リン〈origin〉
死ネタ注意。
凛視点で、主に本編よりも前の話です。
私は動物アレルギーを持っている。三度の飯より可愛いものが好きな私にとって、それはとてもとても辛いことだった。
兄も動物が好きで、私が生まれるまでは大きな犬を飼っていたらしい。と言っても当時は兄も幼かったから、もう覚えていないかもしれないけれど、兄が包容力のあるような、もふもふの動物を好むことから、きっとその犬を大切に思っていたのだろう。……彼らを引き離してしまったことに、ずっと罪悪感を抱いている。自分の意思でどうにかできるものではないけれど。
私は罪を持っている。
私は動物と暮らしたかった。が、実際の動物を再現したロボットやARを使ってペットと暮らす体験が出来る商品では物足りなかった。触れない動物たちに、近づくのも危険で遠ざけられる動物たちに、過度な期待を抱いていたのかもしれない。
そんな時に出会ったのが、【もう一つの日常】という株式会社Partnersが作ったVRゲーム。
まるで本物のような動物と触れ合えるという売り込みのゲームだった。当時無名の会社が作ったゲームということもあって、世間は「どうせ大したことはない」と思っていたらしいが、私には関係がなかった。
「現実がダメなら仮想現実で触れ合えば良いんだ!」
それは雷に打たれたような、強い衝撃を私に与えた。
「お母さん。このゲームがやりたい!」
冬休み中にある私の誕生日を初めて嬉しいと思った。
【もう一つの日常】の世界に降り立って私は感動した。仮想でしかないのに、こんなにも目で耳で肌で感じられるなんて、と。私はゲーム初心者感を出しながら、町を見て回った。
観光気分で町を見て回っていると、一軒の建物が目に入った。教会のような建物で、その庭には何匹もの犬が戯れあっていた。マイナーな犬種が多いみたいだ。
「はあ。尊い。一生見ていたい……」
私は柵にしがみ付いて彼らを眺めた。
じっと見ていると、一匹がこちらに気がついた。その子は私の視線から逃れるように、室内に入ってしまった。その様子を不思議に思った他の犬たちも視線に気がつき、一匹を除いて隠れてしまった。
「ど、どうされたんですか!?」
柵にもたれかかって項垂れる私を見たからか、女性に声をかけられた。
「ずっと見てたら逃げられちゃって……」
「それは逃げますよ。敏感な子が多いから」
彼女は苦笑した。これはよく考えなかった私が悪い。反省しないと。
「どうしてここで見ていたんですか?」
「だって、私……。動物アレルギーで、触れないし……」
「動物アレルギーってなんですか?」
彼女は首を傾げた。まるでその概念が存在しないかのように。……そっか。思う存分触っても良いんだ。
「動物アレルギーっていうのはよく知りませんが……。良ければあの子たちと遊んであげてください」
「こちらからお願いしたいくらいです!」
庭の中に案内された。先ほど逃げなかった子に恐る恐る手を伸ばす。撫でた。ふわふわだ。本物ってこんなに可愛くて、ふわふわで……本当に生きてるの?
「その子は人懐っこい子なんですよ」
ふわふわが胸に飛び込んできた。つぶらな瞳が私を見た。私の膝の上でくつろぐその子を見たところで、突然視界が暗くなった。
『身体の異常により強制ログアウトしました。安全のため、十二時間はこの機器を使用することができません。何度も発生する場合、病院等で検査することを勧めます』
機械音声がログアウトしたという現実を伝える。身体の異常……? 興奮しすぎってこと……?
