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亡霊×少年少女  作者: 雨霧パレット
酒呑童子
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酒呑童子

ヾ(o´▽`)ノ ハーイ☆亡霊×少年少女、緊迫の第十話をお送りします!

どうぞー!

亡霊×少年少女 第十話『酒呑童子』


あの人にもう一度会えるなら、あたしはなにをしたって構わない。

もう一度だけ……たった一度だけでいい。神様、あの人に会わせてください。

その願いは叶った。あたしはあの人と同じ世界にいる。

今、ここにいるよ。


二〇〇九年三月九日、午後一時三十分過ぎ。神奈川県横浜市中区。

「お兄ちゃん……」

「へ……?」

青みがかった黒髪に、黄金の瞳を持つ少女が、一覇を驚きの目で見つめる。どこかで会ったような気がする。しかし、どこで?一覇の疑問が解決しないまま、少女は喜んで一覇に飛びついた。

「会えた……会えた!!お兄ちゃん、あたしよ!」

「お、お兄ちゃん!?」

妹なんていた覚えはないぞ?うちにいるけど。

少女は少しして

「そっか……あのとき名乗ってなかったもんね。改めて名乗るね。あたしは久我原千歳、お兄ちゃん、あのときはありがとう」

「あ、あのときって……?」

「……覚えてないの?」

「わ、悪いがまったく」

彼女……千歳とは会ったこともないはずだ。でも、妙に見覚えのある顔だった。どこで見たんだ?

「千歳……?」

聞き覚えのある声。振り返ると、四季が璃衣と沙頼を引き連れて下校しようとしているところだった。四季は少女のことを知っているのか?

「四季!?」

少女も四季を知っているようだった。彼らはどういった知り合いなのだろうか。

「四季……知り合いなのか?」

「あぁ、僕の姪……姉さんの娘だ」

「…………あぁ!!」

そうか。卯月の娘。四季の姪。どうりで見覚えがあるはずだ、顔がそっくりだ。納得した。

「四季!アンタこの人と知り合いなの!?」

千歳は一覇を指して、四季を問い詰めるように近づいた。すると四季はややどもって答える。

「あ、あぁ……何度も話しただろう?彼は日向一覇。僕の幼なじみだ」

紹介されて、一覇はやや照れくさく思いながら手を差し出す。

「えーと千歳ちゃん?でいいのかな?はじめまして、日向一覇です。今は訳あって苗字が河本だけど」

「日向って……あの日向?」

「えーと、たぶんその日向です」

千歳は一覇を値踏みするようにじろじろと、上から下まで見つめる。それから一覇の瞳を見上げて、ため息一つ。

「人違い……だったのかな?」

「?」

「なんでもない。で、アンタ、本当にあたしのこと覚えてないの?」

「ごめん、会った記憶すらない……」

千歳の顔は、悲しみとガッカリでいっぱいになった。沈んだ顔の千歳をどうしたらいいか迷っていると、彼女は一覇に人差し指を向ける。

「別にいいわよ!アンタなんかに忘れられても!痛くもかゆくもないんだからね!べーっだ!」

「なっ……はぁ!?」

「うぬぼれんじゃないわよ!ばーかばーか!」

そう言って、千歳は駅までの道のりを走っていった。

「な……なんなんだよあのガキは!」

「すまない……どうも人との付き合いが下手な子なんだ……」

「叔父そっくりだな……」

「どういう意味だ?……まぁ、千歳には僕からよく言っておく」

そのあと、一覇はアルバイトがあることを思い出して駅まで走り、なんとか電車に間に合って、シフトの時間にも間に合った。

午後七時三十分過ぎ。平日ということもあって、いつも通りお客さんの入りは少ない。暇だ。一覇は先輩の男子大学生•花田とおしゃべりをして時間を潰していた。

「なぁ河本、おれに可愛い女子高生を紹介してよ」

「はぁ?なんでですか、彼女がいるでしょ?」

「フラれた」

「あー……乙です」

「もはや何歳でもいい!!女の子プリーズ!!」

カランカラン。

「いらっしゃいませ、メニーズにようこそ!」

「げっ……」

『げっ……』?お客さんにスマイル0円をプレゼントしたというのに、失礼ではないか?どこ女子だ、まったく……と見てみると。

それは制服を着たままの久我原千歳だった。

「お冷やとおしぼりどうぞ」

「ふんっ!出すのが遅いわよ!どういう教育受けたの!?」

「まだ席に案内したばっかりだけど……」

文句を言いつつ、千歳は水をごくごく飲み始めた。千歳の家は確か、渋谷にある有名な老舗呉服店『くが原』だった。こんな時間に横浜にいるなんて、いったいなんのつもりだろうか。

「家に帰らないとまずいんじゃない?お嬢様がこんな時間に出歩くなんて」

「ちょっとやめて!あたし、そういうのがいちばん嫌いなの!」

そういうの、がどういうのかわからない一覇は、きょとんとしてただ聴いていた。

「お金持ちだとか、そういうあたしの『家』に対する評価。あたしはあたしなんだから、家は関係ないでしょ……?」

あぁ、そうか。この子は……「自分自身で」生きているんだ。親への評価、親のものを自分のものとしない。自分自身で勝ち取ったもの以外は自分のものとしない、許さないプライド。それが、この子の信念。

