特別な人
お久しぶりです、ひじきたんです!
亡霊×少年少女第十一話、どうぞお楽しみください!!
亡霊×少年少女 第十一話『特別な人』
二〇〇九年四月八日、午前十時十五分。神奈川県横浜市中区。
私立久木学園高等部第一総合体育館。
『この桜が爽やかな春の日に入学できたことを、非常に嬉しく思います』
講堂ステージの裏側で新しい制服を着た新一年生たちを眺めながら、高等部二年生になった河本一覇は驚いていた。
「千歳って、新入生代表なんだ……」
新入生代表の久我原千歳とうり二つの、隣に立つ男子生徒を見てまたため息。
「なんだ?言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ?」
「叔父と姪は月とスッポン……」
「やっぱり黙れ」
彼は千歳の叔父、矢倉四季。一覇と同じ、高等部霊子科学科霊障士専攻二年生だ。元有名女形歌舞伎俳優で、現矢倉家十四代目当主という異色の経歴の持ち主である。しかし学力は非常に低く、勉強大嫌いで学年最下位、一年生の時には留年の二文字が見えていたほどだった。試験勉強に付き合わされた身としては、今後も油断せず行って欲しい。
「そうですねぇ……若、性教育も教わったらいかがですか?一覇さんに手取り足取り……!」
「「黙れ変態」」
グッじゃない。
この変態美少女は二本松璃衣、四季の従者だ。実はアンデッド……正式名称をレヴァナントといい、自称十六歳だが実年齢は
「これ以上は秘密です」
「貴様はどこに向かってものを言っている?」
「ちょっと、わたしの璃衣にひどいこと言わないでよ!」
この金髪の幼女は七海沙頼、璃衣の主人のネクロマンサーだ。年齢不詳だが、一覇たちと同じ科の二年生に在籍している。
ところでなぜ二年生が、入学式に参加しているのかって?
それは遡ること今から半月前の、三月十五日。ロングホームルームのことだった。
「げ……」
「じゃあ入学式準備係は河本と矢倉、二本松な」
あの日はくじ運が悪かった。まさかまだ春休み中の日に登校しなければならない、入学式準備係になってしまうとは……。
「というわけだ、よろしく頼むぞ」
このハキハキした黒髪美人な女性は久我原卯月、一覇たち霊子科学科霊障士専攻一年生の担任で、四季の姉である。
キーンコーン。
「今日はおしまいだ!日直と掃除係はサボるなよ。解散!」
わっと生徒たちの声が一気に上がる。今日の日直は一覇と四季だ。
「四季、日誌はオレが書くから、お前は黒板消して」
「なぜ貴様はいつも日誌を取る?」
「四季の字が達筆すぎて誰も解読できないから」
以前四季に書かせたら、前担任の間宮百々子から苦情が来たのだ。そのあと読んでみたら、本当になんて書いてあるかわからなかった。
綺麗ではない自分の字の方がよっぽど読める、と思いながら書いていると、なぜか四季が黒板掃除をやめて寄ってきた。
「なに、四季?」
「あの……その……こ……」
「こ?」
早く黒板綺麗にしろよ、他にもごみ捨てとかあるんだぞ、と思って聴いていると、四季は煮え切らない態度を吹き飛ばして言った。
「この前は……千歳が悪かったな!!」
「この前……?……あぁ、あれはオレが悪かったというか……」
九日の夜に、一覇は千歳を連れて秦野までツーリングに行っていた。目的は酒呑童子について、以前出会った八瀬童子の刹那に訊きたいことがあった。
一覇は酒呑童子の生まれ変わりである。という話を襲ってきた鬼魔から訊いたので、訳知り顔の刹那に意見を求めて行こうとしたら、その場にいた千歳が一緒に行くとか言い出したので一緒に行った。そして刹那から、酒呑童子の話を聞かされたのだった。
……そう言えば。
「四季、お前には話してなかったよな?」
四季にあったことをすべて話した。すると四季は青い顔をしてこう言った。
「で、でも一覇が酒呑童子である証拠がないだろ……!?」
「うん、まぁ今はそうなんだけど……でもさオレ、なんとなくだけど、その日、夢を見たんだ。酒呑童子と、神楽の夢。妙に生々しくて、あれが夢だとは思えないんだよね……」
「そんなの、話を聞かされたから、その気になっているだけだろ!!」
「ど、どうしたんだよ、四季……?」
どうしてそんなに必死に、否定するんだ?顔も青いし、冷や汗だってかいてる。心なしか、わずかに震えている。一覇は四季の肩に手を伸ばす。
「どうした?」
ビクッ。
明らかに肩が揺れた。目も泳いでいる。
「きょ……今日は帰る……!」
四季は高速で鞄を机の上から取って、教室から出ていった。パタパタと、足音だけが響きわたる。四季を追うことができなかった。
思い出して、四季とふと目が合った。サッと、明らかに逸らされた。
あれからずっと、こんな感じで微妙に避けられている。理由をきこうにも、どう切り出そうか迷って終わる。しかも春休みを挟んだせいで、時間が経って余計に聞き出しづらくなった。一覇のアルバイト先のファミリーレストランに来るかと思ったが、気配すら感じなかった。
入学式は無事に終わり、一覇たち準備係二年生組も動き始めた。生徒や父兄が帰ったあと、すぐパイプイスを片付ける。床に敷いたカーペットも巻いて物置に仕舞い、床をモップ掛けする。
モップ掛けをしている間も、何度か話しかけようとするが、なにか不可視の力が働いているとしか思えないほどすれ違いの連続で、一覇の心は疲弊していった。
四季はどうしてあんなに怒っているのだろう……考えても考えても、四季の心はわからなかった。
ここのところ、霊障士の仕事が増えてきたこともあって、なんだかファミリーレストランのアルバイトには行けていなかった。しかし今日は、久々にシフト通りに出勤できそうだ。
