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208  サソリの火酒


 末の息子が帰ってきたその日の真夜中、工房の住居側にある居間のような場所で昼間に受け取った酒を机に置き、妻とともに静かに待っていた。


 バルツを含めた息子たち全員は徒弟とともに酒場に送り出した。

 送り出したと言えば聞こえはいいが、当然のごとく飲み騒ごうとしていたので、来客がいるのにここで飲むんじゃねえと追い出したのだ。


 バルツと一緒に店をやっているというフィフィというハーフリングと、その友人という冒険者の少女らは空いている部屋に泊まってもらっている。


 待っているのは、当然ながら飲みに行った連中ではない。

 明日は昼まで休みをくれてやったので朝まで帰ってこないに決まっている。


 現れるのを待っているのは、うちに泊まった冒険者のうち一人だ。

 それとも、二人か三人か。


 妻のナンナには寝ていろと言ったが、自分にも関係ある話だとゆずらなかった。

 実際そうだし、こういう時の妻は自分以上に頑固なので早々にあきらめた。


 妻からの話も聞いて、おりんについてはもう想像がついている。


 髪の色は変わり、見た目も若くなっていた。名前は変えている……と言っていいのかわからないが、とにかくあれはリンカーネイトだ。

 リンカーネイトの娘という可能性もあったが、子守りの時の手付きややり方がまったく同じなので間違いないとナンナが断定した。

 

 ナンナや息子の嫁たちがフィフィと話している間、孫の面倒を見てくれたそうだ。

 自分よりは付き合いが深かった妻が言うのなら間違いないだろう。

 呪いを受けて行方不明になっていたはずだが、生きていたようでなによりだ。


 階段を下りてくる足音は――一人分か。


 現れたのはおりんと名乗っていたリンカーネイトだった。


「親方さんと、ナンナも久しぶりです。気付いていたようですが、リンカーネイトです」

「やっぱりか! いつ以来かわからんが久しぶりだな」

「リンカ! 行方知れずになったって聞いて……あんたがそう簡単にくたばるもんかと思っていたけど、もうあたしは心配で心配で……」

「ありがとう、ナンナ。ほとぼりが冷めるまでちょっと田舎でのんびりしていましたからね。この通りピンピンしてますよ」

「ああ、無事でなによりだ」

「それから、お二人とも驚くと思いますけれど……」


 階段を下りる足音が聞こえてきた。

 それは、体重の軽い女性の者ではない。


「よう、久方ぶりじゃのう、親方。ナンナも」


 飲み屋で偶然出会ったくらいの気軽さでそう言ってひょいと顔をのぞかせたのは、とっくに死んだはずの古い魔法使いの友人、マックターゼ・アバンディアだった。


「お……おまっ!? 生きて……!?」

「いやいや、死んでおるよ。召喚魔法『アバンディア』……といったところかのう。死人ゆえ、今日限りじゃぞ」

「な……な……!?」


 驚いて二の句が継げないこちらを見て、マックはくつくつと目を細めて笑っている。


 多少なりこいつのことを偲んでいた自分はなんだったんだ。

 こいつに関しては、二度と感傷的な気分に浸ることはやめよう。


 目を白黒させながらも、ナンナが先にまともに返事を返した。


「アバンディア様、お久しぶりでございます」

「うむ。ナンナもリンカと積もる話があろう。わしらはわしらで話がある。適当に楽にしておいてくれ」


 酒と一緒に机の上に置かれていたグラスに視線を向けると、マックは手を一振りする。

 グラスの中には氷が作り出されていた。


 混ざり物のない透明なその氷はグラスにちょうどよく、そして形は完全な球形だった。

 昔と、同じように。


「まだこのグラスを使っておるのか。物持ちがよいな」


 グラスは形見のつもりで使わずに置いておいたものだ。

 昼間に渡されたサソリの火酒を見て、まさかと思いながらも一応棚から引っ張り出してきた。


 自分がなによりもこのサソリの火酒を愛していたせいで、マックにとっては使いやすい符丁でもあった。

 サソリは大体夜行性で、酒というものももっぱら夜に飲むものでもある。


 弟子の前で大真面目な顔をしているマックに、サソリ退治の件だが……などと言われたのは一度や二度ではない。

 退治するのは中に入っている液体の方だろ、と思いながらこちらも真面目な顔で応えたものだ。

 いつからか話の内容に気が付いていたリンカーネイトだけ半眼で見るようになっていたが。


 だから最初に渡されたものがこのサソリの火酒だったことに気付いたとき、その時点でリンカーネイト本人か身内なのか確信はもてていなかったものの、夜にまた話をしたいというメッセージだとは理解できたのだ。


