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亡霊×少年少女  作者: 雨霧パレット
夢うつつ
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夢うつつ

筆が乗りに乗り、楽しく投稿しました。

こんにちわ、ひなたです。

だんだんと秘密が解き明かされる『亡霊×少年少女』第二十話。なかなかきな臭い展開になってきましたが、お菓子をつまむ感覚でどうぞお楽しみください。

私はチューハイを飲みながら。ゴクゴク( ゜Д゜)ウマー

亡霊×少年少女 第二十話『夢うつつ』


ここは箱庭。

我らその小さき天地(あめつち)を生み出し、かの地を七日にて創造す。

全能の創造者たる我らは月詠(つくよみ)夢現(ゆめうつつ)を以て、かの地に汝らを残す。

いざ()かん、我らが生地(せいち)

流れ落つれば、(すなわ)ち『解放』。




「ねぇねぇおかあさん。お月さまはどうして、ぼくたちに近づいてくるの?」

幼い頃、一覇(いちは)は母に尋ねたことがある。月が徐々に近づいているように見えたのだ。

大きくなった今では、地球の自転周期と月の公転周期で離れて見えたり近づいて見えたりする仕組みが理解できるが、なにぶんそのときはようやく読み書きの練習中だった。

母は愛おしそうに微笑んで、こう答えてくれた。

「お月さまがね、私たちのことを見てくれているのよ。一覇は元気にしてるかな、泣いていないかなって」

「ぼく泣かないもん!泣くのは逸覇(いつは)だよ!」

「そうね、一覇は強いもんね。でも……」

膝の上にいる一覇の柔らかい金髪を撫でて、母は言った。

「忘れないでね。お月さまはいつでも、お母さんの代わりに一覇を見守っているわ」

正しくはこの世界の住人を見張っているのだと、気づいたのはそれからずっと後のことだった。

神様は悪であると、味方ではなく敵であると、そのときに気がついた。




二〇一〇年四月九日、神奈川県横浜市中区。

桜が散ったばかりの今日このごろ。私立久木学園(しりつひさぎがくえん)も、新学年が始まった。

河本一覇(こうもといちは)は新しい二階の教室の窓から、若葉が生え始めた桜の木を眺めて、なんだか感慨深くなる。

一覇たちもとうとう高校三年生、最上級学年だ。

進級式を終えたばかりだというのに、担任の久我原卯月(くがはらうづき)は進路相談の話を始めていた。一年生の頃からぽちぽちと進路の話は出ていたが、さすが三年生ともなると、より具体的なものになる。

この久木学園は幼稚部から大学部まで、ほとんどの生徒がエスカレーター式で上がっていく。高等部から入学した、いわゆる『外部生』と言われる一覇も、ボーッとしていてもそのまま大学部へ進学できるだろう。高等部だけでなく、大学部も霊子科学の名門校であるのだから、その道に進むならなんら迷う必要はない。

はずなのだが。

「配った進路希望調査票に、もれなく書いて提出しろよ」

卯月のハキハキとした声で、一覇は手元のプリントを眺める。学年クラスと名前の欄の下に、第一希望、第二希望、第三希望を書く欄まである。期限は今週中。提出後に、個別の相談時間が設けられるという。

————自分の将来、か……。

今まで卯月からもっとレベルの高い大学への進学を勧められ、なあなあにしてきたが、そろそろきっちり決めなくてはいけないときが来た。

久木の大学部ももちろん全国トップクラスだが、世界クラスで見ればまだ上がある。入学時から学年首位で、全国模試でもトップの一覇に勧めない理由は見当たらないが、一覇本人としては決めかねている。

霊子科学……ことに霊障術(れいしょうじゅつ)という分野に限られると、それは日本独自の技術であるがために、国内の大学に限られる。しかし世界的には、祓魔術(ふつまじゅつ)————エクソシズムというものが一般的であり、霊障術とはまた違った解釈と技術が確立された未知の世界だ。

夢がないわけではない。ただ、その夢のためにどう動くべきかを、決めあぐねているのだ。

そういった意味では、今年の進路相談は非常に有益な時間になりそうで楽しみである。

進路希望調査票を学生鞄に仕舞って、一覇は立ち上がった。

今日は横浜駅前にあるファミリーレストランのアルバイトが珍しく入っていないので、いつもの仲間たちとお茶をする約束をしていた。

一学年下の義妹とその親友たち、普通科の悪友・東京二(あずまきょうじ)が来るのを待ち、合計十人もの大所帯が出来上がったところで移動した。駅前のファストフード店で各々の飲み物とフライドポテトなどの軽食を注文して、和気あいあいと春休み中の出来事を語り合う。春休みでも週一日は顔を合わせていたのだが、話が尽きることはない。家族とのひと騒動、卒業していった先輩の話、アルバイト中の出来事。

こういった付き合いは高校生になるまで無かったから、一覇としてもこれからも大切にしたいと思っている。なにせこの仲間たちとはこの二年間、文字通り苦楽を共にしてきたのだ。いろいろな事件に巻き込まれ、その度に乗り越えてきた。

