48 エッグベネディクトの朝
起きたてのチアは椅子に座ってまだぼーっとしている。
卵とバター、それにやたらと丸っこいレモンがある。
せっかくなのでここはオランデーズソースといこうかな。要はマヨネーズの親戚だ。
火にかけてバターを溶かす。
バターの香りが漂い始めると、チアがそわそわし始めた。
お腹が空く匂いだね。
火にかけると、混ぜる続きをおりんにお願いして、他の準備を進めていく。
殻無しゆで卵を三つまとめて作り、フライパンでパンを焼く。
横で一緒にベーコンをカリカリに焼きあげていく。
いつの間にか、チアは机の上にあごを乗せて動かなくなっている。
空腹が限界を迎えたみたいだ。
焼きあがったトーストにベーコンとポーチドエッグを乗せて、オランデーズソースをかければ、エッグベネディクトの完成だ。
ナイフを使ったことがないチアのために、食べれるように切ってあげて、とおりんに渡して次のパンを焼くのにとりかかる。
作業の合間に横目で見ると、おりんはチアと一緒にフォークとナイフを持って、二人で切っていた。
微笑ましい共同作業だ。
ルッコラと紫色のほうれん草をサラダにして、ドレッシングにレモン汁と塩コショウ、木の実オイルを混ぜたものを用意する。
わたしとおりんのパンを、最後にまとめて焼き上げて、火を落とすと食卓についた。
「料理用のあれやこれやも欲しいね。まあ、ゆっくりやっていくか」
卵はやや固めの仕上がりだ。
私はこれくらいが好きだけど、本来はもう少し柔らかめかな。
でも食あたりが怖いし、しっかりめに熱を通しておきたい。それとも、洗浄を卵にかけておけばいけるかな。
バターベースの割には重くないソースはベーコンの塩辛さとバランスがいいし、時折り顔をのぞかせるレモンの酸味と遠慮がちに振った黒胡椒は味を引き締めてくれている。
うん、おいしい。
「ロロちゃん、ありがとー。おいしいね」
「食べたことのないソースですけど、おいしいですね。ありがとうございます。……ロロ様に作ってもらうのもちょっと新鮮ですね」
おりんが、後半のセリフはチアに聞かれないようこっそりと言った。
転生前はひたすら作ってもらう立場だったので、自分で作ることなんてなかったからね。
エッグベネディクトは、前世でちょっとだけ流行った時にカフェで食べた。
その時になんとなく調べたら、思ったより簡単に作れそうだったので、試しに作ってみたことがある。おかげで記憶の引き出しに残っていた。
「これからも色々知ってる料理作っていくから、せっかくだしおりんも覚えるといいよ。このソース、残りはまた夜にアスパラガス……じゃなかった、アズワルドだっけ。あれにでもかけて食べよっか」
すべりこみで買えた今年最後のアスパラガスの行方を決めると、ルッコラと紫ほうれん草のサラダの攻略に取り掛かった。
「今更だけど、この家って門衛用だよね。わざわざ警備の人間を置いていたなんて、妙に厳重だけど」
食後のお茶を飲みながら、ストラミネアに聞いてみた。
「向かいの土地で商売をしていたようです。倉庫もその関係で大きく、どちらかというとそのための警備ではないかと」
「貴族なのに商売?」
貴族は、土地を管理する領主になるか、国から給金を支給される公務員になる。建前上、商売等はしないのが普通だ。
「こっそりやっている貴族はよくいますけど、目の前で堂々と……ってのは珍しいですね」
「昇爵したって言ってたし、あまり外聞にこだわらない新興の家だったのかもね」
さて、今日はどうするかな。
昨日作ったチョコレートは、せめて明日まで熟成させておきたい。
隣近所の引越しあいさつは、明日以降だ。
冒険者ギルドの登録証はまだ届いていない。
チアの分も、と国王づてに頼んだばかりだ。しばらくは時間がかかるだろう。
国王が第二騎士団長に褒美として渡す魔眼の調整もまだ先だ。
チアの訓練についても第二騎士団長に会った時に相談する予定なので、こちらも目処が立たない。
やることがないなら、豊かな食生活のために引きこもって調味料を作るのもありだな。
そういえば、台所とトイレのリフォームもまだだった。
あとは……冒険者用の装備を用意してないので、そちらをなんとかしておく必要があるくらいか。