 なにせ、この酒をたまたま渡されるということはありえない。


 帝国に居た時にお気に入りだったこの酒は砂漠の国の希少品なのだが、作られていた町は砂に飲まれてしまって、もう二度と手に入ることはない。

 もう存在しないはずの酒なのである。


「おい、なんでこの酒がまだあるんだ。もう無いって言ったろ」

「倉庫にあるのはこれで最後だと言っただけだ。それは個人空間(ストレージ)に入っておったやつだからカウント外じゃな」

「屁理屈を……」

「親方があるだけ飲むのが悪い」


 帝国の躍進を支えた魔法使いの中の魔法使い。百五十年前にこの世を去った――マックターゼ・アバンディア。

 そして、それなりに長い付き合いの友人でもあった。


「死人のわりには元気そうじゃねえか。とりあえずどうやって出てきたのかから説明しろ」

「わかっておる。そう急くな。……おっと、酒だけではさびしいな」


 言うが早いか、机の上に料理の乗った皿を並べ始めた。

 生ハムや木の実はわかるが、チーズのパイらしきものや香りのいいよくわからない茶色い板、おまけに魚のオイル付けには昔なら絶対になかったであろう生の野菜が横に添えられている。


「あら、おいしそうですね」

「……妙にシャレてるじゃねえか」

「あの世仕込みじゃ。ナンナたちも食べるといい。口当たりのよい軽めの酒もあるぞ」


 反応に困る冗談を言いながら、老魔法使いはどっかと椅子に腰を下ろした。


「お前は死んでからの方が元気そうだな」

「それは間違いない」


 それから話を始めたが、マナを扱えるようになったとなかなか度肝を抜かれる話を聞かされた。


「……ってことは、今のお前は本物の神様ってことか。冗談きついぜ」

「うむ。崇め奉ってもよいぞ」

「お前を崇めるなら、酒を奉る神殿でも建てるわ」


 とりあえず話を聞いて、本当にこの魔法使いが死ぬ前より今満喫していることだけは理解できた。


「おい、お前のあの世での出世話はよくわかった。それより最初にも聞いたが、一度くたばったくせにどうやって出てきた」

「ああ、そうじゃったな。今のわしは、ロロの体を使っておってな……わしがわしである部分のみを吸い上げて出てきておる感じじゃ。いつもはロロの中におるというか、混ざっておるというか……」


 やや歯切れが悪い。

 どう説明するか迷っているような感じだ。

 魔術や魔法的な話で説明が難しいのか?


 酒が入っているせいで、頭があまり回っていない。


 ええと、つまりは……。


「あの獣人の娘に取り憑いてるのか!?」 

「ふはははは、取り憑くか。それはいいな」

「やっぱり悪霊じゃねえか……。迷惑そうだから成仏してやれ」

「厄介なアンデッドみたいに言うでない。わしは一度成仏しておる」


 最初は死人だということに多少なり気を使っていたが、酒が入ってくると最早段々とどうでもよくなってきた。

 そもそも、本人が気にしていないのだ。


「……なんであの娘なんだ? 隠し子か? 最後の弟子か?」

「いや、生きている間の関わりはない。わしと……同じ魂の持ち主だからじゃな」

「ふーん……? よくわからんがあの獣人が特別なわけか」


 しかし、結局どういう理由で、この二人が自分の前に姿を現したのかはまだ聞いていない。

 考えても、特に理由は思いつかなかった。


 やれやれ、訳の分からねえことばかりだ。

 考えるだけ無駄だな。


「それで、俺たちの前にわざわざ姿を見せたってことはなにか頼みでもあるんだろう? 一体何の用だ?」

「……いや、頼み事なぞは別段なにもないが」


 思わず肩をコケさせる。


「じゃあ、なんでわざわざ出て来たんだ……」

「ここに来たのは、ナンナが自分のことを心配しているかもしれんとおりん……リンカが気にしたからじゃ。わしが出てきたのは、お前がバルツのことに気付いたから説明のためじゃな」

