恋と夕日といちごミルク
ひじきたんです。
亡霊×少年少女第十二話、スタート!!!
亡霊×少年少女 第十二話『恋と夕日といちごミルク』
二〇〇九年六月二十日、雨。横浜市中区、私立久木学園。
今日は高等部の学園祭『紫陽祭』の三日目である。今年の霊子科学科霊障士専攻二年生は、執事喫茶だった。去年のメイド喫茶がバカ売れだったので、今度は女性ターゲットの執事にしよう……という学園祭実行委員の二本松璃衣発案でことが進んだ。まぁ一覇としては、女装させられるよりなんでもいいや、という感じである。
というわけで、男女ともに執事服を着用していた。女子はキャッキャワイワイ、男子は若干残念そうにしている。
「日向兄弟かっこいい!!」
「すごーい、似合う!」
業界では日向家の事情は若干漏れているので、クラスメイトも二人の割と複雑な家族構成を知っている。そこから学園中に『日向兄弟』の名が広まって、今や知らぬ者はいない有名兄弟となっている。
「売れますね、日向兄弟」
「ガッツリ儲かりそうな予感がするわ」
璃衣と今年もクラス委員長の忍野桐子、こういうときは敵に回したくない。
「なにせクラス賞が出ますからね、うちのクラスは割と人気ある人ばっかりなので、取れるんじゃないですか?」
そう、今年から一番集客率の高かったクラスに「クラス賞」が与えられることになっていた。なんと、『後夜祭のフォークダンスに、好きな子を指名して一緒に踊れる権利』だ。ほとんど告白めいた内容だが、相手に拒否権が存在しないとあって、普段は手の届かない高嶺の花を誘いたい、という男女がみんな狙っている。
当然のように、一覇も狙っていた。だから
「日向兄弟、『アレ』のご注文が入りました」
「う……」
一覇の腰に、するりと逸覇の腕が添えられる。
「兄さん、やるよ?……『欲しいの?兄さん……ボクのアレ』」
「『う……あっ、逸覇……やめ……』」
「『ふふ、兄さんかわいい……もっと欲しい?』」
「『や……もっと……もっとちょうだい……逸覇……っ』」
「『いけない兄さんだね……ココ、こんなになってる……』」
「『ひゃっ……や……ん……あ……』ってもうやだよコレ!!なんなんだよこのお昼じゃできない雰囲気!?」
璃衣考案メニュー『日向兄弟のイケナイお時間』。これが割と人気メニューだったりする。考案者の璃衣は大興奮でデジカメで撮影&レコーダーで録音している。
「大丈夫です!!女子はみんな大好きですから!!」
右手の親指を立てて力強くグー。苦手な女子がいたらどうするつもりだ。
「オレらで遊ぶな、彼氏で遊べ!!」
「親友カップルもいいですね……じゅるり」
璃衣はポケットからメモ帳とボールペンを取り出して、ガリガリと素早く書き留めた。よだれが止まらない。
「ねぇその親友は誰と誰……?」
恐る恐る尋ねると、璃衣は気持ちいいほどの爽やかな笑顔で答えた。
「椋汰×一覇、一覇×椋汰です」
「かけるな!そして親友ではない、主とおもちゃだ!」
「一覇ー、それ割と傷つくよ?」
だって本当のことだもん。とは言わないが、目で訴える。
「お、おれは……!で、でもおれは一覇のおもちゃでもい……」
「ごめん、他人以下だわ」
璃衣的な意味で危険な方向に傾いたので、急いで修正した。すると椋汰が泣いた。
「(・д・)チッ」
璃衣がこうやって舌打ちした。なんか顔文字が見えた気がした。
「じゃあ僕らで親友カップルしよっか、椋汰」
海が椋汰の肩を抱いて、慰めている。
「海……お前だけだよ、おれの味方は……!」
「独り身の僕としては、別に誰でもいいんだけどね」
「(゜◇゜)ガーン」
あ、椋汰も出来るんだ、顔文字。すごいカップルだ。
「なにしている、お客様……じゃないお嬢様がお待ちになられているぞ」
「…………」
「な、なんだ、一覇!?」
なるほど、四季も執事服を着れば、それなりに男の子に見えるのだな。
しかし、もしクラス賞を取ったら、四季は誰を誘うつもりなのだろうか。
————もしや、オレ!?
そうなると困る。誘われた者に拒否権はない。でも一覇は宝を誘いたい。あ、忘れていたが逸覇も宝を狙っていたのだ。本気ではないにしろ、狙っているのは事実。しかも宝は一年男子の間で人気らしい。智花が言っていた。ライバルは多いということだ。一年坊主に負ける気はしないけれど。
————よっしゃ、こうなったらなにがなんでもクラス賞取ったる!!そんで、誰よりも先に宝を誘う!決まり!
