闇の結晶1
礼拝所の扉に手を掛けると、勢いよく扉が開き、中から風が吹いてきた。紫色が混じった、禍々しい風だ。この風の勢いで扉が開いたらしい。
風が止むと、礼拝堂の様子が見えるようになった。荒れた礼拝堂の奥、天使像に欠片から感じたような――いや、それ以上の悪き気配を感じる。
その気配は、俺たちを見つけたからか、天使像から離れ、一箇所に集まった。渦巻きながら一つになったそれは、熊に変化した。爪は欠片のように怪しく煌めき、その背中からは霧のような触手が生えている。
それはノイズが混じったような、薄気味悪い叫び声を上げながら、背中の触手で周囲の椅子を薙ぎ払った。椅子は様々な方向へ飛んでいき、ステンドグラスの破片がパラパラと落ちてきた。
長い夢から覚めたような感覚だ。目の前では熊がプレイヤーを触手で軽くあしらっている。
「凄い演出だったな」
「ああ。俺たちも早く討伐に混じらないと」
「はい! 道中はモンスターが少なかったので消耗はありません。行きましょう!」
礼拝堂に足を踏み入れると同時にシステムメッセージが流れた。
『エリアへの侵入を確認。"闇の結晶"の討伐にプレイヤー"リック"が参加します。現在の参加者数は563人です』
五百人もこの礼拝堂に居るように見えないから、違うサーバーで戦っている人も含まれているのだろう。ボスの頭の上にあるのはHPバーか。四分の一ほど削れている。
「新規さんですね! 遠距離と近距離で別れているので、移動をお願いします!」
背丈ほどの杖を持った男性が言った。俺たちだけでなく、他のプレイヤーにも指示を飛ばしているから、遠距離部隊のリーダー格だろう。
俺とナルは近距離、アオイは遠距離だから離れることになるな。
「アオイ! 頑張れよ!」
「そちらこそ。一撃で沈んで死に戻りなんてやめて下さいね?」
「前衛で剣振るってるんだ、心配するんなって!」
ナルとアオイの会話の横で俺は苦笑いした。俺はVITが低いから一撃でやられかねない。気をつけなければ。
「新規さんだ! 近距離のプレイヤーはこっちでーす!」
「おい、よそ見するな! ってあー! 言わんこっちゃない……」
手を振って場所を教えてくれた人が派手に吹っ飛ばされた。俺たちのせいでやられてしまったみたいで心苦しい。
「すみません。大丈夫ですか?」
「不注意だったから気にしないで。え、君って回復使えるの? マジ助かった。ありがとう」
「今来たばかりで状況が掴めていないんですけど、俺たちは何をすれば良いですか?」
「君にはヤバそうな人を回復して回って欲しい。前衛として来ているし、MPには余裕はないだろうけど……。あ、ダメージを与えるのは無理しなくていいよ」
「回復を使えない俺はー?」
「普通に攻撃してくれ!」
回復魔法のレベルを上げられなかったのが痛い。強化魔法と同じなら、レベル五で範囲回復とかを覚えられそうなんだけど。無理なことを言っても仕方がないか。
MPを二増やして五十にして、回復魔法を最大数使えるようにする。同じ位置に居ると攻撃されやすいから移動しつつ回復魔法をかけていく。初期魔法だから回復量は少ないかもしれないが、一発多く耐えるくらいにはなるはずだ。
ハヤテが何かを伝えるように鳴いた。敵の攻撃だ。咄嗟に槍を体の前に出して防御する。槍越しに衝撃が伝わってくる。手は痺れたが、なんとかその場に留まることが出来た。
ボスは一度防がれたくらいでは諦めず、攻撃を続ける。完全にロックオンされたようだ。今度は薙ぎ払うのではなく、掴み取ろうとするかのように触手を伸ばしてくる。
自分の体の代わりに、槍を触手に捕まえさせる。そして、進行方向に向かって速突きを繰り出し、拘束を解く。
スキルの勢いのまま駆ける。敵は瓦礫を投げたり、触手を伸ばしたりして対抗しようとするが、そこまで賢くないため、俺には当たらない。
攻撃を避けつつ、自分に回復をかける。それに反応したのか、攻撃の鋭さが増した。このボスはやはり回復行為でヘイトが溜まるみたいだ。回復をかけた後、攻撃がより厳しくなった。
正直、これ以上他の人たちを回復する余裕はない。MPだけの問題じゃない。回避が難しくなっているからだ。
だったら、俺にできることは……。
「回復で溜まったヘイトで囮になります! 皆さんは攻撃に集中して下さい!」
今、俺は攻撃を回避するだけで精一杯だ。しかし、逆に言えば、回避に専念すれば倒されないということ。それなら、体力のある限り避けて回避タンクとして活躍してみせる!
近すぎず遠すぎない距離で動き、ボスの攻撃を惹きつける。俺に向かっている触手は三本、いや四本か。
内訳は足元を狙うもの、弾き飛ばそうとするもの、突き刺そうとしてくるもの、投擲してくるものだな。前言撤回。このモンスターは賢い。それぞれの触手が連動して確実に俺を仕留めるために動いている。
攻撃にはタイミングがある。少しずつズレているそのタイミングの隙間を縫うのは至難の技だ。無謀なことだと分かってはいるが、足掻き続ける。捌き切れなかった攻撃はイブキとハヤテに任せる。イブキやハヤテが居なかったら既に死に戻っていただろう。
大丈夫、体力は満タンでMPは減っているが、すぐに切れるほどではない。焦らないで、攻撃を避けていれば良い。心を冷静に保って、避けていると小さな違和感があった。
「地面に光……?」
うっすらと見える地面の線。注視しなければ見えないくらい小さかったそれは、気がつくと人差し指が入るくらいまで大きくなっていた。
亀裂はどんどん大きくなっている。全体攻撃なのだろうか? そうでなくても亀裂の上に立っているのは良くないことのように思える。
「バレバレだっ!」
二本の触手が足元を通り過ぎる。意識も足元に向いていたため、避けることは簡単だった。
想定外だったのは、亀裂が大きくなるスピードだった。思った以上に早く、段々と立つスペースが減っている。
……不味い。今の俺は空中にいる。割れる前に地面に降りることは出来るだろう。しかし、回避や防御はきっと間に合わない。詰んだ……!
俺がすっぽりと入ってしまいそうなくらい、大きく成長した亀裂がすぐ下にはあった。強風が足元から吹いてくる。
亀裂から禍々しい力が溢れ出した。