「おはようございまーす」
「おう河本、久しぶりだな!」
先輩の花田が控え室でタバコを吸っていた。
「おはようございます花田さん。ガラ悪いっすね、なにかあったんですか?」
「聞いてくれよ河本ぉぉ!サークルにさ、可愛い女の子入ったのにさ、その子彼氏持ちなんだぜ!?」
花田は秦野出身、横浜に一人暮らしの横浜工科大学三年生だ。いつも独り身を嘆いては一覇にすがりつく。
「あー……そいえば今日、新しい子が入るらしいじゃないですか。女の子!」
「まぁじでぇぇ?……河本、今日のおれ、どう?」
モデル立ちでかっこよく決めてる花田に、一覇はあの手この手で褒めちぎった。
「最高ですよ!もうイケメン!カッコイイー翔太!」
「よせやい、生田斗真なんて」
誰もそこまで言ってない。でも黙って聞いておく。
がちゃ。
控え室に誰か入ってきた。特徴的な黒赤のゴシックロリータ調の服は、久木学園高等部霊子科学科霊障士専攻の、女子の制服だ。青みがかった黒髪に、澄んだ黄金の瞳、右目下の泣きほくろが印象的な少女。
「げ……」
ばたん。
「「…………」」
がちゃ。
「先輩に随分なご挨拶じゃない?千歳ちゃん」
グイグイと千歳の背中を押して、控え室に入れる。それを必死に回避しようとするが、半ば突き飛ばされる形で入室してしまった。
「なんでアンタがここにいるのよ!?」
「前にここで会わなかったっけ?オレのバイト中に」
「知らないわよ!アンタが働いてるって知ってたら、ここに決めなかったわよ!!」
「えー、ヒドイっ千歳ちゃん残酷な天使のテーゼー」
「意味わかんないこと言わないでよ!」
「え……河本の知り合い……?」
二人のやり取りにきょとんとする花田に、一覇は千歳を紹介する。
「オレの後輩で、幼なじみの姪の久我原千歳ちゃんです」
「……ふんっ」
「…………」
呆然と千歳を見つめる花田に、一覇は声をかける。
「花田さん?どうしたんですか?花田さーん?」
花田は千歳の手を両手で包み込み、勢いよく叫んだ。
「結婚してくれ!!!」
ばこっ。
千歳に急所を蹴りあげられた花田は、唸りながらその場にうずくまった。
「おぅっふ……」
「千歳……やりすぎ」
一覇の股間が急に寒くなった。やられたら絶対死ぬ……!!女にはわからない、命の危機を感じた。
数秒経ったら花田は回復したので、今度は千歳に花田を紹介した。
「こちら、横浜工科大学三年の花田翔太さん」
「よろしく千歳ちゃん!現在二十歳、彼女募集中です!」
花田が差し出した右手を、千歳は一瞥して冷たく言葉だけで挨拶に応じた。
「……よろしくお願いします」
それから千歳に女子更衣室を案内して、控え室に戻った。花田は再びタバコを吸っている。一覇は鞄からいちごポッキーとコアラのマーチいちご味を取り出して貪った。
「河本、ちょっとちょうだい」
「すいません、なくなりました」
「食べんの早くね!?」
というようなやり取りをしていたら、千歳がウェイトレスの制服に着替えて出てきた。
ちなみにここの制服は可愛いことで有名だ。ミントグリーンのパフスリーブワンピースに、グリーンの大きなリボン、ミントグリーンのラインが入ったフリルエプロン、白のニーハイソックス。そしてフリルのついたミントグリーンのヘッドドレス。男は地味にYシャツに黒のスラックス、黒のエプロンだ。
「かーわいい千歳ちゃ」
めきょ。
飛び込んできた花田の顔に、千歳の拳が一発めり込んだ。
一覇と千歳は高校生なので、花田より早い十時で上がり、横浜駅まで一緒に帰った。
「そーいや千歳、お前とはまだ連絡先を交換してなかったよな?」
「そ、そうだけど!?」
「交換していい?」
途端、千歳の顔がぱぁっと明るくなった。
「し、してあげてもいいわよ!本当に……しかたなく!」
「はいはい、赤外線ピーしますよ」
一覇は赤い折りたたみの携帯電話を取り出して、赤外線機能を呼び出した。
「あっ……できない……」
千歳の携帯電話はiPhone3G。iPhoneに赤外線機能はない。
「新機種なんか使ってるからだ」
と笑って、一覇は千歳の手にあるiPhoneを奪って電話帳を呼び出す。自分の電話番号とメールアドレスを新規登録しているあいだに、千歳に自分の携帯電話を渡して番号とアドレスを登録させる。
「終わり。さ、帰ろうぜ」
千歳から携帯電話を受け取って、一覇は繁華街を進んだ。千歳はその後を追う。
「そういえばさ、友達できたか?」
「な、なによ急に!」
「いや、四季から人付き合いが下手だってきいてるから……どうかなーって」
「…………」
入学式のあと、教室で自己紹介の時間があった。千歳は張り切ってはみたものの、いつもの悪い癖が出てツンケンした自己紹介になってしまったのだ。終わったあと、連絡先交換する輪の中に入ることはできなかった。
それを察したのか、一覇が千歳の頭を撫でて言った。
「確か同じクラスに河本宝って女子がいるだろ?」
「……いた」
輪の中心で、一際明るい顔をした、茶髪のツインテールをした女子生徒。彼女がどうしたというのだろうか。
「あいつ、オレの妹だからさ、話しかけてみろよ。兄のオレが言うのもアレだけど、気のいいやつだから」
妹……
「似てないわね」
「義理の兄妹だからな。あいつにも言っておくからさ、仲良くしろよ」
ぽん、と軽く頭を叩かれた。一覇の手は、大きくて温かかった。安心する……ほっとする。ドキドキする。
————あたし……。
好きなんだよね、一覇のこと。
二人は駅までの道をゆっくり歩いた。
四月九日、午前九時十分。私立久木学園高等部霊子科学科霊障士専攻一年G組の教室。
千歳は女子の輪の中心にいる、河本宝に話しかけようとしていた。
————いけ、あたし。勇気出せ!!