「よっしゃ、なんでもやってやんよ!щ(゜Д゜щ)カモーン」
顔文字出来た。誰にでも出来る芸当なのだろうか。
「お嬢様三名様ご帰宅されましたー」
「ハイっおかえりなさいませ、お嬢様!!」
「えっと……一覇?」
入口には、黒い魔女の仮装をした宝が立っていた。一覇は片膝立ちの状態からすっくと立ち上がり、気恥ずかしそうに伸ばした腕を首の後ろに当てる。
「た、宝……来たんだ……」
「う、うん……りょうちゃんが来てーって割引券くれて……」
「ふーん……そ、そっか……。あ……あのさ」
今言ってしまえ!そう思って勇気を振り絞ったのに。
「ちょっと金髪バカ執事、なにしてんのよ!」
「せーんぱい、こんちゃー!」
「ち、千歳……智花ちゃんも……」
そういえば三名って言っていたっけ、と一覇は今さら思い出した。二人はそれぞれ、千歳は猫耳を付けたり、智花は包帯をぐるぐる巻いている。
「一年の出し物ってなに……?」
「お化け屋敷ですよー。宝は吸血鬼で、千歳っちは猫又なんです!あたしはゾンビー」
「へぇ……」
宝の仮装は、どう見ても魔女だろう、と心の中でツッコミを入れてから、空いてる席に案内した。
「先輩、あたし子羊とポークのルンバ、ツケといて」
「金髪バカ執事、あたしはいちごミルクと甘口カレー。ツケで」
「わ、わたしはミルクココアとショートケーキ……」
「ニャンコとマミーの後輩二人、うちの妹を見習え」
まったく、とんでもない後輩だ。というか智花の『子羊とポークのルンバ』ってなんだ?そんなメニューあったか?とメニュー表をパラパラと捲ったら……あった。子羊とポークのルンバ。ルンバって掃除機じゃん。
「ねぇねぇそこの三人組の女の子たち」
宝たちに声をかける男が三人いた。五人の男は宝たちをぐるりと囲み、ニタニタと見つめて話しかけている。
「なんですかーあなたたちは?」
「三人とも可愛いじゃん!なぁ、俺たちと遊ばない?」
「おれ、ネコちゃんがいいなぁ」
「オレは魔女っ子!」
「ずりー、じゃあ俺は包帯っ子!」
「ちょっと、触んないでよ!」
「いいじゃん、こんなに出してるんだしさー」
「「旦那様がた」」
一覇と同時に、逸覇が飛び出して男たちに立ちはだかった。
「お屋敷内でそのような振る舞いはなさいませんよう、お願いいたします」
「お嬢様がたがお困りですよ」
男たちは一瞬怯んだが、すぐに取り戻した。
「あー?執事さんは黙っててくれる?俺ら今、オトリコミ中だからさ」
「そーそー、旦那サマの言うこときいといてよ」
しかし一人だけ、一覇たちの姿に怯む者がいた。
「おい……よそうぜ、こいつらヤバイって」
「はぁ?たかが二年坊主になに怯えてんだよ?」
「こいつら、あの日向兄弟だぞ!?」
「はぁ?日向兄弟ってあれだろ、兄貴が一年からずっと学年一位で、プロの霊障士っていう……」
「しょせん学生じゃん、怖がることねーよ」
「ほう……じゃあ、プロの力を見せてやろうか?」
一覇は霊障武具のハンドガン『ベレッタM9』《月代》を構えて、男たちに銃口を向けた。すると男たちはみるみる顔を青くする。
一般人に武具を向けることは禁止されているが、今はそうも言ってられない。撃たなきゃいいだろ、と一人の男の額に銃口を押し付ける。
「おい、さっきの威勢はどした?情けない旦那様だぜ。いいか、二度と彼女たちに近づかないと誓って、五秒以内にここから消えな。頭に風穴開けられたくなければな」
「ち、誓う!!誓います!!」
「ごー……」
「ひ、ヒィィィィィ!!!!!!!!」
男たちは情けない悲鳴をあげて、転がるように去っていった。
「先輩こわーい」
「あ、ありがと……なんて言わないわよバカ!!霊障法違反スレスレじゃない!」
助けたのに散々な言われようだった。霊障武具を停止させて、宝をちらりと見る。目が合った。
「あ、ありがとう……」
「ど、どーいたしまして……あ、あのさ」
後夜祭のフォークダンス、一緒に踊らない?と誘おうとしたら。
「みんな大丈夫だった?もう、兄さんはいつも危ないことをするんだから……」
「へーきです!ありがとうございます、逸覇先輩」
「まぁ……ありがと」
「ありがとう、逸覇」
なんで逸覇には素直に言うの!?
「ねぇ宝、ボクと一緒にフォークダンス踊らない?」
「えっ……」
しかも弟に先を越された!!宝はなんて答えるんだ!?
「う、うん……わたしでよければ……」
いいんかい!!って
「ちょっと待った!!オレも……」
と飛び出しかけた腕を掴まれる。誰だよ、なんだよ、と思って振り返ると、千歳が顔を横に背けていた。その顔は真っ赤に染まっていた。
「あ、アンタはあたしと踊りなさい!し……仕方なくだからね!」
「……誘ってるつもりなの?」
「ああいう連中に付きまとわれて面倒なの!相手が決まってたら、断りやすいでしょ!」
なるほど、千歳は確かにモテる。「四季が女だったら絶対付き合うのに!!」と馬鹿なことをほざく、ちょっと危ない男たちを虜にしている。そして「ツンデレは宝hshs」と豪語するオタク系男子も虜にしている。もちろん、一般的な男子もそこそこ虜にしている。
宝は逸覇に取られたし、一覇には断る理由がない。というか、一覇も千歳と同じ理由で困っているところだ。半分投げやりになって、返事を出した。
「うん、いいよ」
「!ぜ、絶対だからね!?約束よ!!」
————いいなぁ、千歳ちゃん。一覇と行けて……。
