表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
73/88

母子

だいぶお久しぶりです、ひじきたんです!

いつもより少し短いですが、亡霊(ポルターガイスト)×少年少女第十七話をお届けします。

亡霊(ポルターガイスト)×少年少女 第十七話『母子(おやこ)


(あなた)のことが好きだった。』

でもこの気持ちはあの(あなた)を裏切るようで、認めたくなかった。

ただ怖かったんだ。

臆病な(わたし)を許してください。

月花(つき)に祈って宇宙(そら)に奏でる。

(わたし)の想いは、決して響かない。音はあふれて、静かに落ちる。


隠してた感情が悲鳴をあげている。確かな誓いを手にして。

ここにいれば未来は、手に入れることはできない。

あとほんの少しだけ強くなれたなら。目の前にある空へ、飛び立てるから。

(引用:藍井エイル『INNOCENCE』)


二〇〇九年七月十二日、午後六時四十五分、神奈川県横浜市瀬谷区。

「邪魔しないで……」

コツ、コツと靴の音を立てて、じわりじわりと遥佳(はるか)の姿をしたなにかがにじり寄る。

一覇は驚きのあまり、その姿を凝視する。霊子科学の理論上、ありえない生き物がここにいる。生き物というべきではないのだろう、これは『化け物』だ。化け物はゆっくりと進み出て、そして。

まさに『神速』ともいうべき速さで、一覇と四季に飛びかかった。一覇は左手に持つベレッタM9モデルの《月代》をあらん限りの速さで速撃ち(クイックドロウ)するが、狙った先にはすでに彼女はいない。

「ちっ……!」

右手にある曲刀の《かぐや》で迎え撃つが、それもよけられる。次に四季が両手の小太刀と太刀で立ち向かうが、彼女の狙いはあくまで四季の太刀……霊障武具《霞》。《霞》目掛けて飛びかかってくるので、非常にやりづらい。

「おい……どうするよ、相棒」

「知るかっ!斬ってもいいなら遠慮はしないが……」

「……いいんじゃね?」

「人の体だと思って……っ!」

軽口を叩きつつも、ふたりは必死に頭を回転させて、どうするべきか考える。出来る限り彼女を傷つけたくない。しかし、傷つけずにどうやって動きを封じるのか。考えろ、考えて考えて、答えを見つけろ。

「あっ……」

「なんだ!?」

一覇が小さく叫んだ。なにごとかと四季が耳を傾けると、一覇はぶつぶつと呟いてにやりと笑い、ホルスターに左手の愛銃を仕舞って曲刀かぐやを利き手に持ち替える。

彼女の元まで走り抜けて、曲刀を振りかぶって叫んだ。

「業火を滾らせろ、《かぐや》!!」

《かぐや》はそのオレンジ色の刀身を炎で覆って、周囲を焼き尽くす。一瞬、彼女を斬るのかと四季は思ったがそうじゃない……一覇は《かぐや》持つ特殊能力で、炎の檻を作ったのだ。

「こうしちまえば、あの人も動けないだろ?」

「ふん……まあまあの作戦だな」

「負っけ惜しみー!」

「クズが……それより、このあとどうするつもりだ?」

「えっ……」

「「…………」」

沈黙、沈黙、沈黙。そして四季の呆れたような震えた声。

「まさか……その後のことをなにも考えていなかったのか……?」

「えへへー、うん」

ゴンッ。

一覇は四季に思いっきりグーで、しかも利き手で頭を殴られた。鈍い音とともに、空に星がピカピカチカチカと光っている。

「ちょ、ちょっとぉー……仮にも好きな人にすることか?」

「黙れクズがっ!過去の話を持ち出すなっっ!ってそれよりどうするんだよ!?いつまでもこの檻に入れておくわけにはいかないだろう!?」

「やー、本当にどーしよ……」

「どーしよ、じゃないっ!!もっと考えて行動しろ馬鹿!!」

考えている時間はない、すぐにどうするか決めなくてはいけない。檻の中の彼女は、炎の檻から抜け出そうと必死にもがいている。

「……このまま燃やしちゃうとか?」

ポツリと一覇が言った。四季は冗談じゃない、と憤慨した。

「なにか手がかりがあるかもしれないんだ、そんな簡単に燃やせるかっ!」

そう、彼女は唯一と言っていい〈手がかり〉だ。四季の……遥佳の最期の手がかり。この事件の手がかり。そしてあるいは……この事件の、あの日の事件の黒幕の手がかり。雲を掴むようなお話が、彼女の存在それだけで現実味を帯びてきている。四季は焦り、一覇は混乱する。

『矢倉遥佳』という人間は死に、『矢倉四季』という人間に生まれ変わった。はずだ。それを教えてくれたのは紛れもなく、彼女……矢倉遥佳の肉体を持つ女だ。彼女という存在は今まで、四季の中で強烈に残りながらも、希薄で幻想的な存在だった。それというのも四季は今日まで考えもしなかったが、彼女の存在があまりにも不可思議で奇妙で、不自然だったからだ。

考えられるとしたら、彼女は造られた魂を持つ『ゾンビ』。でなければ四季の存在と彼女の存在の整合性を、説明しようがない。だがそれではおかしいことがある。

彼女は、まるで『自分のこと』のように矢倉遥佳の人生を四季に語って聴かせた。それは遥佳以外の誰にもできることではない。それが物語るのは、『彼女は遥佳』だということだ。だがそれを認めると、四季の存在を否定することになる。四季は遥佳の魂を持った人間なのだから。