「ごめんごめん」

「謝ってるつもり?日向一覇」

「いや、真剣に謝ってるよ。すいませんでした、千歳ちゃん」

「なっ……ちょっ……な……」

「?」

顔を真っ赤に染める千歳に、一覇は頭を撫でた。

「やめいっ!!!」

「いって!!」

さらに顔を赤くして、一覇の手を思い切り叩いた。なぜ叩く。

千歳は薄い胸を反らせて、ふんぞり返って言った。

「あたしのことを気安く千歳ちゃんなんて呼ばないで!!」

と言われたので。

「じゃあ千歳様?」

「〜〜〜〜いいわよっ千歳でっ!」

「オレのことも一覇でいいよ」

にこっと笑った一覇に対して、千歳は目を合わせようとしない。

目を合わせたら、ドキドキしすぎて死にそうだ。千歳の勘違いかもしれない。人違いかもしれない。でもこの気持ちは、止められない。

————あたしは…………。

ブーブー。

一覇と千歳の携帯電話が、同時にバイブレーションを響かせた。同時に携帯電話を取り出して、同時に出る。

「はい、久我原……はい……鬼魔が駅前に?」

横浜駅前に鬼魔が出たという報せ。

「鬼魔が!?」

驚くべきことに隣の一覇も、同じ内容の電話を受けたらしい。

「……アンタも霊障士だったの?」

「『も』ってことは、もしかして千歳も……?」

こいつが霊障士?なんて疑った。だって見るからに弱そうだし、バイトを掛け持ちしている霊障士なんてきいたことがない。役に立たなさそう……。

「まぁいいわ。アンタはこの周辺の人を避難させて。あたしは鬼魔を追うから」

「なに言ってんだ、相手はレベル三以上の鬼魔だぞ、一人で相手なんかできるかよ?」

千歳は一覇の胸ぐらを掴み、胸にためていた誰とも知れない怒りをぶつける。

「あたしはね……アンタみたいな、お金目的でヘラヘラ資格を取ったペーパーが大嫌いなの!霊障士は儲かるから?馬鹿言ってるんじゃないわよ!命かけてるのよ!?霊障士は……その仕事に命をかけてるの!お遊びなら帰りなさい!!」

ドゴン!!!

鬼魔がビルディングを破壊して店内に入ってきて、客と店員がパニックに陥る。騒がしくなった周囲の声を無視して、一覇と千歳は睨み合う。やがて、一覇が口を開いた。

「……確かに、オレはお金目的なとこもあった。プロになるって決めて、こんだけ儲かるんだって知って、舞い上がってた。でも」

一覇は一瞬で左手の霊障武具基盤を具現させて、背後に迫る鬼魔に向けて霊子の銃弾を撃ち込んだ。銃弾はライムグリーンの輝きを放ち、爆ぜる。

「でもそれ以上に、オレには目的がある……!」

一覇は右手にもう一本、霊障武具基盤を構えて具現させる。オレンジの炎を纏った曲刀を振りかぶって、一覇は鬼魔の懐に突っ込んだ。

「複合霊子……!?」

————うそ……こんな男が?

鬼魔は一覇の曲刀を錆びた刀で受け止めて、また銃弾の雨を受けた。

悲鳴を聴いて、ぼーっと見ている場合ではないことを思い出した千歳は、自ら避難口までの誘導を始める。しかし、鬼魔は一体だけではなかった。

————合計、三体……か!!

千歳は腰のホルスターから素早く霊障武具基盤を引き抜き、音声コマンドを唱える。

「『具現せ、《春霞》』!!」

青い光の奔流、やがて右手に太刀の重みを感じる。光の収縮が止まないうちに太刀を振りかぶり、鬼魔の太い首めがけて切り結ぶ。しかし、鬼魔は太刀《春霞》を巨大なハルベルトで受け止めて、こう言った。

「邪魔をするな、人間。我々はあの方にお会いするためにやってきたのだ」

「あの方……?誰よそれって」

すると鬼魔は驚きの言葉を発した。

「酒呑童子様だ」

「は……酒呑童子!?それって、皇槻神社に行きたい……って意味?」

「神社などにあの方はいらっしゃらない!あの方はここにおられる!」

意味がわからない。いや、待て……「ここ」にいる?鬼魔の言う「ここ」が「横浜」という広い意味ではなくて、本当に「ここ」なのだとしたら?この店内に、酒呑童子がいる?生きている?

千歳の刀と鬼魔のハルベルトが火花を散らし、離れる。


まさか。酒呑童子は大昔に天才陰陽師の安倍藤波によって封印された、伝説の鬼だ。

しかし……鬼魔が嘘を言ってるようには見えない。

ちらり、と千歳は周囲を見回す。酒呑童子は、あの混乱する集団の中に紛れているのか……だとしたらこのまま逃がすのは危ない。なんとしても見つけて、一時保護して、千歳の所属する元老院に突き出さなきゃいけない。

そのために千歳がすべきことは、この鬼魔たちを倒す。力を貸して、春霞。

「闇にまぎれろ、春霞」

春霞の特殊能力は、対象の視界を奪うこと。能力が発動すれば、対象の瞳は光を失う。一体にしか効かない技ゆえに、一対一の時にこそ力を発揮する。

鬼魔は突然視界を奪われて戸惑い、迷っている。もう一体の鬼魔が声をかけて落ち着かせようとしている。その隙に千歳は刀を握り、戸惑う鬼魔の心臓に振りおろした。

残酷なまでに美しい、透明な刀身は、鬼魔の紅い血に染められる。わけがわからないまま、鬼魔は一体絶命した。しかし敵はもう一体いる。

「消えろ人間!!!!!」

鬼魔は長槍を振り回して叫ぶ。

「消えるのはアンタよ」

と言って春霞を構えたその瞬間、鬼魔がにやりと笑った。鬼魔の長槍の切っ先が、千歳目がけて飛んできた。そういう仕掛けが施してあったのだ。

まずい……やられる!!と思ったそのとき。突如鬼魔をオレンジの炎が包んだ。鬼魔だけだ。これは霊子の炎。

「偉そうなこと言って、ヤバかったじゃん」

一覇の曲刀の特殊能力だった。一覇は先ほどまで戦っていた一体を倒し、千歳の危機に気づいて特殊能力を発動した。鬼魔は炎に焼かれて苦しんでいる。

「うるっさいわね、ちょっと油断しただけよ!」

憎まれ口をたたくが、内心は素直に感謝していた。実際、一覇の助けがなければ少なくとも怪我をしていただろう。

「あっそ。で、コイツどうする?」

「炎止められるの?」

「コゲついてるだろうけど止められる」

「じゃ、止めて拘束して」

一覇は千歳の言う通りに炎をコントロールし、控え室から自分のベルトを持ってきて鬼魔の腕にきつく巻き付けた。

「さて……アンタたちが言う酒呑童子ってのはどいつのことかしら?」

「はっ、誰が教えるかよ!!」

げしっ。

「だ、れ、が、酒呑童子なのかしらぁ?」

「わかった!!言う!!すみませんでした!!」

すると鬼魔は頭を垂れて、礼をする。

「お会いしとうございました、酒呑童子様」

一覇に向かって、礼をする。

「は……お、オレ!?」

「コイツ!?」

一覇と千歳が同時に叫んだ。到底信じられなかったのだ。確かに一覇は酒呑童子と同じ金髪碧眼だが、日本人にはいないだけで外国人にはたくさんいる。そう珍しいものではない。一覇と酒呑童子の共通点を探してもそれだけしかないから、信じられない気持ちの方が大きい。というか、酒呑童子という伝説が信じられないくらいだ。だが、鬼魔が嘘をついているようには見えなかった。もちろん、一覇が酒呑童子だという事実を突き止める術も知らないが。