宝は一覇を誘おうと思っていた。勇気を出して、『わたしと一緒に踊って』と言おうと思っていた。でも、言えなかった。勇気が足りない。意気地なし。なんで逸覇のことを断って、一覇を誘わなかったのだろう。でも待って、一覇が断るかもしれない可能性も考えて。
————だって一覇、千歳ちゃんと仲いいし……。千歳ちゃんを誘うかも。だからさっき、行くって返事したんだよね。本当は誘おうと思っていたんだよね。わたしの入る隙なんて、なかったのかもしれない。
「どうしたの、宝?」
「ご、ごめんね!なんでもない……」
逸覇に失礼だよ、こんなの。せっかく逸覇が誘ってくれたんだから、応えなきゃ。
「若、残念ですね」
「なにがだ!!別に残念とは思っていないぞ!?」
「仕方ないから私がご一緒してさしあげます」
「いらん!それより、貴様は椋汰と行ってやれ。さっきからもじもじして貴様を見ているぞ」
「あはは、そうですね。では若は行き場をなくした海様と踊ってください」
「アイツはアイツで誘われてるぞ?」
「お馬鹿ですね、気づかないんですか?海様がお断りしている理由は、失恋ですよ」
「!!そうか……海は千歳のことが……」
「あーっと勘違い。私が悪かったです」
「?じゃあ誰なんだ?」
「鈍いですねぇ……」
教室の隅。そこには若干サボっている海が、複数の女の子に囲まれていた。
「結城くん、あたしと踊ってよー」
「あーズルイ!わたしと!」
「はは、ごめんね。僕は誰とも……」
「海」
入口から、短髪の青年が声をかけてきた。
「宙兄」
海の次兄、結城宙だ。現在大学部の二年生。頭は悪いが努力家で、能力はないが次期結城家後継者候補として日々勉強している。
「海くん」
「あ……神無さん」
そして宙の婚約者で皇槻家次期当主の皇槻神無。歴代当主の中でも随一の実力を持つ陰陽師だ。宙と同じく、大学部の二年生である。
「頑張ってるなぁ、海」
「かっこいいですね、海くん」
「……やだなぁ二人とも。来るなら来るって言っておいてよ」
「だって驚かせようって兄貴が」
「大地兄も来るの?」
大地は長兄だ。大学を首席で卒業した現在は、プロの霊障士として活躍している。
「そんなことより宙、案内してもらいましょう」
「相変わらず、兄貴のこと嫌いなのな……」
「ごめん、今は満席だから廊下で待ってて」
「わかった」
「海くん、頑張って」
二人仲良く並んで、廊下へと姿を消した。それを黙って見守る海。
「…………」
自然とため息がこぼれた。
そう、海は神無のことが好き。幼い頃からずっと、想っていた。でも神無はずっと、宙のことが好きだった。二人が高校一年の秋に、学校を巻き込んだ事件がきっかけで、二人の距離は縮まった。あの日から、海の失恋は決まっていたのだ。
「不毛な恋だなぁ」
元々事なかれ主義だったけれど、こればっかりはため息ものだ。
誰か、ほかに好きな人ができれば諦められるのに。これがなかなか自分も一途で、ずっと神無のことが忘れられない。
「結城先輩」
ツンツン、とシャツの袖をつつかれる。
「はいはい、えーと東智花ちゃん、だよね?」
「へーいそうです!バカ兄がいつもお世話になってます。で、コーヒーおかわり」
「智花ちゃん、ドリンク頼んでないよね?」
「てへへ、バレました?」
「いーよ、ここは僕のおごりで」
「やたっ!あざーす!」
ま、たまには可愛い後輩のためにね。
「結城先輩」
「なーに?」
「あたしと踊りませんか?」
「……好きな子いるんで」
「知ってます。あたしも好きな人いるんで」
「意外だな。誰?」
「不毛な相手です」
「一覇?宝ちゃんと親友だもんね、君」
「あはは、バレちゃった。そんなわけで先輩があたしの相手してください」
「うーんいいよ。僕も不毛な恋だからね」
「不毛ズ結成ですね」
まぁこんな感じで、新しい恋も芽生えそうです。
二年F組の厨房内。
「東くん、河本くんを呼んで!調理班が足りないわ!」
京二は休憩中で、F組に遊びに来ていた。厨房内に椅子を持ってきて、堂々と座る京二。
「えー、アイツはホールって忍野と二本松が決めたんだろ?」
「遊びに来ておいて文句をつけるな!料理出来る人が足りないの!苦肉の策よ!」
「ヘーイ。あ……忍野……桐子」
「へ?え、な、なによ突然」
名前を呼ばれたのは、これが初めてだった。だから動揺した。桐子の動揺を無視して、京二は笑って言った。
「おれと踊って」
「は……は!?わたしとあなたが!?なんでよ!」
「なんでっ……て、ほら、おれたちあぶれそうじゃん?おれとしては新聞部の活動があるから、踊らないつもりだったけどさ、忍野がかわいそうだから」
ガイン!
おたまが京二の額にヒットした。
「悪かったわね、相手がいなくて!」
京二は落ちたおたまを拾って、桐子に返却しながら反省した。まずい誘い方したかもしれない。急いで修正しよう。
「あー……そうじゃなくて。おし……桐子、おれと踊って」
「また冗談!?いい加減にして!」
「冗談じゃねーよ」
桐子が振り向くと、京二の顔は真剣そのものだった。
「おれと踊って、桐子」
「…………っ!」
ぼっと音がなりそうなほど、桐子の顔は火照った。と同時に、手の中の中華鍋も燃えた。
「桐子ちゃん、火!!」
恋の火も上がりそうな雰囲気です。
学園祭も終わり、残すはワクワクドキドキの後夜祭となった。初めにクラス賞の発表。クラス賞は二年F組が勝ち取った。
キャンプファイヤーが燃え盛る校庭で、男女が組んで踊りだす。一覇は逸覇と宝を見つめて、ギリギリと歯ぎしりをしていた。
————くっつきすぎ!!離れろ離れろ!!