「あ、あの……!」
放課後、横浜駅近くのファミリーレストラン。
「いらっしゃいませ、メニーズにようこそ!」
一覇は今日もアルバイトに精を出していた。もちろん、連絡があれば霊障士として出動する。
「いらっしゃいませ、メニーズにようこそ……」
「みんなできたよ、千歳ちゃん!」
「宝、きたのか」
「一覇じゃないもん、千歳ちゃんに用があるんだもん!」
高等部霊子科学科霊障士専攻の制服を着た、ふわふわした茶髪をツインテールにまとめた少女、河本宝が頬を膨らませた。同じ制服を着た少女たちが、何人も一緒にいた。霊障士専攻とは逆のカラーリングの制服を着た少女も、数人ばかりいる。霊子科学科霊子工学専攻の生徒だ。
「千歳っちー、ここのバイトの制服可愛いねー」
黒髪をひとつに束ねた霊子工学専攻の少女は、一覇にも覚えがあった。彼女は東智花、一覇が卒業した中学校の後輩だ。宝の親友で、よく家に遊びに来ていたから覚えている。智花が一覇を見て、ぺこりと挨拶した。
「お久しぶりです、いつも兄がお世話になってます」
「久しぶりだな、智花ちゃん。でも『兄』ってのは……?」
智花に兄がいるというのは小耳に挟んでいたが、一覇は会ったことがないはずだ。すると智花が手をひらひらさせて笑った。
「やだなぁ、普通科ですけど同じ学校ですよ!東京二、よくつるんでるってきいてますよ」
「京二の妹だったの!?」
京二はよく「あのバカ妹」と言ってたが、まさか智花だとは思わなかった。智花は笑った。なるほど、笑うとよく似ている。
「一覇先輩、あのバカ兄、学校ではどんな感じなんです?」
「盗撮容疑で何度も停学食らいかけてる」
容疑というか、完全に有罪だけれども。
「あはっバカだー!」
智花はけらけらと笑った。よく笑う子だ。ますます兄妹揃って似ている。
————しかし、なんか見られてるなぁ。
後輩女子たちは、遠慮なく一覇を見つめている。やや熱がこもった視線だ。
「と、とりあえず席にどうぞ。千歳、メニュー表とお冷や、おしぼりを持って空いてる席に案内して」
「う、うんっ」
まだ慣れない千歳を、先輩としてリードする。少女たちを窓際の席まで案内して、ほかのお客さんを相手にしていると、今日はキッチンヘルプで出勤してきた花田が顔を出してきた。
「女の子って……いいなぁ」
「後輩をエロい目で見ないでください……!」
ピンポーン。
「おいおい女の園にお呼ばれかよ、いいなぁ河本は」
「じゃあキッチンに入らなきゃいいでしょ。いってきます」
「河本冷たーい」という声を無視して、一覇は宝たちの席に向かった。本当は多少は彼女たちの方が慣れているであろう千歳にやらせたかったが、あいにくさっきほかのお客さんのテーブルに行かせてしまった。
「お待たせしました」
「一覇、わたしはタピオカミルクティーね」
「あたしはフライドポテトとドリンクバーで」
「あ、あたしはチーズケーキとドリンクバー!」
「わたしは……」
といった具合に、合計八人の注文を受けた。冷凍庫からケーキを出して解凍しているあいだにドリンク類を作り、解凍した頃合を見て運ぶと、一人の女子が声をかけてきた。
「あのー、河本先輩……よかったらあたしと連絡先交換しませんか?」
「え?」
一瞬彼女の意図がわからなかったが、すぐに理解した。あぁ、好意を寄せられたのか。この手のことは、高校に入ってから嫌というほど経験している。告白されたことだってあるくらいだ。しかし残念ながら、一覇は好きな子がいる。宝のことだ。
「ごめんね、仕事中だから……」
「終わるまで待ちます!」
なかなか食い下がる子だった。厄介な相手だ。どう断ろうか迷っていると、智花がやってきた。
「先輩先輩、あたしに教えてください!一人あたり五千円で売りさばきますから」
「ダメ」
恐ろしい後輩だ。さすがは京二の妹だった。
そんな感じで有耶無耶にして、一覇は千歳を教育していた。
「……ってわけ。頭に入ったか?」
「ふん、まあまあ入ったわ。……教えるのうまいわね」
「その点に関しては、お前の叔父さんに随分鍛えられたよ」
「……馬鹿でしょ?四季って。歌舞伎以外はホントダメなの」
「大馬鹿だよ、本当に。……なんで歌舞伎やめたんだろ?」
これまで本人に訊けなかった質問を、身内である千歳に訊いてみた。すると千歳は少し気を抜いたように話しはじめた。
「わかんない。……でも、やめて霊障士になるって話になったとき、大おじいちゃんがカンカンだったみたいでね、家中で揉めたって。母さんが言ってた」
千歳のいう『大おじいちゃん』とは、四季の曽祖父である矢倉時繁だ。現役を退いた今でも、その権力は衰えない。四季と同じように歌舞伎俳優でもあったのだ。
千歳は床を向いて別の話をはじめた。
「ねぇ……幼なじみっていったよね?」
「四季と?あぁ、生まれたときから一緒だったよ」
「だったらどうして……行方不明なんかになったの?」
「…………」
一覇はすぐに答えられなかった。家族がみんな亡くなって、河本家に引き取られてゴタゴタしていて連絡できなかった。しかし、連絡しようと思えばできた。だがテレビで四季の活躍を見ていて、なんだか連絡していいものかと迷った。四季からしてみれば、もしかしたら一報欲しかったかもしれない、と今なら思う。でもあの頃は、そんな余裕はなかった。
千歳は続けた。
「……四季ね、アンタがいなくなってから、すごい落ち込んでて……もう歌舞伎どころじゃなかった。見ていられなかったくらいよ」
「……それは……」
「変わらずあたしには優しいけど……でも変わっちゃった。なんか乱暴になった。あたしは……」
前の四季に戻ってほしい。今の四季は、危なっかしくて、かわいそうで見ていられない。でも、自分が戻すことはできないと思う。それができるのは、きっと
「アンタよ。アンタなら、四季のこと、助けられると思う」
「……どうして?」
「アンタは四季にとって、なんだかわからないけどとても……大事な人だから。それに……」
「?」
「アンタは随分お節介みたいだからね」
まぁそのお節介に救われたわけだけど。とは悔しいから言わない。いや
「その……ありがと」
やっぱり言ってみる。たまには素直になりたい。それからもうひとつ、訊きたいことがあった。
「あ、アンタさぁ……五年前の夏、あたしと会ってない……?」
「五年前の……夏?」
