樋口城・姿川の戦い(一)
下野国 小山晴長
俺らが樋口城を目前に迫った頃にはすでに戦いの火蓋は切られていて、樋口城には二〇〇〇近くの兵が押し寄せていた。樋口城は十倍近くいる宇都宮の軍勢を相手に奮闘しており、ところどころ黒煙は上がっていたが、いまだ落城せずに持ちこたえていた。
樋口城は主郭と二の郭のふたつからなる城郭で東側は姿川の支流が流れている。周囲は沼に囲まれており、城下はやや手狭で大軍が押し寄せるとなると些か窮屈になる構造になっていた。そのため宇都宮は大軍の利を生かせず、城攻めに手間取っていた。
小山の軍勢が樋口城の南を流れる姿川の前まで迫ると、宇都宮も一部の兵を残して樋口城の囲いを解き、主力を小山の軍勢にぶつけてくる。手狭な城下を抜けて姿川沿いに姿を現した宇都宮は小山の姿川の渡河を阻止せんと立ちふさがった。
樋口城の南西を流れる姿川の川幅はおよそ十六丈と五尺ほどの長さがあるが、水位自体はさほどないようで深さはあっても膝に届くか届かないかくらいだ。また気候も温暖ということもあって水温も低くない。これなら渡河での体力の消費を抑えることはできそうだった。
姿川に到着する頃、段蔵から宇都宮側にいる内通者からの書状を渡される。書状によれば内通者は今回の戦に動員されているが、積極的に攻撃するつもりはないようで、簡易的にはなるが自分たちがいる陣の場所も記されていた。また合図があればいつでも寝返るつもりだという。合図に関しては事前の調略の際に段蔵らを通じて教えているのでこちらが合図を出せば向こうも気づくはずだ。今は別動隊にいる勘助の発案だったのだが、事前に合図を決めておいて正解だった。
「書状によれば敵は鶴翼の陣か。それに都合が良いことに内通者は両翼に布陣しているらしい」
「問題は書状が信じるに値するかですな」
「難しい問題だがな。情報に踊らされて無様を晒すわけにもいかないが切り捨てるわけにもいかない。まあ、戦況次第だろうな」
書状によれば内通者の布陣の他に中央に総大将の宇都宮俊綱、壬生綱雄、多功長朝が控えていることが書かれている。当主自らの出陣が事実であれば小山に流れが向いているといっても過言ではない。
「皆の者、この戦は樋口城の救援だけが目的ではない。宇都宮を討ち滅ぼすための戦だ。心して挑め!」
「「「「「応!!!」」」」」
法螺貝を合図に先陣に渡河を命じて軍勢を押し進めるとやはり宇都宮も上陸を阻止しようと動き出す。樋口城下は手狭なため、城下を抜けた姿川沿いに鶴翼の陣で布陣し、二〇〇〇近くの兵を万全に展開させてきた。
矢が飛び交う中、小山の兵たちも竹束を手に少しずつ渡河を進めていく。宇都宮も先陣が姿川に入り、押し返そうと兵を寄せてくる。
最初は互いに牽制しつつあったが、じわりじわりと両者の距離が縮まるにつれて矢の応酬が激しくなり、ついに小山と宇都宮の兵が姿川の真ん中付近で激突する。
「戦況はどうなっている?」
「つい先ほど先陣同士がぶつかり合いました。まだどちらにも傾いておりませぬ」
今回の先陣は右馬助と粟宮讃岐守、水野谷八郎に任せている。小山家中でも武勇優れる面々だが宇都宮も優秀な武将が多く残っているので簡単には押し切れないことは想定内だ。
「問題の敵の両翼はどうだ?」
「まだ動きはありませぬ」
敵の両翼は目立った動きはしていないらしい。序盤で露骨な動きをすれば宇都宮にも勘づかれる可能性を考えると仕方ないことか。
こちらが二五〇〇に対して宇都宮は一部の兵を樋口城に備えて残していると考えると一八〇〇前後か。わずかにこちらに数の利はあるが、それはほんの些細な差でしかない。中央では激戦が繰り広げられており、一進一退の状況が続いている。互いに武将の討ち死の報告が入るようになり、その激しさは衰えることはなかった。
「このままでは埒が明かないな。押し切れそうなんだが敵の武将も優秀なこともある。ここは一手打つとするか。助九郎、例の物の準備を!」
「かしこまりました」
資清は俺の命令を受け取ると本陣から下がって準備にとりかかる。続いて俺は先陣で奮闘している八郎らに伝令を飛ばしてある作戦を伝える。
「御屋形様、ついにあれをお使いになるのですね」
「まだ未知数だがな。状況の打開にはちょうどいい。使い惜しみするべきではないからな」
しばらくして資清が本陣に戻ってくる。
「御屋形様、例の準備が終わりました。いつでもいけます」
「そうか、ならばよし。次郎右衛門、鐘を鳴らせ」
俺の命に応じた芳賀高規が鐘を五回ほど大きく鳴らす。すると前線からの「引けい、引けい」という声に反応して小山の兵が退きはじめる。突然撤退しはじめた小山の兵に宇都宮は一瞬戸惑った様子だったが、小山が怖気づいて逃げたと判断すると追撃に移りはじめた。
退いていく小山の兵を追いに宇都宮が徐々にこちら側の川岸に近づいてくる。しかしそれはこちらの作戦の内だった。
「まだだ、まだ引き付けよ。よし、今だ、放てえええ!」
俺が軍配を振り下ろすと、突如雷鳴の如き轟音が戦場に鳴り響き、追撃していた宇都宮の先陣の一部が文字どおり消えた。
一連の出来事に宇都宮側の動きが止まる。俺はその隙を逃さなかった。
「さらに放てえええ!」
もう一度轟音が響くと、今度は別の宇都宮の集団が同じように餌食となる。今度こそ宇都宮は混乱に陥った。突然物凄い音がしたと思ったら仲間がいつの間にか死んでいるのだ。まるで神罰を下されたように感じたに違いない。
「今だ、反転せよ。敵を討ち取れええ!」
再度鳴らされた鐘を合図に撤退していた小山の兵は反転すると恐慌状態に陥っていた宇都宮に攻めかかる。戦況は一変した。
俺は腰を下ろすと資清に笑いかける。資清は珍しく呆然としていた。高規らの中にも腰を抜かしている者もいた。
「凄まじい威力だな、木砲は」
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