四季はごうごうと燃え盛る炎の檻に閉じ込められた、彼女の姿を見る。その姿は、確かに間違いなく矢倉遥佳のものだった。かつての自分のものだった。

そしてもうひとつ、わからないことがある。彼女がなぜここまでこの霊障武具《霞》に執着するのか。

霊障武具は使用者の音声コマンドと霊子の流れに従う、ただの機械であって、大事に使うが道具である。なにかの漫画や小説のように意思を持つことはない。言いかえれば、設定した霊子の性質が合えば誰でも使用できるただの道具だ。しかし伝説の武器や実在の武器をモデルにしたものが多いことで、愛着を湧かせる人も多い。だが彼女の執着……妄執は説明がつかない、ほかの誰とも違う気がする。少なくとも四季はそう感じている。

ならばと逆に考えてみた。彼女になにかあるのではなく、この《霞》になにかあるのではないか。

彼女は教えてくれた。東雲基(しののめはじめ)松野雪片(まつのゆきひら)、矢倉遥佳は元々はひとつの魂……出雲という名の酒呑童子だった。それがなんらかの原因により、みっつに分けられた。《ドッペルゲンガー現象》だ。

この現象は古くはアルフレッド=ノイズの十九世紀の文学『寝台特急』で描かれ、現代でも未だ原因がはっきりしない、ほとんどオカルトの域を超えないものだ。文学作品以外での噂はほとんどなく、霊子科学者の間でもただ噂話であるという意見が絶えない。四季だって、自分がそうでなければ一蹴していたであろう。ただのくだらない怪談だと、笑っていただろう。日本の古い童唄のように、大人が子供になにかの警告を発するために造られた話だと。

だがドッペルゲンガーは実在した。

————そして僕たちは、伝説どおり殺しあった。

《【さんにんめ】に会うと、死ぬんだよ》……。

ドッペルゲンガー、さんにんめ、遥佳のゾンビ、そして霊障武具《霞》……ばらばらと四季の頭の中に、パズルのピースが撒かれた。そして、ひとつの真実を思い出した。

「一覇」

「あん?」

自分で作った炎の檻をどうしようかと首を捻っていた一覇は、隣に立つ四季に首を向ける。四季は厳しく瞳を一覇の手に握られた霊障武具へと向けた。

「基の霊障武具の名は、《花月(かげつ)》だったな?」

「そうだけど……それがどうした?」

「《花月》は今どこにある?」

「さぁ……基の墓の中……?」

「では質問を変える。《花月》は元々、誰の武具だった?」

四季の意図がわからず、一覇はなにを言っているんだとばかりに答えた。

「誰のって……基のだろ?」

「すまない、『誰が』作ったものだ?」

「誰ってミルカじゃ……あっ!」

そこで一覇は気付いた。《花月》と《霞》の共通点。

「霊障武具はみな一ノ瀬家が、土御門家の末裔が作っている……いや、もっと言えば『政府』が管理している。材料のルートから申請までなにもかも。そして『政府』であり、土御門家の末裔といえば……」

一覇の脳裏に、たおやかに微笑む銀髪の女性が浮かんだ。

皇槻(こうづき)……鷹乃(たかの)……」

彼女は幼い頃から『神童』として、この世界に君臨していた。目的は未だ見えないが、なにか仕込むのは造作もないことであろう。

だがそこで、一覇は首を捻る。

「待ってくれ……鷹乃さんって後妻だろ?じゃあ土御門家の末裔じゃないんじゃ……」

「皇槻鷹乃……旧姓二ノ宮鷹乃。二ノ宮は土御門家の分家だ」

「クロじゃねーか、思いっきり!!」

土御門家は陰陽尞が解散した明治維新後、十の家に分裂して細細と暮らしていたという。一ノ瀬を筆頭に、二ノ宮、三ノ(さのかわ)、四ノ(しのやま)、五ノ(ごのと)、六ノ(むつのしば)、七ノ(しちのだ)、八ノ(はちのへ)、九ノ(くのや)、十ノ(とのがい)。そのほとんどが跡継ぎを残せず自然消滅していったが、しぶとく生き残っている家もある。一ノ瀬家がそのひとつだ。しかし現霊障庁……政府は、土御門の血が流れながら、反土御門家を代表している。土御門家————つまり元陰陽尞のやり方と理論を批判し、数年後には陰陽術の完全撤廃を目標に掲げているのだ。皇槻家もいずれ、陰陽術ではなく霊障術に完全移行すると言っている。一ノ瀬家を目の敵にして、追いやっているのもその計画のひとつだ。

「そのお偉い様が、なにかを画策している……って言いたいのか、四季は」

「わからん。だが……」

「少なくとも鷹乃様が関わっている……?」

四季はこくりと頷いた。

誰が黒幕だ……この事件の、いや、もっと前から成されていた計画なのか。もっと前……この一連の事件の発端である、ドッペルゲンガー現象そのものが計画のひとつだとしたら?

