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亡霊×少年少女  作者: 雨霧パレット
第三種霊障士資格試験
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疑問

「なるほど……このスイッチでお呼びして、メニュー表の中からお願いするのですね。よく考えたものです」

いち()がアルバイトしている横浜駅西口側のファミリーレストランは大きな駅のそばにあるとは思えないほど、客足が鈍い。

年に一度の大きな祭りが催される九月あたりは、その効果でかなり賑わうのだが、基本的にはほぼ暇だ。

夕勤だとレジ点検といって、レジの中のお金とコンピュータで計算されたお金に差異がないか調べる作業を、この店ではアルバイトに任せている。

一覇がそのレジ点検をしているときなど、売り上げの少なさを感じて「大丈夫かよ」と不安に駆られるときもしばしば。

だからよかったのかもしれない。

この、写真付きの大判なメニュー表を物珍しげに眺める、明らかに場違いな着物姿の女性がここにいても、気に留める人がそもそもいない。

歳を重ねても麗しいこの女性は、一覇の緊張など意に介せず、ただひたすら珍しい庶民のレストランを観察する。

「シェフのおすすめ、というメニューはないのですね。少し残念です。私いつも、行きつけではおすすめを選んで、なにを作っていただけるのか楽しみにしているんですよ」

かなり時代錯誤だが、このいかにも上流階級にいるようなお上品な彼女は、こうづき(たか)()

のほほんとした雰囲気からはわかりにくいが、《最上の巫女》という二つ名を冠している、この日本でも最高最強の陰陽師だ。

予見者としての才覚も確かであり、日本軍や派生部隊のはもとより、日本の中枢にも深く根を張っている。

敵に回したらなにをしても絶対に勝てないひと、という一覇の認識に、たぶん間違いはなかろう。

————でも、このヒトが……ねぇ。

テーブルに置かれたインターフォンや、紙ナプキンを眺めて面白そうに笑うその顔を見ていると、とてもじゃないがそんな大それた人間には思えない。

だが。

テレビの中でしか見たことがなく、保泉や四季の伝手でぼんやりとした人物像を得ている身だが、自分の確信に自信がないわけではない。

華やかでたおやかな笑顔の裏にどこか見え隠れする、底冷えのする昏い沼。

丁寧に作り込まれたガラス玉のような銀の瞳には、すぐ目の前にいるはずのひとが映っていない。

いつも遠いどこかを、誰かを、なにかを見ている。

「一覇さんのおすすめは、なにかありますか?今日はそれにしてみようと……」

というはしゃいだ声を遮り、一覇は意を決して尋ねる。

「オレに、なんのご用向きですか?」

「…………」

齢五十になろうかという女性が、きょとんとした可愛らしい顔を浮かべている。

なにも言葉を返さず、ただじっと一覇を見つめる澄み切った銀の瞳に、少しだけ気圧された。

だが一覇は、このひとの深層を少しでも掘り下げるべく、小さいながらも必死にスコップを突き立てる。

「あなたみたいなお立場のひとが、こんなところにわざわざ足を向けられるなんて、よっぽどの用事ですよね?」

鷹乃はきわめて穏やかな表情をたたえているが、なにも口を開かない。

ただじっと、一覇を眺めている。

まるで一覇のなにかを精査しているかのように、彼の上から下まで眺めまわし、ゆっくり瞳が揺れる。

それが終わったらようやく、細いおとがいに右手を当てて軽く思案にふける。

その横顔もまた一枚の絵画のような絶世の美しさなのだが、やはりなにかの悪意を感じてしまうのは、一覇の考えすぎなのだろうか。

「たくさん話したいことがあるのだけど……そうね、迷うわ」

ものの五秒ほどか。本当に迷ったのかと疑念を抱くほど早く、話題が決まったようだ。

「まずは先日の資格試験、お疲れさまでした。結果は残念でしたが、とても健闘していらしたと、保泉からきいています」

「……あなたの差し金だという噂もききましたが?」

鷹乃の温かい称賛の声にも、一覇は冷たい氷から出したような声音で返す。

久木学園に在学中の一覇がいま、資格試験を受けるには師匠となる霊障士と、絶対血統家の当主からの推薦状が必要になる。

そして先日の推薦状は、他ならぬ皇槻鷹乃がしたためたものだ。

しかし彼女はしらじらしくも、驚愕で目を見開いている。

「そんな……なぜ私が、久木の一年生になったばかりの一覇さんに、無理難題ともいえる資格試験を?」

「ただの噂ですから」

わざわざ保泉を差し向けておいて、なにをいまさら……と喉まで出かかった嫌味を寸前で飲み込み、とうに空になったグラスへレモン水を注いで、形ばかりではあるが客人である鷹乃に勧める。