五年前の夏、千歳が十一歳のことだった。千歳は母に連れられて、保土ヶ谷の矢倉家を訪れていた。歌舞伎の稽古をサボって家を出た四季を追ってきたはいいが、四季を見失って迷った千歳は、そのときに『お兄ちゃん』と会った。あのお兄ちゃんは、確かに一覇だったと思う。
一覇は首を傾げて、記憶をさらって答えた。
「……いや、覚えはないよ」
「そう……」
そういえば。
「急にあのことに首を突っ込み始めたのも、あの日だったっけ……」
「『あのこと』って?」
「あ、ううん……なんでもない」
『あのこと』は絶対に話してはならない、矢倉家の秘密だ。でも……自分のせいで、あのことに囚われた四季を救いたい。どうにかならないものだろうか。
ピンポーン。
「お客さんに呼ばれた。行こうぜ」
「あ、うん……」
それから二時間ほどで宝たちは帰り、夜十時になって一覇と千歳は花田に任せて上がった。帰り道、一覇は必ず横浜駅まで送ってくれる。いらないと言っているのに、改札口まで付いてきてくれる。
「なに、あたしのこと……お、女の子としてみてんの?」
「うーん……どっちかってーと妹かな?」
妹かよ!勇気出して訊いたのに、妹かよ!よほど千歳ががっかりしていたのか、一覇が慌てて付け加える。
「あ、でも女の子って意味ではそうだよ?妹って女の子じゃん?当たり前だけど」
そんな苦し紛れな慰めはいらない。
「もういいわよ……」
どうせ自分なんてそんなものだ。どうせ……。
「千歳は充分『女の子』だよ」
「だから慰めはいらないってば!!」
殴ろうとした右腕を、軽々と止められた。細いけど筋肉のついた骨っぽい手。
————ずるい……あたしばっかり一覇のことを、男の子だと感じている。
「オレは嘘とか言えない性格なんだよ。だから、信じろ」
「アンタって……バカなの?」
「あ、ひでー!」
千歳が少しだけ元気になったようで、一覇は安心した。どうして不安に思っていたのかはわからないけれど、彼女には元気でいて欲しい。そう思う。
一覇は千歳の頭を撫でて、優しく微笑んだ。その表情は柔らかで、兄というより父といった風なイメージだった。それにまたドキッとする千歳。
「……ねぇ」
「あん?」
「アンタさ、目的があって霊障士やってるって……言ってたよね?それって……なにか訊いてもいい?」
一覇は少し遠くを見つめながら、ゆっくりと息を吐くように話してくれた。
「……中学二年のとき、ひとりの女の子と出会ったんだ。鬼魔に殺された幽霊の女の子。その子とはたった一週間の付き合いだったんだけど……オレにとっては大切な人になった。大切なことを教えてくれた。オレのせいで……いなくなっちゃったけど」
「いなくなった……?」
「オレの命を救うために、霊子をオレに与えて……この世から消えた。この基盤は」
一覇は腰のホルスターから、火性質の曲刀の基盤を取り出す。その基盤には、錆のような汚れがある。
「彼女……菜奈のものなんだ」
「…………アンタは、その、菜奈さんのことが好きなの?」
一覇は苦笑しながら答えた。
「どうかな?恋人というよりは、オレたちは親友だったと思う」
親友……。
「羨ましいわ、そう思える人と出会えるなんて」
友達らしい友達がこれまでいなかった千歳には、その感覚がわからなかった。でも、菜奈の一覇を守りたかった気持ちは想像できる。
「菜奈さんは、きっと後悔してないわ……アンタを守ったこと。アンタに命をかけたこと。あたしだったら、きっと菜奈さんと同じことをする」
一覇のことを大切に想う気持ち。会ったこともない少女の気持ちを想像して、胸が苦しくなる。そして一覇が複合霊子である原因に気づいた。
「菜奈さんは生きてるわ」
一覇は馬鹿にするように笑った。
「オレの心に〜っていうんだろ?」
「バカ、そんな単純な話じゃないわよ……もっと霊子科学的な話。あたしたちの魂霊子は、みんな輪廻するってことは知ってるわよね?」
魂霊子はその生き物が死んだら一度分解されて、新しい命として転生する。それを輪廻という。
「でもアンタは菜奈さんの霊子を引き継いで、複合霊子の持ち主になっている」
「それは霊子汚染っていうんだろ?」
霊子医学を学んだ霊子工学技師の一ノ瀬アルカは、そう言っていた。一覇自身も霊子医学を独学で学んでいたこともあり、アルカの意見を肯定していた。だが千歳は
「言ったでしょ、死んだら分解されるって。霊子汚染っていうのは、通常はその霊子の元の持ち主が生きてることで成立するの。つまり、アンタが複合霊子であることは、菜奈さんが生きてる証拠なのよ」
一覇は口をぽかんと開けて、その場で棒立ちになっていた。雷に打たれた感覚だ。どうしてそんな単純な理論にたどり着かなかったのだろう。千歳の意見は、霊子医学の根底を覆すかもしれない考えだった。
「ちょっと……なに泣いてるのよ?」
「え……?」
涙が流れていることは、千歳に指摘されて初めてわかった。熱い液体が頬を伝う感覚。一覇は左手で乱暴に拭う。しかし、涙は次々と溢れて止まらない。
救われた気がした。菜奈を殺してしまったと、そう思って、自分に重石をつけてこの三年を生きてきた。
『命を与えてくれた菜奈のために生きなくてはいけない』。そういう強さを求めて生きてきた。それこそが、自分が「逃げない」強さだと思っていた。でも違う。菜奈が一覇に命を与えたのは、そんなことのためじゃない。
一覇が『一覇』として生きるために、与えてくれたものだ。自分の命の意味を、本当の強さがわかったとき、自分の生命を全うするのだろう。彼女はきっと、今も一覇とともに生きている。命とは、その存在の意味を見出し、育てること。そういうものなのだ。その事実に気づき、向き合うことが、本当の強さ。
「涙すごいわよ……ほら、ハンカチ」
「ありがとう……千歳」
一覇は差し伸べられた千歳の手を取り、微笑んだ。
彼女が教えてくれなければ、一覇はずっとそのことを気付けずにいた。ずっと、間違った強さを求めていた。
『一覇は強いよ』
あの日の宝の言葉思い出す。
そうだ、きっと酒呑童子から『日向一覇』に生まれ変わった意味も、なにかあるんだ。目を逸らすな、考えろ。自分がなにをするべきなのか、なんのために菜奈に、両親に生かされたのか……。
バキッ。
「い、いつまで触ってんのよバカ!!!」
右手で思いっきり殴られた。グーで。
「千歳ちゃん……痛いです」
「うるっさいっ!アンタが悪いのよっっ!!」
千歳は顔を真っ赤にして言った。
「そんなに嫌がらなくても……」
一覇はしゅんとして、自分の左頬を撫でる。
————嫌じゃない……嫌じゃないのよ!!むしろ飛び上がるほど嬉しかった!!
