186 スラムでの治療
わたしが片足の男を治療をしたのを見て、炊き出しに集まってきていた人たちから次々と声をかけられ始めた。
時間が経って固定化されており、一般的には治療不可能な古傷の足を生やして治したというのはインパクトが大きかったようだ。
「足を生やした! それなら、指だって生やせますよね!?」
「俺の傷も治してもらうことはできるか? 古い昔の傷なんだが……」
「家にいるうちの子がずっと下痢で……施療院に行ってもよくならないんです。助けてください」
「最近、腰が痛くて……」
「全部を治せるとは言いませんが、できる限りのことはしましょう。こちらにいらっしゃってください」
まずは、古傷をというおじさんをストレージから出したイスに座らせる。
傷を見せてもらうと、肋骨が何本もなくなり、脇腹をえぐられた跡があった。
「昔、冒険者だった頃の傷だ。動くたびに痺れて引きつる」
「……これ、よく助かりましたね。かなり力のある魔獣にやられたようですが……」
「ああ、オウルベアだ。もう少し深かったらダメだったろうな。お守りの安物ポーションが大司教様に見えたもんさ」
「それなら、わたしは神様ですね」
「違えねえ」
本当に神様だけどね。
ケタケタ笑うおじさんを治療する。
死にかけた上、今はスラム暮らしにまでなっているのに、ずいぶん陽気だ。
命があっただけめっけもの、くらいの感覚なんだろうか。
ケガの治療ならどういうことはない。
病気の方はできる範囲でというところになってしまうが。
一瞬身を引くのが遅くてな、と語り始めたおじさんの武勇伝を話半分に聞き流しながら軽く広場を見回す。
腰が痛いと言っていたおじいさんは、話の長いおじさんの後ろで少し困った様子で待っている。
炊き出しの方にも人が集まっているな。
ディンさんが整理して列になっている人たちに、さっきまで片足だった冒険者、その治療を依頼してきた冒険者もチアと一緒になって食事を配っていた。
「あの……もう二人分もらえませんか?」
「お、坊主。これじゃ足りないか。でも他のやつらの分もあるからな。さすがに三人前ってわけにはいけないぞ」
蚊の鳴くような声の少年に、さっきまで片足だった冒険者が酒で焼けた声で答える。
「その……お母さんが家で病気で……小さい妹も家にいて……」
「なにぃ!? 先にそれを言え!」
広場中に聞こえるような大きな声で叫んだせいで、少年が縮こまった。
「聖女様、迎えに行ってきます! おい小僧、案内しろ!」
「は、はい!」
「まだ足は本調子じゃないんだから気をつけてくださいね」
今、脇腹の傷を治療したおじさんが、当然のようにおたまを受け取り食事を配る続きを引き受ける。
手伝ってくれるらしい。
入れ替わりでわたしの前に座ったおじいさんは目を丸くしていた。
「せ、聖女様だったんですか。わしはてっきりどこかの神殿の人かと……その、獣人の方ですし」
聖女や御使いという呼び名は、神々から特別な祝福を受けた者として神殿や国からの認定を受けていないと使えない。
一応、誰でも名乗っていいわけではないのだ。
「……まあ、珍しいでしょうね。大地神アウレア様に仕える豊穣神である稲荷神の、その御使いになります。よろしくお願いします」
マイナーな宗教の司祭くらいかと思われていたようだ。
一度固定化された傷を司祭クラスが治すなんてことはあり得ないんだけど、知らなければそんなものかもしれない。
しかし、自分で聖女だと名乗るのはなかなか慣れそうにない。
せめてもの抵抗に御使いだと名乗っておく。
自分で聖女を名乗れるような人は、自分に酔っている系の人か、天然物の本物の聖人君子というイメージがある。
魔女ならいくらでも名乗るんだけど。
炊き出しの食事をもらいにきたやせっぽちの少女に、ディンさんが声をかけている。
その子は、片目を大きく腫らして顔は歪み、歩き方も少しおかしかった。
