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毒餌は甘く、酸っぱく




季節が過ぎるのは、あっという間だ。

雪が降ったと思えば、すぐにクリスマス。

クリスマスが終わったらそのまま冬休み。


もうそのまま、すぐに年末だ。

そうして、皆が家にいる機会が増えた。

ただもちろん、そうなってもいつも通りに日々を過ごすだけだ。


そう、いつも通りに…




………





「鈴、痛いとこはないか?」



「鈴、どこか体調悪くは?」



「鈴、その…なんかやろうか?」




……顔を見るたびにちょっとずつ世話を焼きたくなってしまう。それは以前の事がどうしても脳裏に浮かんだ事が大きい。失踪や家出などはただ俺の勘違いであったけど、それが心配のタネになってしまったのは確かだ。


鈴の一挙一足にあたふたと反応してしまう。

何か力になれるなら…と声をいちいちとかけてしまうし、なんだか気まずくなってしまう。



その行動の代償は…





「兄さん…その……

ハッキリ言ってちょっとウザいです……」




「グハァッ!」




……手酷いダメージとなった。







……






「鈴も難しい年頃なんだから子供のときみたいにいちいち構えば、全部解決ってわけじゃないのよ。きっと」



「むう…」




母に軽く相談すると、忙しそうに準備をしながらも真摯に答えてくれた。




「まあ傷つく気持ちはわかるけどねー。

集は特にあの子とずっと一緒にいるし、お父さんよりお父さんの気持ちじゃない?」



「うーん…そう、かも……」



「だからこそ変化を受け入れるのも大切よ?…っと、それじゃ私行ってくるわ。買い出しは帰りのついでにしてきちゃうからね〜」



「オッケ。んじゃいってらっしゃい」





ばたんとドアが閉まる音。

一気に音が少なくなったような気がする。


さて、鈴はもう初めている筈だ。

俺もそろそろ動かないとな。





「大掃除を、します」



そう鈴に宣言されたのはついさっきの事だった。確かに今日は天気も良く、色々と干したり換気をするのにはうってつけだ。


にしてもずいぶんとまた急だなと言ってみると、最近の兄さんは部屋の清掃を怠っているという小言を貰ってしまった。

確かに最近、部屋に戻ればつい疲れてそのまま寝る事が多い。気付けば放っておきぱなしの漫画本や埃が溜まっている。


それの矯正にも丁度良いからと、強制参加で大掃除をする事になったのだ。まあどちらにせよ年内にやらねばならないとは思っていたから断る理由も無いけど。




「鈴ー!雑巾どこだっけ!」



「さっき階段に置いておきましたー!」




2階に居る鈴に呼びかけると声が返ってくる。

部屋と窓は鈴に任せてもいいだろう。そうなると俺は1階部分、特に綺麗にすべきはキッチン周りだろう。常々、油汚れやちょっとした溢しとかで汚くなっている部分を見て見ぬフリをしていたのだ。


よーし、やるぞ。

一度初めてしまうとスイッチが入るんだ。

こうなったら徹底的に綺麗に!






……





「ふー…」



気付けばすっかりと日が暮れ始めている。

日没が早いのも確かだが、掃除に気を取られすぎて時計を見るのもふと忘れていた。


まあ、その甲斐もあってそこそこ綺麗にはできたのではないだろうか。

もっともっとやるべきだとも思うが、今日はこれくらいにしておこうかな。




鈴はまだ二階から降りてきていない。

それぞれ皆の部屋を掃除すると言っていたが、調子はどうだろう。

父さんの部屋は特に、家に戻ってくる時も少ないし、汚れが溜まってそうだ。あと俺の部屋もかなりアレなのでひょっとすると重労働すぎたのかもしれない。


大丈夫かな、と様子を見に行こうとしてから一瞬立ち止まる。またウザがられてしまってはちょっとショックだなと思い、そっと階段を登り、そっと扉を開いて見た。



鈴の部屋…では無い。

では俺の部屋だろうか。

居た。


見渡すと、すっかりと綺麗になっている俺の部屋。おお、ありがたい。

あとは仕上げといった所だろうか?


鈴はまだこちらに気付いてない。

何かに夢中になってるようだ。




「……うーん、ここでもない。

持ってない…事は多分無いと思うけど…」




……




「タンス裏、棚の下…あとは押し入れの…」




ぶつぶつと独り言を言いながらいやーに奥ばった所を探し続ける鈴。

探す。探すって何を。いやまあそんな何かを隠すような場所といえば、だよなあ。




「………探してるようなのはないぞ」



「うわぁっ!?」




声をかけるとその場で飛び上がるように驚き、なんならその場で転んでしまう。

いつもはこうはならないところを鑑みると、よっぽどもって驚いたらしい。



「いい、いつから見てたんですか!?」



「いやそこまでは…

ベッドの下を見始めたあたりかな」



「結構ガッツリ見てるじゃないですか…!