あれらの事件が無ければ、今の自分はいないかもしれない。彼らがいなければ、立ち向かうことすらできなかったと思う。

だから、高校を卒業してバラバラになっても、大学に進んで就職しても、絶対に続けたい関係だ。

「なにをひとりで笑っているのだ、一覇」

隣の席についている幼なじみの少年・矢倉四季(やくらしき)が、怪訝そうな表情で尋ねる。一覇はくすりと笑って、

「いや……なんでもない!」

とチキンナゲットに手を伸ばす。

最後の高校生活が始まる。

それぞれの夢や目標に向かって、少年少女は走り出したばかりだ。




「彼らは元気にしていますか、保泉(ほずみ)

横浜市中区。私立久木学園のすぐ側に位置する、歴史ある皇槻神社(こうづきじんじゃ)の中央。昼間でも薄暗い朱の祭壇に、神々しいほどに輝く絹糸のような銀髪を持つ妙齢の女性————《最上の巫女》皇槻鷹乃(こうづきたかの)が尋ねた。

やや長めの若白髪で、黒と紅のオッドアイを輝かせる長身の男————六条保泉(ろくじょうほずみ)は、恭しく片膝をついて答えた。

「皆さんとても、伸び伸びと学園生活を送られていますよ」

保泉は学園内にあるミニチャペルの神父で、高等部の保健医も務めている。今日は進級式だけで、あまり生徒達との交流はなかったが、鷹乃の指す『彼ら』の様子は遠目に眺めていた。

保泉の答えに鷹乃は「そうですか」とだけ返事をして、祭壇の炎に目を凝らす。

今でこそ霊障庁(れいしょうちょう)の中枢を握っている立派な第二種(プロの)霊障士だが、《最上の巫女》たる所以は、その陰陽師としての類稀なる『予見』の能力だ。

陰陽術は霊障術が普及した現代では衰退しているものの、やはり日本古来よりの霊術(りょうじゅつ)である。今でも充分に使用する機会はある。

炎の揺れから未来を見通す占術は、最古にして最高の予見術だ。

ゆらり。

目の前の炎がぐにゃりと歪む。鷹乃はまるで、神が自身で編み出した天網を眺めるような蕩けた微笑みを浮かべた。

「そろそろ……動くときかしらね。保泉」

その一言だけで保泉はすべてを察し、深く首肯した。

「仰せのままに」

「ときに保泉」

保泉にとってこれは予想外の出来事だった。やや反応が遅れる。

「はい」

「【ドッペルゲンガー】がどうして生まれるか、ご存知?」

「…………いえ」

いつもの穏やかな声で、問いかけられた。

唐突の質問。どういう意図の質問なのか、一瞬考えるもわからず、一番当たり障りのない答えを返した。鷹乃はいまだこちらに背を向け、炎を見つめているので、表情も読めない。

「ふふふ、怖がらなくていいです。ただの個人的な質問ですから」

背中に目でも付いているのか、鷹乃は保泉の動揺を見抜いていた。それから話が続くのかと思っていたら、鷹乃は立ち上がってパンパン、と両手を打つ。

「さあさ、お昼ご飯にしましょう。今日は鶏の唐揚げだそうですよ」

「…………」

その微笑みには、邪気はない。いや、あったとしても、彼女は巧みに隠す。人格者として政財界にも名が通っている鷹乃だが、保泉は彼女の悪意を感じるときがある。ただの悪戯で済めばいいのだが、とても『悪戯』程度ではない予感がする。

どこまでが彼女の本当なのか。長年の間、彼女の執事を務める保泉にも測りかねる問題だ。

ひと気のない廊下を進みながら、保泉は鷹乃の質問を独り言としてぽつりと繰り返した。

「【ドッペルゲンガー】がどうして生まれるか、か……」

そして過酷で苛烈な運命を抱える少年たちを、必然と思い出す。

河本一覇、双子の弟の日向逸覇(ひゅうがいつは)、そして矢倉四季。

彼ら三人の元は、鬼の頭領として伝説化されている酒呑童子(しゅてんどうじ)の、【ドッペルゲンガー】である。

なぜ【ドッペルゲンガー】という存在が生まれ、それぞれ新たな人間として生まれたのか……それはいまだに謎のままである。

おそらく、鷹乃はすべてを知っている。知っていて、わざとあの質問を保泉に投げかけたのだ。それはとある〈計画〉のために、必要なことなのだろうか。あるいは。

「本当に……難しい主ですね、あの方は」

くしゃりと苦笑し、保泉は主人の昼食を配膳するために厨房へと向かった。

人の運命(さだめ)というものは、いつの世も複雑怪奇である。特に前世というものを知る彼ら三人は、なんという因果だろうか。それらのすべてを予見する鷹乃は、完全に埒外ではあるが。




「っていうわけで、デートしない?」

「どういうわけだか、サッパリわかんないんだけど!」

結局ファストフード店の後はファミリーレストランに移動しようという話にまとまったので、家人に学校の友人と夕食を済ませると連絡を入れようと席を立った久我原千歳(くがはらちとせ)。そのあとにくっついて来た逸覇に、なぜか口説かれたのでジトっとした視線を向けている。しかし逸覇はその視線に負けず、グイグイ口説いてくる。