「ねぇ……イチ……」
「あん!?」
「あたし……あたし、イチが好き!!」
「へーそうだね!!って……」
聞き違いだろうか、一覇はアホな顔をして聞き返した。
「今……なんて……」
「二度も言わせるの!?い、イチが好きなの……よ……」
キャンプファイヤーが揺れるなか、千歳は顔を真っ赤にしていた。握る手がまるで心臓そのものであるかのように、ドクンドクンと脈打っている。
「え、だ、だって、オレたち……」
声が震えていた。もしかしたら手も震えていたかもしれない。千歳は続けた。
「た、試しに付き合ってみるでもいいわよ!とにかく……あたしに、チャンスをちょうだい」
「そんなことできないよ、オレ……」
遠くで踊る宝と逸覇を見つめる。楽しそうにしている。
そうだ、宝は逸覇のことが好きなのかもしれない。最近は慣れて『逸覇』って呼んでいるし。
もう……諦めた方がいいのかもしれない。告白する前からこんな弱気でどうする、と全国の片想いをしている人に言われるかもしれない。でも、一覇は疲れた。甘えているのかもしれない。甘えたいのかもしれない。
「いいよ、付き合おう」
「!!……本当に?」
「いいって言ってるだろ。それとも……試してみる?」
「試すって……どうやって?」
千歳の体は一覇の体に引き寄せられて、顔が近づいたと思ったら、唇に熱い熱と柔らかい感触が生まれた。息苦しくなって、千歳は一覇の体を必死に押す。
「ちょ、ちょっとイチ……っ!」
「わかった?オレの気持ち」
いたずらっぽく、にやりと笑う一覇。言葉にならない言葉で、パクパク口を開く千歳。しかし、一覇は途端に顔を青くする。なんだろう、と思って千歳が一覇の視線を追うと、そこには逸覇と宝がいた。宝は今にも泣きそうな顔をしている。
「兄さん、千歳ちゃんと付き合ってたの?おめでとう」
逸覇は宝の手を引いて、一覇と千歳の元に行き、にこりと微笑んだ。一覇はなにも言わず、ただ黙って聴いていた。というより、言えなかった。それを逆手にとって、逸覇はどんどん話を続ける。
「二人とも仲良かったもんね、同じバイトしてるし。ボクとしては安心したよ、兄さんに彼女ができて。ね、宝」
宝は体をビクッとさせて、青い顔を無理矢理笑顔にする。
「ほ……ほんと!びっくりしたよー。教えてくれればよかったのに。二人とも水臭いよ」
一覇もようやく調子を合わせて答えた。
「いや、今付き合うことになってさ」
「へぇ、どっちから告白したの?」
「もちろん、オレから!もうゾッコンで!」
「ちょ、ちょっとイチっ!」
なんで嘘なんかついているの?余計、宝に誤解されるだろうが。千歳はすぐに弁解しようとするが、宝に遮られた。
「そ、そうなんだ……あ、わたし、飲み物買ってくるね!喉かわいちゃった……じゃ、じゃあ!」
宝は走り出した。涙をこらえて、誰もいないところへ。開放されている校舎の中に入って、中庭のベンチに腰をおろした。
「う……うう……っ」
我慢の限界がきて、涙が滝のように溢れた。止まらない。止められない。大声で泣き叫んだ。
どうして勇気を出せなかったんだろう。告白もしていないのに玉砕して、馬鹿みたいだ。後悔するくらいなら、怖がっていないで告白すればよかったんだ。
時間が巻き戻ればいいのに。気持ちも巻き戻ればいいのに。そうしたら、ただの兄妹でいられたのに。
なんでこの気持ちに気づいちゃったんだろう。気づかなければよかったのに。
後悔ばかりが押し寄せる。涙でなにも見えない。
わたしはいつも、なにもしないで後悔しかしていない。せめて好きって言えたらいいのに……。
もう言えない。一覇はあの子のものだから。
邪魔しちゃいけない。私の入る余地はないのだから。
じゃり、と土を踏む音がしたけれど、宝は顔を上げなかった。
「宝」
「来ないで!!」
逸覇だ。心配して来てくれたんだ。なのに、顔を合わせられない。
「わたし……失恋したんだ……おかしいよね、兄妹なのに……」
じゃり、じゃり。
足音が近づく。ふわりとたくましい腕に包まれた。
「ボクと付き合わない?宝」
「え……」
「兄さんの代わりでいいよ。少しずつ、ボクを好きになってくれたらいい」
「ちょ、ちょっと待って!急にそんな……」
「好きだよ、宝。兄さんなんかに渡さない、宝はボクのものにする」
花火が上がった。それは狼煙のように、ゆっくりと、でも確かに空に上がった。逸覇の心に、大きな花火が上がった。
「む、無理だよっ!!」
ドンっ。
逸覇は突き飛ばされた。宝は顔を赤く染めて、叫ぶように舌を回した。
「わたしは一覇が好きなの!!一覇じゃないとだめなの!一覇じゃないと……」
「兄さんは千歳ちゃんとラブラブだよ?」
一覇と千歳のキスを思い出して、涙が溢れる。どうしてそんなこと、言うの?