「でも、ならどうしてオレは試験を受けさせられたのでしょう?誰が、なんの目的で?」

レモン水にちょこっと上品に口をつけ、なおも鷹乃はしらを切り通す。

「少なくともその方は、一覇さんが第三種以上の立場になることで、なにがしかのメリットがある……そういうことでしょうね」

雨が降り始めた。

大ぶりの雨粒で濡れているガラス窓には、凛と背を正して安っぽい椅子に座る鷹乃と、そのすぐ側で慄然と佇むウェイター服を着こんだ一覇の姿が、はっきりと映っている。

夜の静謐な闇が、死神の奏でる鎮魂歌のような雨に汚されていく。

泥のように濃く、沼のごとき深くに、引きずり込まれそうだ。

「それは、あなたにも言えることでしょうか?」

「ふふ……どうやら一覇さんは私に、なにか期待していらっしゃるようですね」

一覇の澄んだ碧眼と、鷹乃の底知れぬぎんどうがぶつかり合い、線香花火のごとく静かに火花を散らしていた。

しがみつく。

食らいつく。

垂らされた蜘蛛の糸ではなく、不安定な草の根に。

ここで埋まってしまえば、間違いなく一覇の世界は彼女に侵食され、潰されてしまうだろう。

食らいつき、抗い、掴み取る。

もう誰にも、踏み込ませたくない。

————オレが大事に想うせかいを、守るために。

「あなたも、オレになにか間違った期待を抱いていらっしゃるようですが、違いますか?」と、一覇が慎重に声音だけはじっくり選んで尋ねる。

それは意味があるようで、実のところはそれほど深く考えていない問いかけ。

鷹乃はその質問はあまりにも大仰だ、とでも言いたいのか。くすくすと、彼女にしては声を上げて笑いだした。

「期待……そうですね。陰陽道に携わる者として、早く立派な霊障士となるようにと、願いはこめていますが」

互いに互いの腹を探りあい覗きあい、しかし自分の手のうちは絶対に見せないように、ほどほどに慎む。

罠のようにわざと指先をちらつかせ、かと思いきや驚くほどに身を引く。

一覇は思わず喉を鳴らす。

この女、とんだ狸だ。

世間で見せている『皇槻鷹乃』の皮など、ほんの一枚目、さわりに過ぎない。

面の厚い、なんて可愛いものじゃない。

何枚も何枚も、何枚も被っている彼女の仮面は、いったいどれだけ剥がせば本体にたどり着くのか。

あるいは剥がしたもののうち、どれがこの女の本性なのか。

「そういえば」

と上機嫌で歌いだすように、なんの気負いもなく滑らかに口を開いた。鷹乃は自らのペースに、あっさりと一覇を巻き込んでいく。

「あなたのお祖父様……ひゅういっせい様は、とても興味深い研究をされていたようですね」

鷹乃が描き出す途方もない物語の、目録も粗筋もまるで見えない。

ここでなぜ一覇の祖父の話に流れるのか。

予見者たる彼女の思惑は、一覇ごときにはとうてい予見できない代物だった。

「……祖父について、オレが知る情報は一般人のそれと同じです。両親がオレたち兄弟には、あえて伏せていたものですから」

鷹乃の質問にじわじわと感じる不安や疑念を隠すように、一覇は彼女の空になったグラスへレモン水を注いだ。

とぷとぷと小さく音を立てて揺らめくレモン水に、鷹乃はほんの一瞬だけ目を向けた。美しい自然いっぱいの滝でも眺めているような、潤んだ瞳の意味はよくわからない。

一覇がだいたい本当のことを告げたのは、妙な嘘を即興で作れば探りを入れられると危惧したからだ。

いまはなるべく、一覇自身に関わるような話題を避けた方が賢明だ。

少しでもこちらの手の内が予測できるような、そういう情報は与えてはいけない。

必要な情報を引き出せるような価値はないと判断してくれれば、鷹乃は身を引く……そうであればいい、そうしてくれ。そう切に願ったのだが。

「あら、あなたも霊障士候補であれば、少しはお耳に挟んだことがあるのではないでしょうか?」

鷹乃は嫌味がない程度に引いたルージュの唇を、一覇が注いだ冷たいレモン水で軽く湿らせる。