「やだなぁ、ボクとちーちゃんの仲でしょ?」

「アンタとそんな仲じゃないとだけ断言するわ!あとその『ちーちゃん』ってのやめなさいよ!」

割と本気の肘鉄を食らわすも、彼の案外屈強な肉体にはあまり響かない。

今でこそニコニコヘラヘラしているが、そもそも逸覇は一覇の義妹である(たから)のことが好きだったはずだ。結局、宝は一覇に惹かれ、ふたりは付き合っているという、千歳にとっても苦い結果なのだが。

随分前の話なのに、一覇にこっぴどくフラれたことを思い出してため息を吐く。

しかし以前より不思議と軽い心。遠目に一覇と宝が会話している様子を見ても、心は凪のように落ち着いている。むしろいち友人である宝の幸せを、応援している自分がいるのだ。それはきっと……

————コイツの存在もある……のかな?

チラリ、と横目で逸覇を覗く。

逸覇がこうして好意を寄せてくれるから、淋しさなど感じる暇がないのかもしれないと、今更ながらに思う。

どういうつもりで彼が接しているのか、本心はわからないが、心の中では感謝している。だから、いい加減に彼の気持ちに応えようと思うのだが……。

————どう言えばいいのかわかんない。そもそも、ちゃんと「好き」って告白されたわけでもないし。

そう、好意を寄せているような『素振り』は見せるのだが、彼がハッキリ告白というものをしてきたことはない。だから対応に困る。

もし万が一、千歳の勘違いであったのなら、千歳から告白するというのはとんだ勘違い女だというものだ。恥ずかしくて、穴があったら入りたくなる。かといって、このままはぐらかすのも、だんだん苦しくなってきた。

そもそもの始まりは去年の夏休み、お馴染みメンバーで箱根旅行へ行ったときの出来事だった。

『可愛いね、ちーちゃん』

道中、逸覇に笑顔で言われたことを思い出し、頬を上気させる。たぶん彼には他意はないと思われるが、男の子に……しかも彼ほどの美少年に言われると、ドキドキする。

あれからちょくちょく、メールや電話で何度もデートのお誘いがあって、たまに根負けして出かけているのだが、どうも恋人っぽい扱いを受けては、戸惑うという繰り返し。

どんなに聞きたくても、『あたしたち、まだ付き合ってないよね?』と尋ねるのはとんだトンチンカン女というもの。

何度も辞書をくぐって【デート】についての定義を調べて、『男女がふたりきりで出かけること』でしかないと確認済みだ。つまり友人同士だろうと、先輩後輩であろうと、友人の友人であろうと、《男女》で《ふたりきり》であれば、それは【デート】と定義されるのだ。

————どうすれば……いや、このままズルズルするのも……でも!

と頭を抱えて思考を巡らせていると。

「ま、ちーちゃんの気が向いたらでいいよ」

と逸覇は微笑んで、優しく頭を撫で、自然に席へ戻っていく。

いつもこうだ。千歳が本気で困っているときに限って、一歩身を引く。このまま強引に来られたら、受け止めてしまいそうだという迷いが見透かされているように。

そそくさと友人たちの群れに紛れ、携帯電話を鞄に仕舞いながら、ちらと逸覇を伺う。いつもと変わらない彼の様子に、ホッとしつつも不安に思う。

もし……もし、彼の自分に対する好意が、本物だったら。

————そのときあたしは、どうこたえるんだろう。

幼い頃の夏休みに『初恋のお兄ちゃん』に出会って憧れて、それが一覇で、だから好きになった。それがダメになったから、今度は一覇の弟の逸覇に恋をする?

都合がいいといえば、それまでだ。だが、このくすぶる想いの行方は、まだわからない。


新学年が始まって、早くも二週間が経過した。

義母の河本明日香(こうもとあすか)とも、じっくり時間をとって話し合った結果————海外で働く義父の八尋(やひろ)は、例によって不在————、一覇の進路は固まった。あとはいよいよ卯月との面談だ。

卯月とは実の両親と親友だったために、幼い頃はしょっちゅう顔を合わせていた仲だったお陰もあって、とても話しやすいがやはり多少の緊張はする。

前の時間帯に面談だったクラスメイトは教室から退散し、卯月が一覇を呼ぶ。教室に入ると、いつもの様子とは違って、多くの机と椅子が黒板側に寄せられ、一対の机と椅子のみが中央に置かれている。その窓側に、卯月が進路希望調査票の束とメモ用紙を広げていた。

「おう、河本。早く席につけ」

サラサラと素早くメモ用紙に書き込みを終えたばかりの卯月と、一覇は向かい合った。

「えーと、それで河本。お前、第一希望が東京霊子科学大学だな?あたしはてっきり第一種とって、そのまま霊障士になるかと思ったが……科学者になりたいのか?」

卯月はバインダーの用紙を入れ替えて、話をメモする体勢に移った。それを眺めながら、一覇はハキハキと答える。

「はい。オレ、父さんと同じように、霊子の研究をしたいんです」

今度は一覇が提出した進路希望調査票を眺めながら、本題に入る。

今の霊子科学では、『幽霊』の発生条件など、まだまだ細かい事象は謎のままである。比較的、生前から霊子量の多い能力者に多いと言われているが、それもまだ残念ながら仮説の段階である。