「…………っ!!嫌い……」
「?」
「逸覇なんて、大っきらい!!」
宝は走り出す。宝が去ったあと、逸覇は中庭にある自販機で缶コーヒーを買って飲んでいた。
「ずいぶん用意周到ね、日向逸覇」
「……やぁ七海沙頼さん、久しぶりだね」
逸覇はあくまで、にこやかに応対する。沙頼は逸覇を容赦なく睨みつける。
「全部見てたわよ。河本宝を利用するつもり?」
「利用だなんて。ボクは本気で彼女が欲しいだけだよ」
「ふん、どうだか……」
悠々とブラックコーヒーを口にする逸覇を、沙頼は気が済むまでなじり責めようとした。しかし、逸覇に遮られる。
「沙頼さん、あんまりボクを怒らせない方が賢明だよ。あなたをお咎め無しにここへ来させたのが誰か……考えたことあるかな?」
「……アンタがやったって言うのかしら?」
「ま、ねー。二本松璃衣と片瀬仁美についても、感謝してほしいくらいだよ」
「その見返りが欲しいの?」
逸覇は意を得たり、と言いたげに笑った。飲み終えたコーヒーの缶をクズ入れにシュートする。
「兄さんは鈍いからね、ちょっとやそっとじゃ、傷つかないかなって」
「ひっどい弟がいたものね。……アンタたち、本当に血が繋がっているの?」
「ばっちり。まぁ……役所の書類なんて、当てにならないものだけど」
「?……どういう意味?」
「おっと、これ以上は言えないや。とにかく、協力してくれるよね?」
璃衣を盾にとられている状況で、沙頼の選択はひとつしかなかった。仁美は……まぁ一応大事な仲間だ。
沙頼のだんまりをイエスととったのか、逸覇は満面の笑みで立ち上がった。
「さすがだね。じゃあちょっと……働いてもらおうかな」
六月二十三日、晴れ。横浜市旭区、児童養護施設『ひなぎく園』。
「イチ、出かけるわよ!」
「は?」
一覇の愛しの彼女が、朝から家まで迎えに来ていた。意味がわからない。というか寝起きドッキリされて、一覇は不機嫌だった。
「出かけるってどこに!?」
「どっかによ!晴れてるからバイク出しなさい!」
と、こんな感じで無理矢理連れ出された。
バイクを走らせて約二十分、一覇と千歳は横浜ランドマークタワーに着いた。横浜では一般的なデートスポットのひとつとあって、カップルらしき男女も多くみられる。
「で、なにすんの?」
「えーと、買い物!食べ歩きとか……」
「中華街のがよかったじゃん」
「うっさいわね、全部おごらせるわよ!?」
「いいですよー別にー。オレ、金に困ってないし」
「言ったわねぇ!?」
結局、ランドマークタワー内のショッピングモールを見て回ることになった。服屋や小物屋、おみやげ屋などを回って、あっという間にお昼ご飯の時間になった。
「さぁイチ、おごってもらうからね!」
「マジだったのか……なに食うの?」
「フレンチブッフェ!ここ、テレビでやってて一度でいいから行きたかったのよねー!」
「ほうほう。なかなかお高めやね」
メニューリストを見てからおしゃれな店内に進むと、ここで普通のお店とは違うことに気づいた一覇。なんというか……
「カップルばっかだな……」
「か、カップル専用ブッフェなのよ……ここ」
急に体をもじもじさせる千歳。ここで、このお出かけの趣旨……というか名称がわかった。
「……これって、デート?」
「今気づいたの!?」
おぉ初デート。人生初のデートは、こんな感じで進んでいたのか。千歳はさらに、一覇を意識させる言葉を出した。
「い、一応あたしたち、コイビト、でしょ?」
「そーいやそうだっけ」
千歳は頬をふくらませた。
もしかしてあたしだけだったのかな、ずっとドキドキしていたの。
「まぁいいや。あ、店員さーん、オレたちカップルですよー」
空いている席に案内されて、高層ビルの景色をひとしきり楽しんでから、それぞれに料理を取りに行った。
「…………すげー食うんだな」
「はっ!!!」
いつもの調子で、ローストビーフを大盛り、フォアグラ大盛り、スープ大盛り、デザート大盛りにしてしまった。
なんとか言い訳をしないと……!
「ちょ、ちょーっと取りすぎたかなぁ!?あたし、いつもはもっと少食なんだけど……ほんとに、たまたま……!!」
「ふっはははは!!!」
涙まで滲ませて笑っている。
「な、なに笑ってんのよ!?」
「いや……いいよ、好きなだけ食えよ」
目尻を押さえて、自分の皿を持ち上げる一覇。その皿には、サラダと肉、デザートが綺麗に並んでいる。料理の並んだテーブルへ向かい、戻ってきた一覇は大盛りの肉とデザートをふた皿持っていた。千歳に負けない量だった。
「お、お腹壊すわよ!?」
「いやいや、オレも肉とデザート好きなんだよね。宝がよく『お野菜も食べなさい!』って怒るんだ」
……優しい。
千歳が恥ずかしくないように、合わせてくれたのだ。
「バカ……お礼なんか、言わないわよ」
「美味しいなー、フォアグラ。なにか言った?」
「なんでもないわよ、バカ!!」
フォアグラを美味しく頂いた。いつもより……食べたことないけど、いつもより美味しかった。
一覇が本当におごって、二人は店を出た。
「さて、次はどこに行くんだ?」
「えっとね……このお店」
千歳は案内板の一箇所を指し示した。
「アクセサリー?お前そんなとこばっかりだな。男が入るの、勇気がいるんだぞ?」
「男一人じゃないからいいでしょ!行きましょ!」
「あー待て待て」
先を歩こうとする千歳を止める、一覇は千歳の手を握った。
「なっ、なにすんのよ!?」
「まぁ、恋人らしいことかな。手ぇ繋ぐのなんか、簡単でいいだろ?」
簡単って一覇は言うけれど、千歳は心臓がバクバクして、顔も火照ってまともになにも考えられなかった。右手に伝わる、一覇の体温を感じて、あぁ好きだなぁと思う。
イチ、わかる?あたしはこんなに、アンタを想っているのよ。
伝えたいけど、素直になれないこの言葉。いつかあなたに言えたらいいな……。
千歳が行きたがっていたアクセサリーショップに着いて、ショーウィンドウを眺める二人。
「うわー、これ可愛い!でもピアスかぁ……あたし開けてないからなぁ」
千歳はシルバーのハート型に、ブルーサファイアの石が嵌め込まれたピアスを指した。
「開ければ?」
「うーん……でも開けるの怖い。痛くないかな?」
「少し痛い」
「やっぱり?でもでも可愛い!」
でも開けるの怖いしなぁ。と迷っていたら、一覇が手を挙げた。
「すいませーん、これください」
「ちょっ、買うなんて言ってないわよ!?」
「まぁまぁ。プレゼント」
「なんの!?」
「誕生日……いつ?」
「く、九月……三日……」
「じゃあちょっと早い誕生日プレゼントってことで」
「早すぎよ!!……まぁ、ありがたくもらってやるわ。で、アンタのた、誕生日は……」
「ん?十月九日。プレゼント期待してまーす」
「調子に乗るな!!」
空いている左手で、一覇の脇腹をどついた。
————ん?
