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亡霊×少年少女  作者: 雨霧パレット
神ノ帝国
59/88

Strainero

五月に入ると気候も安定しており、今日も絶好のお出かけ日和だ。

「だからなんで!アイツの誕生日プレゼント買いに行くのに、オレが一緒でないといけないの!」

街中に響く一覇の声は、不機嫌を隠そうともしていなかった。

パチスロのお姉さんが客寄せのためにメガホンで一生懸命にがなり立てて騒がしいが、その中であっても一覇の声はよく通る。少年らしいといえばそうだが、ほんの少し甲高いのが、本人にとってはコンプレックスだ。

本日も横浜駅の喧騒は、土曜日ということも相まって、まさに喧しさを感じる賑わいだった。たまにスーツ姿を見かけるが私服の人がほとんどで、昼間なのに居酒屋のキャッチもあちらこちらにいる。

「だって、男の子の欲しいものなんてわたし、わかんないんだもん。一覇、りょうちゃんと仲よしでしょ?」

と、その光景のなかで、隣には怒った顔も可愛らしい義妹の宝がいた。

見た目にも柔らかそうなきめ細かくて白い頬を、母親譲りに可愛らしく膨らませている。

いつものセーラー服姿とは違う、女の子らしい華奢なラインのロングスカート姿に、一覇のこころは不機嫌とトキメキで乱雑していた。

特に約束事もなく、定期考査もしばらくない。ファミレスのバイトも、いつもぎっしり入れていたのに今日は偶然にも非番。

寒くもなく暑くもない、雨の心配もない過ごしやすい天気。

だからたまには、ひとりでぶらっと出かけようと思い立ったのだが。

玄関で靴を履いているところに宝が来て、買い物に付いていくとか言い出すものだから。

下心満載でふたつ返事で了承した途端に、彼女の目的を知ってしまい、一覇の膨らんだ気持ちは一気に萎えた。

五月も半ばに差し掛かり、もうすぐで椋汰の誕生日だ。

ひなぎく園の月誕生日パーティーとは別にプレゼントを贈るのは、宝のなかでは通例のこと。一覇ももちろん知っていて、彼女への想いに気づいてからは複雑な心境で見守っている。

しかし当の椋汰は宝からの熱烈なラブコールに気づかないのだから、一覇としてもやるせない思いでいっぱいだ。

「アイツならフライドチキンの骨やったって喜ぶよ」

不満に唇を尖らせ、思い切り投げやりに答えると宝から軽いパンチが飛んだ。幼い頃から鍛え上げたそのパンチは、同年代の女子と比べたら重い一発だ。

「それじゃダメなの!……きゃ」

「Oops!」

一覇がチビだった中学時代ならいざ知らず、さすがに体格差が大きくできて、殴りつけた宝の方が体勢を崩したようだ。

「なにやってんの」

手を貸しながらも呆れ声の兄に目を多少の非難を込めた視線を向けてから、宝はぶつかった相手を見遣る。

「ぶつかっちゃった。ごめんなさい、お怪我ありませんか?」

と声をかけたその相手はかなりの長身で、女子にしては背が高い宝でさえ、文字通りに見上げてしまうほどだった。

陽を浴びて輝く蜂蜜色の長い髪は、彼が異国のひとだとわかるそれ。瞳は磨き上げられた宝石にも負けない翠緑。

顔立ちも彫りが深くてタレントのように整っており、誰が見てもとびきりのいい男だ。

身につけているジャケットも高級そうで、彼の身分を容易に想像させるほど。

「Non ti preoccupare!(大丈夫!)こっちこそごめーんね、可愛いお嬢さん」

「へ、ふぁ」

イタリア語を交えた流暢な日本語に、自然な動作で宝の手へ優しいキスを落とす。

妙に芝居掛かった紳士の嗜みに、スキンシップが控えめで奥ゆかしい典型的な日本人気質の宝に戸惑いと照れが湧いて出た。

「ちょっ……なにして!?」

ボッと瞬間湯沸かし器よろしく顔を赤くして恥じらう宝を見て、過剰に反応したのは他でもない一覇だった。

しかし小慣れた異国の少年が、一覇に入り込む余地を一切与えない。

「ボク初めて知ったよ……『ヤマトナデシコ』って、こういうことなんだね。Molto carina!(めっちゃ可愛いよ!)」

真っ赤な薔薇にも見劣りしない情熱的なアプローチに、宝もたじたじだ。

彼が笑うたびに宝の熱と鼓動が高まり、一覇の嫉妬が山火事レベルに燃え盛る。

この野郎……っ!いつまでも宝にベタベタ触るんじゃない!殺すぞ!?

