本音
下野国 祇園城 小山晴長
小田原にて激震が走る。小田原城に火が放たれそうになったのだ。幸い、未遂の段階で犯人を確保できたそうだが、問題は彼らの素性だった。
実行犯はなんと古河の手の者。しかもその指示役は古河の重臣一色直朝だったことが判明した。
狙いは北条家と梅千代王丸の命。つまりは暗殺だ。
一色直朝の犯行だと明らかになると、北条は晴氏に対し直朝の身柄を引き渡すよう要求してきた。晴氏は最初冤罪だと主張し、引き渡しを拒絶していたが、どうやら直朝は自身の指示であることを認めたらしい。
これは表沙汰になっていないが、古河に潜入していた加藤一族の情報によると、直朝は晴氏から梅千代王丸暗殺の命を受けたと思い込んでいたという。晴氏は否定していたが、心当たりはあったようで直朝を非難しなかった。
だが、事実と発覚したことで晴氏は信用していた重臣を北条に引き渡すか、庇うかで苦悩することになった。
結局、晴氏は直朝を北条に引き渡すことはしなかったが、代わりに蟄居に処した。北条は引き渡さなかったことに不満を覚えたようだが、晴氏が直々に処分を下したということもあって、これ以上言及することはなかった。
これで一応解決の形になったのだが、新たな問題が発生することになる。信用していた重臣の暴走を許した晴氏は人間不信に陥ったようで、部屋に籠ることが多くなった。それだけでなく、怪しい呪術に手を出したとの噂も流れて、国人たちは晴氏の身を案じた。
「いまだに部屋に籠りっぱなしのようだ。心を病んだかもしれんな」
「跡継ぎが定まっていない中でこの状況はよろしくありませんな」
「噂では幸千代王様だけは入室を許しているだとか」
各々が心配しつつも古河の状況を憐んでいるそんな折、祇園城に古河からの使者が訪れてきた。
「お願いいたします。どうか公方様に会っていただきたいのです」
まさかの嘆願に重臣たちがざわめく。小山家は古河とは近年微妙な関係だ。そんな状況下にもかかわらず、古河の家臣らが晴氏に会ってほしいと言ってくるとは。
「もはや下野守様だけが頼りなのです。このままでは公方様は心を完全に壊してしまいます」
「俺でなくても、幸千代王様がいるではないか。噂では入室を許可されていると聞くが?」
「正直申し上げて、幸千代王様では駄目なのです。幸千代王様は公方様に従順すぎる故、心を治す存在たり得ないのです。もう公方が心を開いているのは下野守様だけ」
「たしかに公方様には世話になったが、今の俺が赴いたところでどうにかなる問題ではあるまい」
正直気乗りはしないが、ここで晴氏が壊れると坂東が更なる混沌と化す危険があった。使者の決死の嘆願もあって俺は古河に向かうことを了承する。
「三郎太、留守は任せたぞ」
「御屋形様、どうかご無事で」
段蔵や栃木雅楽助らを伴って久々の古河へ向かう。古河の市場は政情不安だからか、いつもより活気に欠けているように見えた。
やがて古河城に到着し、古河の重臣二階堂の案内のもと晴氏の自室前までやってくるが、そこは謎の札が乱雑に貼られており、陰気が漂っていた。
「……いつから公方様は呪術に興味を?」
「一色殿の処分を命じてからです。それまではそんな兆しすらありませんでした。思えば一色殿の処分が決まった日から人前に姿を見せることがなくなりましたな」
一色直朝は北条家と梅千代王丸の暗殺未遂で永蟄居の刑になっているという。公方の倅の暗殺はそれだけ重罪ということだろう。
「公方様、下野守様がお見えになりました」
「…………入れ」
「公方様、小山下野守でございます」
部屋には札が彼方此方に貼られている。どこの宗教だろうか?
「……小四郎か」
数年ぶりの晴氏は明らかに顔がやつれており、眠れてもないのか目元の隈も濃い。
「こうして顔を合わせるのも久々だな」
「なかなかご挨拶に行けず申し訳ありません」
「よい。今の小山との関係を考えれば仕方ないこと」
しばらく晴氏は視線を彷徨わせる。しばらく無言の後、絞り出すように声を発する。
「なあ、何故小四郎は幸千代王を支持してくれないのだ?あのとき、簗田から儂と共に助けたではないか」
「幸千代王様には謀反人簗田の血が流れております。
幸千代王様自身に罪がなくても謀反人の血を引く人間が公方になれば納得できる者はいないでしょう」
晴氏は目を伏せる。
「言いたいことはわかる。だからこそ、今川と山内上杉に後ろ盾になってもらったのだ。そうなれば、簗田の血の問題も解消できると信じて……」
「何故、山内上杉と手を組んだのです。簗田を背後から操っていたのは山内上杉だったではありませんか」
俺は長年の疑問を晴氏にぶつけた。晴氏はワナワナと震えて涙を流す。
「北条に、対抗するためには、ああする他なかったのだ。お前にわかるか?北条の娘が子を孕んだと聞かされたときの儂の気持ちが。たしかに行為に及んだ儂にも責任はある。だがな、もし北条の血を引く人間が公方になれば間違いなく古河は北条に乗っ取られる。新九郎は、あの男はそういう奴だ。先代と違ってな」
血走った目で呪文のように呟く晴氏は異様だった。だが同時に晴氏は北条が公方を利用していることを予期していたのだ。
それは史実を知る俺から見ても的外れではなかった。但し、晴氏が道を誤らなかったらの話でもあった。
「言いたいことは理解できました。ですが、既に小山家は山内上杉と敵対状態にありました。その状態で幸千代王様を支持せよというのは無理な話なのです」
「……そうだったな。簗田の謀反も、もとは山内上杉が小山を排除しようとしたのが始まりだった。少し考えれば思い至ったはずなのにな。なのに儂は北条の影に怯えて小山家を蔑ろにしてしまった」
「はっきり言って、解決できた時期もありました。でも様々な要因もあって実現しなかった」
「桐生にも悪いことをした。北条に対抗するために上杉の力を強めなくてはと思っていた。それがどう思われるのか理解できずにな」
いつからか晴氏の表情は穏やかになりつつあった。呼吸もゆっくりと戻りつつある。
「なあ小四郎。いつかまた昔のように戻れるか?」
「さて、少なくとも山内上杉との関係を断ち切ればどうにかなると思いますぞ」
「ははは、それは手厳しい。だが、そうだな。色々と考えを改める良い機会となった。幸千代王のことも、梅千代王のことも」
「公方様……」
「今日は素晴らしい日だったぞ、小四郎。今度は正式な場にて会えることを祈る」
「はっ」
本音を吐露した効果もあって、晴氏は満足そうに笑った。結局、跡継ぎの話は明確にはしなかったが、何かしらの変化は出たのだろう。
そう解釈して小山に戻った夜のこと。
「一大事です。公方様が息を引き取りました」
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