何度か強制ログアウトを喰らいながらも、最初に見つけた捨て犬保護施設、孤犬院で働きつつ、楽しく暮らした。強制ログアウトを何度も目撃した、孤犬院の人からは「動物アレルギーって動物と触れ合うと消えてしまうという症状なんですね……」と勘違いされてしまった。
この日常がいつまでも続けば良いと思った。けれど、そんなことはなかった。
「この子、貰っても良いですか?」
ここでは、仲良くなった子を引き取ることができる。最初は孤犬院に何度か来た人が、仲良くなった子を貰うだけだった。
けれど、いつからか「孤犬院に行けばタダで犬が貰える」という噂が広まり、そのためだけにやってくる人が増えた。
ペットとして飼われる方が幸せなのかもしれないけれど、私は仲良くなる前に「この子にする」と一方的に言われてしまうのが悲しかった。
やがて、孤犬院にいるのは年老いた犬だけになってしまった。
「庭が寂しくなりましたね」
「そうね。でも飼い主に捨てられてしまう犬が減ったなら良いことよ」
「……そうですね」
「出会いは一期一会。ここで働くなら、それは理解しておいてと言ったわ」
それでも、私は自分勝手な子供だ。割り切れなかった。
「あの人たちは本当にあの子達を愛してくれているのでしょうか? 犬の意思を無視するように勝手に引き取った人です!」
「犬は可愛いわ」
彼女は隣に座っている老犬の頭を撫でながら言った。
「この子達に酷いことが出来る人間がいるかしら?」
「きっといます。同じ人間でも殺すことがあるんですよ」
「強情な子ね。気分転換をしたほうが良いわ」
彼女に手を引かれて、久しぶりに町に降りる。彼女はある民家の前で立ち止まった。
呼び鈴が鳴らされた。中から出てきたのは若い夫婦だった。
「前に子犬の引き取り手を探していたでしょう? この子ならきっと可愛がってくれるわ」
「ちょっと、院長! 私、子犬を飼いたいなんて一言も……!」
「可愛いわよ? 私もサポートするから、飼ってみなさい」
「引き取るということでよろしいですか?」
飼うつもりはなかったが、院長が手伝ってくれるなら飼ってみても良いのかもしれない。私は頷いた。
「この子が最後の一匹だったの。みんなに引き取り手が居て良かったわ」
女性から子犬を受け取る。ちょうど寝ているところだった。すやすやと私の腕の中で眠っている。
「女の子です。大切にしてくださいね」
「はい」
子犬を見ながら答えた。母犬が家の中から顔を覗かせた。彼女は「娘をよろしくお願いします」と言っているように見えた。
それから私は院長のアドバイスに従いながら、必要な設備を揃えた。おもちゃにベッド、美味しいご飯。私がペットを飼うことが出来るなんて。この事実だけでも私の胸は躍った。
ゲームをプレイするうちに犬の可愛さには慣れてきたので、最近は強制ログアウトしていない。そのため、時間の限り私の犬――まろんと名付けた――と過ごした。
まろんが咳をするようになった。元気もないようで、散歩にも行きたがらない。私は慌てて病院に連れて行った。
「病院が休み!?」
院長におすすめされた病院に行くと、休診日と書かれていた。私はまろんを抱えて病院を梯子する。
私が町に不慣れというのもあって、なかなか空いている病院を見つけられない。電話をすればいいと思い当たったものの、肝心の携帯電話がない。
院長の元へ行く? でも駄目だ。もし、病気がうつってしまったら、老いた犬は死んでしまう。
携帯は要らないと思い、今まで買っていなかった自分に怒りたい。院長に連絡するため、家の電話を使いに急いで戻る。
「院長! まろんが病気みたいで……。空いている病院は知りませんか!?」
「……! それは大変ね。私も一緒に行くわ。家で待っていて」
まろんに「大丈夫だよ」と言い、優しく撫でながら待った。自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。心細い時間はとても長く感じた。
院長に連れられて病院へ急いだ。腕の中で眠るまろんの顔色はどんどん悪くなっているように見えた。
まろんの診察の時間になった。獣医の質問を記憶を頼りにしながら答える。
