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亡霊×少年少女  作者: 雨霧パレット
神ノ帝国
57/88

軋む絆

「あっっちゃー……」

河本一覇こうもといちはは学校指定の青い上下ジャージ姿で、一枚の紙片をじとっとした目で眺め、ひとり思案に暮れていた。

この散々たる結果を、どう受け止めていいのかわからない。

「次の人どーぞ!」

と担当の保健委員にてきぱきと促されて、一覇は前へ進んだ。

ぎし、と足を載せると軋む身長計は、相当の年代物に見える。

本日は高校一年生で初めての身体計測。成長期まっしぐらの普通科と霊子科学科の男子生徒たちは、何個あるのかわからない体育館の第三に集まっていた。

「うーん……」

一覇はたったいま身長が記入されたばかりの記録表を見て、ひたすら唸る。

身長が、伸びていない。

いや、伸びてはいるが、思った以上には伸びていないのだ。伸び悩みというものか。

牛乳とかヨーグルトとか魚とか肉とか、カルシウムとタンパク質をとにかくたくさん摂っているのにもかかわらず、効果はあまり発揮されていない。

希望的観測では、もう三センチほど高くありたい。バスケ選手のようにとまでは望まないから、そのくらいはあってもらいたい。

身長の前に体重も計ったが、やはり望んでいたような数値ではなかった。

「一覇、身長どうだっぐわしっ」

母に懐く仔犬のように駆け寄ってきた三島椋汰みしまりょうたの声が途切れて、妙な悲鳴に変わった理由は、一覇が顎に見事なアッパーを食らわせたからだ。

これも日頃の訓練の賜物だと、自身の腕に満足すら覚える。

椋汰は赤らんだ顎をさすって、情けなく半泣きの訴え。

「ひどいよ一覇ー、身長くらい教えてくれたっていいだろー」

「じゃあお前から教えろよ」

どうせ馬鹿な此奴のことだから、騙くらかしてはぐらかせば、翌日にはコロッと忘れるだろう。いつまでも引きずらないのが、彼の欠点であり美点でもある。

まるで興味のない椋汰の数値を聴いた瞬間、一覇のこころは北海道のバナナよろしく凍った。

「百七十八センチ」

「アディオス!」

一覇はそそくさと次の座高測定へ向かう。

座高なんて測って、果たして将来の役に立つのだろうかという疑問はありつつ、古きよき座高計に腰を落ち付けようとしたところで。

それを椋汰の手によって止められた。

「なんでどれも教えてくれないの、一覇!」

座高計の前で押し問答を始めた途端、担当の保健委員が面倒そうな表情を浮かべて、口には出さないが「早くしてくれ」と訴えている。

おいおい引きずらないのがお前唯一のいいとこだろうが、と言い返してやりたいところだが、たしかに後がつっかえているのは問題だろう。

腹に一発けしかけて、うずくまる椋汰を押しのけて座高計に腰を下ろし、もうひとりの保健委員が測り終えるのを静かに待つ。

「秘密主義だから。じゃあ」

さっさと記録用紙を受け取って目を通すも、座高の数値もやはり芳しくない。

というか脚の短さを知ってなんになるんだ?自分のスタイルの悪さを、日本人体型を自覚しろと?

とぶすくれながら、一番乗りで誰も計測から戻っていない教室に来た。

身体計測となると、決まってうるさい椋汰をなるべく避けるように動いていたら、いつのまにか全行程を終えてしまったようだ。

教室のドアの鍵は、日直が管理しているので開けられない。

手持ち無沙汰で不満げにもう一度、記録用紙に目を通していると。

「「……河本一覇、百七十一セーンチ」」

突然、左右から自身の悲しい記録を、面白おかしく読みあげられてびっくりした。その声には両方とも聞き覚えがある。

「……京二きょうじうみ。びっくりさせんなよ」

「おっす一覇」

「やーほー」

普通科で新聞部所属の友人、東京二あずまきょうじと同じクラスの友人である結城海ゆうきうみが、それぞれにマイペースな挨拶をする。

海は四季の親戚という繋がりで付き合うようになったが、なかなか気が回るいい男だと一覇は好感を持っている。

京二はネタ探しのために、常にメモ帳とペンを握っている新聞部期待のエースだ。

すでに学園新聞の記事をいくつも任されていて、その記事のどれもが生徒の話題をさらっている。

特に大多数の女子からの支持が熱い記事は、一覇のことだと京二は笑った。

入学式当日から、一覇は常に女子の話題の中心にいた。

金髪碧眼、整った容姿に抜群の頭脳、ついでに運動神経もそこそこ。たったのそれだけで女子という生き物は盛り上がれるらしい。

久木学園には芸能科という美形の集まりがあるが、セキュリティとプライバシーの問題で、十もある学科の中でもかなり離れた場所に校舎が用意されている。だから一般生徒が芸能科の生徒にお目にかかる機会というものは、一般高校と同じで滅多にない。