出雲、神楽、藤波。彼らのトップである、帝。いや待て、そもそも安倍家が関わっていることなのか、これは?だとしたらどうして末裔である土御門家を、追い出そうとしている?むしろ古来より陰陽道を歩んできた彼らの協力無くして、なにが出来よう。結局《霊障術》とは、陰陽術をベースに敷いた戦闘特化版であるのだから。

悶々と考えていたら、一覇がぽつりと呟いた。

「鷹乃様はたぶん……ぜんぶ、みえているんじゃないか?」

「……どういう意味だ?」

「言葉通りだよ。あの人は、オレたちがこうなることも予測済みだった……いや、むしろ望んでいたかもしれない。そうだ……《籠人(かごひと)》……」

「カゴヒト?」

一覇は四季のオウム返しにこくりと頷いて、話を続けた。

「酒呑童子はこの世界の命……《籠》として命を狙われていた。そして、その《籠》の鍵を持つ人間を《籠人》と呼んでいた」

《籠人》は酒呑童子の力の源、その扉の番人である。彼らも《籠》を守るべく特殊な力を持ち、ときに日向家のような者たちに命を狙われた。鍵は《籠人》が死するときに姿を現すという言い伝え故に。

「だがなぜ世界の命を狙うのだ?そんなことをすれば、世界が滅ぶであろう……?」

四季の質問はもっともだ。『世界の命』を殺すということは、この世界が滅ぶということ。そんなことをして得をすることはない。

これはオレの推測なんだけど、と前置きをして、一覇は答えた。

「《籠人》と同じで、《籠》も死ぬ時に形となって現れるんじゃないかな?だから目の前で殺して、それを奪う」

「だったら安倍藤波が手に入れているのではないか?奴は酒呑童子を殺したんだ」

「うん、たぶんね。そして藤波は、その《籠》をどこかに隠した……それが」

一覇は四季の右手を、正確にはそこに握られたものを見つめた。その視線で、四季は一覇が言わんとしていることを察した。

「《霞》……?いやでも、霊障武具が考案されたのは、明治維新後のことで……」

「協力者がいたんだ。事情に精通していて、長生きができる存在……」

「刹那?」

「いや、まだいるだろ?霜月だよ」

「待てよ!それこそありえないだろう!?霜月は京都から出ていないのだから!」

「よく考えろよ。霜月はお前のご先祖と結婚したんだ。どこで出会ったと思う?」

「そんなのどこでだって……!?……あ、そうか……」

途中で一覇が言いたいことがわかった。一覇はにやりと片頬で笑って、結論を語った。

「霜月は兄の死を知って仇討ちに神奈川まで向かい、その途中で帝の元へ《籠》を届けに行った藤波と出会う。藤波から事の顛末を知らされた霜月は、藤波に協力を仰いだ……『お兄様の命を救ってください』とかなんとか。そして藤波は陰陽術で《籠》を一時的に封じて、霜月に託したんだ」

あとは四季が引き継いだ。

「そして霜月は明治維新後、密かに酒呑童子の魂が組み込まれた霊障武具を造らせた……?」

「《霞》は一族に伝わる宝具なんだろ?」

四季は頷いたが、どこか納得がいかない様子だった。一覇が視線で促す。四季はその通りに、話し出した。

「うまく出来すぎてはいないか?それが僕の手に渡ったこと……遥佳が僕の前世だったこと……ドッペルゲンガーだったこと……一覇たちがそばで生まれたこと」

「それもすべて仕組まれたことだよ。史上最強の、『最上の巫女』様に」

————仕組まれた……人の生死を操れると?

まだ一覇の言っている意味を理解できない四季。

一覇は苦々しく語った。

「オレたちがどうやって生まれたのか……いや、生み出されたのか。四季には話してなかった、悪い……」

「いや……」

「本当はオレたち……双子じゃないんだ」

「…………え?」

“本当はオレたち”

「一覇……今なんて……?」

“双子じゃないんだ”

一覇はわらった。悲しそうに、辛そうに、悔しそうに。

「逸覇も知らないことを……これから話そう」

————これは、オレたちが『誕生』したときの話。

一九九二年十月九日、一覇の誕生日。神奈川県横浜市瀬谷区、日向家。

小苗(さなえ)奥様、生まれましたよ!元気な男の子です」

真っ白で清潔な白衣をまとった女性看護師が、へその緒を切ったばかりの男児を抱えて、ベッドに汗だくで横たわる明るい栗色の髪の女性に声をかけた。女性は嬉しそうに微笑んで、女性看護師に見せられた自分の子どもを見つめる。

「やったな、小苗」

隣で微笑む黒いくせ毛の男性が、小苗に声をかけた。

慶一(けいいち)……わたし嬉しいよ……嬉しいけど……」

「あぁ、わかってる……この子が幸せであることが、オレたちの唯一の救いだ……」

日向家のしきたりで、長男のこの子どもは「一」の字がつく名前……“一覇”と名付けられた。

一覇の誕生は、日向家だけではなく主家の皇槻家にも伝えられ、盛大に祝われることとなった。両親である慶一と小苗夫妻とその友人の矢倉卯月ももちろん喜んだが、それ以上に不安だった。彼が生まれたと同時に抱えた現実、未来。