しかし、一覇にはどこか心当たりがあるようだった。細いおとがいに手を当てて考えた後、まだ迷ったように口にする。

「……それは『酒呑童子の子ども』ということでいいのか?」

酒呑童子に子ども!?それも考えられないことだが……。しかし、鬼魔は首を振る。

「いえ、ご自身が酒呑童子様という意味にございます」

一覇はまた考えて、恐ろしいことのように口にするのを躊躇う。だが、声に出さずにはいられなかったのだろう。

「前世が……魂が酒呑童子ということか……?」

「正解でございます、酒呑童子様」

一覇の前世が、酒呑童子……?

しかし、それなら一覇の存在は厄介なものになる。一覇は酒呑童子の血を引いた『人造鬼』、つまり《酒呑童子の子ども》として生み出された存在だ。親である存在が自分自身。こんなことがあっていいのだろうか。

一覇はまた、鬼魔に問いかけた。

「仮にオレが酒呑童子本人だとして、お前たちはオレになにをさせたいんだ?」

鬼魔は千歳の存在を気にするように目を動かして、少し迷ったが酒呑童子の指示が優先なのだろう、答えた。

「我らの指導者として君臨し、我らの同胞を甦らせていただきたいのです」

『ラグナロク……っていったら笑います?』

一覇の脳裏に、皇槻神無から以前に訊いた言葉が思い出される。

ラグナロク。神の悪戯による戦。祖父の一誠とは別に、鬼魔側もそんなことを考えていたのか。それとも、一誠は鬼魔側と手を組んでいる?どちらにしろ、見逃せない話だ。

「本当に……」

————オレは酒呑童子なのか?

その疑問が引っかかるが、調べる術はない。

……本当にないか?いや、一人だけ知っているかもしれない。心当たりがある。

「……お前は《刹那》って鬼を知っているか?」

「おぉ八瀬童子様。よく知っておりますぞ。実在される鬼の中ではもっとも長く生きていらっしゃるお方です」

刹那……以前、四季と会った鬼で、一覇の魂について訳知り顔だった鬼だ。かなり強そうだったのもあって、よく覚えている。

「どこにいるか、知っているか?」

「えぇ、八瀬童子様はこの神奈川にいらっしゃいます」

「神奈川のどこか、わかるか?」

「確か……秦野でございます」

秦野……横浜からバイクを飛ばして、一時間くらいで着くだろう。

「ちょっと、そんなこと訊いてどうするつもり!?その……八瀬童子ってのに会いに行くつもりなの?」

千歳が止めるように、一覇の服の袖を引っ張る。一覇は千歳の顔も見ずに、半ば独り言のように答える。

「アイツなら……刹那なら知ってるかもしれないんだ、オレの正体」

とうとう知るべきときが来たのだろう。もう放っておけないところまできた。知ってどうするか、どうするべきか。知ってから考えるほかない。

千歳の手を振り払い、崩壊したビルディングの中を進み、一覇は自分の荷物を引っ張り出した。

「ちょっと……待ってよ!!」

千歳がビルディングを出ようとする一覇の服を、必死に引っ張って止める。

「オレ……行かなくちゃ。離してくれ、千歳」

「ひとりで行ってどうすんの?アンタ……顔色悪いよ」

「…………」

「あたしも、行く」

「…………え?」

一覇が振り向いた。真っ直ぐに千歳の瞳を見つめて、どうして、って尋ねる。千歳も、自分ではわからなかった。ただ、こんな状態の一覇を放っておけない……それだけだった。

「秦野っていっても広いでしょ?どうやって行くつもり?」

「いったん家に帰って……バイクで……」

「乗せて」

「い、いやオレひとりで行」

「乗せろ!」

「……はい」

一覇は鬼魔の拘束を解いて、鬼魔に詳しい道を尋ねた。八瀬童子こと刹那は秦野の大倉にいるという。千歳のiPhoneでマップを出してもらって、道順を頭に叩き込む。そうこうしているうちに処理隊が来たので軽く事情を説明し、二人は横浜駅まで走った。相鉄線に駆け込み乗車して二俣川駅まで行き、また走って児童養護施設『ひなぎく園』へ。

「いち兄が彼女連れてきたー!」

「あれ、四季兄ちゃんじゃね?」

「ばっかオメー、ちゃんと見ろよ!スカート履いてんじゃん!」

「じゃあアレ誰ー?」

「だからいち兄の彼女……」

「「彼女じゃない!!」」

二人同時にハモってから一覇の部屋に入り、一息つく。

「……なんか、ごめん」

「べ、別に」

本当は嬉しかったなんて、千歳は言えなかった。

「さて」

と言って、一覇はアルバイト時の制服である黒いエプロンを外し、Yシャツを脱ぎ始めた。

「ちょっ……なっなにしてんのよ!?」

「え、あ……ごめん。出てくれますか?」

顔を真っ赤にした千歳を追い出して、一覇はプリントTシャツとカーディガン、黒のストレートデニムパンツに着替えて、財布とバイクの鍵、家の鍵をデニムパンツのポケットにしまった。ドアを開けて、千歳に声をかけて外に出る。