卯月と話しながら、一覇はある事件で出会った少女のことを思い出す。幽霊だった、黒髪が綺麗な猫のような少女。まさに命懸けで命を救ってくれた彼女の霊子は、今も一覇の中で息づいている。

二本所有している霊障武具基盤のうち、特別製ホルスターの右側にある方に触れる。あちこち傷ついてはいるが、その鋭い輝きはいまだ鈍らない。

「菜奈と……その子と出会って、本当に短い間なんですけど、大切なことを学んだんです。幽霊だって、『生きている』んだ……彼らが楽しく過ごせる世界を、オレは作りたい」

東京霊子科学大学は、日本では唯一、国際霊子科学研究所(International Aether Science Laboratory)と直結している大きな大学だ。学生専用の図書館も国内随一、有名な研究者を多く輩出している、国内最高の環境と言っても過言ではない。

もちろん競争率も高く、倍率は驚きの六百倍を超える年もある。一覇といえど狭き門だ。簡単にはいかないだろう。入学を果たしたって、研究が芽吹かなければそれまでだ。それでも、もう決めた。

一覇の決意に満ち満ちた気持ちを最大限に汲み取り、卯月もにっと太く頷く。

「じゃあやってみな。あたしは担任として、責任もって応援するよ」

「……あ、ありがとうございます!」

「……頑張れよ」

一覇の眼差しが、どこか父である日向慶一(ひゅうがけいいち)と似てきたな、と思いつつ、卯月は微笑んだ。それに……

「……なんですか?」

卯月の視線が、どこか不思議な懐かしさを帯びたことに、一覇は気がついた。卯月もそれを悟られたとわかり、わずかに言いよどむ。

「ん、あぁいや……すまんな。少しだけ……あたしの本当の父親も、こんなだったのかなと思って」

卯月の本当の父親は一覇の前世で、昭和最強の第一種霊障士である東雲基(しののめはじめ)という男だ。

去年の夏に起きた事件でその事実が発覚して以来、事件の当事者でもある四季の実姉という関係で、卯月にはあらかた説明したのだが……。

両親の複雑な事情から、卯月は本当の父親というものを知らなかった。早くに亡くなった妹の時音(ときね)と、弟の四季とは異父きょうだいということもあり、卯月自身、どこか他人のように感じて距離を置いていた時期があった。今でこそ弟にたっぷりの愛情を注いでいるが、一度感じた引け目というものは完全には消えない。実家で自分だけ余所者のような感覚。

それもあって、『本当の父親』というものへの興味は、幼い頃から多分にあった。本物の家族とは、どんなものなのか。興味は憧れに変わるが、基の話は家でも絶対の禁句だった。母の状態もあって、聞ける人がいないし、写真一枚すら見せてもらえなかった。

結婚して家を出て、夫と娘、義理の両親という温かな家族の存在を得ても、卯月の心に父への想いは募り続けていた。

自分は愛されて生まれた存在なのか……。

「ようやく母さんに父さんとの話をきいてね、写真も見せてもらった。あたしが生まれる直前にたった一枚、住んでいたアパートの前で撮ったものだって……驚いた。一覇そっくりだったよ」

一覇も卯月と四季の母……前世の妻だった時雨(しう)には会ったことがあり、そのときにも彼女に言われた。一覇と基は、驚くほど似ていると。

「外見のこともそうなんだけどね、人物の本質というのかな……お前は否定すると思うけれど、やはり同じ魂をもつ者なのだと、少なくともあたしは感じた」

「…………」

自分でも感じていた。基は自分とそっくりだと。

なにも外見のことだけではない。考え方、生き方。人生観すら基のあとを辿っていると思う。

それでも基と一覇は、別の人間だと主張する。

「だって、やっぱわかんないよ……子持ちになった気持ちなんて。オレはまだ十七歳の子供で、とてもじゃないけど妊娠した奥さんなんて支えられる気がしないもん」

一覇はぽりぽりと、気恥ずかしそうに頭を搔く。

日向一覇(ひゅうがいちは)』という人物は、まだたった十七年しか過ごしていない。笑って、泣いて、怒って、喜んだこの十七年を、否定したくないし、無かったものにはできない。そこには《現世》で出会った人たちの想いがこもっている。彼らの想いは、一覇がいくら否定しようと消えるものではない。