ふーっ…これはその…違うんですよこれ。

はたきを何処に置いたか分からなくなって」



ふー、とため息をついてから落ち着いた顔で理路整然とした風に語る鈴。ただその眼は少しだけ泳いでいる。隠し切れてないぞ、と思う反面そもそも誤魔化すのは無理筋だと思う。




「いや、まあなんだ…掃除してくれてありがと。すごい綺麗になってるじゃん」



「え、ああ、はい。当然です。

窓の外は危険なので拭けていない所もありますが…埃の一片も残っていないと自負してますよ」


「後は断捨離ですね…こればかりは私が勝手にする訳にも行かないので」



「う、そうだな…いい加減に処分しないと」




どうにも、誰かから貰ったものだとか本や教科書などの過去の物を処分していくのが下手というか、つい取っておこうとしてしまう。それのせいでデッドスペースが増えてるのは確かだ。



「まあ日も暮れたので今日はこれで終いにしましょう。後は明日以降に少しずつ」



「ああ、そうだな…」




終わりだと思うと少し疲れる。

ふーっと息を吐くと、互いに身体から力が抜けるような気がして、そのなんとも言えない脱力感に、二人で微笑んだ。




「あ。あと兄ちゃんはそういうのに興味持つのは当然のことだと思うから。大丈夫だぞ」



「だ、だからさっきのは違うんです!

違うんですってば!!」







……





「さて、後は料理の準備でもしてしまいましょうか。下拵えなどはするに越した事はないですし」




行動の弁解をあらかたし終えた鈴が、うんと伸びをしてからそう立ち上がる。



「そう連続して動かなくても良いんじゃないか?まず、いっぺん休憩したらどうだ」



「よくもまあ…

兄さんがそれを言えたもんですね…」




…そう言われると何も言えなくなってしまう。

いや違うんだって。確かに今また拭き直しとかしてるけどさ、一回場所を移してから戻ってくるとまた汚れが気になったりするだろ。しないか?




「…まあ、それならそうですね。

お言葉に甘えて、少しゆっくりしましょうか」


「勿論兄さんもですよ。

ほら、一旦中止して。座ってください」



「え゛…あ、ああ。わかった」



「何を『予想だにしなかった』って感じの声を出しているんですか。…逐一私に行動を聞くくらい心配してくれるなら、こういった要請をこそ素直に聞いてください」



「……はい、そうします」



「ん、わかれば良いんです」




ソファーに二人で並んで座る。

…なんだかよくわからない沈黙に包まれる。

かといってTVをつけるような程でもない。




「……あっそうだ、甘酒でも入れようか。

前買ってきたんだ」



「ほら、またすぐ動こうとする」



「インスタント!インスタントだからそんなじゃないから!」



「…それなら頼みます。が、完璧にワーカホリックですよそれは」



それは確かに…返す言葉も無い。

まだ学生なのに仕事中毒とはこれ如何に、とは思うが、言わんとしている事はわかる。

ただどうにも動かないと落ち着かないんだ。



そう思案している内に、お湯が沸く。

結構長いことぼーっとしてたらしい。



「ほい、熱いから注意してな?」



「それくらい大丈夫ですよ」



「…っと、そうだな。そういうとこがウザイって言われたばかりだった」




自分に戒めるように、そう言う。すると鈴がバツが悪そうにもにょりと口を動かす。



「いえ、その…前はすみません。流石に、言い過ぎました。兄さんは善意からしてくれたことだったのに」




少し恥ずかしそうに、顔を逸らしながらそう謝ってくる。悪いのは俺だから謝る必要なんてないんだけどな。鈴は優しい子だ。



「ただ少し…いやだいぶ…いやかなり纏わりつかれて面倒くさく思ってしまって…」




……優しさからくるフォローが尚更傷を抉ってくるが。というかこれ本当にフォローか。




「変に、気を使う必要なんてないんですよ。

…その…気持ちはわかりますが…」




静かにそう呟いた。

気持ちはわかる。そう、わかるだろう。

危なっかしく、急に居なくなってしまうかもしらない。そんな気持ちを俺は今回が初めてだったが、鈴は直前に。そしていつも思っていたのだから。




「…そうだな。

実は、前俺の看病をしてくれた時とかも流石にオーバーだな、とか思っちゃってたんだが…」



「ようやく気持ちがわかった気がするよ。大事な人がいつか居なくなるんじゃないかって思うとこんなにも、不安になるもんなんだな…」




間が空いた。変なことを言ってしまったか、と不安になり始めたくらいの後。

鈴が小さく震える声で呟く。



「大事な人、ですか」



「?ああ、そりゃそうだろう。

鈴が大事じゃないわけないだろ」



「それは…」



話そうとして、そのままやめてしまう。

代わりに、会話に使われる筈だった息がため息になって吐き出される。




「……罪な人」



「何がだよ」



「そういった、自覚すらない所ですかね」




言いながら、鈴が立ち上がり、座ったままの俺の頭を撫でられる。こうされると妙にむず痒く、恥ずかしくなってしまう。




「それじゃ、そろそろ動きましょうか。

そうだ。それなら、兄さんに手伝って欲しい事があるんです。頼めますか?」



「!おう、任せてくれ!