玄関を出て左にある駐輪場に止めてある四百ccの黒と銀色のオートバイに跨り、あらかじめ持ってきた白地に赤いマークの付いたフルフェイスヘルメットを千歳に渡す。しかし千歳はヘルメットの被り方がわからないようだったので、一覇が被せてあげて、自分も青いフルフェイスヘルメットを被り、キーを差し込んだ。改造された騒がしいエンジン音が響き、マフラーが唸る。ガソリンメーターをチェックして、後ろの千歳に声をかける。

「お嬢さん、しっかりおつかまりください」

「ど、どこにっ!?」

「オレの腰以外にある?」

「〜〜〜〜っ」

「早くしろよ」

一覇は手を後ろに伸ばし、千歳の手を自分の腰に当てる。千歳はこわごわと両手を一覇の腰に伸ばし、それから決意を固めて強く抱きしめる。

「…………」

「……ちょっと、なんで発進しないのよ?」

「いや……悲しいほどに胸の感触がないなって」

ぎゅううううううううう。

「すみません苦しいです」

一覇と千歳を乗せたバイクは発進した。

夜の八時を過ぎたこともあり、道路は混んでいないとみて高速道路は使わなかった。道に詳しくないので国道二四六号線に出て沼津方面に進み、やがて見えた中学校がある十字路を右に曲がった。しばらく進むと標識に「大倉入口」と出てきたので、左に曲がる。道なりに進むうちに山の中に入り、一面畑の道になる。

「ねぇ、どこまで進むの?」

バイクの爆音に負けないように、千歳が問いかけた。さすがに山の中で不安に思ったのだろう。

「相手は鬼だからな、相当山奥じゃないかと踏んで適当に……」

「バッカじゃないの!?ちゃんと訊いておきなさいよ!どうすんのよ、こんなとこまで来て!」

「面目ない……とりあえず戸川公園ってとこで止まるか。国立公園だってさ」

しかし公園の駐輪場はとうに閉められていた。だが大きな橋はライトアップされているので、中に入っていいらしい。バイクを適当なところに停めて、二人はバスロータリーにあるベンチに腰掛けた。

「まだ大倉だよな?」

千歳はiPhoneを取り出してマップを呼び出し、現在位置を表示させる。

「住所は堀山下よ」

「大倉はどこにあるんだ……」

「この辺一帯を大倉って呼んでるんじゃない?」

「マジか……とりあえず、喉かわいた」

一覇は側にあった自販機でホットココアを二本買い、一本を千歳に渡した。珍しく素直に礼を言い、受け取ってココアの缶を開ける千歳。ふーふーと少し冷まして一口飲む。そういえば、と今更ながら空腹を思い出した。鬼魔の襲撃で夕飯を食べ逃したのだ。しかしこの辺にある食べ物屋はとうに閉まっていて、なにも調達できない。諦めてココアを啜る。

先に飲み終えた一覇は立ち上がり、ぐるりと辺りを見渡す。

「飲んだら少し、この公園を探索してみるか」

一覇の言葉に、思わずココアを吹き出しそうになった。

「はぁ!?アンタなにしに来たのか覚えてる!?」

「覚えてるよ、当然。少しだけ!な?」

まぁ足を出したのも目的に関係あるのも一覇だし、仕方ない。千歳はココアを飲み干して空き缶をごみ箱に入れる。先を歩く一覇の後を追った。

当然といえば当然だが、この辺には家がない。光は月と星と、バスロータリーと大きな橋のライトアップだけだ。坂道の両端には様々な植物が植えられていて、手入れが行き届いているように見える。下にはアスレチックまである。音は一覇と千歳の靴の音と、川の流れだけ。

「本当になにもないわね……ねぇ、もう行こうよ。帰るの夜中になっちゃう」

「ところがそういうわけにはいかなくなった」

「な、なによ?」

「……家だ」

一覇の指し示す方向を見やると、川の向こうに民家が見えた。灯りが点いている。二人はその民家を目指して坂を下った。

川の水に埋もれそうな小さな橋を渡って、上り坂をしばらく上がると、その民家は見えた。

「……ちょっと」

「はい……」

「『茶室』って!!『抹茶お菓子付き六百円』って!!!」

千歳の言いたいことは、わかる。つまりこの民家は観光用に建てられたものだということだ。別に鬼が住んでいる、というわけではなかったのだ。当然といえば当然だ。

「どーすんのよ!?時間が無駄になったじゃないの!!」

「お、オレのカンがここだって言ってたような、そうじゃないような……」

「黙れ!!」

「騒がしいのう……なんじゃ貴様ら……」

古民家風店舗から出てきたのは、少女だった。長く燃えるような赤い髪を束ねた、金の瞳の少女。一年前に会ったときと変わらない、彼女は《八瀬童子》の刹那。……のはずだが。