キィ……病室にしている部屋の戸が開けられ、一人の男が入ってきた。

「生まれたか!男だときいたが……」

一誠(いっせい)様……」

「この子は親父の思い通りにはさせないぞ」

不安で震え、わが子を守るように抱える妻に、妻と子を守るように腕を広げる夫。そんな家族の姿を見て、祖父になった一誠は両手を広げて笑った。

「いや、これだけは確認させてくれ……その子に《能力》はあるのか?ないのか?」

「…………」

小苗はわずかに躊躇ったが、慶一が生まれたばかりのわが子を父に見せた。

「見ての通りだよ」

赤ん坊にほんのわずかに生えた髪は、金。黒髪で日本人の慶一と小苗の子どもでは、ありえない色だ。それを見て、一誠は歓喜した。

「成功した……この子は神になる子だ!!」

それからかちゃかちゃと試験管やらなにやら器具を取り出して、赤ん坊になにかしようとする。

「やめて、この子になにをするんですか!?」

小苗は必死に赤ん坊を取り返して、やや大げさに庇う。慶一も、我が子を取り戻した妻を守るように立ちはだかる。

一誠はへらっと笑って答えた。

「なに、この子に弟を作ってやろうとしただけだよ」

一誠は床に落ちた赤ん坊の、僅かな毛髪を拾って、それを丁寧に包んだ。

「この子は神の子だ。なにかあったときのために、代わり(クローン)を作っておかなければ……」

その常軌を逸した考え方に、小苗も、実の息子である慶一も鳥肌が立った。この人の側に、生まれたばかりの息子を置いてはいけない……そう思って、ふたりは息子を連れて瀬谷の家を出た。保土ヶ谷区に家を構えて、三人は穏やかな日々を送っていた。

しかし二年後の九月、突然訪ねてきた一誠は、一人の子どもを連れていた。一覇とそっくりの子ども。一誠はいとおしそうに出迎えた小苗と慶一に紹介した。

「一覇の弟の、逸覇だよ」

一誠の腕の中ですやすやと眠る子どもは、まるでこのあと起こる運命など知らないようだった。

子どもに罪はない……しかしこのままではいけない、と夫妻は逸覇を引き取って育てることにした。普通の、なんてことのない兄弟として。まるで番号をつけるように、一覇の誕生日の次の日に生まれたことにされた逸覇は、偽りの両親のもとで十年の時を過ごした。

そして一覇が十二歳、逸覇が十一歳の十月九日。逸覇は両親を殺して、一覇に言葉の呪いをかけて消えた。

それが、一覇が知っているあの日の顛末。

「……どうして一覇は、そのことを知っているんだ?ご両親が……?」

四季のいたわるような声に一覇はかぶりを振って、消え入りそうな声で答えた。

「家に……資料があったんだ。人造鬼と、オレたちのことが書かれていた……」

一覇はたまらず座り込む。涙があふれる双眸を、両手で押さえた。声がかすれる。

「見なきゃよかった……父さんたちだって、見てほしくなかったと思う……あんな奥に隠されたもの……。オレが遊びで家の探索なんてしなかったら……普通の兄弟でいられたのに……!」

ひたすら自分を責める声に、四季はなにも言ってあげることが出来ない。そんな無力な自分がまた、悔しい。

ガンガンッ。

炎の檻を必死に叩きつける音に、四季は現状を思い出した。

「一覇……今はやめておこう。今はあの人をなんとかしないと」

ガンガンッ、と檻を壊そうともがく音、声。今は彼女をどうにかすることを考えねばなるまい。

一覇もそう思ったのか、涙を乱暴に手の甲で拭って立ち上がる。

「腕を拘束する」

鼻声がそう言った。

「できるなら最初からそうしろ、クズが」

自分より数センチ高い頭を、くしゃくしゃと乱暴に撫でる。

少しだけ……ほんの少しだけ一覇と近づけた気がした。この身長のように、どんどん縮まっていくのだろうか。それが少し嬉しくて、少し淋しい。

今の距離感もなかなか好きだった。憧れの背中を追う、そんな距離感。この背中があるから、前を向いて走れた。だからずっと、一覇には前を歩いていて欲しい。それが自分の強さになるから。

――――道標はきみだった。

一覇が炎の鎖と手枷を創り出して、彼女の両手を拘束した途端に、檻は溶けるように消えた。このままテレポートでも出来ればよかったが、今の時代にそんな技術や能力はない。四季が一覇のポケットから携帯電話を取り出して家の者に迎えを言い遣わして、しばらく待っていると黒塗りの(おそらくベンツのセダン)がやってきた。

四季が運転手になにやら話してから乗り込み、車は静かに発進した。滑るように進んで、三十分ちょっとで目的地に着いて、三人は降りた。

横浜市中区、皇槻神社。百五十段もある階段を上った先に、真っ赤で大きな鳥居が建っている。その鳥居の根元に

「ずいぶん遅かったですね、待ちくたびれました」

長い銀髪をゆるりと束ねた巫女装束姿の、妙齢の女性……皇槻鷹乃が待ち構えていた。鷹乃は薄くルージュを引いた唇を歪ませて、余裕のある笑みを浮かべた。

「運命に導かれた少年たちは、一体どんな幕引きを選んだのでしょうか。教えてくださいな」

「すべての黒幕はアンタだな、皇槻鷹乃……いや二ノ宮鷹乃。……それすらも仮の名か、“仁明天皇(にんみょうてんのう)”」

強く睨む一覇の答えに、鷹乃は冷たい瞳で返した。

仁明天皇……在位は八百三十三年三月三十日から八百五十年五月四日。平安時代初期の第五十四代天皇である。幼少時から病弱であったとされ、『続日本後紀』には七歳の頃からの様々な病歴が記載され、即位後もしばしば薬(丹薬・石薬)の調薬をして医師並みの知識を有していたとされる。

