ビビっていたのだが、今思えば魔力の使えないディストールの連中でさえ魔物退治とかできていたわけだから、魔術師のオレ達からすると相手にならないのか。
「そういや、魔術を使う時に詠唱とかしないんだな」
「詠唱……」
「だって、英雄譚とかだと色々呪文唱えてさ、バーッと魔術使うだろ?
もしかして、お前が凄い魔術師で、詠唱を使わずとも魔術が使える――って感じか?」
「逆だよ。言霊に魔力を込めて魔術をコントロールするのは高等技術。
詠唱は魔術の中でも本当に難しい技術……わたしも練習してるけど、まだうまくいかない」
詠唱は高等技術。
むしろ詠唱を使わない方が高等技術だと思っていた。
わからんことばっかりだな。
「そっか。逆か……。
なぁアシュ、旅の途中でオレに形成の魔力、緑魔の扱い方を教えてくれるか?」
「いいよ。それより速く行こう!
陽が沈んじゃう!」
その後も魔物を間引いて行き、オレとアシュは湖までたどり着いた。
緑色の湖だ。草花の匂いが心を落ち着かせてくれる。オレ達は湖を正面に据えた位置に腰を落ち着ける。
運動していたから気づかなかったが時間は大分経過したらしく、もうすぐ陽が落ちようとしていた。
「シール! はやく、はやく作って!」
影が落ちるのを怖がっているのか、アシュがオレを急かして来る。
そういえば、できるだけ木の影に入らないよう気を付けていたな……もやしを食う前に姉に代わるのが嫌だったのか。
「わかった。
枯れ木を集めて魔術で火を点けてくれ。
フライパンは持ってるからすぐに料理をはじめるよ」
メニューはもやしのガーリック醤油炒めか。
まずもやしを洗って絞って水分を出す。途中で食用生物(死んでも瘴気を発さない生物)の猪を狩ったから、そいつの解体も同時に進める。
「シール! 準備できた!」
「了解」
アシュが焚いた火の上に監獄から出てすぐに道具屋で買ったフライパンを乗せる。フライパンの上でバターをまず炒めて……もやし、イノシシ肉を投下。香ばしいバターの匂いが立ち上ったところでガーリック、醤油で味付け。
本当はあと二品くらい作りたいが時間がない。
最低限の味見をして、木皿にできあがったモヤシ炒めを乗せる。
うん、良い香りだ。
イノシシ肉の獣臭さも途中で隠し味として入れたハーブの香りで相殺できている。
「できたぜ」
オレは完成したもやし炒めをアシュの前に運んだ。
アシュは石の上に座り、フォークを持って目を輝かせる。
「美味しそう……!」
「わりぃ、ちょっと味が濃くなっちまった……」
「大丈夫。味が濃いって言うのは、つまり美味しいってことだから」
アシュがフォークを持って、もやし炒めに向かう。
――嫌な予感はしていた。
ちょうど、その時だった。
陽が沈み、影が辺りを支配したのだ。
もやしを刺し、口にそれを運んだ瞬間――アシュは姿を消した。
次に現れたのはつまらなそうにもぐもぐと口を動かす茶髪女子の姿だった。
オレは腰に手をつき、ため息を漏らす。
「……はぁ。なんとなくこんなオチになると思ったぜ」
「なんにも悪い事してないのに凄い罪悪感があるわ……」
それにしても面倒な呪いだ。嫌がるきもちもわかる。
「つーか、胃袋とかは姉妹で引き継いでるのか?
また変わったら腹ペコのアシュが出てくるのか?」
「うーん、その辺は結構曖昧なのよね。
怪我とかは引き継がないんだけど、食べたエネルギーとか老化とかはある程度共有してるみたいでさ」
そうか、老化を共有しないと20年生きても単純計算でどっちも十歳ぐらいの見た目にしかならないもんな……。
シュラだけこんなに幼い見た目なのもなにか意味があるのだろうか。
あんまり深く掘り下げるのもよくねぇかな。
「さてと、オレも飯食うかな」
オレはもやし炒めが残っているフライパンに足を向ける。
その際に、チラリとシュラの服装を確認した。
シュラより身長のあるアシュが着ていた服を受け継いでいるため、服のサイズが合っていない。
モコモコ黒洋服が短パンに覆いかぶさっている。アシュが着ていた時も多少のダボダボ感はあったが、シュラが着ると大人の服を背伸びして着るガキ感が強い。袖も余って手の半分が隠れている。
アシュが路地裏でぴちぴちの服を着ていた真相はこれか。
今とは逆で、多分、シュラが着ていた服を引き継いだのだろう。
もう一度言う。面倒な呪いだ。
オレは新しく用意した木皿に、もやし炒めを乗っける。
焚火がチリチリとうねっている。湖を背景に、焚火を囲みながら大自然の中飯を食う。これぞ、って感じだな。
もやし炒めの乗った皿を持ち、シュラの方へ歩く。すると、なにかが地面を這う音がシュラの背後より聞こえた。
「――ッ!
誰? 出て来なさい!」
シュラが木皿を置き、杖を構えた。
ゴソゴソと草が揺れる。魔物か? とも思ったのだが、草陰から這出たのは男。
今にも死にそうな、顔色の悪い三十路ほどの男だった。