だからというか、身近に少しでも輝く人間がいれば、アイドルのように持ち上げたくなるのだろう。

さらに京二が書いた嘘八百が盛りだくさんのスキモノ記事によって、人気はますます赤丸急上昇。

知らない生徒から声をかけられる日なんてザラだ。

まだほかの生徒がいないのをいいことに、京二は一覇の単独インタビューを始める。

「一覇くんや、次に誕生日と血液型、体重に……好みのタイプなんかを」

「いい加減にしなさい、東くん!」

凛とした声が廊下を疾る。

振り向くと、そこには長いストレートの黒髪をツインテールにまとめた、勝ち気そうだがいかにも真面目そうな銀縁眼鏡の少女が駆け寄ってきた。

彼女は忍野桐子おしのとうこ、一覇たちのクラスの学級委員長だ。

見た目通りに真面目で堅物な彼女は女子のなかでも珍しく、京二の嘘記事を好ましく思っていない。

実際に桐子が新聞部の顧問に訴えかけたことで、京二が担当する記事が以前と比べて少なくなった。

京二にとって桐子は天敵だ。

「東くん、あなたがうちのクラスの生徒の情報を嗅ぎ回っているおかげでね、普通科の生徒がうちのクラスによく紛れるのよ!そのせいで始業が遅れるし……はっきり言って迷惑なの!」

桐子が威圧的に人差し指でさしながらはっきりと告げると、京二は耳にたこといった風で、ついでに耳をほじりながら面倒そうに答える。

「うるせーなチクリ魔。それはおれの記事がいいからで、別におれは悪くないもん」

「オレが人気だからじゃないの?」

「自分で言うなよ、このイケメン野郎!」

冗談めかして肘で小突き合っていると、いつのまにか椋汰が紛れていた。

椋汰はいたって真面目に一覇を褒めちぎり、しかし海はことの成り行きを不真面目に面白がっている。

「一覇はすごいもんな!」

「モテる男は辛いねー」

なんてのん気にけらけらと笑う男子四人に、すぱこーん!と一発ずつ鉄拳制裁が加えられた。

四つの見事な瘤が煙を上げて、ぷくりと膨れて仲よく並んでいる。

「とにかーく!次に嘘っぱち書いたら、学園長に直談判するからね!河本くんも、その馬鹿に付き合わないで!」

「「「「へーい、すいまっせーん」」」」

男子四人の声がハーモニーを奏でると、桐子は日直から鍵を貰ってくると言ってその場を去った。その桐子の背に、京二は思い切りアカンベーとお尻ペンペンを繰り出す。

「一覇ー、体重どうだっふんだ!」

椋汰が思い出したように不快な話題を戻すものだから、今度は鳩尾に全力の肘を入れてしまった。怒りで頬を赤く染めて、一覇は椋汰を激しく非難する。

「お前はなんで、いっちいち訊くんだよ!」

女子じゃなくても、体重というものは気にするお年頃。

それをいくら友人とはいえ、気軽に尋ねていいものじゃあない。

腹を押さえて唸っていたと思ったら、椋汰は案外と早く復活して答えた。

「だってー……おれは一覇をリクエストしてるから」

「リスペクトって言いたいの?お前、一応ハーフだよな?」

この言い間違いには、付き合いがそこそこ長くなってきた一覇でも、さすがに絶望せずにはいられない。

椋汰の本名は、三島コンラッド椋汰。アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた日米ハーフだ。

まったくそれらしい顔つきではないお見事な醤油顔だが、たしか河本家に預けられる前は、両親とともにアメリカで暮らしていたはずだ。金髪も一覇を真似て染めているだけで、本来の色は黒だし、その件についてはたぶんこれから実母に叱られるだろう。