「一般的な感染症ですが、子犬ということもあってかなり弱ってしまっています」
「そんな……。私に出来ることはありませんか!?」
「私たちが全力を尽くします。どうか落ち着いてください」
獣医さんたちはきっと全力を出してくれていた。ゲームだとしてもあの緊張感は本物なんだろうと思った。
そんな努力も虚しく、まろんは死んでしまった。
「なんで! ゲームなのに、なんで死んじゃうの!?」
なぜ。どうして。誰に向けたものでもない、取り止めのない言葉が口から溢れ出す。
院長は優しく背中を撫でてくれた。そのおかげで私は冷静さを取り戻すことができた。
「ありがとうございます。……私に出来ることってあったのでしょうか」
「きっとこれが最善だったの。病気が急変してしまうなんて誰にも分からないわ」
「もっと私が異変に早く気がついていたら。この町に慣れていて、早く病院を見つけられていたら。病気にならないように気を使っていたら。過ぎたことはもうどうにもならないのに。考えてしまうんです」
院長は何か慰めるような言葉を発したんだと思う。でも、私には何も聞こえなかった。
私はふらふらとした足取りで家に帰った。家に残っていたまろんが生きた証を見て、もう一度泣いた。
『身体の異常により強制ログアウトしました。安全のため、十二時間はこの機器を使用することができません。何度も発生する場合、病院等で検査することを勧めます』
幸か不幸か、以前の強制ログアウトから時間が空いていたおかげでアカウント凍結はしなかった。
現実世界の私も泣いていた。家族に心配させないよう、涙を拭き、いつものように振る舞った。家族は私の異変に気づいていたのかもしれないが、何も言わないでくれた。
その後、【もう一つの日常】をプレイすることはなかった。
プレイしていないと知られると何かがあったと思われるので、している振りをした。可愛い動物を見たら、今まで通りのリアクションをした。
まろんと同じ犬種の犬はできる限り目に映らないようにした。こんな私は、本当に……飼い主失格だ。
高校生になった兄が【Brave and Partners Online】というゲームのβテストに当選したらしい。兄は楽しそうにそのゲームの話をするので少し調べてみた。
ジャンルはVRMMO。モンスターをパートナーにして冒険するゲームらしい。私が惹かれたのはパートナーのモンスターは死なないという点。
まろんが死んだのは私のせいでもある。だからもうペットを飼う資格なんてない。
でも、死なないなら……なんて。やっぱり、私は卑怯者だな。
兄がゲームを終えたら、話を聞きに行っていた。いつも通り部屋に行くと、兄の様子は少し違っていた。
目を輝かせてパートナーの様子を語る兄の目が少し曇って見えたのだ。
それが確信に変わったのは、私が「そのゲームをやりたい」と言った時だ。
「それなら、βテスター特典で貰えるソフトあげるよ。俺、やるつもりないし」
生き返ることのないまろんと違って、兄のユキちゃん達は生きている。なのに、あんなに寂しそうな顔をして諦めます? 許せない。少しでも未練があるなら追いかけなさいよ。
「は? なに? 今更良いお兄ちゃんのフリしてどうするの?」
「変だとは思うんだけどさ、モンスターたち、生きてるんだよ。正式版をプレイしちゃったら、ユキと小夜を過去のものにしちゃう気がして。裏切るみたいだなって」
諦めるのはまだ早いのに。ゲームによってはβテスター特典とかあるのに。怒りや嫉妬がキツい言い方になって出てくる。
「逃げてるだけだよ、それは。本当に会いたいなら、好きなら、可能性は低くてもその世界で待っていてあげるものじゃないの?」
兄は何かに気がついたらしい。それでこそ、熱血なところがあって、優しくて、諦めの悪い、私のお兄ちゃん。
「うん。やっぱ【BPO】やる。ごめんな、ありがとう」
「どういたしまして。ところで感謝してくれるなら、ソフト買ってくれない? 半額出してくれるだけで良いからさ?」
冗談半分で言ったら、本当にソフトを買ってくれたのには驚いたけど。
お願いします。私にもう一度だけ、チャンスをください。
一応フォローしておくと、まろんが死んだのは凛のせいではないです。