千歳の目に、シンプルなシルバーのピアス。
「ねぇイチ、アンタの誕生日プレゼント、これにしたげる!」
「え?」
「アンタ、ピアスいっつも同じじゃない?だからたまには……ね?すいませーん、これくださ」
「ごめん!!ピアスは……ダメなんだ」
「ど、どうしたのよ?」
一覇の表情は必死で、ただごとじゃないことがわかる。どうしてピアスがだめなのか。一覇はただ俯いている。
「……なにかあるの、そのピアスに」
「…………大切な人に、もらったんだ」
大切な人……それって……。
「好きな人……?」
「恋愛じゃないけど、好きな人……守りたかった人。たぶんオレのせいで、殺されたんだけど……」
「菜奈さんじゃ……ないよね、家族?」
「みたいなものかな?……姉みたいな人だった」
姉みたいな人。一覇の顔は、慈しみに満ちた表情だった。それほど大切な人だったのだろう。
「ごめん……やなこと思い出させた」
「なんで謝るんだよ、お前らしくない……」
「あたしだって、悪いと思ったら謝るわよ。さ、あたしのピアス来たから支払いしてよ。そしたらピアッサーを買いに付き合ってよね」
無理矢理笑った。一覇のこと、なんにも知らなかった自分に腹が立った。
なにが好きだ、なにが恋人だ、彼のなにを好きになったというんだ。昔の、名前も知らないお兄ちゃんだから、だから好きになったというのか?
いいや違う、今の一覇を知って、好きになったんだ。もっと知らないといけない。もっと知って、もっと好きになって、恋をする。
恋愛って、その人を知ることから始まるでしょ。顔を知ることから、性格を知ることから、名前を知ることから、なんでもそう。恋愛だけに限らない、友情だって上司と部下だって、この世のすべての人間関係は、『知ること』から始まる。だから千歳の恋は、始まったばっかりなんだ。これからなんだ。
「イチ……あたし、アンタのことを知りたい」
千歳は一覇の青い瞳を、まっすぐ見つめる。
「イチのことを知って、もっと深く好きになりたい!」
この人に恋をして、愛して、愛されるようになりたい。だから
「あたしに教えて……アンタのこと」
時は遡って午前中。
「い、いいよ逸覇!別に二人と同じように出かけなくても……」
「あれ、しないの?デート」
「わたしたちはそういう関係じゃないでしょ!?」
ひなぎく園の食堂で揉める、逸覇と宝。一覇が千歳と出かけてから、そわそわしていた宝に逸覇が声をかけてきたのだ。
「本当は行きたいくせに……」
「なっ……わたしは一覇と行きたいの!!」
「そこまで僕が嫌い?」
「う……」
嫌いと言ったことに、少し罪悪感があった宝は、目を泳がせる。少し深呼吸をして、軽く頭を下げた。
「ごめん……」
「じゃあ行こ!」
「やっぱり嫌いっ」
人の気持ちも知らないで、笑顔で誘う逸覇にイラッとした。
「まぁまぁ。じゃあデートだけど、恋人のデートじゃないってことで」
「どういうこと……?」
「デートっていうか尾行?実は……じゃーん!」
逸覇は携帯電話の画面を見せた。そこにはマップが表示されている。青い点と、赤い点が点滅していた。
「GPSだよ!青い点はボクたち、赤い点は兄さんたちでーす!」
「なっ……これ犯罪じゃ……!?」
「兄さんの携帯番号登録してればできるよ!コレによると、二人はランドマークタワーにいるねー。行ってみよーう!」
「えっ!?行くの!?」
「もちのろん!早くしないと移動しちゃうかもよ!?レッツゴー!」
逸覇に手を引かれて、勢いのまま慌てて靴を履いて出た。二人ともバイクの免許やバイクそのものを持っていないので、電車であとを追う。二俣川駅から三十分かけて、横浜ランドマークタワーに着いた。
「さーて兄さんと千歳ちゃんはどこかなー?」
手のひらを額に掲げて、人混みを見渡す逸覇。
「広いからわかんないよ……帰ろ?」
「あ、いた」
「どこ!?」
「気になるんじゃん」
飛び上がって周囲を見渡す宝に、一覇が見えた方向を教える逸覇。その隣には当然、千歳がいた。二人は仲良くウィンドウショッピングをしているようだ。実に楽しそうである。
「あ、上に行くみたいだね。行こっか」
「うん!」
一覇と千歳が乗ったエレベーターに潜り込んで、三十九階で降りた。二人が入ったレストランに行ってみると。
「あっ、ここ……」
雑誌で見たことがある。ここはカップル限定のフレンチブッフェだ。美味しいドルチェと夜景が売りで、いつか行ってみたいと思ってページを切り抜きして持っていた。
「すいません、二名」
「待って待って!」
店内に進もうとする逸覇の服の袖を、必死に掴んで止めた。
「どしたの?空いてるよ?」
「わたしたち、カップルじゃないし!!」
「まだそんなこと言ってるの?まぁいいじゃん、もうお昼ご飯だしさ」
宝の手を引いて、店員の案内に従って席につく逸覇。席は一覇たちと近い。ブッフェだから料理を取りに立ち上がって移動するわけだし、バレやしないかと冷や冷やしたが、幸い気づかれなかったようだ。
二人が会計をして店を出たときに、逸覇たちも店を出て、ひたすらあとを追う。服屋に本屋、小物屋、雑貨屋、アクセサリーショップでは、一覇が千歳にプレゼントしているようだった。
「はー、ラブラブだねぇ、あの二人」
