40 内緒のハチミツ漬け
ついつい先送りにしていた問題があったのだけど、そろそろはっきりさせないといけない頃だ。
「チア、今日は採集には行かずにちょっと話をしたいの」
何かに気付いたようにハッとしたチランジアの顔が、不安の色に染まった。
わたしは、チランジア以外の年長・同い年組と院長には、褒賞として家をもらえることになったから夏までに出ていく、とすでに話をしている。
みんな残念がってはくれたが、世界中を見て回るというわたしの夢を知っているから、冒険者希望の者たちも、仮に一緒に冒険者になったとしてもいずれこうなると思っていたからと言ってもらえた。
チランジアには言ってなかったけど、もう周りの態度や雰囲気で薄々感づいてはいたのかもしれない。
「はい、あーん」
瓶からスプーンでナッツをすくいだして、チランジアに食べさせる。
王都土産のナッツとベリーのハチミツ漬けだ。
王都の高級店だけあって、ハチミツは優しい甘さとしっかりとしたコクがあって、ナッツの香ばしさとベリーの甘酸っぱさを見事に引き立てていた。
小動物――リスなんかにおやつをあげているみたいで、ほっこりするな。
チランジアの口から、ローストされたナッツを噛み砕く音が響いて、それから、下唇に垂れたハチミツを舌がぺろりとなめた。
わたしが持っていたスプーンを手に取ったチランジアが、ハチミツとベリーをすくって差し出してくる。
「ロロちゃんも、あーん」
遠慮してると垂れてきそうなので、ぱくっとくわえる。
最初にハチミツの甘さが広がり、すぐにラズベリーの爽やかな酸っぱさがハチミツの甘さに混ざった。
一つのスプーンで食べさせ合っていると、なんだかちょっとくすぐったい。
二人きりになれたときの秘密のおやつだけど、瓶の残りを見る限り、そろそろ終わりが近そうだ。
「ねえチア、わたしもうすぐ孤児院を出ようと思ってるんだ」
今日のおやつタイムを終えて本題を切り出すと、チランジアが半泣きになった。
「ロロちゃん、いなくなっちゃうの?」
「うん。わたしはやりたい事があるから。それでね……」
そこまで言ったところでチランジアが泣き出した。
「やだ、やだ……」
そこから先はもう何を言ってるのかわからなかった。
チランジアはわたしの胸元にくっついて泣き出した。安物の服が水を吸わなかったせいで、涙がそのまますべって落ちていく。
「あらら」
よしよし、とチアの頭を撫でてあげる。
少し落ち着いてきたけれど、まだわたしに抱きついたまましゃくりあげているチランジアに、さっきの言葉を続ける。
「チアも一緒に行く?」
ようやくチランジアが顔を上げた。
「約束したもんね。それとも忘れてたかな?」
チランジアの両方のほっぺたを引っ張る。
よくのびるな。本当にリスみたいだ。
チアの泣き顔が、涙で濡れたくしゃくしゃの笑顔に変わった。
「ううん。凍っちゃいそうな寒さも、一緒に見た朝焼けも、あの日のロロちゃんの匂いも、チア、全部覚えてるよ」
季節外れの寒波が来た春の夜、寒くて寒くて、抱き合っても眠れなくて、ただ思いつくままに話をした。
わたしの記憶が中途半端に戻りかけていたから、六才か七才の春の初めだったと思う。
でも、話すことなんてすぐになくなっちゃって、それから半分夢みたいで、半分自分のことだったような話を、たくさん喋って聞かせた。
知らない世界の話をして、行ってみたい場所の、見てみたいものの話をした。
それは夜空を閉じ込めた煌く星の湖。
それは一つくぐる毎に異界に近付く門の連なる神殿。
それは海の底に眠る千年の栄華と繁栄の成れの果て。
それは星々を読み解くために建てられた賢者の塔。
それは一滴で森を生み出すという万緑の滴り。
それは火山を飲み込んで死んだ巨き過ぎた蛇の亡骸……。
夜明けが近くなって外がうっすら明るくなる頃に、チランジアが私に言った。
「いつかロロちゃんが見に行くなら、私も一緒に行きたいな」
「うん、一緒に行こうね」
「約束だよ」
他愛のない子供の約束。
それから眠れないまま夜明けを迎えて、朝になって暖かさが戻ってくる中で、疲れ果てたチランジアとお互いしがみつくようにして眠った。
「わたしと一緒に来ると、生活も全然変わって、みんなに言えない秘密もできちゃうけど、それでもいいなら。わたしもチアが一緒に来てよかったって思えるように頑張るから」
なんかプロポーズみたいなセリフになってしまった。
「そうなの? うん、でもロロちゃんと一緒にいたい」
「分かった、一緒に行こうね。……まあ、秘密も悪いことばかりじゃないよ。ハチミツ、美味しかったでしょ?」
わたしが頭を撫でると、チアがえへへ、と笑った。
「にゃーん」
チアとの話がまとまったところで、一匹の黒猫がやってきた。
言えない秘密その一、ネコの姿をしたおりんだ。