「お前、大丈夫か? そのけが……」
「あ……大丈夫……です。昔の客に殴られて……。でも、お客をとらなくていいから……。そのせいで食べ物は、ほとんどもらえないけど……」
客をとるという言葉と様子からして、娼館の娘か。
助けを求めるようにディンさんがこちらを見たが、治療を本人が望んでいないのだ。治す意味はない。
「治しても持ち主が喜ぶだけでしょう」
「そう、だよな……」
持ち主が喜ぶなら、わたしが持ち主になればいい。
これが解決方法として一番手っ取り早いだろう。
「おりん、その子が食べ終わったら後で所有主のところまで案内してもらいなさい。せいぜい買い叩いてきてくださいよ」
「わかりました。場所が場所ですから、場合によっては手荒な真似をすることになるかもしれませんが?」
さも心配しているような口ぶりだが、単におりんは許可を欲しがっているだけだな。
「今後のトラブル避けになりますから、必要なら派手にやってしまってください」
「あ、待て。俺も行こう」
最初に声をかけた手前か、荒っぽいことになるかもしれないと聞いておりん一人だと危ないと思ったのか、ディンさんも名乗りを上げた。
今のところ、みんなトラブルなくちゃんと並んでいる。
整理役をしていたディンさんが抜けても大丈夫だろう。
おりんのかけていた洗浄は、わたしがかければいいか。
けが人、病人の列が片付いてからになるけどね。
「お願いします! 助けていただけますか!?」
「まずは落ち着いて。どうされました?」
赤ちゃんを抱いた母親が現れると、腰を治療したおじいさんは身軽な動きでサッと場所を譲った。
「乳が出なくて、なんとか助けてもらえないかと……他に頼れる人がいないんです」
「どれくらい飲んでいないんですか?」
「昨日の夜中からです。何もなくて、仕方なく水を少しずつ飲ませて……。お願いします! 私の乳が出るようにしてください!」
となると、半日は経っている。
しかも状況的におそらくそれまで飲んだのも少ないか、まばらだったりしたはずだ。
赤ちゃんは眠っているというより、水分不足と泣きつかれで疲労困ぱいしている方か。
「わかりました。水を与えたのは非常によかったです。よく頑張りましたね。もう大丈夫ですよ」
「あ、あり……が、とうござい……」
ほっとした母親が泣き始めてしまった。
細かい事情を聞くのは後回しにしよう。
まずは授乳が先だ。
「ただ、見た感じあなたも十分に食事が摂れているとは言い難いようですね。今の状態では、授乳は体への負担が大きいです。お子さんのお乳はこちらで与えましょう」
ひょろりとした体の母親の乳の出が悪いのは、体質もあるのだろうが栄養不足の面が大きそうだ。
授乳すればそれだけ栄養を取られる。
「出るの!?」
チアがびっくりした顔をこちらに向けた。
そのまま器用にスープパスタを次々と注いでいる。
手伝っているおじさんや冒険者、並んでいる人たちまでが一斉にこちらを見ていて、驚いている顔やなにかを期待しているような顔が並んでいる。
「出ません、出ません」
パタパタと左右に手を振る。
出るわけないでしょうが。
魔法でなんとかできる気はするが、わざわざ自分で母乳を出す必要性はない。
チアがハッとした顔をして、視線をおりんの方へ向けた。
もう、それだけで次に言いそうなことがわかる。
「もしかして、おり……」
「ちがいます」
やめなさい。
おりんが困ってるじゃないの。
「でも、そのお母さんより大きいよ」
「それとこれとはまた別の問題なので」
そういうことは、人のたくさんいるところであんまり言わないであげて。
「とにかく、今回は代わりになるものを用意しますから」
母乳の代替品として使われる、ヤギ乳なんかを手配するのだろうと理解した男たちが、残念そうな顔やホッとした顔に変わる。
お前らな……。