その一方で八百四十三年、文室宮田麻呂が謀反を企てているとの告発を受け、宮田麻呂一族を流罪に処した。この件の遠因は諸説あるが、承和の変の影響であるとも、良房ら藤原北家が貿易利権を独占したいとの思惑の中、同じく貿易に関与している宮田麻呂を排除した、などの説があるなど、野心家な一面が多く見受けられる。

鷹乃はふっ、と細い腰に手を当てて笑って、髪をかきあげた。先ほどより仕草が男らしくなったのは、もはや冗談ではないのだろう。

「よくわかりましたね……酒呑童子。私はドジでも踏んだかな?」

一覇は鷹乃を強く睨みつけ、左手に愛銃を構える。

「よく言うよ……アンタはこうなることをわかっていた、むしろそう仕向けていた。パラパラとご丁寧にヒントをばらまいて。そうだろ?」

一覇の答えに、鷹乃は微笑みを崩さず頷いた。

「ご名答。……と言いたいがね、私としても少しだけ計算外なのですよ。この状況」

鷹は両手を広げてくるくる回り、大仰に語り出す。

「一覇さんと四季さんは殺し合い、残った方が私と対立する。そして私が勝ち、《籠》は私のものになる……素敵でしょう?」

振り向いたその表情は、無邪気で残酷な天使のような笑み。一覇は鷹乃に銃を向けたまま、無理矢理に笑う。

「悪趣味だぜ……アンタ。この女を造ったのも、アンタだろう?」

一覇は顎ですぐ傍らの、炎に縛られた遥佳のゾンビを指す。鷹乃は少しも笑みを崩さず、垂れた髪を後ろに払って答えた。

「よく出来ているでしょう?もちろんカラダは本物。大変だったんですからね、秘密裏に運んで、術を施すのも」

鷹乃がすい、と右手を伸ばすと、遥佳のゾンビは見えない糸に引っ張られたかのごとく動き、鷹乃の腕の中に収まった。鷹乃は遥佳の顔を両手で愛撫して、聴いている方が凍えるような冷たい声を出した。

「ふふ……綺麗ですよ……私の遥佳。いや――――」


「霜月」


その一瞬、一覇の世界が止まった。口が、手が、全身が凍ったようになった。風の音だけが通り過ぎて、一覇の頬をさわざわ撫でる。そのあと、這うようになにものとも知れない感情が沸き立ち、徐々に一覇の頭を占めた。

ドン。

一覇の感情が頂点にたったとき、短い銃声が響く。鷹乃の揺れる銀髪を掠めて、神社の真っ赤な鳥居に穴を穿つ。銃弾は鳥居にめり込み、一覇の手にある銃口とともに紫煙をくゆらせる。強い西風が吹いて、煙はふ、と霧のように消えた。

一覇の口がわずかに動いては止まりを繰り返し、やがて掠れた木材のような声を発した。

「……どういう、……意味だ……?」

鷹乃はなにやら意味深な微笑みを浮かべてから、もったいぶったように左の指を舐めて答えた。

「さぁ……言葉の通りではありませんかね? ――――おいで、霜月」

鷹乃は『霜月』と呼ぶ遥佳のゾンビの腕にかけられた、炎の鎖を引きちぎる。

霊障術というのは、陰陽術に言霊を加えた一種の『呪』である。かけられた本人には解けなくとも、他人が破るのは容易い。

鷹乃は『霜月』をそっと抱き寄せて、ぞくりと冷える笑みで言った。

「可哀想に……あんなに想っていたお兄さまに縛られて……“裏切られる”なんて」

一覇はその言葉に激高した。

「オレは裏切ってなんかいない!!アンタは全部知っているんだろう!?オレは……」

「安倍家の娘に恋をした。この娘にとっては、それだけで十分なのだよ、『お兄さま』」

どういう意味なのか、一覇には見当もつかなかった。そんな一覇の様子に、鷹乃は半分面白そうに、半分呆れたように肩をすくめた。

「鈍いですね。あの時代は兄妹でも結婚できたでしょう?」

「へ……?」

“結婚”?