少々逸れたが、要は彼の生活履歴から察するに、多少なりとも英語学習が可能な環境であったのは間違いなかろう。少なくとも一覇よりは。

しかしこのお人が、よもや学習などするはずがないと、一覇は頭が痛くなるほどよく知っていた。

案の定というか当然というか、椋汰は腹が立つほど自慢げに胸を張り、どんと大盤振る舞いに請け負う。

「へへん、ハーフだからって英語ができると思うなよっ」

「オレが振っておいてなんだが、お前からハーフ性を一切感じない。個人的に馬鹿な日本人だ」

自慢できることじゃないだろ、と一覇はがっくり肩を落とす。

極論を言えば英語ができなくてもそれは個人の得手不得手なので仕方ないが、思い返せば彼という人間性そのものが馬鹿だ。

その馬鹿に振り回される身としては、迷惑極まりないとしか言い様がない。

恨み節よろしく、一覇はことの重要性を示すべく過去をほじくり返すことに決めた。

「……そういえばお前、中学の頃、英語のテストで一点とったことあるよな」

しかも自分の名前が書けたからもらった、お情けの一点。

椋汰もすっかり忘れていたことを思い出したようで、途端に肩を震わせて青い顔をし、神妙な顔つきを浮かべてヒソヒソと尋ねる。

「そのこと、マミーには言ってないよな!?」

椋汰の母は海外を飛び回る女社長で忙しいが、誕生日とクリスマスの年に二回は愛息子の様子を見に帰国する。

彼女は教育には厳しく熱心で、親友で預け先の河本明日香に毎回テストの結果を郵送してもらっては、不出来な息子に電話であれこれ注意するのだ。

だがその奇跡の一点のときだけは、椋汰本人があれやこれやと工夫を凝らしひた隠していたのを、同室の一覇だけは知っている。

確か『次にこんな点取ったら、私と一緒に日本出て家庭教師雇うからね!』とヒステリックに宣言されたすぐ後のことだったか。「こんな点」のさらに度肝を抜かれる点数とあれば、たぶん軟禁状態で勉強漬けは免れないだろう。

次のテストに備えていますぐ勉強を教えてくれと、一ヶ月分の食後のデザートをダシに泣き付かれたので仕方なく滑りかけた口を塞いだ。

尻をひっぱたきながらしごき倒してやったことで、海外進出は避けられたのは言わずもがな。一ヶ月毎日イタトマのケーキ生活は、もうしばらくやらなくてもいいなと思えた。

しかしこれはこれ、それはそれ。

「今度加奈さんが帰国したときは、あのテストの隠し場所、もう言っちゃおうかと……」

「えっ……!?」

ふぅ、と一覇のわざとらしい苦悩のため息に、椋汰の息はいまにも止まりそうだ。

あのひどい解答用紙はいまも、机と壁の間に挟まっている。

時効というものは、親子間に至っては無きに等しい。

「オレも加奈さんに隠し事するの、もう心苦しくて」

というかまた、イタトマのケーキが食べたくなった。

今日のためにしばらく制限していたし、計測した後ならもういいかなって思える。

たまにはパーっと豪勢に、ホールで食べたいものだ。

椋汰母の加奈には『うちのバカ息子のお勉強、見てあげてくれる?』なんて頭を下げられて苦心した頃もあったし、高校受験の折にはかなり時間を割いてやった。

『一覇と同じ高校に行く!』とか無茶で無理な難題要望をするものだから、寝る間も惜しんで謹製の問題集を作ってやったのは記憶に新しい。

模擬試験の度に食事の時間も惜しんで勉強。風呂とトイレ以外は全部勉強。三年次はクラスが別だったのに、わざわざ教室まで行ってやったし、昼休みは余すことなく全部つぎ込んでやった。

自分でだって、こんなに勉強した覚えは無い。

だが他人のとんでもない苦労を他所に、椋汰の成績はなかなか思ったように上がらなかった。久木学園の入学も、実をいえば補欠合格だ。それも椋汰の努力でも一覇の苦労でもなく偶然、奇跡に過ぎない。

しかもせっかく受験のために詰め込んでやった中学三年間の学習範囲は、彼の中でとうにかき消されたようだ。先日の中間考査の数字から、たっぷりと窺える。

最悪なことに、もうすぐで椋汰の誕生日。もちろん今年も例外なく加奈は来日し、ひなぎく園を訪問する予定となっている。

加奈は息子の久木学園入学をたいそう喜んでおり、中間考査の結果もとても楽しみにしていると、明日香から既に聞き及んでいる。

あの散々たる結果を目にしたとき、いったい加奈の怒りのボルテージはどれ程上がってしまうのだろうか。予想を立てるだけで椋汰の全身は真っ青になり、一覇はしめしめとほくそ笑んだ。