彼女は一年前よりも小奇麗な格好をしている。髪も手入れが行き届いていて、なんだか普通の女の子みたいだ。口調以外は。

「おぉ、一覇ではないか。久しいのぅ、お茶でも飲まんか?そっちのおなごもどうじゃ?」

「…………おう」

普通に古民家風店舗の縁側に案内されて、お茶とお菓子を用意された。田舎のおばあちゃんを思い出す雰囲気だ。一覇にも千歳にもそんなおばあちゃんいないけれど。

「で、なんでここにいんの?」

一覇は当然の疑問を刹那に問いかけた。すると刹那はカラカラ笑って答える。

「なに、昔ここに住んでいてな、思い出深い地だったから選んだだけのことよ。ちなみに特別に住み込みで『ばいと』じゃ」

鬼がバイト……?とポカーンとする一覇と千歳。そんな彼らを他所に、お茶を啜る刹那。

「で……こんな時間にここにいるとは、なにか理由があってのことじゃろう?」

刹那はお茶を啜りながら、お菓子を口に放り込む。話が早い、と一覇は鬼魔から訊いた話をあらかた説明した。そして、ここに至る理由も。

刹那はお茶を飲み干してしばらく黙り込み、こう切り出した。

「つまり……一覇はわしの話とそ奴らの話から推測して、酒呑童子と貴様の関係を確実に証明できるのはわししかいない……と、そういうことか?」

「まぁ、そういうことになる。で、どうなんだ?」

「わしの話を全部信じるのなら、そういうことにできる」

「言葉遊びかよ……まぁいい。信じるよ」

「ちょっと、そんな簡単に信じていいの!?」

千歳が憤慨するのもわかる。しかし、一覇は彼女を信じることに決めた。

「もともと到底信じられない話なんだ、なんにでもすがり付きたいさ」

千歳はそれ以上なにも言わなかった。一覇は刹那に話を促す。

「相当長い昔話になるが、帰りは平気か?」

「千歳、家に電話しとけ」

「もうした」

「だそうだ」

刹那は急須の中のお茶をさらい、一口飲んでから話を始めた。

「あれは西暦八百三十年の初夏じゃった」


八百三十年の五月二十日、丹波の国。現在の京都。

「お兄様、村の方にきのこをいただいたので、今夜はきのこご飯か鍋にしようと思います……お兄様はどちらがよろしいですか?」

「霜月に任せるよ。オレは川に魚釣りへ行ってくる」

兄の酒呑童子こと出雲と、妹の茨木童子こと霜月は、大江山の麓に静かに暮らす、仲のいい鬼の兄妹だった。酒呑童子は鬼と西洋の蛇との間の子で、霜月とは異父兄妹だったが、そんな些細なことは二人にとっては関係なかった。

「た……助けてくれ……」

出雲が家を出ようとしたそのとき、家の縁側に倒れる赤髪の少女。

「……またか、刹那。いい加減に料理を覚えろ」

「よう、出雲。いやぁ、霜月の飯はうまくてのぅ」

ふらりと丹波の国に立ち寄った旅の鬼、八瀬童子こと刹那は、同じ穏健派の鬼ということもあって馬があった。家を持たない刹那にとって、兄妹の家こそが自分の家のように感じられた。安らげた。

「いやぁ、腹いっぱいだ。うまいのぅ、霜月の料理は」

「ありがとうございます、刹那さん」

「刹那、いつまで丹波にいるつもりだ?」

「霜月を嫁にもらうまで!」

「一生か……了解した」

「……妹命もほどほどにの、出雲」

いつもの昼下がり。しかし突如、刹那は湯のみを置いて真剣な話を始めた。

「のぅ出雲、知っているか?最近都では、酒呑童子を殺せという話が出ているそうだ。朝廷がうるさいらしいぞ」

「ほぅ、どうしてかな?酒呑童子は村人にとても優しい鬼だそうだが」

刹那は出された茶菓子を食べながら、出雲の青い瞳を見つめた。それから長い金髪に手を伸ばして、さらりと流す。

「《籠》……というのを知っているか?」

「カゴ?」

「その魂は永遠に甦り、それが存在する限り世界は巡る」

なんだか壮大な話だ。出雲は湯のみを手のひらで弄び、刹那が言った意味をゆっくり考える。そして結論を口にする。

「つまり《籠》とは、この世界の命そのもの……ということか?」

「左様」

「で、その《籠》はオレだと……」

「少なくとも帝はそう考えておるようだ」

「帝は世界を終わらせたいのか?」

「いいや、その逆だ……手に入れたいのだ、この世界を」

出雲は帝を、その存在そのものを嘲笑した。

「神にでもなるつもりか?」

「日の本の国では足りないようだな、我らが帝は」

しかし、どちらにしろおかしな話だった。《籠》の魂の持ち主を殺してしまうということは、再び魂を巡らせる……つまりせっかく手に入れた《籠》を手放すということになる。刹那は笑った。

「殺すというのは表向きじゃよ。引っ捕えて我が物とするのが、帝のお考えじゃ」

「はは、愛妾にでもする気か?」

「それなら可愛い話じゃろ」

出雲は霜月の淹れてくれたお茶を啜り、再び疑問を投げかけた。

「でもなんでオレが《籠》だという話になるんだ?」

刹那はなぜか周囲に目配せして、ヒソヒソ声で答える。

「あくまで噂じゃがな……朝廷は『最上の巫女』を迎え入れたと言われておる」

「『最上の巫女』……って、あの卑弥呼の生まれ変わり?」

この日の本の国がまだいくつかの国だった頃、最大の国である邪馬台国を率いた予見者卑弥呼。その彼女の生まれ変わりと目されるほどの実力者を、尊敬と畏怖、あるいは畏敬をもって『最上の巫女』と呼んだ。

「『最上の巫女』がいれば、なんでもお見通しってことか」

「その通りじゃ。……ここいらで金髪に青い目をもった鬼など、お主くらいじゃろう?」

「『最上の巫女』のお達しか?西洋にはこんな奴、たくさんいるぞ」

「この国生まれはお主だけじゃ」

「言葉遊びかよ」

すると刹那は、よりいっそう真剣な顔つきで声をひそめた。

「悪いことは言わん。霜月を連れて、どこかへ逃れろ」

「…………」

「霜月、相模の国はいいぞ。海の幸が豊富じゃ」

土間にいた霜月が目を輝かせて飛んできた。

「そうなんですか!?お兄様、今度旅行へ行きましょう!相模の国!」

「……今度な」

「いいじゃろう、なにを迷っておる?この地になにかあるのか?」

出雲は立てた片膝を抱きしめて、心ぐるしそうに打ち明ける。

「霜月を……頼めないか?」

霜月も刹那も、険しい顔をする。霜月がなにか言う前に、刹那が口を開いた。

「構わないが、自己犠牲というのなら許さんぞ?」

「そんな大層なものじゃないよ……霜月には、ここで笑っていてほしいだけだ。オレがいつか帰るまで」

霜月は不満げだったが、なにも言わなかった。代わりに、俯いて地面とにらめっこしていた。そんな霜月の頭を撫でて、刹那は頷いた。

「……そうか。出発はいつにする?」

出雲は壁にかけられた父の形見の大剣をとって、答えた。

「今夜だ」

「そうか。ならこれを授けよう」

と言って、刹那は自分の風呂敷から小さな麻袋を取り出して出雲に手渡す。

「なんだこれ?」

「怪我をしたときの手当てをする用具だ、なにかあったら使え」

出雲はしげしげと渡された袋の中身を見て、感心する。

「なんでも持ってるな、お前は」

「旅人をナメるなよ!……ちなみにこういう偃息図もあるのだが、旅のお供にいかがかね?」

「お兄様はそんなもの読みません!!」

霜月は顔を真っ赤に染めて、息を荒くする。偃息図とは、現代でいうエロ本のことだ。どうして女性の刹那が持っているのかわからないが、霜月のために出雲は丁重にお断りした。

