193 石鹸と紙オムツ
孤児たちのことを考えると、他にももっと仕事が必要そうだな。
孤児の働き口はなかなか足りていない。
……などと考えながら、わたしは家で実験に励んでいた。
「んー、こんなもんかな。チア、パントス呼んできてー」
「あーい」
すぐにやってきたパントスに完成品を見せる。
「お呼びですか」
「これを見て欲しいんだけど」
「では失礼して……。これは硬石鹸ですね」
受け取ったパントスがあっさり断定した。
「ってことは、こっちにもあるのはあるんだね」
「はい、しかし沿岸領のみでしか生産されていませんし、貴族向けの高級品です。これは、どちらで手に入れられたものでしょう?」
「わたしが試しに作ってみたやつ。……これが製法ね」
製法と言っていいのかわからないレベルの簡単なメモ書きを見て、パントスがしばらく目を瞬かせた。
「これが、本当にスライムと木の実油から……?」
「うん。ただし、そこに書いてある通り、灰スライムでしかできないけど」
「灰スライムはこの周辺にはいない非常に珍しい魔物だと思われますが、一体どこから……?」
「火山近辺にしかいないからね。今回は実験用にわたしが召喚した」
「……そうですか、としか言いようがありませんな。さすが、お嬢様のなさることはいちいち私の想像の外でございます」
わたしの指さした先では、ガラス容器の中で灰色のスライムが何をするでもなくじっとしている。
さきほど一部を材料にさせてもらったが、核が残っているので特に問題はない。
ちなみに、実験に使った数種類のスライムが同じような状態で床に置かれている。
石鹸自体は油脂とアルカリ性のものを混ぜれば作れる。
簡単に言うと、そこらの天然材料で作る場合は、油と草木灰で作ると液体になり、海藻類の灰を使うと固体である硬石鹸になる。
材料の調達が簡単な液体石鹸の方が、ここらで一般的に使われているものだ。
この灰スライムはアルカリ性の消化液を持っているので、適当に食べ物を与えたあとに体の一部をカットさせてもらった。
あまり見かけない固形石鹸を適当に作る方法を探した結果、いきついた方法がコレである。
別のものを作るのに、いろんなスライムでアレコレ試していたというのも大きいが。
いろいろ試したおかげと、大量に治療目的に使ったのもあって、わたしのマナはもうすっからかんである。
「これ、商売になる?」
「それは間違いなく。需要はありますし、主材料はスライムの餌と油のみでございましょう?」
「ん、じゃあ大量生産の方向で進めて。スライムはわたしが増やしておくから、生産所、油の入手、販売関係全部パントスさんに任せていい?」
「もちろんです。聞かれるまでもございません。ご命令くださいませ」
「ん、じゃあ任せたよ。やって。それから、外部の協力なんかも必要なら使ってもらって」
ここで言う外部の協力とは、わたしの祖父母の取り仕切るウカ商会のことである。
「承知いたしました」
わたしの雑な命令に、パントスが力強い声で答える。
なんか感動している気がするのは気のせいだろうか。
初めてまともな命令をされたからかもしれない。
商会で働いていたし、こういったこともうまくやってくれるだろう。
「……で、作業をする人に少しでもいいから孤児院の子たちを雇ってあげてね。」
「わかりました。そのように進めます」
わたしの目的が見えたパントスが納得顔になった。
公衆衛生の向上のためでもあるが、雇用を増やすという目的も兼ねている。
「それからもう一つ。これね」
「申しわけありませんが、これは何でしょうか?」
パントスが真剣な顔で渡した実物と製法を見比べる。
大男が小さなオムツをしげしげ眺めているのは、ちょっとユーモラスだ。
「使い捨ての紙オムツ」
「は? オムツ? しかも、これを使い捨て……ですか? 」
「衛生的に使い捨てじゃないとね。一度水を吸うと使いまわしできないし」
「粉末状にしたあざらしスライムの体液を、シート状にして布の間に……これで吸水させ、スライム由来の伸縮素材で隙間ができないように密着。水が外に漏れないための外装もスライム系の素材ですか。これで成り立つのですか?」
「試しにかけてみていいよ」
