上総錯乱(二)
上総国 柏崎 小山晴長
大鎧の若武者を討ち取ったあたりから小弓の動きは少しずつおかしくなりはじめた。より具体的に挙げるとすると、なんだか兵の配置が間延びしてきたような気がする。先鋒は相変わらずこちらと激突しているが、小弓の後方にいる兵が徐々に戦場から後退している。しかし義明がいるであろう先鋒の兵はその動きに気づいていないのか小弓の軍勢が前後に分裂してきている。そのときひとりの兵が陣に駆けこんできた。
「千葉様より伝令。『両酒井の寝返りは成った。両軍は後退に見せかけて撤退する模様。撤退する兵への攻撃は控えるように』とのこと」
「なるほど、引いていく兵は酒井のものだったか。ならば伝令に従い、撤退する兵への攻撃は控えさせよ。狙いは敵の総大将のみぞ」
俺は家臣らに更なる攻勢に出るように指示を出す。そう遅くないうちに義明も酒井の寝返りに気づくはずだ。だがこちらが攻勢に出れば、義明はこちらの対応に手をとられて酒井をどうこうすることは難しいだろう。一番困るのが酒井と一緒に後退してしまうことだったが、どういうことなのか酒井の兵が完全に義明たちから離れているにもかかわらず義明は兵を引くどころかさらに晴氏の本陣に向かって進軍し続けた。
昌胤ら古河側の両翼が酒井と義明の間にできた空間を突くように兵を繰り出し、義明は前面を古河足利、小山、結城に、左右を昌胤ら千葉一門に挟まれる形となる。唯一後方だけは相手が死兵にならないように逃げ道を用意しているが、義明は撤退を選ばずにひたすら前を目指し続けた。
左右から昌胤らの兵に攻撃を受けて徐々に兵を減らし続けても、義明は前進し続ける。いや、もはや討たれる兵のことを考えていないようだった。その気迫は凄まじく義明は確実に晴氏の本陣に迫りつつあった。
「うろたえるな!たしかに敵は手負いの獣同然だが過剰に恐れることはない。いいか、特に目立つ甲冑の武者を狙え。慌てずに、確実に仕留めるのだ」
俺の一喝によって浮足立っていた空気が引き締まる。同じく政勝義兄上も兵の引き締めに動いたようで義明と対峙している兵たちはなんとか動揺を収める。
よく観察してみると少数になりつつなる軍勢の中でやけに突出している集団がいることに気づく。そこにはあの目立つ赤い大鎧の武者の姿もあった。まわりにはその赤い武者を守るように幾人かが守りを固めているようだが、当の赤い武者はそれを置いていく勢いで自ら先陣を切って突進していく。他の者もそれを追いかけるように必死に赤い武者についていく。
あの守り様、やはりあの赤い武者は義明本人なのではないかと思い至る。すると義明と思われる武者が飛んでくる矢を刀で打ち落としながら大声で何かを叫んでいるのが聞こえた。耳を澄ましてみると、怒号が飛び交う戦場の中でもその内容が断片的に聞こえてきた。
「おのれ晴氏ぃぃいいいいいいい!!!よくも、基頼と義純を殺してくれたなああ!!そこまで儂が怖いか!そこまで偽りの公方の座が恋しいか!儂こそが──真の公方だというのに!」
地に響くような野太い声を発しながら鬼の形相を浮かべる義明の姿はまるで修羅のようであった。近づく兵たちを馬上から大太刀で薙ぎ払い、今度は近くの者から槍を奪うと一突きでふたりの雑兵を刺し殺して空に死体ごと突き上げる。一度持ち直した兵たちも義明の発する圧に再び怖気づきはじめていた。
「さすがは小弓公方。ひとりで戦場の空気を変えてみせるとは。だが突出し過ぎた。皆の者、怯むことなく、あの赤い大鎧の武者にめがけて矢を放て!」
俺の命が耳に届いた兵たちは義明に接近することを諦めて遠くから大量の矢を放つ。
義明は何本も矢を打ち落とすが、義明の乗る馬はそうもいかない。あの若武者のときのように矢に刺された馬は嘶きながらもんどりをうって地面に倒れる。義明は上手く着地するが、それでも矢は途切れることなく飛んでくる。今度は義明を庇わんと周囲の者が自らの身体を盾となり矢を受け止める。義明は倒れていく家臣らに目もくれず、再び自らの足で前へ進んでいく。まるで公方への妄執のみだけで歩んでいるように思えた。
馬も家臣も失った義明のもとに再び矢が届くが義明はボロボロの大太刀で打ち落としていく。しかしそれも長くは続かず、次第に一本、二本と矢が突き刺さっていく。
「儂が、わしこそが、しんのくぼう……あなどるなよ、はるうじぃいいい!!!」
矢が大鎧だけでなく身体に何本も突き刺さり血みどろになりながらも義明は歩みを止めることはしなかった。その執念強さに俺だけでなく周囲の家臣たちも息を呑んだ。
しかしその公方への妄執もやがて終わりを迎える。
飛んでくる矢のうちの一本が義明の額に命中し、義明は崩れ落ちる。そして二度とその身体は動くことはなかった。
義明の戦死によって小弓の軍勢は完全に総崩れとなり敗走しはじめる。しかし追い打ちをすることはなかった。晴氏からそのまま敵を逃がすよう命令が届いたからだ。晴氏からすれば義明を討ち取った時点でこの戦の勝利は確定しているため、残党狩りは不要と考えたのだろう。俺は逃げていく小弓の兵を見据えながら家臣らとともに鬨の声を上げたのだった。
「面白かった」「続きが気になる」「更新がんばれ」と思ったら評価、感想をお願いします。