なんて言えない。そんな素直になれない自分が悔しい。そして天然な一覇が可愛らしくも憎らしい。素直になりたい……。
「それからさぁ、オレのこと、なんで名前で呼ばないの?」
答え、恥ずかしいから。
「あ、アンタなんかアンタで充分よ!」
にじり寄る一覇。
「いつまでも『アンタ』ってのは、お兄さん悲しいな」
「う……な、名前で呼べばいいんでしょ!?日向一覇!……呼んだわよ!」
「一覇さん基礎知識!日向は旧姓。今は河本一覇です!」
「どーでもいいわよ、そんなの!!」
「どーでも……って。それより可愛く『一覇お兄ちゃん』とか……」
「却下ぁぁぁぁ!!!!まさか宝ちゃんにまでそう呼ばせてるの!?」
「呼ばせてない。あ、『にいに』でもいいよ!」
「キモイ!!!」
「傷つくわぁ……じゃ、素直に『一覇』って呼べよ」
「いや!!」
「一覇」
「いやっ」
「いーちーはー!」
「……い、いち……」
『は』。あと一文字……あとちょっと!!頑張れ。
「……『イチ』。……あ、アンタなんて『イチ』で充分よ!!」
頑張れなかった。しかし一覇は苦笑いして
「犬かよ……まぁいいや。じゃ、これからはそう呼べよ」
「……これまでそう呼ばれたことあるの?」
「こんな犬っぽいあだ名は初めてだな。みんな呼び捨てか、ガキどもには『いち兄』って呼ばれてる」
『初めて』。
————そっか、あたしだけなんだ……あたしだけ。
自分だけの、特別な呼び方。そう思うと、この性格もなかなかいい運びをしてくれるではないか、と喜ばしく感じられた。
「イチ」
「ん?」
「なんでもないっ!」
————好き。あたしは、イチのことが好き。
もうこの気持ちは、止められない。はやる心を抑えきれない。この人の《特別》になりたい。自分との出会いを忘れてしまっていてもいい、思い出をこれから作ればいい。自分の大切なものが増えるんだから。
「ねぇイチ、あたしお腹すいた!なんかおごりなさいよ!」
「なんだよそれ、自分で買えよ!それから、こんな時間に食うと太るぞ?」
「うっさいわねー、いいからおごれ!」
これから頑張ればいい。頑張って、いつか素直な千歳で勝負する。いつかこの想い……あなたに打ち明けたい。
思い出の『あなた』に、目の前の『あなた』に。
それまで大切に、大切に温めておこう。
月明かりが照らす道を、一覇と千歳は楽しく歩いた。
五月八日、午前八時四十分。第一校舎の三階にある、霊障士専攻二年F組の教室。
ダブルワークで忙しかったゴールデンウィークも、あっという間に終わり、学校生活が始まった。二年生になって一ヶ月、授業の内容はどの教科も一年生の頃より難しくなり、やりがいが出てきた。そんなある日だった。
「えー……突然だが、その、転入生を紹介する」
一年生時に引き続き、担任の久我原卯月が、らしくない歯切れの悪い言動で切り出した。しかも気のせいか、一覇のことをちらちらと見ている。
「……では入ってくれ」
一覇が卯月の態度を疑問に思う間もなく、転入生は教室の引き戸を開けて入ってきた。
身長は高い。百七十五、六センチくらいだろうか。癖のある黒髪に、少し目尻がたれた赤い瞳。顔立ちが一覇そっくりの男子生徒。
ガタッ。
一覇と四季は思わず立ち上がった。ほかの生徒も、彼の外見でざわついている。転入生は気にする風もなく、にこりと微笑んで柔らかなテノールで自己紹介を始めた。
「瀬谷高校から来ました、日向逸覇です。よろしくお願いします」
彼は一覇の双子の弟だった。
「日向くんって、河本くんの家族なのー?」
「双子だよ。ボクが弟なんだ」
休み時間になって、転入生……日向逸覇はクラスメイトに囲まれて質問攻めに遭っていた。それを遠巻きに眺めて、ひそひそと相談する一覇と四季。
「なぁ……どういうことだ?」
「僕に訊くな!僕だって逸覇が転入してくるなんて、姉さんから一言も訊いてなかったんだ!」
「いや、そうじゃなくて……」
「なに?」
「なんで逸覇が生きてるんだ?アイツは、父さんと母さんと一緒に死んだんじゃ……」
「…………」
そうだ。一覇の十二歳の誕生日に、両親と逸覇は鬼魔に殺された。一覇の目の前で。だからここにいるはずがない。それに、逸覇は一覇と同じ金髪碧眼だった。なぜ黒髪赤目になっているのか。あれではまるで鬼魔だ。
「兄さん」
気がつくと、笑顔を浮かべた逸覇が目の前にいた。
「久しぶりだね、兄さん。四季も。五年ぶりかな?」
「逸覇……っお前生きて」
「久々だな、逸覇。随分外見が変わったようだが?」
一覇が追及しようとしたら、四季が右手で制して話し始めた。いったいどういうつもりなのだろうか。四季の言葉に、逸覇は笑いながら答える。
「あはは、背も結構伸びたからね。そういう四季も、変わったね。目つき悪いよ?」
「貴様もな」
「ひどいなぁ、ボクはこんなに笑顔なのに」
気のせいだろうか、四季と逸覇のあいだに、バチバチと火花が散っているように一覇は感じた。気のせい……だといいが。
キーンコーン。
鐘の音とともに、副担任の片瀬仁美が教室に来た。次の授業は公民だ。
「授業が始まるわよぉ、席についてねぇ」
「ボク、席に戻るね。また後でね、兄さん」
笑顔で手を振る逸覇を見守っていると、四季が逸覇から目を離さず低く囁いた。
「……気をつけろよ」
「?あぁ……」
気をつけるって、なにに?逸覇?四季の言っていることが理解できなかった。
放課後。今日はファミリーレストランのアルバイトがないので、宝と一緒に帰ることになっていた。宝のクラスに迎えに行くと、彼女は智花、千歳と一緒に出てきた。
「……君らも一緒、なの?」
「はい、今日は宝の家で遊ぶことになってまして」
「なによイチ、文句あるの!?」
「あ、ありません……」
————チクショーっ、宝と二人っきりだと思ったオレの馬鹿っ!