うん、ちょうどいいかもしれない。
「あ、リコリス」
最近、度々(たびたび)ネコ姿で現れるおりんに名前を付けていたらしい。
リコリスは甘草のことで、いわゆる漢方薬の味がする植物だ。甘草の飴は黒いから、そこから付けたんだろう。
かわいい名付けだ。
わたしのネーミングセンスのひどさが際立つからやめて欲しい。
でも、ちび姫エライア様のチャンコよりはいいと思う。
「おりん、チアは一緒に連れて行くから。この子は身内だと思って」
「本気ですかにゃ?」
目の前で正体を暴露されたおりんが、ヒトの姿に変わった。
「おりんちゃん!?」
目を丸くして驚くチアに紹介する。
「おりんは実は猫の精霊だから、変身出来るの」
「もう面倒だから、それでいいです」
ツッコミを放棄されてしまった。
本当は火の精霊と猫獣人のミックスだ。
「ハチミツ漬けと同じで、秘密だからね」
「言っちゃダメなんだ」
チアが両手で口を抑える。
「うん、内緒にしてて。それで、おりん。何か変わったことは?」
いつもの冒険者ギルドでの活動内容なんかの報告だけかと思ったら、おりんは意外な知らせを持ってきていた。
「私にはないですけど、ストラミネアが到着しましたよ。今は近くに待機しています」
「獣人の村の遺跡で待っとくように言ったのに、何かあったのかな。今ならちょっとくらいは大丈夫だと思うから、来てもらって」
「わかりました」
おりんが再び黒ネコに姿を変えて、孤児院の外に歩いて行った。
獣人村の遺跡もどきの魔方陣でストラミネアと話をしていたけど、あれは本体を召喚していたわけではない。
魔方陣に中継ポイント的な役割もあったため、探知魔術を使ってもらえたりはしたが、あの時ストラミネアの本体があったのはあくまで大陸東部の帝国内だ。
ストラミネアは、転生前の魔法候だったわたしが死んだあと、わたしがこっそり転生用に作った記憶に関する魔法の管理をしていた。
遺跡もどきで話をした時に、ストラミネアには後始末をしてからこちらに来るように頼んでいたのだ。
「だれ?」
「風の精霊のストラミネア。孤児院を出たら、わたしとチアとおりんとストラミネアで暮らすことになるから、覚えといて」
「ストラちゃん? ミネアちゃん?」
「どちらでも結構ですよ」
上から声がして、紫がかった半透明姿のストラミネアがふわりと姿を現した。手の中には一見ガラスのような珠、ストラミネアの本体である精霊核が収まっている。
「はじめまして、チランジア様。ストラミネアです」
「チアでいいよー。よろしくね、ミネアちゃん」
「遠いところからお疲れさま、ストラミネア。問題なかった?」
「ありがとうございます。予定通りです。問題はありません」
一応おりんに聞かれてもいいように配慮して、ストラミネアが遠回しに答える。
おりんも、ててて、と歩いて戻ってきた。
「それで、こっちに来たのは? 遺跡で何かあった?」
「いえ、目印としてあそこを指定されていただけのようでしたので、わざわざ迎えに来ていただくのはお手間かと思いまして……住んでいるという町まで捜しに参りました」
「ああ、なるほどね。わざわざありがと」
気持ちはありがたいけれど、ストラミネアの精霊核を孤児院に置いておくのも不安があるし、おりんは宿暮らしだ。
ストラミネアの本体なので、カバンとつながっているわたしの固有空間に入れておくわけにもいかない。わたしに何かあったら出てこれなくなってしまう。
そもそも生命体をストレージに入れるのは、魂に影響が出ることがあり、禁忌とされている。使える魔法使い自体割とレアだけど。
おりんに渡しているような魔法の鞄は、そもそも生き物は入れられないように作られている。
「王都に新しく住む予定の家があるから、先にそっちに行っておいてもらおうかな。人の出入りがあるかもしれないから気をつけて。場所はおりんに聞いてね」
「承知しました」
「にゃーん」
鳴いて返事をしたおりんを撫でていると、チアも撫でたかったらしく、横から手を伸ばしてきた。
おりんとストラミネアが帰ったあと、後回しにしたままだった質問をチアにぶつけてみた。
「昔約束した時の話で言ってたけど……わたしってその、何か匂いとかあるの?」
その結果……
「水浴びしてないロロちゃんの耳と尻尾は、わんこの匂いがするよ! ……知らなかった?」
チアから残酷な真実を告げられたのだった。
「ロロ、なんで毛布にくるまってるの。暑くない?」
「ベルはいいよねー。水浴びしなくても洗ってない犬とか言われないもんねー」
「……何言ってんの、この子」
「チアは、あの匂い嫌いじゃないんだけどなー」
その後、水浴びしなかったらみんな臭くなるに決まってるでしょ、うっとうしい、とルーンベルの手で毛布から引きずり出されたのだった。