日が沈み、夜も更けたところで出雲は刹那に霜月を任せて家を出た。武器と刹那がくれた道具、わずかな食料のみの軽装だ。村の端にきたところで、家の方向に振り返る。

「霜月……」

本当は連れていきたい。でも危険な旅だ、もう戻ってこれないかもしれない。もう……会えないかもしれない。今更になって、決意が揺らぐ。

「!!」

突然、多数の松明が出雲を照らした。

「酒呑童子……我らと共に帝の元へ来てもらう」

服の色から、それが朝廷の人間だとわかった。隠さない殺気から、自分の敵だとわかった。構える式札から、かなり上級の陰陽師だとわかった。一瞬逃げようかと考えたが、村を盾に取られたら動けないと思い、剣を抜く。

大剣《花月》、陰陽五行思想に基づく性質は「金」。出雲は自らの霊力を剣に流し込み、力を乗せた。

暁色の空になるまで戦い、全員いなして援軍が来る前に走った。いざ、相模へ。

同年六月、出雲は相模の国に着いた。あとを追ってきた援軍に傷を負わされ、森に隠れて傷薬を塗りつけていた。と、そこに。

がさがさ。

という葉擦れの音とともに、式服を来た少女が姿を現した。

「……あ……」

やばい、連行される。

そう思ったのに、少女は出雲の傷口を凝視して呟くように尋ねた。

「怪我……しているの?」

数分後、少女は衰弱した出雲のために、食料と清潔な服などを持ってきてくれた。

「あなた……酒呑童子?」

「……なぜそう思う?」

「金の髪に青い瞳なんて、この国ではあなたくらいよ」

少女はクスリと笑った。

「大丈夫、怪我してるヒトを命狙ってるヒトに差し出そうなんて、考えてないわ」

少女は鮮やかな手つきで、出雲の怪我を手当てした。それから右手を差し出して、

「わたしは神楽。安倍神楽よ。よろしくね、酒呑童子さん」

出雲は差し出された右手を、右手で握り返す。

「出雲だ。ありがとう、神楽」

これが出雲と、後に伝説の陰陽師と呼ばれる神楽の出会いだった。

それから神楽は、出雲がいる森に足を運ぶようになった。いつも食料と替えの包帯と服を持って来てくれる。おかげでずいぶん元気になった。しかしそれ以上に、神楽との会話が心を癒してくれた。

「出雲、まーたこんな時間に寝ているの?貴族様じゃないんだから、ちゃんと夜に寝なさいよ」

「夜は眠れないんだよ……この森、出るらしいから」

「出るって……なにが……?」

出雲は意味ありげな、不気味な笑みを浮かべて答えた。

「物の怪」

とたん、神楽は顔を真っ青にして、身をすくめた。その様子にしめしめと、出雲は話を続けた。

「親を流行り病で亡くし、自分も同じ病で死んだ子どもがさ、親をさがして夜な夜なこの森を……」

「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!!」

神楽はその場にきつく丸くなって、耳をふさいだ。その姿を見た出雲は大笑いして、軽く謝った。

「ごめんごめん、作り話だよ!」

「も、もう!出雲ー!?」

出雲の胸を叩く神楽の細い腕を、出雲は優しく掴んだ。そのまま見つめあう二人。お互いにわかっていた。惹かれあっている。

でも、神楽には三歳年上の従兄、藤波という許嫁がいた。藤波は安倍本家の人間で、身分も人柄も果ては顔まで申し分無い立派な男だ。神楽も幼い頃から兄のように慕っていて、幼い頃は『結婚する』とまで言っていたほどだ。

しかし、数年前からこのまま結婚していいのか、迷い始めた。本当の恋がどういうものか、流行りものの源氏物語を読んで考えた。自分にも、ここまで強く想える人が現れるんじゃないか、と思ってしまう。だから十七歳になっても結婚せず、今まできた。そして出会ってしまった、出雲に。

「わたしが陰陽師なんかじゃなくて……ただの娘だったら、あなたと釣り合ったのかな?」

ぽつりと、まるで夢のように話している神楽に、出雲は返した。

「オレが鬼なんかじゃなくて、ただの人間の男だったら……神楽はオレに惹かれてたかな?」

「絶対惹かれてたわ、賭けてもいい!」

二人は見つめ合い、穏やかに笑った。

出雲は神楽を抱きしめて、ささやかな幸せを噛み締めた。

六月半ばに入り、雨が続いた。そんな中でも、神楽は出雲の元へ通った。

「なんか最近、尾けられてる気がするのよね……」

ため息を漏らしながら、神楽が言った。出雲は蒸した芋を頬張りながら、驚きと不安の声を漏らす。

「え、もしかして……」

「安心して、全部撒いてからここに来てるから」

最近、陰陽寮の動きが活発になってきている。それもこれも、酒呑童子を殺すためだ。かの安倍晴明の子孫とはいえ、まだまだ新人の神楽に詳しい話はきかされていない。でも、嫌な予感がする。

「わたし……もうここに来ない方がいいのかしら……?」

「そしたらオレがヒマだ。困る」

「命の心配をしなさいよ……」

でも

「わたしも……会えないのは嫌だな」

地面に寝転がる出雲の大きな体を抱きしめて、神楽は今の幸せを噛み締めた。いつまでこうしていられるかわからないけど、せめて今だけは……今だけは彼のそばにいさせてください、神様……。