「そういうことなら、僕たちも遠慮なくお邪魔する」
「若と二人っきりになりたいのなら協力しますよ、一覇さん」
「あの馬鹿は部活だから、二人っきりなのはわたしたちよ、璃衣」
「久しぶりだな河本一覇!私も一緒していいかな?その……し、四季と一緒に……」
「一覇の家、久しぶりだねー。あ、おやつのハーゲンダッツある?」
「エロ本探そうぜ、エロ本!」
「お前らまとめて帰れ」
このメンバーの相手は疲れる。いつも一緒にいるけれども。そんなわけで、一行は『ひなぎく園』へと向かった。
道中の電車で、四季がこそっと尋ねてきた。
「あれから逸覇はどうだ?なにか接触してきたか?」
「いや……まったく。帰りも気づいたらいなかったし」
「そうか……」
「なにか、気がかりなことがあるのか?」
四季は妙な間を置いて答えた。
「少し……な」
「…………?」
二俣川駅で降りて、おやつをコンビニで買い込んで『ひなぎく園』に行ってみると、引越し業者のトラックが停まっていた。
「宝……明日香さんからなにか訊いてる?」
「ううん……お母さん、今朝もいつもどおりだったよ」
とりあえず忙しそうにする引越し業者の人と、荷物をよけて施設内に入る。すると玄関に一覇の義母で宝の実母の明日香が、ニコニコして立っていた。
「あ、一覇くん宝ちゃん、おかえりなさい。お友達も一緒なの?」
「お母さん、誰かのお引っ越し?」
「うふふ。お母さん驚かせようと思って言ってなかったんだけどね、ねぇ一覇くん……」
「明日香さん、この家具はここに置いてもいいですか?」
一覇の部屋から、男の声が聴こえた。
「あ、逸覇くん、ちょっと」
明日香は開け放たれた一覇の部屋に入って、声の主を連れてきた。声の主……逸覇はそ知らぬ顔で一覇を呼んだ。
「あ、兄さんおかえり」
「宝ちゃん、今日からここに住むことになった、日向逸覇くん。一覇くんの実の双子の弟さんですって」
「「は……はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!???????????」」
一覇と四季が同時に叫ぶ。
「よろしくね」
「…………」
沙頼は逸覇を睨みつけ、逸覇はそれを笑顔で返す。そのやりとりを無言で眺める璃衣。この二人……いや、日向逸覇にはなにかある……?
「さ、今日は逸覇くんの歓迎パーティよ!ケーキもジュースもたくさん買ってきてあるから、みんなで食べましょ!」
一人浮かれている明日香はキッチンに行き、子供たちはそれぞれ思惑を抱えていた。
一覇の部屋は逸覇の引っ越し準備で使えないので、全員で食堂に集まった。小学生はとっくに帰宅しているので、二人の職員と明日香の呼びかけに応じて、おやつの時間兼逸覇の歓迎パーティははじまった。逸覇は学校と同様、子供たちに質問攻めにあっている。
「しかし、本当に二人ともそっくりねぇ。まったく同じ人間みたいだわ」
明日香は一覇と逸覇を交互に見比べて、感嘆の声をもらした。
「身長も体格も正反対だけどな!」
「オレがチビだって言いたいのか……!?」
鳥の唐揚げを貪って笑う京二に凄んだ。
「や、やだなぁ一覇氏……おれはそこまで言ってないですよぉ……ほら、おれのがチビだしね!ね?」
「どーだか」
「兄貴百七十もないもんね。顔も悪いし、センスも悪い。モテないわけだ」
「おい智花……言っていいことと悪いことがあんぞ……?」
「智ちゃん、お兄さんも……もう一覇、少しは大人になってよ!」
東兄妹のケンカの仲裁に入って困っている宝に対して、一覇は腕を組んでぷいと首を曲げる。
「やだ。これだけは譲れない」
身長と体格は、一覇がもっとも気にしているポイントだ。幼い頃から小さめで細かった。身長はかなり伸びたが、体重はいくら食べてもなかなか増えない。筋トレだってかなりしてるのに、見た目は白くてひ弱なモヤシだ。特に……
宝と比べてしまうと。
彼女は幼い頃から柔道で鍛えていて、本人が気にするほど筋肉質だ。たぶん、一覇と宝が腕ずもうをしたらいい勝負どころか一覇が負けるかもしれない。
加えて宝は背が高い。同年代男子としては平均的な一覇と比べると、わずかに小さく見えるくらいだ。それも宝は気にしている。
————あぁ、だから椋汰なのかな?