予想もしなかった言葉に、一覇は間の抜けた声を出した。顔も、自分にはわからないが、相当に間抜けだっただろう。鷹乃はストレートに答えを用意した。

「霜月は出雲……つまりお兄さまである貴方を愛していたのですよ」

「あい……っ!?」

「貴方があの(たから)に恋したように、出雲が神楽を愛したように。もしくは神楽が出雲を愛したように、あの(たから)が貴方を愛したように……わかりますよね?」

視線ひとつで、納得させられた。言葉の意味も明らかだったが、それ以上に鷹乃の視線が物語っていた。

――――霜月は、出雲を兄以上の関係で慕っていた。

そんな馬鹿な……と、鷹乃以外の人に言われれば、そう答えただろう。だが、現実はすべて鷹乃の言う通りなのだ。

「……霜月……?」

変わり果てた妹に、変わってしまった声で問いかける。

霜月……お前なのか?と。お前が霜月なのか、と。

彼女はか細い声で答えた。

「お……にい、さま……」

ようやく、気づいてくれた……。

彼女の金色に輝く瞳は、そう言っている気がした。それが、彼女にはそのつもりがなくとも、一覇には責めているように聴こえる。

「っごめん……!!」

気持ちは(すな)のように、あるいは雪のように静かに積もる。熱を感じた気持ちは、解けてゆっくり消えていく。

――――この

頭を振る一覇は、ただ必死に謝る。

「ごめん……ごめん……!!」

何度も何度も頭を下げて、自分の不甲斐なさを責める。

――――わたしの想いは

「ごめん……!!」

――――こわれかけてる、わたしの、

“たったひとつの道標だったから” ――――

だから。

「あ……」

謝らないでください。

どうか、謝らないでください。じゃないと。

わたしのこころの意味が、泡のように消えてしまいます。どうか、謝らないでください。あなたが謝っても、わたしのこころは、ここにあるのですから……。

――――どうか引き止めないで。どんなに恋しくたって、わたしは進みたい。

だから。

「兄さまがご無事なら……もういいです、帝。わたしを……」

――――『殺してください』。

と霜月が言いかけたそのとき。

「だめですよ、霜月」

悪魔が嘲弄(わら)った。

どっと音を立てて、霜月の白い首から溢れ出る黒い血液。

「霜月は私の玩具(おもちゃ)なのですから」

霜月の首を切り裂いた、自らの手にべったりと付いた黒い血を、赤い舌で舐めとる鷹乃。ギラギラ光るグレーの瞳は、さながら獲物を見つけた“鷹”のようだった。

大量の血液を失ったショックで、倒れる霜月。

「あら、あっけないですね。これくらいじゃあ死なないと思いますけれどね」

冷たい地面に倒れる霜月を、鷹の目は鋭く見つめる。鷹乃が腕を伸ばしたそのとき。

ドォン。

銃声が月夜に響いた。

霜月を避けて、鷹乃の足元に穿たれた穴。霊子(れいし)の銃弾は、着弾の際にそのライムグリーンの光を強めて、そして消えた。

一覇の《月代(つきしろ)》から、煙がゆらりと立ちのぼる。

それを灰色の瞳でじとっと見てから、鷹乃は一覇に視線を移す。

「なにかな、酒呑童子」

冷たい声。一覇は務めて冷静な鷹を強く睨みつけ、熱を帯びて低く唸った。

「霜月を……返せ」

「“返せ”?」

鷹乃は霜月の身体を見下(みくだ)して、一覇の言葉に首をひねった。

「あはは……おかしいですね。言ったではないですか、『霜月は私の玩具(おもちゃ)だ』って。彼女が望んだことですよ、こうなることもまた、本望でしょう」

「ふざけるなっ!!霜月は……こころのあるものは、誰のものでもない!!縛られることは許されない、唯一のものなんだ!」

見得を切る一覇に、鷹乃は冷めた視線を浴びせて、霜月の身体を足でいじる。

「こころのあるもの……ねぇ。でしたら酒呑童子、命はなにと交換できるのでしょう?」

鷹乃の質問に、一覇は憤慨した。

「命はそれこそものじゃない!!なにかと……たとえ命ひとつとも『交換』はできない!!」

「ほら、矛盾」

鷹乃の言葉に、一覇の脳は意味を決めあぐねる。その間隙を突いて、鷹乃は自論を展開する。

「貴方はさっき『霜月を返せ』と私に言った。そして私は『霜月は私のものだから、どうしようが私の自由だ』と答えた。つまり霜月は誰かの“所有物”である、と貴方はそう言っている。命は交換できない……なら霜月の命が散ったその瞬間に、交換という《返却》は成立しない。そしてそれ以前に、貴方の『返せ』という言葉は、貴方の持論をすべてひっくり返している」

じり、と命のない霜月の身体を蹂躙していく。

「なにが言いたいかというと、キレイゴトは理にかなわないということです。悪とは悲しきかな、実に筋が通っているのですよ」

く、く、と一覇の左手人差し指が動く。しかしその前に、一覇の口から言葉があふれた。

「っそんなの言い訳だ!!綺麗事?上等、綺麗事がなければ、人殺しも筋が通るってことか!?そんなこと、許されるわけがないだろう!」

「なら訊きますけど、死刑というのは、『正当な人殺し』なのでしょうか?」

「!!」

鷹乃は淡々と、そして滑らかに言葉をつむぐ。

「正義のために、罪を犯した人を苦しめる。とは聞こえがいいかもしれませんが、見方を変えると『罪を犯した人に憎しみを感じるから殺したい』とは違いますか?」

「…………」

一覇は鷹乃の言う意味を考える。考えている間に、鷹乃はスラスラと結論へと向かっていく。

「つまりみんな、自分の感情で動いているのと同じことです。結局は自分の感情ひとつで、全部キレイゴトにしてしまえる。都合の悪いことは、すべてキレイゴトで覆い隠す。イジメだって、『その人の気持ちを考えたことがなかった』ではなく、『楽しいから』」

「なっ……」

一覇は反論しようとしたが、それは驚きの声でしかなかった。

鷹乃は実に饒舌で、しかし自分の言葉に酔っているふうではなかった。ただ設問と回答を読んでいる。数式に感情を込めて読む者がいるだろうか。そういうことだ。

「不思議ですねぇ。人というのは、どんなに転んでも感情で動く生き物です。感情というものの前では、キレイゴトはただの建前です。貴方も今、こう考えているはずです……『霜月を殺した鷹乃が憎いから、殺して楽になりたい』」

そう、極論そこに行きあたる。綺麗事をすべてとっぱらって、単純な結論を抽出するなら、鷹乃の言ったとおりだ。

殺しに正当も不当も無くなる。

ボーダーラインが水を垂らした墨のように滲んでいく。

「貴方は感情抜きに、人を殺せますか?」

人を射貫くような、底冷えのするグレーの瞳。一覇の感情の揺れを、完全に見抜いている。

鷹乃は死体から足を退けて、しゃがみ込んだ。手を伸ばして、死体の冷たい肌にそっと触れる。

「命の引き算というものは、そういうことです。私が霜月を殺した理由は、単に飽きたからです。いらないものを捨てた、それだけのことです。ほら、綺麗事なんてないでしょう?」

鷹乃は立ち上がって、長い銀の髪をかきあげる。

「そして予見者として、言いましょう。貴方は私を殺して、自殺する」

「じさつ……?」

嘘だ、この女を殺して、後悔するとでも?