そんな二人を影から見つめる人影。

「神楽……あんな男と……」

安倍藤波だった。神楽に監視用の式神を使い、ここまで案内させたのだ。

最近様子がおかしいと思った。食べ物をくすねるのはいつものことだったが、服や薬は初めてのことだった。それが何日も続くものだから、犬でも拾ったのかと思いきや、尾行を撒いたりするからこれはなにかあると思った。そこで今日は腕利きの神楽にもわからないように、細工した式神を使ったのだ。

妖を使役し、帝のために妖を殲滅するのが、我ら安倍家の務め。決して妖に心を奪われてはいけない。しかも相手は酒呑童子、尚のこと許されない。

藤波は唇を噛む。

「私が……なんとかしなければ……」

午後六時、安倍家の屋敷。

「神楽、ここのところどこに行っているんだ?」

「ふ、藤波兄様!」

神楽と藤波は廊下で会って、話をはじめた。

「別に……森で遊んでいるだけよ」

「男とか?」

「!兄様、全部知って……」

藤波は神楽ににじり寄って、壁に押しつける。

「私とお前の婚礼の儀を、今夜行う」

「そ、そんな……お待ちください、兄様!」

「準備しておけ」

「兄様!!」

藤波は神楽の声を背に、廊下を足早に去っていった。

神楽は渡さない……誰にも。ましてやあんな男になんか、絶対に渡さない。神楽は私のものだ。

自分の部屋に戻り、飾ってあるきらびやかな着物を見つめる神楽。

わたしはこのまま……兄様のものになってしまうの?

出雲の笑顔が浮かび、いてもたってもいられなくなった。会わなきゃ、出雲に。どうしても。

神楽は屋敷を飛び出し、出雲のいる森まで走った。

「出雲!!」

「なんだ、神楽……騒々しいなもう寝る時間だぞ」

「わたしと結婚して!!」

「……は?」

結婚するということは、この時代ではセックスするという意味だった。それを神楽が知らないわけがない。

「わ、わたし……わたっけっ」

「落ち着け神楽、今水を持ってきてやるから」

咳き込む神楽の背中を撫でて、出雲は水筒を手に川へ向かおうとする。その出雲の服の袖を必死に掴む神楽。

「このままじゃわたし……兄様と今日結婚させられる……!」

出雲の足が止まった。

「兄様……出雲のこと知ってて、なんでかわからないけど……今日結婚するって……」

結婚する……神楽が?自分以外の男と……。

出雲の頭は混乱していた。あまりにもショックが大きかったのだ。

「兄様のこと好きだけど……でもっ!出雲がいちばんっ……」

出雲の唇で、神楽の口は塞がれた。雲が晴れ、月明かりが静かに二人を照らし出す。

「このまま……」

このまま神楽のことを、さらってしまいたい。二人でどこか、誰も邪魔できないところに逃げて、結婚したい。神楽の中を、自分でいっぱいにしたい。でも。

「このまま逃げてどうする?オレは追われる身だ」

「!」

帝に追われる自分と一緒になって、神楽は幸せだろうか。幸せになれるだろうか。幸せにできるだろうか。神楽にはいつも……笑っていてほしい。

「神楽……今すぐ家に戻れ」

「い、嫌よ……!わたしは出雲と……」

そう言ってくれると思った。期待していた。望んでいた。渇望していた。でも、こんな気持ちを押し込める。

「君はオレといるより、人間の世界にいた方がいい」

そう、神楽は人間で、自分は鬼……妖だ。

『オレが鬼なんかじゃなくて、ただの人間の男だったら……神楽はオレに惹かれてたかな?』

『絶対惹かれてたわ、賭けてもいい!』

その言葉が嬉しかった。これだけで、オレはもう充分だ。

「さよならだ、神楽」

言わないで欲しかった。いつかはさよならする人だって、わかってた。だから、見ないふりをしてきたんだ。

このままずっと一緒なんて、叶わないことだから。叶わない恋だから。だから夢を見ていたの。

遠ざかるその広い背中に、どれだけ抱きつきたいことか。しかしそれすら叶わないことだから。

「撃て」

出雲の背中に、矢尻が食いこむ。松明が金の髪を照らす。

「な……」

「これくらいでは死なないか、化け物」

藤波だった。藤波が軍を引き連れてここまで来たのだ。

「やめて兄様!出雲を殺さないで!」

神楽の必死の叫びも、弓を引く音にかき消される。何度も何度も、何度も弓は引かれ、矢尻は出雲の体に突き刺さる。出雲はこのくらいでは死なない。けれど痛みで動けなくなる。そのとき、藤波が刀を持ち出した。妖を撃ち破ると言われる、安倍家の家宝だ。

鞘を抜くと、青い光が灯される。藤波の霊力が通され、輝いた。

「死ね、化け物」

藤波は出雲の体を切り裂いた。しかし、神楽が飛び出して藤波の体に抱きついたことで切っ先がずれて、出雲の腕を切り落とした。出雲の温かな血が流れた。

「出雲!!逃げて!!」

「神楽!!私たちの使命を忘れたのか!?」

「使命なんて関係ない、わたしは……わたしは出雲のことが好き!!」

しかし出雲は逃げない。藤波の刀を握り、笑った。

「……出雲?」

ありがとう、神楽。オレは初めて人を好きになった。君がオレの初恋だった。今もこれからも、ずっと。

生まれ変わったって、オレは君を好きになる。見失っても、必ず見つける……君と出会ったあの日のように。

「好きだよ……神楽」

出雲は微笑んで、自らの心臓に刀を突き刺して、命を絶った。

「いずも……っ」

魂は巡る。君とともに。


二〇〇九年三月九日、午後十時過ぎ。神奈川県秦野市堀山下。県立戸川公園内の茶室。

「それから……出雲はどうなったんだ?」

一覇は刹那に問いかけた。刹那はすっかり冷めたお茶を啜り、一覇の問いに答えた。

「知っている通りじゃ。出雲の腕は藤波が起こした皇槻神社に祀られて、今も存在する」

「出雲さんは……どうして自ら命を絶ったのかしら……?」

千歳の問いに、刹那はすぐに答えられなかった。湯のみを弄びながら、一生懸命考えて答える。

「おそらく……奴は神楽に帝からの罰が与えられるのを恐れたのじゃろう。奴が逃げれば、その責任は神楽に及ぶ」

「霜月は……どうなったんだ?」

「妹の心配か?安心せい、霜月はその百年あとに人間の男と結婚した。それが今の矢倉家じゃ」

刹那は立ち上がり、急須を持ってお茶を汲みに台所に行った。刹那が戻ってきたところで、話が再開された。

「それで……オレが出雲だという証拠は?」

「証拠……か。強いて言うならその霊力……現代では霊子というのか。その霊子をみればわかる。あとはわしのカンとでもいうのかの。確たる証拠は、残念ながらないんじゃ。それが欲しくば、『最上の巫女』を当たるがよい」