よし、うまい具合に話が進んでいる。

これで椋汰に、二度と体重及びプライバシーに関わる話はしないと誓いを立てさせてしまえば、この先はずっと安泰だ。

ほどなくして一覇の計画通りに、椋汰は早速情けなく泣き付いてきた。

「やめてよー!もう体重は訊かないから!」

「体重『は』?」

ドス、と腰に負担のかかる重みと、わずかに匂う不安、暑苦しさが一覇の背中に容赦なく一気にのしかかる。椋汰がごつくてまったく可愛くないのに、とても可愛らしくていろいろ軽い女子みたいにのしかかってきたのだ。

スキンシップ好き女子かよ。

体重『は』ということは、その他のことでは煩いくらいに構い倒すということか。やかましさは変わらないということか。

————畜生、ほんの少し道だか選択肢だかを誤ったぜ。オレとしたことが。

というか重い……鉛でも背負わされてるのか、あるいは子泣き爺なのか。一トンくらいあるんじゃないかと感じさせる、この絶望的な重み。

おそらく長きにわたって野球で鍛えた筋肉なのだろうが、それはそれで男として羨ましい恨めしい憎たらしい。

中肉中背の自分の体重よりもこいつの体重こそ気になる事案だと、一覇としては考えざるを得ない。

どうにか筋肉ダルマの緊縛から逃れたいと必死に抵抗していたそのとき、ドカッと一覇の横っ腹が何者かに蹴られて、一気に体勢を崩した。

痛みと驚愕で一覇の体幹が乱れた途端、のしかかっていた椋汰の体勢も一緒に雪崩を起こし、彼の体重が一覇の背に余すことなく押し付けられる。

「ぬおおおおおを重いいいいいいい」

「貴様ら邪魔だ、いますぐ退け散れ失せろ消えろ」

一覇の横っ腹を蹴り上げた張本人は、本日の日直である四季だったようだ。

いつも以上に辛辣な言葉を並べたてて、普段から釣り上がっている眉と目尻はさらに厳しく。まさに不機嫌マックス、ご機嫌は倒れているどころか折れているといった剣呑な空気を纏っていた。

「なんでオレだけ足蹴にすんの!イジメ!?」

ガチャガチャと教室の鍵を乱暴な手つきで解錠する四季に向かって、一覇は激しく抗議の声を上げた。

しかしいつもみたいな憎たらしい返答はなく、ただ無言で教室が開け放たれる。

そこですかさず璃衣が身をくゆらせて、いつものような妙な方向で艶めかしい冗談を飛ばした。

「それは若なりの愛ですよね?一覇さんのことが大好き……いや、友情を超えた愛情の裏返s」

「貴様の気持ち悪い妄想劇場は、腐った脳内だけに留めておけ」

「若ったらもう……女の子の日だったら私に言ってください。お薬ありますよ?」

「貴様のそういうところが大っ嫌いだっっっ!!!!!!」

四季と璃衣の他愛もないやりとりは、いつもと同じように聴こえる。

だがなんとなく、きっと気のせいではないだろう。璃衣の方が珍しく気を遣っているように、一覇には感じられた。

「…………?」

違和感と、もやもやと纏わりつく不安に、ひとり首を傾げる。

今朝方に目覚ましのアラーム音を消すためにボタンを押したところ、間違えて四季に電話してしまった。使い慣れない携帯電話というブラックボックスは、現代っ子の身でありながら機械音痴の一覇には扱いが難しい。

そのとき軽い雑談をした際には、別段変わった様子は無かったと、一覇は認識している。

その後に、なにかあったのだろうか。

家で?登校する道すがら?

小さい頃の一覇と四季は、その日にあったことをなんでも教え合っていた。

隣の席の女子が可愛いとか、給食で好きな献立はカレーとプリンの日だとか、担任の先生が実はヅラだったとか、算数のテストでいい点を取ったとか、弟の逸覇いつはと喧嘩して負けたとか。

いま思えば学校が違うのに、言っても仕方ないことも喋っていた気がする。

一覇は四季に隠し事なんてしたことないし、するつもりもなかった。一番の親友だからこそ、一切合切なんでも話していた。

四季だってそういうつもりだって、きっとそう想ってくれているって。勝手に思い込んでいた。

なぁ。

————オレたちの関係って、こんなになんにも言えないものだった?

それは雪のように静かに降り積もる、不協和音。

少年少女がいつまでも変わらないときは、ないのだと。

晴れた昼間の空に、白い月がぽっかり浮かんで見ていた。



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