これまで予見を外したことはありません、と付け足して、鷹乃は笑う。

「詳しい経緯は、未来を変えてしまうので話しません」

未来を変えることが出来るのに、あえて話さないということは、鷹乃にとってその未来が最善ということ?

すると一覇の思考を見抜いたかのような答えが返ってきた。

「言っておきますが、その未来のおいて私は損をするだけですよ。それどころか、大損です」

「じゃあ……なんで話したんだ?」

一覇の質問に、すると鷹乃はやや淋しそうな表情を見せた。

「……変えられなかったから。と、言ったら笑います?」

「…………?」

“変えられなかったから”?

既に変えようとして動いたということか?だがおかしい。それなら《未来を変えてしまうので話しません》という言葉に矛盾が生じる。

《とある理由》で未来を変えたかったけれど、『とある理由』で未来は変えられないということがわかった。そして【とある理由】で鷹乃は未来を変えなくていい、と思っているいうことだとは理解した。だが、その理由がわからない以上、その未来を変えるべきか決めかねる。

「今は知らなくていいですよ。さぁ、このあとどうしますか?」

にこっ、と、今までの流れをまるで無視した笑顔が向けられて、一覇は去来していた殺意を綺麗に忘れていたことを、思い出した。

「殺します?いいですよ、どうぞお好きに」

一覇が愛銃を構えるのを見越して、鷹乃が言った。

鷹乃の予見は、果たして本当に当たるのだろうか。《最上の巫女》とやらの力は、本物か。一覇の手は止まる。殺すか、止めるか。

「……いつ、オレはアンタを殺すんだ?」

逆にその日以外に殺すなら、未来は変わるのではないか……そう考えた。例えば今日、殺すとしたら。

鷹乃はあっさり答えた。

「二〇十七年十月十一日。知っていますか?神無月には必ず事件が起こる……神様が持ち場を離れていらっしゃるからでしょうか」

――――二〇十七年十月十一日……。

奇しくも(はじめ)が死んだ年齢と同じ、二十五歳。その歳に、一覇は死ぬ。

「ずいぶん都合のいい予定だな……」

一瞬だけ銃を引いた一覇に、鷹乃は微笑んだ。

魂霊子(こんれいし)は、いつも同じ運命を辿ります。それは変えられないこと……たとえ神であっても、ね」

その意味ありげな鷹乃の表情に、一覇は悟った。彼女は戦う気がない。そして、ここで戦ってはいけないのだと。

「神……ね。その神に抗おうとはしないのか?」

「抗ったところで、ろくでもない未来が待つだけです。なら、私は守ります」

「『守る』……?」

なにを……?と言いかけたところで、鷹乃が身を翻した。

「さぁさ、四季さんのことは私に任せて、貴方がたは行っておあげなさい」

「え……」

話についていけない一覇をよそに、四季が尋ねた。

「どこに?」

鷹乃は微笑んで、右手の人差し指で真っ直ぐ先を指し示した。追うように振り向くと、

「四季……!!」

懐かしい……声が聴こえた。

彼女は長い白髪をゆったりと束ね、細い肢体を上品な色の着物に包んでいる。矢倉家の血統ならざる黒い瞳で、ただ真っ直ぐに自分の息子の姿を捉えている。

「かあ……さま……」

矢倉時雨(やくらしう)が、そこにいた。時雨は息を切らせて階段をのぼり、混乱さめやらぬ四季の元に向かった。

「どう……して?」

なんで、どうしてここにいるの?どうして僕の名を呼ぶの?呼んでくれるの?

階段をのぼりきって、四季のすぐそばにたどり着いた時雨は、ばくばくする心臓に手を当てて息を吐く。それから腕を伸ばして、しかしすぐに引く。

「ごめんなさい……」

低く、低く、頭を下げる。

「わたくしが記憶をなくしたせいで……あなたに辛い思いをさせてしまったとききました。きっと思っていたことでしょう……母親であるわたくしの中には、あなたという息子は存在しない、と……」

それからなにか言いたそうにしている時雨に代わって、一覇が言葉を引き継ぐ。

「四季……その髪紐の石、ガーネットだよ」

「ガーネット……?」

一月の誕生石、四季の誕生石だ。しかし、“遥佳”に与えたものではないのか?七月の誕生石、ルビーと間違えて……。

「その丸いカットは、ルビーにはできないカットだ。宝石屋に行く人なら、どんなにボケてても間違えない……間違いなく、四季にくれたものだよ」

母を見る。もじもじと、こわごわと四季の様子を伺っている。


『この髪紐……ガーネットですよね?』

店員が答えた。

『はい、天然のガーネットでございます』

『これをください』

店員がガラスケースから、髪紐を丁寧に取り出す。

『かしこまりました。プレゼント用ですか?』

時雨は笑顔で答える。

『ええ……大事な、息子に』


「みんなにはなかなかお話できずにいたのですが、時折記憶が戻っていたのです……あなたが生まれたとき、本当に驚きました。遥佳に、あまりにも似ていて」

――――あまりにも似ているから、わたくしはあなたを避けるように病気を悪化させました。いや、させたふり、だったのでしょう。それでもあなたは、必死にわたくしを愛してくださるから……。