おりんはすでに蜘蛛神が作った装備があるから調整程度だし、わたしも魔術師なので普段着でいいくらいだけど、チアの装備が必要になる。
素材はあるし、おりんの時と違ってすぐに必要なわけでもないので、素材持ち込みでお店で作ってもらうのがいいかな。
お店について情報が無いので、どこがいいのか、これも誰かしらに聞きたいところだ。
「今日は午前中の涼しいうちに市場をのぞいて、帰りに鍛冶屋通りの雰囲気でもみてみようか。午後からは家のことやろうと思うから」
「ねえ、ロロちゃん」
「ん? どこか行きたいところでもあった?」
「昨日も思ってたんだけど、何で色々作れるの?」
「ああ、そのこと……」
いつか説明するつもりだったけど、どこまで話すかとかあまり考えてなかったな。
「じゃあ、帰ってから教えてあげるね。話すと長いから、先にお買い物行くよ」
市場へ向かうと、広げられたたくさんの露店の間を大勢の人が行き来していて、売り買いする声がそこここで聞こえている。
これが特別な日でなく毎日の光景なのだから、結構な賑わいだ。
「はぐれそうだから、チアは手をつないでて。もしはぐれたら、市場の入り口ね」
「はーい」
「了解です」
トウモロコシの粉やじゃがいもなどを無事に仕入れて、他にも野菜の買い足しをする。
「この絹の端切れとこちらの余りの絹糸ください」
作るときはどうせ蜘蛛神様頼みなので端切れでも糸でも何でもいい。
市場での買い物を終えたあと、ついでにお店でエプロンドレスのメイド服を買って、鍛冶屋通りに向かった。
まだそれ程暑くない時間だけど、通りに近づくと金属を叩く音が聞こえてきた。
通りに入れば、そこら中から音が聞こえてきて、暑さも増した気がする。
開け放したドアの向こう、店内には武具が飾られているのが見える。
通りの奥の方には革加工品の工房もあって、わたしたちが素材持ち込みで依頼するとしたらそちらになるはずだ。
変なところに頼みたくないので、ギルド自体に紹介してもらうか、ギルマスにでも聞くのが良いだろう。
つまり、今日は下見という名の冷やかしだ。
一つの立派な店で、汗だくで水をあおっているドワーフと目が合った。
おお、ドワーフもいるんだな。
転生前の知り合いにいたドワーフと似ているけど、ドワーフはそもそもあんまり見分けがつかない。
ボッツという名前のドワーフだったけど、多分まだ生きているはずだ。
こちらを見ているので不思議に思ったら、見ているのはおりんだった。
おりんがじっと見ているせいで、こっちを気にしていたらしい。
「どうした、猫人の娘。ドワーフが珍しいか」
ドワーフらしく豪快に笑いながら、人懐っこい笑みを浮かべた。彼らの国以外ではドワーフは珍しい。注目されるのにも慣れているのだろう。
「珍しいと言いますか……勘違いならすいませんけど、ボッツさんの身内の方ですか?」
「……なんでお前、親父の名前を知ってるんだ」
一息ついたところだったというドワーフに、店に招かれると、ボッツの三男のバルツだと名乗った。
本当にボッツの身内だったらしい。
「こんなところまで来て親父の名を聞くとはな」
こんなところまで来てボッツの名前を聞くとはね。
「なんでこの国に住んでいるんです? ドワーフの国から、かなり離れてますけど」
「修行の旅の途中で立ち寄ってな。まあ、その……色々とあったんだ」
奥から、ひょこっとハーフリング――小人族の女の子が顔を出した。彼らは年の取り方が違うので、ドワーフもだけど、外見からは年齢がよく分からない。
ドワーフも身長は低めなので、女の子もバルツとちょうど同じくらいの身長だ。
「おや、いらっしゃい。かわいいお客さんが来てるね」
「……なるほど。色々とあったんですね……」
「へぇー」
思わずいい笑顔になるわたしたちと女の子の間にバルツが入り、慌てて後ろに姿を隠した。
「こいつらは俺の客だ。こっちはいいから、奥へ行っててくれ」
「隠さなくてもいいじゃないですか」
「照れちゃってー。恋人? 娘さん?」
女の子がそのままこちらにやって来たので、バルツはあきらめたらしい。
「わたしはフィフィ。よろしくね、お客さん。バルツとはお付き合いしてるから、娘じゃないよ」