嫉妬の罪に焦がれた一覇が、もう少しで犯行に及ぼうと指を戦慄かせたところに、しかし運がいいのか悪いのか第三者の声がかかる。

「こらハル!勝手にウロチョロすんな!ナンパもするな!」

ぺしっと金髪イケメンの手を叩いて諌めた声の主も、やはり異国人らしい。

金髪の少年よりも、だいぶ年上のようだ。背が高くてがっしりしており、ウェーブのかかった茶髪と顎髭も様になっている。

着ているジャケットは少年のものと違うデザインだが、細かな意匠が似ているので同一ブランドだろう。一歩間違えば粗暴な印象を与えるところを、しかし一転して小粋に見える着こなし。

金髪の少年とはまた違った魅力があるが、どうにもその若さで苦労を背負い込み過ぎているような渋さだ。

そんな印象とは対照的に、彼の腕は山盛りの豚まんを入れた紙袋が占拠している。

少年はそんな彼からの苦言に対して、面倒臭さを隠そうともせず、ウィットに富んだ嫌味で返した。

「Cavolo……!(うわ……っ!)いちいちうるさいなぁ、うんこジークくん。そういうの日本語では『コジュウト』って言うんだよね」

「意味はわからんが、お前がふざけてるのはよくわかった。いいから早く行くぞ!」

小さな子供のように首根っこを掴まれて引き摺られていく、長身の少年。

どんなに格好悪い去り際でも、少年は紳士のような微笑みを浮かべて、宝に手を振っていた。

「Ciao ciao!また会おうね、可愛いお嬢さん!」

「誰が二度と会うもんか!」と言いたいところを必死に抑えて、一覇はふんと睨め付けるに留めておいた。

「ったく、なんだったんだ……」

嵐のように現れて、散々に引っ掻き回されてどっと疲労感。

嵐そのもののように去っていった闖入者の存在を、自問自答の意を込めて呟いた。嬉し恥ずかしで応えたのは、もちろん連れの義妹だ。

「えーと、観光中の外人さん?かっこよかったね、背もすらっと高くて」

「んなもんオレだってそのうち伸びる!……予定だ」

「綺麗なはちみつ色の髪の毛だし」

「オレだって地毛だっての」

「緑の目は宝石みたいだったなぁ」

「青い方が明るくて綺麗だね」

「肌もすっごく白かったね」

「男が白いなんて、モヤシじゃん」

「もう、なんで今日はそんなに突っかかるの?」

本日何度目かに頬を膨らませた宝に、一覇が抱える怒りと悩みの矛先などわかるはずもなく。

一覇にはそれがまた悔しくて、憎たらしくて。

でも可愛いなんて、思ってしまう。憎さ余ってなんとやら、というのだろうか。

「……知らん!とっとと買い物済ませて帰るぞ」

ぷいっと顔を逸らして足を速める一覇の後を、「待ってよもう!」と宝が文句を言いながら追いかける。

そんな兄妹の不思議な光景を、先ほどの異邦人が眺めていた。

「ふーん……アレが噂のヒュウガくん?思ってたよりフツーだね」

横浜の海風に金髪を躍らせて、彼は嗤っていた。

先ほどまできっちりと締めていた首元だが、いまはだらしなく晒されている。仕立てのいいネクタイもシャツも、残念なことによれてシワだらけになっていた。彼本来のいい加減っぷりが露呈しているような風貌だ。

いまだ喧騒のやまない、休日の横浜中華街。その中にあってもしかし、彼らの存在はどこか浮世離れしているように見える。

ウェーブ髪の男が、少年の遠回しな問いに答えた。

「まだその兆候がないと報告を受けている。それより問題は……」

「Si,例のあのコね。そっちはうんこにお任せするよ、めんどくさそうだし」

などと小学生のような冗談を交えて、男が抱える紙袋から大きな豚まんをひとつ、かっぱらって食い始めた。はぐれる前に、少年が男に買ってくるよう命令したものだ。

「おっ前……!いちいちヒトのこと、うんこうんこと……っ!」

「あれ?『うんこ』としか言ってないのに、キミは自分のことだと思ったの?うんこの自覚あったの?プップー!」

「お前が日頃からしつこく言うからだろ!!!」

少年の言葉の汚さと幼稚さに呆れと、人の揚げ足取りの巧さに腹が立って仕方ない。

豚まんの件にしたって、礼も述べずにしれっと食べ始めるところが憎たらしい。

確かに少年は男の『上官』にあたる位階だが、それにしたって人生の先輩を顎で使うなど、いったいどういう神経をしているのか。

否。

このクソガキに社会の常識など通用しないものだと、散々に学ばされたのだ。今更どうこう考えたって、平行線。しかし首を絞めてやりたい。

男の腑が煮えくり返っている様子には気づかないふりで、少年は次の豚まんに手を伸ばした。

「それよりこれから行くんでしょー?」

豚まんをいっぱいに頬張って膨らんだ口で、もごもごと訊ねる少年に辟易しつつ、男も横浜名物の味見に手を伸ばす。

「Si.くれぐれも粗相のないようにな」

しかし持っている紙袋に伸ばした手は、パシッと甲高い音を奏でて少年の手によって阻まれた。

少年は何食わぬ顔で三個目の豚まんを味わい、邪気のなさそうな笑みを浮かべている。

「ボク楽しみだよ!ニホンカオク、ジンジャ、ミコサン……Ah meravigliosa,cultura giapponese!(あぁ素晴らしきかな、日本文化!)」

「……あくまで、仕事だということを忘れないでくださいよ、レオンハルト・ゴットフリート枢機卿」

男はいっぱいの渋面で、豚まんの紙袋を少年に押し付ける。

少年は紙袋の中を覗いて、豚まんがあとどのくらい残っているか確認し、にっこりと笑った。

「Lo so.(わかってるよ)さーて、四十秒で仕事終わらせて、アキバでも行こっかな!」

異邦人ふたりの姿は、横浜の喧騒に消えていった。

白昼の銀月がぼんやりと、青天に揺れている。



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