「わたくしも、あなたを愛してしまったのです。四季……」

時雨はこわごわと両腕を前いっぱいに伸ばした。

「こんなわたくしでも、それでも母親と呼んでくださいますか……?」

その両腕は細くて折れそうで、儚いものだったけれど、とても温かい愛があふれているように、四季には見えた。

四季はこらえ切れない涙を流して、同じくらいの背の母親を抱きしめた。あんなに求めていた母の温もりは、こんなに近くにあったのだ。



気がついたら鷹乃はいなくなってて、一覇と時雨、前世の恋人同士の気まずい再会を終えた。四季が時雨と共に帰ってみると、既に鷹乃が手を打ったのか、家の者は心配していた、よかったと歓迎している。翌日にはなんと学校に行き、騒ぎにはなったが授業を受けて帰った。

二〇〇九年七月十三日、午後五時過ぎ。四季は中区にある旧矢倉邸にいた。更地のそこは、普通の人が見ればなんてことのない土地だ。だが、四季からしてみたら、ここはとても大事な場所だ。基と出会い、時雨と過ごしたこの場所……。

「ここで、父さんと母さんは過ごしたんだね……」

いつの間にか、卯月が立っていた。

「姉さん……知って……」

「昨日ね。母さんが教えてくれたのよ。二人が暮らしてたアパートの跡も、教えてくれた。四季……たとえ片親しか血が繋がっていなくても、あたしの弟だと思ってるからね」

くしゃ、と弟の頭を撫でて帰る卯月。

――――ありがとう、姉さん。僕だってそう思ってるよ、姉さんは姉さんだ。

四季は卯月の温もりを感じるように、撫でられた頭を触った。

広い更地は、小さな丘陵になっている。その一番盛り上がった丘……そこはかつて、基がよく寝ていたところだ。朽ちた木に背中をあずけて、広大な土地を見下ろす。

「よ」

ひょこん、と一覇の金色の頭が覗いた。

「なんでここに……?」

心底驚いた。携帯電話のGPS機能でも使ったのだろうか。しかし一覇の答えは簡単なものだった。

「後つけてた。卯月姉は気づいてたみたいだけど」

四季の隣に、どっかりと腰を下ろし、かつてそうしたように腕を枕にして寝転がる。服や髪型は違えど、それは基と同じだった。

「今回は……いろいろあったな」

「ああ……」

四季の言葉に、一覇は頷く。四季は空を見る。夏の空はとても広くて、油絵のようにべたべたしている。季節は違うのに、まるであの日のようだった。

――――この長い夏も……終わりにしよう。

「一覇」

言うやいなや、四季は立ち上がり、腰のホルスターから霊障武具基盤(れいしょうぶぐきばん)を取り出す。具現化して、透き通った青い刀身の太刀《霞》を右手に納める。

しゅるり……と赤い髪紐を解いて、長い黒髪を風に揺らす。

「四季……?」

一覇は起き上がり、四季を見守る。

シャキン!!

切られた長い黒髪は、風に乗ってどこかへ流される。遠く、遠くへ。それはあの日に置き去りにしてきた気持ちが消えるように、ゆらりゆらりと飛んでいった。

髪を切ると、こころも軽くなる。

――――もう、大丈夫だね。

こころの中で、誰かが呟いた。この戦いを最後まで見守っていた誰か。

彼女はきっと、四季の神様だ。

神様はそばにいた。本当にすぐそばに。

神様のいない子なんて、いないんだ。

「ありがとう」

振り向いて微笑む四季を、一覇は安心したように見つめる。

それは眩しくて、太陽のような微笑み。

――――あの日、オレが恋した君は、もう旅立った。ありがとう、恋しい人。

さようなら。

もう一度逢えるなら、オレはまた、君とは愛し合わないだろう。

それでもいいと言ってくれるなら、オレと君は《運命の人》だった。

赦しが欲しいというのなら、恋と罪を与えよう。優しさが欲しいというのなら、どっぷりとしたビターチョコレート。愛が欲しいというのなら、シュガーソング。

言葉を求めたら、甘くて酸っぱいチェリーキャンディを与えよう。

宝石のようなお菓子箱を持って、約束しよう。

四季は手を伸ばして、一覇に差し伸べた。一覇はその手を取って、立ち上がる。

きっと僕らなら大丈夫。この先なにがあっても、こうして手を取り合える。そうだと信じている。


第十七話 完


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

この十七話で、過去編は完結です。

四季が髪を切るシーンは、ずっと温めていたものです。髪を切ることで、気持ちを切り替えた、というシーン。ここで四季→一覇の恋は完全に終わった、ということになっています。自由になった四季はどんどん成長しますので、お楽しみに!

さて、一覇。

一覇の過去のお話は、まだ引きずります。これ以上語るとネタバレ抵触なので、もう終わりにします!!

次回はまたひと月後を予定。お楽しみに!!

2015.10.31 ひじきたん

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