力仕事か?掃除か?」







〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜






「…下拵えを手伝ってほしいって…今日は俺が調理番なんだから、むしろ俺が手伝われる側なんじゃないのか?」



「細かいことはいいんです。

いいですか?いいんですね?」



「お、おお…なんだか最近なんか、押しが強くなったよな鈴…」



「頑固者が私のすぐ近くに居ますからね。

影響を受けちゃったんでしょう」



「…それ、俺の事?」



「他に誰が居ると思うんですか」



沈黙を紛らわすようにつけたラジオからはゆったりとした音楽が聴こえてくる。今年にヒットしたそれは、キッチンの音と混ざって、まるで別の曲のようにも聴こえてくる。



ちらりと隣を見る。

器用に、大きな手を動かす兄の姿がある。




「『変化を受け入れるのも大切』、か」



「?何の話ですか?」



「いや、当然なんだけどさ。鈴も俺の知ってるまんまじゃないんだよなあって思ってさ」



「…そんな変わりましたか?」



「ああ、自覚はないかもしれないけどな。

でもいい方向に変わってると思うよ、俺」




変わったのだろうか。

私に、あまり自覚はない。むしろ、変化はしないでいたいと思っていたのだから。

それでも否応なしに変わっていく。


それならば、もっと。

自分が、変わりたいと思うように私は変わっていけるだろうか。私が、心が望むように。


本当は、なってはいけなくとも。



とくんと心が高鳴る。

それは、背徳が齎すときめきでもある。





「その…なにをやってほしいかって、聞いてきましたよね。私に」



「ん?ああ。もしあったらでいいけどな」




急な話題の変換に戸惑いながらも、兄さんはそう答える。野菜の皮を剥くしゃりしゃりとした音とラジオの音が機械的に響く。




「……私、自分で言うのも何ですが、結構無欲な人間なんです。何かが欲しいとなる事は、あまり無い。無いし、きっと貰う事も嬉しいけれど、そこまで」


「ただこのままで居させて欲しい。何も変わらないで欲しいし、だからこその無欲だったんだと思います。それが私の望み……でした」




『そのままでいて欲しい』は、無欲に見えて、その実一番の強欲だ。

だからそれには手が届かない。

きっと二度と、そうはならない。


ならば、だからこそ。




「『でした』…ってことは?」



「はい。兄さんの言う通り、少し、変わったのかもしれません。それまではそうだったのに最近は…」



刃物を持っていないことを横目でちらりと、見て。その腕にぽすりと、頭を預ける。

この固く、優しい貴方が私は。




「少しだけ。もう少しだけ。ちょっとだけ贅沢が言えるようになりたいな…って」



意を決するように、言った。

声が震えた。ギュッと目を瞑った。

何を言われるか怖くてたまらなかった。



言葉は、返ってこなかった。恐る恐る私は目を開けて、顔を上げてお兄ちゃんの顔を見た。




(………!)




そこには、野菜の皮むきをぴたりと止めて、呆然としたようにこっちを見据え、口が空いたままの彼の姿。



え。とだけ、言い。

そして顔を赤くして、止まっている姿があった。



それを見た時の、私の胸の中に広がったその気持ちは一体なんと表せばいいだろうか。


それは、初めて甘くて酸っぱい味がした。

二度と離れられない、毒餌のように鮮やかな、初恋にはなかった悦楽の味だった。


この味を分かったからこそ、離れられない。

二度と離れるという事が出来なくなる。


もう二度と、離れる気もないのだけれど。




寄りかかっていた貴方の腕をぎゅっと身体で包むように抱きしめた。


そして私は顔を上げて、ただ一言…







ぴんぽーん。






「……またですか!!」




つい声を荒げてしまう。前もそうだっただろう!いっそインターホンを壊しておいてやろうか!


……つい、冷静でなくなっている自分に気がつく。いけない、いけない。




「!お客さんかな?

俺が出るよ、うん」



「…いえ、私が出ます。

兄さんはそのまま火を見ていてください」



「あ、ああ。わかった…」




半分あぜんとして、呆けたようになっている兄を尻目にドアに向かう。

その姿は可愛らしく、長いこと見ていたかったけれど、もう一度押されたインターホンの音に正気ついて改めてドアに向かった。



まったく、誰だろうかこんな時間に。





(…ッ…)



ドアを開ける前、少し嫌な予感がした。

これもまた、デジャビュ。そしてこういう嫌な予感の時は、とても当たってしまうのだ。



ただそのままでいる訳にもいかず、ドアを開けた。するとそこにはある一人の女性が居た。

ウェーブかかった髪型をそのまま流した、少し気弱そうな女の人。



そうだ、そこには…




「急にすみません。ええと…私、以前パーティ会場で助けていただきまして、その時のお礼をと思いまして」



「その…古賀集さんはご在宅でしょうか?」




…毒餌を啄ばんだ小鳥が、また一人、いた。



ああまったく、あの人は。

心の中で、歯噛みをした。






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