逸覇が感心したように呟いた。宝も同意する。
「やっぱり……わたしが入る隙はないんだよ……」
「なに言ってんのさ?告白すらしてないんでしょ?」
「な、なんで知ってんの!?」
「インスピレーション。というか、兄さんの態度で推測したんだ。兄さんなら知ってたら、千歳ちゃんと付き合ったりしないだろうから」
「?それって、どういう……」
「あ、これ……」
逸覇は今いる小物屋の商品である、小さな花がついたヘアピンを手に取り、宝の頭に当てる。
「うん、よく似合う。すいません、これください」
「えっ、ちょっとなんで!?」
「似合うからだよ。大事に使ってね」
手渡された小さな袋を受け取って、宝は軽く俯いた。
「ごめん……」
嫌いなんて言ってしまった。何度も言ってしまった。
「なんで謝るのさ?」
「……ありがとう!」
花が咲いたような、不意打ちの笑顔。思わずドキッとする。
宝は袋からヘアピンを取り出して、髪を留めた。先ほどまでの落ち込みはどこへやら、宝は満足そうに歩いていった。
「あっ、二人とも移動したよ!行こ、逸覇!」
一覇と千歳を追って、逸覇と宝は展望エリアに行った。
時刻は夕方、最後の残照が展望エリアを強く照らす。横浜の街並みを黙って眺める一覇と千歳。
「イチ、訊いていい?」
「なに?」
一覇は景色ばかり見て、千歳の方を見ない。千歳は少し迷ったけれど、一覇に尋ねる決心を固めた。
「フォークダンスのとき……なんでキスしたの?」
「……言ったら怒るよ?」
「言ってよ」
やはり景色を見たまま、一覇は答えた。
「出来心」
呆れた。彼は嘘をついている。千歳はまた尋ねた。
「本気で怒らせる気あるの?」
「あるよ」
「それくらいじゃ怒んないわよ。嘘だってわかるし」
「どうしたら怒るの?」
「なんで怒らせようとするのよ」
ようやく千歳を見た。そして言った。
「……別れたい」
パンッ。
一覇の左頬を、千歳の右手のひらが思い切りはたいた。陰になっていてもわかるほど、赤く腫れている。音に反応して、周囲の観光客が見ている。
「なんで?もう一度訊くわ、なんでキスしたの?」
せめて一ミリでも、キスした分だけでも、一覇が好きでいてくれたなら。あの熱を忘れないようにと、願った夜だけでも……好きでいてくれたなら。
「宝ちゃんが好きなの……?」
その願いが叶うなら、どんなに幸せだったのだろうか。
一覇は千歳の問いに、深く頷いた。
その心のすき間には、千歳は入らない。そう悟った。というか、最初からわかっていたことだ。
「残酷ね、アンタ……」
わかっていたけれど、一瞬でも心を奪いたかった。ほんの一秒だけでも、一覇を自分のものにしたかった。
「ごめん」
一覇はまっすぐ千歳の瞳を見つめ、謝った。
自分が不誠実なことをしたと、わかっている。彼女の気持ちを利用していた。
「ありがとう」
崩れそうな心、支えてくれたのは君だった。君はいつでもまっすぐで、新緑のように輝いていた。そんな君に、寄りかかっていた弱い自分が嫌いで、君が眩しすぎて嫌いだった。
でも、その純真さに、深く尊敬していた。
今度は、オレの番だ。
「千歳が好きになってくれて、よかった」
「……さっさと行きなさいよ、宝ちゃんが待ってる。誰にも奪わせないで」
一覇は走り出した。宝のいる場所へ。
言うんだ。奪われることに怯えないで、拒否されることを恐れないで。君に伝えるんだ。
ぐるりと一周して、二台あるエレベーターの出入口まで来ると
「あ……」
「あ」
宝と逸覇がいた。
一人になった千歳は、一覇の走り去る背中を見つめていた。
「まったく、世話焼かせるわよね……あの二人」
両想いなのは誰が見ても明らかなのに、当人たちはまるで空回りで、馬鹿みたいだ。
「これで告白しなかったら、承知しないわよ……イチ」
好きになってよかった。甘酸っぱい気持ちも、苦い想いも、全部彼が教えてくれた。はじめてのキスは、甘いいちごミルク味。思い出して、心がどんどん淋しくなる。
「にが……」
はじめての恋は、夕日とともに眩しく沈んだ。
「宝……っ」
「一覇……」
一瞬だけ一覇を見失ったと思ったら、目の前に来ていた。どうしよう、と狼狽えていると、一覇が真剣に見つめてくる。
「宝……オレ……」
「あ、ご、ごめんね!尾行なんかしちゃって……!わたし」
「宝が好きだ!!」
「…………え?」
なにを言っているの?一覇がわたしを?嘘だ。そんなこと、ありえない。
「ち……千歳ちゃんのこと好きなんじゃ……」
「オレはずっと、宝のことが好きだった。三年前の、あの日から……」
諦めようとした心、許さないで。でも今は勇気をください。この場から逃げない、勇気。
「宝のことが、好きだ」
夢を見ているようだ。一覇の言葉を胸に抱える度に、ふわふわと雲に乗っているような感覚がする。幻でも見ているような、気づいたら落っこちてしまいそうな夢。どうか本当でありますように。
「ほ、本当に……?本当にわたしのことが好きなの……」
一覇は頷いた。あぁ、夢じゃない……夢じゃないんだ。
「あのね……わたしも……わたしも、一覇のことが好きです」
溢れる涙、止められない。一覇は宝を抱きしめた。宝は一覇の肩に顔を埋めて、背中に手を回す。
日の落ちたベルベットの空に、星がきらりと光っている。二人を祝福するように、星屑が落ちた。