「オレはきっと、また戸惑って、迷うと思う。でもそれでも、逃げることはしない。『日向一覇』は、まだ終わっていないから」

「……そうか。それじゃあ」

卯月は一覇の頭に手を伸ばし、かつてしてくれたように優しく撫でてくれた。

「あたしも、くだんないこと言ってられないね」

姉のように、母のように、柔らかな手のひら。太陽のような温もりを感じる笑顔。ふたりは家族のように笑いあった。

一覇が知っている卯月は、そういう人だ。それだけで、充分だ。

それから一覇は教室を出て、いつものアルバイトに精を出す。千歳と、アルバイト先の先輩である花田青年とともに、楽しく働いた。

世界はまわる。今日も明日も明後日も、当然のように毎日が始まる。

《その日一日を精一杯生きる》。

後悔だって悲しみだって、すべてが糧になる。

【自分らしく生きること】が、自分を想ってくれるすべての人たちへの恩返し。

今日も、生きよう。




日向逸覇は、月明かりが照らす公園の隅にあった公衆電話にいた。

「……うん、わかっています。おじい様も、お元気で。……それじゃあ」

緑の受話器を本体に掛けて、外に出ると、安堵のため息をひとつ。

「君も懲りないね、日向くん」

「……!!」

声がした背後に首だけを向けると、長身の黒い修道着(カソック)姿の男がいた。やや長めの若白髪で、黒と紅のオッドアイ。皇槻家の執事、六条保泉がそこにいた。

「ふん、神父(エクソシスト)くずれが……お前にどうこう言われる筋合いはないよ、裏切り者」

逸覇の罵りにも、保泉は肩をすくめて微笑む。

「おやおや。お兄さんと一緒で、随分強気ですね」

「ボクを兄さんと一緒にしないでくれる?それより、早く用件を言えば?ボクだって、暇じゃないんだからね」

逸覇がいくら嫌味っぽく話を進めても、保泉は表情を崩さない。

この男はいつも、ろくでもない用事しか言いつけない。裏切り者の二重スパイのくせに、やたらと人使いが荒いところも、逸覇は前から気に食わない。人を食ったような飄々とした態度も、その呪われた化け物のごとき能力も、そのくせ組織内での位の高さも、全部が嫌いだ。まぁ……自分も似たようなものか、とひとりごちる。

張り付いたような笑顔で、保泉は本題に入る。

「そろそろお仕事をしなさいと、我らが《最上の巫女》が申していらっしゃいます————【日向家当主様(、、、、、、)】」

「……わかってる。わかってるよ」

すべてはこの時のために————兄の複製品である自分が生かされた理由は、とうの昔に知っている。知ってしまった、という方が正しい。

今でも、あの日に帰って、耳を塞げばよかったと思う。そうしたら……

————兄さんを憎まなくて、済んだかもしれないのに。

普通の兄弟であったのならと、毎日何回も何十回も、思い、願う。それでも現実は変えられない。

ならばいっそのこと、この世界は壊してしまおう。そうすれば。

————ボクたちは……もう一度『ひとつ』になれる。

それがこの世界のために、ひいては兄のためになる。

ただひとつ、後悔があるとすれば。

逸覇は長い黒髪の少女を思い浮かべる。強気な黄金の瞳、照れくさそうに頬を紅潮させる、可愛らしい仕草。

この〈計画〉が成功すれば、彼女と自分は『出会わなかったこと』になる。逸覇が覚えていても、千歳はすべてを忘れてしまう。それが……淋しい。

でも仕方がないことと、すべて割り切ろうと決めた。この世界のすべての秘密を聴かされたときから、ある程度の覚悟はしたつもりだった。

この小さな箱庭にとって、それは些末な埃である。箱庭の持ち主が払うだけのこと。

保泉は目を細めて、口を開く。

「ゆめゆめ忘れないことです……君の周りの人間はみな、あくまで〔人形(ドール)〕。この〈ミニチュアガーデン・プロジェクト〉の、ひとつの部品に過ぎないことを。そして君は」

「わかってる。わかってるから早く消えろ」

鬱陶しげに保泉の言葉を切り、逸覇はぎゅっと目を閉じた。

保泉の気配が消えた。目蓋を開けて、誰もいないアスファルトを見つめる。

一覇と、千歳。彼らだけでも今すぐ隔離したいという強い欲求を飲み込む。それから銀光の半月を見上げた。

月は日毎、この地球に近づいていることを、この世界の住人のうちいったい何人が知っていることだろうか。幻でも、勘違いでもない。月は、この世界に少しずつ近づいているのだ。

カウントダウンは目前だ。やがてこの世界は、創造者(つきのじゅうにん)によって耕されて、新しい世界に塗り替えられる。残るものは、創造者のみが知る。

彼らの気まぐれによって、この世界の住人の存在の有無が決まる。

この世界に落とされた十二人……いや、十三人(、、、)の創造者が、この世界を動かす神となり、あるいは鍵となる。

「……帰ろ」

逸覇はのろのろと歩き出した。

薄暗い街灯に照らされたその影は、やがて『ひとつ』になることを望んでいる。

月光と屈折して【ドッペルゲンガー】のように割れて、またひとつになる。逸覇と一覇の運命のように。




あっという間に季節は初夏を迎えて、大学受験をそれぞれに控えた五月の半ば。今年も六月に中等部と合同の学園祭————紫陽祭(しようさい)の日がやって来る。

「そこで今年の我らが三年霊障士専科は、演劇をやります!」

クラス委員長を務める友人の忍野桐子(おしのとうこ)が、午後のロング・ホームルームで元気よく宣言した。

しかしクラスメイトは全員、「えーっ!?」と否定的な返答をする。

それもそのはず。AO入試と推薦入試組はもうエントリーシートを書くのに必死だし、センター試験組は今から一年生と二年生の授業の復習をしなくては間に合わない。霊障士専攻クラスは例年、大学部への持ち上がりが他の学科に比べて少なく、大抵が一般の大学か霊障士として就職かの二択だ。