椋汰はすごく背が高くて、筋肉質で、締まっているが男らしく太い。宝の体がすごく細く見えるくらいだ。
「どーせオレは椋汰には勝てないよ……」
「……なんでりょうちゃんが出てくるの?」
「だって椋汰のこと、好きだったろ?」
すると宝は、バーンと音がしそうなほど顔を真っ赤に染めて、言葉にならない言語をまくし立てた。
「なっ……なん……っ!?」
「椋汰本人以外にはバレバレだし」
「!?」
さらに爆発。収まるのを待ちながら、コップにジュースを注ぐ。
「……も、もう諦めたよ……りょうちゃんの彼女って、二本松先輩でしょ?」
「あれもバレバレだよな」
「……うん、気持ちが伝わるよ。好きなんだよね、お互いに」
宝は穏やかな瞳で、椋汰と璃衣の様子を見つめる。ジュースを注ぎあったり食べ物を取ってあげたりしている様子は、誰がどう見ても仲良しカップルだ。
「最初はね、すごく胸が痛かったんだ。でもね……不思議なんだけど、りょうちゃんが幸せそうな顔をしてるたびに、嬉しくなっちゃったの。わたし、おかしいかな……?」
二人を見つめたまま、宝は今までの気持ちを吐露し始めた。宝の頭を優しく撫でる。
「おかしくないよ。それが、お前の優しさだ」
「…………少し、寄りかかってもいいかな?」
その言葉に一覇は驚いた。しかし無言で宝の頭を抱き寄せた。宝は一覇の肩に、頭をもたせ掛ける。宝は一覇の温もりの中で、自分の気持ちの変化に気づいた。
————わたし……一覇のこと……。
いいや、優しくしてもらって、気持ちが揺れているだけだ。そう自分に言い聞かせる。そうだ……きっとそれだけだ。わたしが兄のことを好きだなんて、そんなわけがない。そんなわけない……。
一覇の手のぬくもりが、愛おしく感じる。顔に熱が集中する。全部一時的なものだ、といくら言い聞かせても、胸の高まりは速まるばかりだった。
————あの二人……仲いいな。
一覇と宝の様子を見て、千歳は思った。兄妹なんだから、あのくらい当たり前だろう。でも、わずかな可能性が、千歳の脳裏を掠める。
二人は義理の……血の繋がりがない兄妹。結婚しようと思えば、その気があればどうにだってできる。
————なんて、考え過ぎかな?
でも、二人の姿に目が離せない。一覇は宝のことを、宝は一覇のことを、どう思っているのだろうか。もし……もし二人がお互いに想っているのなら。自分の入る余地はない。
でも……片想いなら。あたしはまだ、頑張れる。イチはあたしの特別な人なんだから。
————あれが、兄さんの大切な子?
河本宝。一覇の義理の妹。先ほど少しだけ話したが、とりたてて気になるような子ではなかった。悪い子でもなかったけれど。一覇の大切にしている子だったら、てっきり四季のことではないかと思っていたのだが……見当違いだったらしい。
まぁいい。仕事に取り掛かる前に、少し遊んでやろう。
————しかし驚いたなぁ……。
去年、仕事で沙頼の邪魔をしていたら、まさか一覇に会うだなんて。覆面のおかげで一覇は気づいてなかったようだけど。沙頼にはバレてるから、気を引き締めないといけない。逸覇の仕事は璃衣を奪取することだけど、もし一覇まで奪ってきたら。
————おじいさま、きっと喜ぶよね。
一覇の心をズタズタに傷つけてしまいたい……この五年間、それを糧に生きてきた。自分からすべてを奪った兄が憎い。だから、兄の大切なものはすべて奪う。そう決めた。
逸覇は立ち上がる。
「兄さん、ちょっといいかな?」
逸覇は笑顔で、本当のこころを隠す。
空いている部屋で二人きりになった一覇と逸覇。
「話ってなんだよ……逸覇」
「兄さん……兄さんは、あの日のこと覚えてる?」
「あの日って……父さんと母さんが死んだ日?」
「そう」
逸覇はニコニコと微笑みながら答える。ニコニコする話じゃないだろう、と思いながら、一覇は正直に答えた。
「覚えてるって。覚えてるから、お前が生きてたことに驚いたんだろ?」
「ふーん……やっぱり、忘れてるね」
「は?覚えてるって言ってるだろ?」
人の話を聴いていないのか、この弟は。と文句を言おうとしたら、逸覇は不意に底冷えのする笑みを浮かべて言った。
「『殺してやる』」
「…………!」
燃え盛る家の中で、黒髪の少年が見える。これは……記憶?
『兄さんを、必ず……殺してやる』
赤い瞳が揺らめく炎のように歪んだ。汗が背中を伝う。脈が上がり、手足が冷える。足元が、視界が揺らぐ。背中が壁にぶつかった。いつの間にか、部屋の壁際まで来ていたらしい。逸覇が近づき、壁に手を思い切り打ちつける。
「ボクがどうして生き残っていたのか……わかった?」
一覇は怯えて声も出ない。掠れる声を漏らして、必死に首を左右に振った。すると逸覇は形のいい唇を歪めて、一覇の髪を掴む。
「ボクはねぇ、兄さん。あの人たちに裏切られていたんだよ……兄さんのせいで。兄さんはいつもいつもいつもいつもっボクの欲しいものを奪っていく……。だからさぁ」
逸覇は舌で唇を舐める。
「ボクがあの子を、もらってもいいよね?兄さんの大事なもの……ひとつ、ボクにちょうだい」
一覇は震える唇を、必死に動かした。
「あ……あの子……?」
「宝ちゃん。いいよね……?ボクだけの子になってもらっても」
そこで一覇の脳が覚醒した。
「宝を!?なんで……」
逸覇は一覇の髪から手を離して、爽やかに笑った。
「兄さん、あの子のこと好きだろ?だから」
「だから……って意味わかんないよ!オレが好きだからってことかよ!?宝を巻き込むな!」
「もう遅いよ。兄さんは、自分を恨めばいい。自分の存在そのものを、ね」
逸覇は手をひらひらと振って、部屋を出ていった。あとに残された一覇は、床にへたりこんだ。
逸覇になにがあって、こうなったんだ……?両親は、逸覇のどんな秘密を抱えて逝ったんだ?そこではっと思い至る。
「人造鬼のこと……?」
あの研究には、一覇の知らない秘密がまだ隠されている?でも、それならどうして一覇を恨むのだろう。
わからないことだらけで、頭から湯気が出そうだった。とりあえず立ち上がり、食堂に戻ってみた。
「宝ちゃん、兄さんのことどう思う?」
「い、一覇のことですか……?」
「やだなぁ、敬語なんていらないよ。兄さんの妹なら、ボクの妹同然だからね」
————なにしてんだアイツ!!!!!!!