「バルツの……そうか! あれはお前の仕業だったんだな。何をしたかさっさと言いやがれ!」

「まあまあ、落ち着け。寝ている者もおる。もう少し声を抑えろ。ほれ、水じゃ」

「む……すまん」


 息子のことで、ついつい声が大きくなってしまった。

 水を飲み干して少し落ち着いた。


 フィフィという娘はかなり気疲れしていたようなので起きてくる心配はなさそうだが、もう一人チアという名の冒険者の娘がいたな。

 つまりは、あの娘が起きてくると困るということは、リンカーネイトやマックとは無関係ってことか。


「親方、わしにはよくわからんがバルツはそんなに以前と変わったのか? スランプを脱するきっかけになったとは言っておったが」

「そうだな……。あの技法はドワーフのやり方と違うんだが、文献も、数は少ないが完成品もある。一応、自分でも見つけられるものではあるんだ」

「ふむ」


 技法の優劣については、ドワーフのものとどちらが優れているというものでもなく、突き詰めれば合う合わないの問題だと俺は考えている。

 研究している者には、腕があるからそう言えるんだと言われたこともあるが。


「俺は偶然あいつが何年か前に作ったものを見た。だから、やり方を変えたにしてもここ数年内のことだとわかる。で、それにしちゃ完成度が高すぎると気付いたわけだ。独学じゃ、あそこまでのものを仕上げてくるなんてありえないからな」

「つまり、他の者なら違和感を感じるほどではないということか」

「ああ。色々試して自分に合うやり方を見つけたんだな、で普通は終わりだ」


 鍛冶師が自分の手で作ったものにズルもなにもない。

 作ったのだ。なら、それが実力だ。

 お前にできるはずがないだとか、そんなことを言うやつはいない。


 俺だって、それが自分の息子じゃなければ気に留めたりはしなかった。


「なるほど。親方が妙に鋭いせいでややこしくなったわけじゃな。……しかし、偶然見たとはよく言う。どうせ旅の商人にでも頼んだのであろう」

「息子の店で買った剣を持った冒険者が、装備を作りにこの町に来たんだよ。……本当に偶然だ」


 そんなことまでしなくても、国を出た時点で自分の息子がよその国で鍛冶師として通用する腕があることくらいはわかっている。

 そこまで過保護になる理由もない。


「わかったわかった。それで話を戻すがな、わしが鍛冶神を喚んだのじゃ」


 こいつ俺の言ったこと信じてなさそうだな……と思いながら、自分でもまさかと思っていた想像が正解だったことを知った。


「……やっぱりな。鍛冶神が絡んでいるとは思っていた。どんな奇跡を拾ったのかと思ったら、お前だったのかよ」


 自覚はないようだが、今のバルツは兄二人であるグラッツとロッツをも超えている。

 足りない部分もあるし、応用まではまだまだだろうが、ドワーフでも数人といない名工と言ってもいいレベルだ。


「それで、お前の創造魔法で剣が出来上がる過程を全部見ていたってことか? ……ったく、いつの間に鍛冶神なんて喚べるようになりやがった」


 創造魔法についてそれほど知っているわけではないが、大方そういうところだろう。


「いや、それがな……ちょっと違うんじゃ。ほら、わし神になったと言ったろう?」


 そういや、そんなこと言ってたな。

 そう言われてもあまりピンとこないのだが。


「バルツを依り代にしてこの世界に鍛冶神そのものを召喚した。それで、鍛冶神はバルツの体を使って剣を打ったわけじゃな」


 天を仰いだ。


 残念ながら見慣れた天井があるだけだった。

 

「亡霊の宿った剣と、精霊の宿った剣とで二度やってもらった。神を降ろすと疲れるんでな、おかげで助かったわ。ああ、ついでに上で寝ておるチランジアの剣も打ち直してもらったな」

「……ちょっと待て。理解が追い付かん」


 そんな荷物持ちをしてもらったくらいの感覚で言うことじゃないだろ。絶対に。


 神を宿した?

 自分の体に?


 制御に失敗したら死ぬやつだよな、それ。


 亡霊の宿った剣と精霊の宿った剣?


「そんな面白そうなこと、俺にやらせろよ」


 いや、そうじゃないな。

 それも本音だが。


「親方に頼めるのなら、鍛冶神をわざわざ呼ぶ必要もなさそうだが」

「そりゃありがとよ」

「バルツは打ち方を教えてもらったというような言い方をしておった。体を借りた礼ということじゃろうな」


 指導を受けた?

 鍛冶神から直々に?


 こっちが回らない頭を必死に働かせて受け入れようとしているのに、横から新しい情報をよこすんじゃねえよ。


「上で寝てる嬢ちゃんの剣、あとで俺も見れるか?」

「……それはかまわんが」

「ああ、そうだ。それでバルツの体はなんともないんだよな?」


 バルツに悪影響がなかったか、一応確認しておかねば。

 付け足すように慌てて聞いた。

 なぜなら、いつの間にか話を聞いていた妻が黙ってこちらをにらんでいたからだ。


 それから火酒が空になるまで酒を飲んだあと、マックは現れた時と同じような唐突さで階上へ消えていった。


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