霊障士を育成するエリート学科というのが世間での姿だが、実際には霊障士というものは本当に間口が狭く、一握りの天才しかなれないのが現実だ。二年も在学していたけど戦うのが性に合わない、と思えばさっさと一般企業への就職を考える。学校側も政府側も、生徒がよっぽどの腕利きでなければ引き止めたりしない。案外ドライな世界である。

いくら競争に脱落した者であっても、大学側は『エリート生徒が入学した』という銘が付けば名が上がるということで、引く手あまただ。

そういった理由で、このクラスの生徒はみな、今の時期が一番忙しいのだ。だから毎年、三年霊障士専科は紫陽祭に不参加なのだが……。

「だってこのメンバーでの行事も、あと少しだけなのよ?ちょっとでも多く思い出を作りたいじゃない」

と頬を膨らませた桐子が、全員の説得にあたる。桐子とて、霊障士として就職するための準備があり、忙しい身であるというのに。

「でも自己PRがまだ埋まってないし……」とか、「二次関数の公式を詰め込まないと!」といった理由を口々に、クラスが離れようとしている。

「いいじゃん、演劇」

と桐子に助け舟を出したのは、一覇だった。

「河本くん……!」

と意外な救いの手に目を輝かせる桐子の隣に立ち、一覇は珍しく演説を始めた。

「だってもう高校最後なんだぜ?最後の思い出が受験とか虚しいし、オレたちのクラスってホラ、紫陽祭で二年連続入賞してんじゃん?三年連続……ってのも鼻が高いだろ?」

一覇の言葉に、クラスメイトたちの気持ちが前向きに変わってきた。

高校生活最後に花を添える……苦しい受験の思いだけではなく、みんなで努力した思い出を作る。

一覇はタイミングを見計らって教卓を叩き、にやり、ととっておきのセリフを吐き出した。

「一、二年にいっちょ見してやろうぜ。最上級生(オレたち)の本気」

その言葉に最初に立ち上がったのは、一年生の教科書の山を引っ張り出してヒイヒイ泣いていた椋汰(りょうた)だった。

「おれ賛成!!もうこんな勉強ばっかやだ……じゃなくて!みんなでワイワイしたい!最近みんなの雰囲気悪いしさ!」

「まぁ悪くはないのではないか?受験の息抜きにもなるだろう」

それに続いたのは、意外にも四季だった。いつもと同じように難しそうに腕組みをして、机に広げていた大学の自己PR表から目を離す。

「私も賛成です。一覇さんを王子様に、若をお姫様に推薦してヨダレベロベロ……はさすがに冗談ですよ、怒らないでください若。とにかく賛成です、やりましょう」

四季の隣の席で肌色とピンク色の同人誌を広げていた璃衣(りい)も、全面的に強く賛同する。すると彼女にくっ付いていた沙頼(さより)も、

「わたしは璃衣がいいなら賛成ー」

とやや弱い意志で乗っかる。

しかしその勢いは、だんだんとクラスメイトたちに広がっていった。そしてロング・ホームルームが終わりの時間に近づいた頃。一覇の叫びに、全員が乗った。

「よっしゃ行こうぜニューヨーク!!」

『おぉーっ!!!!!!!!!』

とりあえず全員の意志が統一された。

紫陽祭までの一ヶ月、一覇たちは新たな目標に向けて走り出したのだった。



焼けんばかりの斜陽と反対側に位置する、もうすぐ満ちる月の下で、四季は璃衣とふたりで家の敷地内にある四阿(あずまや)にいた。

専属の造園師によって精緻に造り込まれた日本庭園は、ガラス細工のように繊細で、かつ植物のダイナミックな生命力が溢れている。小さな湖とも言える大きな池には、曽祖父である時繁(ときしげ)の趣味で一匹百万円以上もする美しい鯉が何十匹も伸び伸びと泳いでいる。

璃衣が淹れてくれた玉露を啜り、これでもかというくらいにカスタマイズされたノートパソコンで趣味のネットサーフィンをしている。璃衣は璃衣で、夏のイベントに向けて、同人誌の原稿を広げていた。

「私たちだけなんて久しぶりですね、若」

不意のしみじみとした言葉に、四季はコードレスマウスを動かしながら答えた。

「あの小娘がいないと、こうも静かなのだな。あと三年くらいは、このままでもいい」

「またまた……見てください若。今夜は月が綺麗ですよ」

そう言われて、四季は珍しくパソコンの画面から目を離す。

陽光が沈みかけた空の中で黄金に輝く、皐月の満月。

雲がなく、空気が綺麗なせいなのか、この日本有数の大都市横浜であるにも関わらず、とても近くに見える。

「……確かに、今日はとても綺麗に見えるな」

思わず微笑んで眺めていると、璃衣が今度は手元の漫画用原稿用紙をこれみよがしに見せつけてきた。

「見てください若。一覇さんと若がぐんずほずれつ……いやらしいことをしています。あぁいやらしい萌え萌え」

「貴様……っ、まだそんな汚らわしい漫画を世に出していたのか!!いい加減に僕たちを題材にするのはやめろ!!」

原稿用紙を巡ってぎゃあぎゃあ騒いでいるふたりを、通りがかった使用人たちがくすくすと笑いながら見守っている。

世界(はこにわ)を、月が眺めている。

いずれは消える予定の人類(にんぎょう)を、監視している。




「あら、貴方がひとりでいるなんて、珍しいわね」

斜陽の光があふれる放課後の教室に、一覇がひとりで携帯電話をいじっていたら、沙頼が声をかけてきた。ファミリーレストランでのアルバイトの時間まで、一覇は時間を潰していたのだ。一覇は携帯電話を閉じて、沙頼に軽く応じる。

