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たった一瞬の『奇跡』を望んで
美しく舞い、美しく演じ。
恐ろしい醜女にも、艶めかしい遊女にも、この世で最高の美姫にすらなる。それが歌舞伎だ。
自分じゃない、自分とは似つかない誰かになる。
僕はこの魅力に早くから取り憑かれ、幼い頃から死に物狂いで演じていた。
演じることで自分の現実を忘れられるし、演じているあいだはその役になりきるのが普通だから。
思えば『現実』から目を背けたかったのかもしれない。この息苦しいせかいから、逃げ出したかったのだろう。
僕が『僕』でいられる時間は、たった一瞬の奇跡だった。
その奇跡を当たり前のようにくれたのは、君だった。
その奇跡を跡形もなく打ち砕いたのも、君だった。