本当に宣言通り、宝を奪おうとしているのだろうか。それにしても近すぎだろう、その距離。
逸覇は宝の隣に座り、彼女の手を握っている。顔も近くて、宝は戸惑っているようだった。一覇は顔をむすっとさせて、宝と逸覇の間に無理矢理割って入った。
「ハイハイごめんよー。ここはオレの席だからねー」
「兄さん、ボクの席が空いてるよ」
「オレのコップがあんだよ!」
「コップならボクのを使えばいいじゃない」
「飲みかけのココアが入ってんの!!」
「ココアくらい、いれ直せばいいじゃない」
「くっ……!」
ああ言えばこう言う。昔は『兄さん、兄さん』ってついて回って、可愛かったのになぁ。五年で人って変わるものだね。なんて感傷に浸っている場合じゃない。
とにかく、この席は譲れない。なにがなんでも奪取せねば。
「しゅ、主役はあの席って決まってるんだよ!」
「あの席華がないからいやー」
「千歳がいるだろ!?」
「ボク、人見知りだから知らない子と話せなーい」
「宝とも初対面だよね!?」
「それより宝ちゃんさぁ、兄さんのどこがいいと思う?」
「兄ちゃんを無視して話を進めるんじゃねぇよ!」
「ボク的には頭いいのに馬鹿っぽいところかな?聞いてよ、十歳にもなって将来の夢が『カクレンジャーレッドになること』なんだよ?馬鹿だよねー」
「うぉぉい!オレの馬鹿エピソードはどうでもいいんだよ!」
「兄さんの今の夢、知ってる?」
「ねぇ兄さんトークで盛り上がっておいて、兄さん本人を無視するのやめよ?」
「仮面ライダーになることらしいよ、馬鹿だよねー」
「人の夢を捏造するな!!!」
「宝ちゃんの夢はなに?」
「え……?えっと……お……」
「お?」
「『お嫁さん』……です……」
「うん、可愛いね」
「本当だ、カワイー……って誰の!?」
「少なくとも兄さんのじゃないから黙ってて、うるさい」
「オレが悪いの!?」
日向兄弟と宝の様子を見て、東兄妹が微笑ましく話し合う。
「なんか今日の一覇、テンション高いな……」
「きっと実の弟さんと会えて、すごく嬉しいんだよ」
そんな東兄妹の予想とは裏腹に、日向兄弟は内心戦々恐々としていた。とくに兄が。
————まずい……すっかり逸覇のペースに巻き込まれている……!なんとかしなきゃ!
「そ、そーいや逸覇、今までどこに住んでたの?てか、生活費とか学費とかどうしてたの?親の遺産はオレの名義だよ?」
全員はたと気づかされた。そういえばどうしてたの?四季が湯のみを置いて質問する。
「……瀬谷高校から、と言っていたな。瀬谷に住んでいたのか?」
「うん。瀬谷で一人暮らしだよ。おじいさまの支援を受けていてね」
一覇と四季は立ち上がった。祖父、日向一誠……生きていたのか。一覇は質問した。
「じいさんは、どこにいるんだ?」
「知ってどうするつもり?」
「いろいろ訊きたいことがあってな。で、どこにいる?」
逸覇は鳥の唐揚げを一口食べて、飲み込んでから答えた。
「簡単には答えられないなぁ。いくら兄さんの頼みでもさ。あ、でもでも、伝言くらいなら預かってもいいよ。おじいさまもきっと喜ぶよ」
「いらん!」
一覇はそのまま、食堂を出ていった。と思ったら戻ってきて逸覇に釘を刺す。
「宝に手を出したらコロス!」
ドスドスという一覇の足音を聴きながら、逸覇は笑った。
「随分シスコンなお兄ちゃんになっちゃったなぁ。ま、張り合いあっていいけど。……ところで宝ちゃんさぁ、兄さんのこと、どこまで本気?」
「ひゃい!?」
宝はケーキを食べていたフォークを落とした。ぶわっと汗が吹き出して、目が泳ぎ出す。
「ななななななにを言ってんですか!?わたしと一覇は兄妹ですよ!?」
「あはは、今のでわかったよ。ありがとう」
「なんにもわかってません!!!」
「じゃあさ、ボクならどうかな?」
「はい!?」
「君とボクなら兄妹じゃない。兄さんとボクって、けっこう似てるし。兄さんの代わりにどうかな?」
完璧だ。逸覇は結構モテる方だし、宝は一覇のことが好きみたいだし、でも兄妹だからという理由が彼女の想いを邪魔している。それなら、似ている自分を求めたらいい。
しかし、宝の答えは逸覇の予想もしなかったものだった。
「…………一覇とあなたは、似てません」
一瞬、言葉の意味がわからなくてキョトンとした。しかしすぐに意味を噛み砕いて、言い返そうと思った。だが、宝の言葉が遮る。
「代わり、なんてそんなこと、一覇なら絶対に言いません。一覇は、そんな失礼な付き合いをする人じゃない……」
「じゃ、じゃあボクはなんなのさ!?」
「一覇は一覇、逸覇さんは逸覇さんです」
宝の視線の強さに気圧される。彼女は嘘もなにも言っていない。彼女は真実と、逸覇がもっとも欲しかった言葉を言った。
宝はニコリと笑い、ケーキを頬張った。
求めても求めても手に入らなかったものを、彼女がくれた。
彼女は……ボクの特別な子だ。遊びなんかじゃない、絶対に手に入れたくなった。
第十一話 完
お久しぶりです!一ヶ月ぶり?
最強の敵、逸覇さんの登場です。前々から双子が書きたくて、出そう出そうと何作も作るうちにお蔵入りしてきて、今作でようやく書けました。
逸覇は一覇よりイケメンという設定です。顔はそっくりでも、一覇は子供っぽいので、大人っぽい逸覇の方がモテるという流れです。
恋愛面で進展させてくれたので、逸覇には感謝です!
では、次回をお楽しみに!
2015.8.27 ひじきたん