「お前も珍しいじゃん。いつもは璃衣、璃衣って、呆れるくらいラブラブなのに」

「あら、わたしが璃衣への愛しかない女だと思っているの?心外ね」

「じゃあ他になにがあるんだよ?」

沙頼は一覇が座っている席の正面にある机に、腰をかけて堂々と答えた。

「わたしだって椋汰(げぼく)のこともちゃんと考えているわよ、一ヶ月のうちの0.00001パーセントくらい」

「ほぼないじゃん……」

軽く呆れながら、一覇は本当に珍しいことが起こったと思った。

実をいうと、沙頼が一覇と遠い親戚関係にあることは知っていたが、今まであまり話す機会がなく、沙頼も特に興味が無さそうだった。なのでお互いにその話に触れることは、なんとなく忌避していた。一緒にいても、特に仲良くおしゃべりはしない。

嫌いというわけではないが、親しい間柄とは言えない微妙な関係。これからもそんな感じで過ごしていくかと、一覇は勝手に思っていたのだが。

「……弟くんとは仲良くしているのかしら?」

「え……?」

意外にも、沙頼がいつもより奥まった会話を求めてきた。一覇が驚いて答える行為を忘れていると、これも驚きだが沙頼は沙頼なりに気を遣っているらしく、

「なによ、その反応。やぁね、女の子から会話を広げてあげたのに。貴方、本当にそれでモテるの?」

などと少しムッとしたようにからかってきた。

「あ、あぁゴメン。意外な人から、意外な質問が飛んだなぁとか思って」

————そういえば。

以前一度だけ、沙頼と逸覇が話しているところを見たことを思い出した。あのときは内容にばかり気を取られていたが、彼らはどういった関係なのだろうか。

「あの……」

「ん、なんだよ?」

一覇が質問をする前に、沙頼が重苦しい表情で声をかけてきた。よほど言いづらい話なのか、しばらく沈黙が続く。斜陽は沈みかけ、空には満ち満ちた月が上り始めた。やがて沙頼が意を決して、真剣な眼差しで尋ねる。

「貴方は【ドッペルゲンガー】がどうやって生まれるのか……知っているの?」

「……知らないけど」

質問の意図がわからないが、なんだか嫌な予感がした。

自分が酒呑童子の【ドッペルゲンガー】だということは、ここ数年の度重なる事件で既知の情報である。だが、実際にその現象について、知っていることはなにも無い。もちろん、できうる限りであらゆる方法で調べてはみたものの、【ドッペルゲンガー】という現象の噂話は出てきても、具体的な原理または原因というものは本でもインターネットでも語られていない。

噂話の範囲では、【ドッペルゲンガー】は世界に合計三人いて、存在に気づいてしまったら『三人目』に殺されるという(ことわり)

一覇が持つ基の記憶では、過去の一人目は基=一覇、二人目が基の親友の松野雪片(まつのゆきひら)=逸覇、三人目が矢倉遥佳(やくらはるか)=四季ということだが、それも真偽はあやふやだ。第一、どういう基準で順番が付くのかも、現世でも同じ順番を持つのかも、これだけの情報でロジックを明かすことは不可能である。

沙頼は机からひょいと降りて、一覇と同じ日本人離れした碧眼で見つめて強く忠告する。

「なら早くあの子を止めてあげなさい。あの子は《アベル》の狗……彼らはとんでもない〈計画〉を立てているわ」

《アベル》は一覇の祖父で『今世紀最高で最狂の霊子科学者』と名高い、日向一誠(ひゅうがいっせい)が作り上げた反政府組織である。沙頼も以前はその幹部として、一覇たちと対立していた。

「〈計画〉……?いったいなんの話だ?」

一覇が怪訝な顔で尋ねると、沙頼はすぐに答えず窓際に向かい、空を仰いだ。一覇も釣られて、そろそろと窓際へ向かう。

今日も月がいっそう近づいている気がする。そしていつもは銀に輝いているのに、今日に限っては不気味で妖しい黄金だ。その月と同じく、一覇と沙頼の美しい金髪が月光を浴びて輝いた。

風が世界の叫び声であるかのように激しくうなる。木々が軋み、窓が全開の教室に風が入って、ふたりの髪を揺らす。

沙頼はその恐ろしい〈計画〉の名を口にする。

「その名は〈ミニチュアガーデン・プロジェクト〉……ヒトをヒトと思わない、最悪の殺戮とこの世界(はこにわ)の再創造よ」

なにひとつ意味のわからない中で、ただその名だけが一覇の頭に重く恐ろしく響いていた。

月が近づいている。

この箱庭をよく観察して、処分するものを決めかねているようだ。すべて捨ててしまおうか、それとも埃だけ払って整えようか、新たな部品を揃えようか。

無垢な少女が遊んでいる感覚と同じように、彼らはこの世界を動かしている。

それが彼らの生きる意味だから。息をするのと同じくらい、当たり前のことだから。




一覇が二十二時にアルバイトを終えて帰宅すると、家人は全員床に就いていた。珍しいことに、いつもは出迎えてくれる逸覇でさえ、一覇と同じ部屋に布団を敷いてとうに寝ていた。