逸覇はただ、ことの成り行きをみていることしかできなかった。鳥籠の小鳥が放たれた瞬間、手を伸ばすこともなく、ただ空を眺めていた。
捕まえたと思っていたのに……鍵はかけていなかったらしい。
自分の甘さを感じて、逸覇はそっと展望エリアを後にした。
「「あ」」
エレベーターの中で、千歳に会った。
「……なんて顔してるんだよ」
「うっさい!アンタこそ、ブッサイクな顔してるじゃない!」
「君よりマシだよ。ほら、鼻拭きなよ。垂れてるよ」
千歳は逸覇からポケットティッシュを受け取って、鼻水をかんだ。
「ぐす……ごめん……」
「なにが?」
「あたしがイチのこと焚きつけたから、ちょっとは責任感じてるんですっ!!」
「そんなことしなくても、あの二人はくっついたと思うよ?」
自分がいくら邪魔をしたって、あの二人は結ばれる運命だったんだ。きっとそうだ。
運命なんて言葉、本当は好きじゃないけれど……そういうつながりを感じた。
「だから、君が責められることじゃない」
千歳の頭を、そっと撫でる逸覇。
————まって。この撫で方、覚えがある……。でも……
「あ、アンタさ……もしかして……あ、あれ!?」
「どうしたの?」
エレベーターは壁がガラスになっていて、隣のエレベーターが行ったり来たりするのが見える。隣のエレベーターに、見覚えのある人物が乗っている気がして、千歳は急いで窓に張り付いた。しかし、エレベーターはもうすれ違って見えなくなった。
「気のせい……かな?」
もう何分抱きしめ合っていたのだろうか。十分だったかもしれないし、もしかしたら一分足らずだったのかもしれない。
「宝……」
宝の鼓動を感じる。もう少し……まだまだこのままでいたい。しかし、そんな時間は突然終わった。
「……一覇、あれ」
宝の動揺した声が漏れる。密着した体を離して、宝の言うままに振り返る。エレベーターから出てきた人、人、人。その中に、見覚えのある人がいた。
青みがかった長い黒髪に、澄んだ金の鋭い瞳。右目の下の泣きほくろ。
「千歳……?」
でも、着ている服が違う。黒いスーツ。霊障士の正装だ。それに、千歳にしてはいくらか背が高い。左手首に巻いた赤い髪紐でわかった。
「もしかして、四季……?」
どうして四季が、あんな格好を?
笑っている。四季らしくない笑顔。隣にいるのは、灰色の長い髪をゆったりとまとめた、和装姿の壮年の女性だ。黒く鋭い瞳は、どこか四季と共通している。
すると女性がこちらに気づき、駆け寄ってきた。四季が止めている。しかし女性は無邪気な笑顔で、一覇を見てこう言った。
「基!!」
「……はじめ?」
誰だ?誰のことを言っているんだ、この人は。
「ね、姉さん!」
姉さん?四季の声だ。でも、姉さん?四季の姉は確かに二人いるが、次姉の葉月は四季が生まれる前に他界した。姉と呼べるのは、千歳の母である卯月だけのはず。
そんな一覇の混乱を無視して、壮年の女性は無邪気に話しかけてくる。
「基も来ていたのですね。今日はよいお天気ですからね。……ところでそちらの女性はどなた?」
「姉さん!!もう行きましょ!」
「遥佳……どうしたの、貴女らしくない」
はるか?
「おい……四季だよな?」
「遥佳」と呼ばれた女性のような少年は、振り返ってきっぱりと答えた。
「……あたしは、矢倉遥佳です。あなたとは会ったこともありません」
「矢倉遥佳」。なんだろう……聞き覚えのある名だ。でもどこで?
矢倉遥佳と名乗る人物と壮年の女性は、エレベーターへ走っていってしまった。
エレベーターに駆け込んで、矢倉遥佳=矢倉四季は、ひと息ついた。まだ、心臓がバクバクしている。
————よりによってこんなときに……一覇に会ってしまうとは。
この姿では会いたくなかったし、名乗りたくもなかった。でも母の手前、こうするしかなかった。
「遥佳、どうかしたの?顔が真っ青よ」
隣で佇む少女のような雰囲気の壮年の女性……矢倉時雨は、四季を、いや『遥佳』のこと心配そうに見ている。
「……母さ、姉さん、大丈夫よ。大丈夫、帰ろう。おじいさまに叱られるし」
「そうね、無理を言ったのはわたくしだし。ところで遥佳」
「なに、姉さん?」
「また……基に会えるかしら?」
「…………きっと会えるわ」
二人は会うべきじゃない。そんなこと、この少女のように脆い心を持った母には言えなかった。いや実際、彼女は心は少女に戻ってしまった。
彼女の中では今は西暦一九七三年の三月、自分に娘や息子、孫がいることは知らない。二十五歳の生娘、矢倉時雨だった。
そう、母は息子の四季の存在を知らない。
————僕は僕じゃない、『矢倉遥佳』だ。でも……
本当は気づいて欲しい、遥佳の中の四季のことを。一覇の中の、基のことを……。
第十二話 完
というわけで亡霊×少年少女第十二話、恋と夕日といちごミルクでした!話的には恋愛中心ですね。もはやバトルはどこへ行ったのだろう、って感じですね。そのうち出てきますので、バトル好きさんはお待ちください。
えーと、亡霊×少年少女はこういう話なんです!恋愛を軸に動くバトルもの!そういうことです!
というわけで次回もこんなノリでお送りします。よろしくお願いします!
2015.8.27 ひじきたん