すっかり冷めている飲みかけの紅茶を渡すと、パントスがそれを試作品の紙おむつの上に注いだ。
厳密には紙ではないので、紙おむつじゃないけどね。
ものすごい速度で吸水ポリマーよろしく水を吸って膨らんでいく。
表側はもちろん濡れていない。
「なるほど、これは……これだけ吸うとしたら、漏れる心配はほぼないでしょう。しかし、他の部分も手が込んでいますので、かなり高価になります。それなりの貴族でないと使用は難しいでしょうな」
「売れるの? これ、うちにいる三人用に作って欲しかったから、作れるか聞きたかっただけなんだけど」
「作れますし、売れるでしょうな。普段使いは難しいでしょうが、どうしても屋敷の外に連れ出す必要がある際などは便利かと」
「普段使いは難しいってのは値段的なこと?」
「はい。スライム系の素材はまだともかく、本体の布部分がやはり……」
「ん-、スライム紙でいけないかな。肌触りはあんまりだけど、使い捨てだし。材料になる植物とか、スライムの種類とかで調節すればもっとマシなのできるだろうし……」
紙おむつだから紙でと安易に考えてみた。
スライム紙はスライムを紙にしたもの……ではなく、スライムの消化液を含む粘液で植物を溶かしてそれから作る紙のことだ。
「そうですな。それならば、スライム紙とスライム布を組み合わせれば……」
スライム紙は知っているが、布は聞いたことがない。
「スライム布?」
「簡単に言いますと、布のようなスライム紙です。いくつか素材を変えているだけで作り方自体は同じです。わりと最近出てきたものですね」
織られてはいないが、布らしきものというわけだ。
要は不織布だな。
「じゃ、その辺で試作して、また結果を教えて。あんまり高くなりすぎるならわたしが作った方がよくなるし。商品にするかの方についてはパントスに任すよ」
「では、その方向で手配をさせていただきますね」
ドアがノックされて、おりんが入ってきた。
「そろそろお昼にしませんか」
「もうそんな時間だっけ」
試作関係はこれで一区切りだしちょうどいいかな。
わたしのキツネ並の鼻が、おりんから微かにパンとチーズの焼ける匂いを捕まえる。
「すみませんがお嬢様、すぐ終わりますので私からも一つだけ」
パントスが差し出した紙束を受け取り、中身に目を通す。
内容はわたしがおりんたちに話した赤ちゃんの世話や育児の話についてで、しっかりとした紙に清書されていた。
「お嬢様が話されていた赤子の世話や育児の話について私がまとめたものですが、本にして世に出してもよろしいでしょうか」
「……写本するってこと?」
「はい。勝手ながら、ロロ様のご両親様を含め、お贈りしたい方が何名かおりまして」
あ、そうか。
来年の春にはわたしの弟が生まれる。
ついでに、チアがお世話になっているアルドメトス騎士団長のところも冬には生まれる予定だったな。
わたしのしゃべった内容には妊娠中についての話も含まれるので、渡しておくなら早い方がいい。
「これ、閉じればもう本になるよね」
「おっしゃるとおりで。写しを作る時に手分けできるよう、まだ閉じてはおりませんが」
「オッケー」
ストレージから使える紙とインクを取り出し、最後のマナを魔力に変換して、魔術を発動させる。
パントスの書いたものと同じ二つの紙束が出来上がった。
これで、マナはもうロロナリエに姿を変える分くらいしか残っていない。
「はい、これ複製。お母さんたちと、ガトランド家にも送っといて。あとの分は普通に写してね」
「今のは……御使いのお力ですか?」
「ううん。普通の錬金魔術」
「なるほど。しかし『普通の』ではございませんね」
パントスがわたしの作った複製をパラパラとめくりながら言った。
「なんか違ってた?」
「いえ、まったく同じものです。インクで書かれた大量の文字まで一字一句魔術で複製するなどというのは『普通』できないことなのですが……完全に同じものが出来上がっておりますね」
「そりゃ、こういうのの複製用に作った、専用の術式だからね」
「なる……ほど?」
「パントスさんもそろそろ慣れた方がいいですにゃ。それより、お昼ごはん冷めますよ」
おりんに背中を押されて部屋を出る。
食卓にいくと、チアは一足先にもう食べ始めていた。