軽くシャワーを浴びて、少しだけ居間のテレビでバラエティ番組を眺めながら、帰りがけにコンビニで買ってきたメロンソーダを飲み干す。

それからクローゼットからそっと布団を取り出して、よく眠っている逸覇と椋汰の間に敷いて、おひさまの香りがする夏掛けに包まる。

それからしばらくすると、もう夢の中だった。




創造者は、彼らに鍵の歌を残した。


————ここは箱庭。

————我らその小さき天地(あめつち)を生み出し、かの地を七日にて創造す。

————全能の創造者たる我らは月詠(つくよみ)夢現(ゆめうつつ)を以て、かの地に汝らを残す。

————いざ()かん、我らが生地(せいち)

————流れ落つれば、(すなわ)ち『解放』。


鍵の歌が小さき世界の夜空に響く。

それはひとつの終わりで、はじまりの警鐘(ノクターン)

風は止み、水の流れが途絶えた。あらゆるすべての事象が止まり、完全なる静寂が満ちた。

空が灰色に染まる。そこに住まう人々の息づかいはもう聴こえない。彼らは今これから消去される。

世界がかき回される。その瞬間を。

「…………」

《最上の巫女》は恍惚感が満ちる表情で見ていた。

彼女は『観察者』の資格しか持たないが、それでもどうにかこのときが起きるようにと懸命に動いていた。そして————それはついに叶ったのだ。

にやり、と形のいいふっくらした唇を三日月に歪める。

「さようなら、少年少女」

世界の支配者たる亡霊(ポルターガイスト)たちが、とうとう箱庭に手を加えたのだ。




「————っ!」

目が覚めると、見覚えのない汚れたクリーム色の天井があった。

いや、だんだんとその天井に、覚えがあることを思い出した。間違いなく自分の家だ。築三十年の、木造アパートの一階真ん中。家賃は月々六万円。全部覚えている。

それでも疑問に思う。

————ここ、どこだっけ?オレは……なにをしていたんだ?

昨日のことが思い出せない。その代わりに思い浮かぶのは、見知らぬ少年少女たちと交わした言葉。しかしそれも、浮かんでは消える。あと少しのところで、脳裏から次々と剥がれていく。もう思い出すことはなくなった。

ゆっくりと、布団から這い上がる。

あたりを見回すと、狭くてボロボロのキッチンに身重の妻がいた。こちらに背を向けてトントントンと、包丁で野菜を切るリズミカルな音。

「……あら、起きたのですか?」

妻が包丁を持つ手を止めて、振り向く。長い豊かな黒髪を束ね、黒いつり目でこちらを見ている。背後にある朝の陽光が、美しい妻を眩しく輝かせる。

基が(、、)笑顔で答えた。

「おはよう、時雨さん」

夢を見ていたことすら忘れて、東雲基はいつも通りに布団を片付けて、藍色の仕事着に着替える。

妻の見送りを受けて、アルミ製の大きな弁当箱を受け取った。

時は一九七五年、九月十日。その日も残暑の厳しい一日だった。



《最上の巫女》の称号を唯一与えられた皇槻鷹乃は、『観察者』としての責務を充分に果たしていた。

————世界は正しく回っている。整えられたという痕跡は見当たらない。

金色(こんじき)の月はすべてを見て、当たり前にそこに存在している。

鷹乃は鍵を持つ十二人の(、、、)創造者が無事である事実を見届けて、その場から消えた。

『十三人目』というバグはこの世界から消えたのだと、ひとり満足した。

新たな世界の門出を祝って。




亡霊×少年少女 第二十話 了


『亡霊×少年少女』もついに二十話!ここまで可愛がっていただき、まことにありがとうございます!

思えばこの作品……一覇とのお付き合いも六年(……だったか?)。当時は魔法ものに憧れていて、一覇たちは魔法使いでした。いつからこうなったんだ?わからん!

彼にはけも耳を付けたり、四季の下僕にさせたりとだいぶ迷走してきましたが、今の気持ちは「立派になったなぁ」と、お母さんな気持ちです。嬉しいです。

気がついたら思っていたより多くの方に読んでいただいているようで、お先真っ暗な人生だった私にとってはこの上ない喜びです。ありがとうございます。

去年あたりは「2016年に完結させたる!」と息巻いていた時期もあったのですが、なかなかどうして、思い通りに行きそうにありません。人生と一緒です。

完結させることも重要ですが、それ以上にキャラクターたちを、この世界を大切に描いていこう……と思い直したので、いつ完結かは不明です。どうか、読者の皆様が温かく見届けてくださることを祈ります。

気になるのでたまに感想とか頂けると、気が休まります。

それではそれでは。

2016.9.7 ひなた

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