現代で唯一の『最上の巫女』……皇槻鷹乃。刹那のことが信じられないのなら、彼女を当たるしかないのか。刹那は付け足した。

「もしくは《花月》……あれを手にせい。あれは奴が認めた者でないと使えぬ、幻の霊障武具じゃ」

「《花月》はどこにあるんですか?」

千歳の問いに、刹那は渋面する。

「あの混乱の最中、誰が持っていったのかわからん。帝か藤波か……あるいは神楽か」

「そうか……」

一覇は注がれたお茶で口を潤し、考えをまとめた。

自分が本当に酒呑童子……出雲だとして、彼がその《籠》だというならまた誰かに命を狙われる。確かめるには、霊障武具の《花月》が必要。しかし《花月》は行方不明。自分ができることは、《花月》を探し出すこと。

藤波や神楽が持っていったのなら、もしかしたら子孫の皇槻家と結城家が保存しているかもしれない。それとなく神無か海に話してみよう。帝が持っているとしたら厄介だ、相手は現代でいう天皇。謁見できるとは思えない。

「一覇……お前と一緒にいた男……あ奴は……」

あの時一緒にいたのは四季だ。きっと刹那は、四季のことを指しているのだろう。

「四季がどうかしたのか?」

「考え過ぎかもしれんが、あの男もお前と同じ霊子のにおいがした……わしが知らないところで、なにかが起こっているのかもしれん」

「同じ霊子のにおい……?」

どういう意味か、さっぱりわからない。とりあえず頭の隅にしまっておくことにした。

「さて、二人とも今日はどうするんじゃ?泊まっていくか?」

一覇は立ち上がり、首を横に振った。

「せっかくだけど、明日もバイトあるし、帰るよ。千歳、行くぞ」

「あ、ちょっと待ってよ……!ご、ごちそうさまです!」

「またいつでもおいで」

慌ただしく去っていく一覇と千歳を優しく見送って、刹那は誰にも聴こえないように呟いた。

「運命……とでもいうのかの……のぅ、出雲……霜月」

明るい月夜の中、一覇はバイクのキーを差し込んだ。爆音を風に響かせ、千歳がシートに跨ってヘルメットを被ったのを確認して、自分もヘルメットを被る。

月夜……なんだか懐かしい感じがする。あんな話を訊いたからだろうか。

一覇はバイクを発進させて、千歳の家がある渋谷に向かった。

午後十一時三十分過ぎ。東京都渋谷区道玄坂にある、老舗呉服店『くが原』に着いた。バイクが着いた途端、玄関からものすごい勢いで飛び出してきた人影がひとつ。

「ちーとーせー……?」

「か、母さん!?」

千歳の母で四季の姉、久我原卯月だった。

「こんな時間までなにしてたの!?アンタはまだ中学生なのよ!?」

「と、父さんに電話したも……ヒッ!?」

卯月のものすごい力で、千歳の体はバイクから引きずり下ろされる。

「母さんに逆らうなんて、百年早いわ!家に入って説教!」

「う、卯月さん!オレが千歳を連れ出したんで……」

「帰れ!」

塩をまかれた。というか投げられた。頭にかぶった塩を払って、一覇はバイクに跨った。それからなんとなくトロトロ運転して、帰ったのは一時を過ぎていた。

着替えて布団に入ると、すぐに寝入った。その夜、夢を見た。

自分は鬼の青年で、ある日森の中でひとりの少女と出会い、恋に落ちる夢。

これはきっと、前世の話だ。


二〇〇九年三月九日、午後六時。神奈川県横浜市保土ヶ谷区、矢倉邸。

「ただいま」

「おかえりなさいませ、坊ちゃん」

ばあやの歓迎を受けて、四季は自室に引っ込んだ。パソコンでメールチェックをしてから着替え、夕飯までネットサーフィンをしようかと考えていたところだった。

「若、ご準備ください」

お呼び出しがかかった。『あの人』になる時間だ。

「わかった……すぐ行く」

そう言って四季は押し入れの衣装ケースから、黒いスーツとパッドを取り出して着替え、鏡台で化粧をして髪を解いた。髪紐を左手首に巻いて、部屋を出ると、渡り廊下から離れに向かった。

離れの一番奥の部屋に入り、いつものように笑顔を作る。そこで『あたし』を待っている人のために。

「お待たせ、『姉さん』」

長い白髪で、黒いつり目の痩せた女性は、少女のように笑った。

「遅かったわね、『遥佳』。待っていましたよ」

いつまで続ければいいのだろうか……この親子とはいえない親子関係を。

これは矢倉家の秘密だった。誰にも……一覇にも言えない、秘密。

第十話 完


ハイッ第十話!!

この話は、実は最終章まで取っておくつもりだったのですが、どうしてこうなった?

いつもこんな感じで作ってます。

しかしこの話、過去編第一弾ですがお気に入り。ものすごお気に入り。雰囲気とか時代とか……たまらんね!出雲と神楽の関係性が大好きです。

刹那をどう出そうか迷っていたら、このアイデアが浮かびました。最初は刹那さん登場しないのです。そういう予定だったんです。でも語り部が必要だなってなって、じゃあ誰?ってなって、刹那さんが出てきました。ラッキー!

語りたいことはヤマヤマですが、うっかりネタバレしそうなのでやめておきます。

それでは第十一話、鋭意制作中なのでお楽しみに。

2015.7.28 螢名(けいな)

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