グラスにこびりついたルージュみたいな、ねっとりとした罠の声が、一覇の耳朶を激しく叩いて揺らがせた。

「————『じんぞう』」

「……‼︎」

耳覚えのある言葉によって、一覇の切望は奇しくも粉々に打ち砕かれてしまう。

幼い頃から一覇たち兄弟のことを強く想い、健やかあれと。邪悪な祖父の存在をひた隠しにしてきた両親。

しかしたったひとつの巨大な誤算があったことを、彼らは知らずに逝ってしまった。

普段は厳重に鍵をかけてあった、一見なんの変哲もない日向家の地下にあった書庫。

一覇たち兄弟は、その鍵の在り処すら知らされていなかった。

だが悪戯好きの困った長男は、「探偵ごっこだ!」と母の目を盗んで家の探索を始め、そして偶然にも見つけてしまったのだ。

その鍵が、パンドラの箱のものであるとは、露ほどにも思い至らず。

書庫の中に隠された大量の研究書、実験器具、そして二枚の戸籍謄本————それらの情景が、光景が、受けた感情が。一覇の脳裏に一気に再生された。

もう六年も前のことなのに、最新のビデオカメラを使ってディスクに収めたかのような鮮明さ。

一覇の澄みきった空のような碧眼は、いまにも雨が降り出しそうにみるみるうちに曇っていった。

彼の動揺を敏感に受け取り、鷹乃はあからさまにご機嫌で饒舌になっていく。

「一介の候補生はもちろんご存知ない情報ですが、彼らに関して動いている大きな組織があります。おそらくヴァチカンも、黙っていないでしょう」

目的は同じといえど、霊障術とは大きく歴史も技術体系も異なるエクソシズムを扱うヴァチカン。

彼らと日本政府は、明治維新以前からたびたび衝突しているが、第二次大戦が終戦してから五年後に調印された協定のお陰で、批判も介入もやや控えめになっていたはずだ。

そのヴァチカンが公に動くほどの、大きな流れができている。————すべては祖父がその半生すべてをかけて造り上げた、『人造鬼』が中心となって。

鷹乃がレモン水のお代わりを求めるような視線を送るが、一覇はその仕草に気づかない。

「彼ら『人造鬼』の存在は、もしかしたら人類にとってはとても大きな進歩であり、わずかな希望かもしれませんが……」

仕方なしに手酌でグラスを満たし、軽く唇を湿らせる。

味をしめたみたいに、今度は思いきりあおる。

幼い頃に山積みの研究書を読み漁った一覇だが、所詮は氷山の一角。『人造鬼』のその全貌を知っているわけではない。

ただ、ひとつ……あれはこの世にあってはならない、せかいの運命を捻じ曲げたピースだと。

それだけはよく理解できた。

「まったく一誠様も、とても罪作りなものを、お造りになられたものですね」

と言う鷹乃の顔は、しかし爛漫の春に咲き乱れる桜のように、美優美で華やかなものだった。

声もどことなく弾んで浮かれていて、とてもじゃないが彼女が心を痛めているようには思えない。

まるで苦心して造り上げた箱庭を観察して楽しむ、無邪気な少女のもの。

「一誠様の初めての作品が、実はあのしののめはじめさんだったって、あなたはご存知?」

という問いに、一覇は首を横に振るだけ。

鷹乃から『人造鬼』の話題が出たことにいまだ衝撃を感じ、声が出ないのだから、仕方のないことだろう。

東雲基という人物について、一覇が知るものは一般人と同程度といったところだ。

彼は史上最年少にして昭和初の、第一種霊障士だった。

とんでもない逸話はたくさんあり、そのどれもが平成の世でもお伽話のように子どもたちを虜にしている。

一覇も、母に昭和史の資料の一部分を読み聞かせてもらい、ほかの子どもたちみたいにおおいに憧れたものだ。

「あら、そう」とだけ、鷹乃はあまり興味がなさそうに次の話題を振る。

「ところで確認なのですが」

とかしこまるものだから、一覇も催眠のような衝撃から少しずつ覚めていった。

「あなたが生まれたのは、一九九二年の十月九日……で、間違いはありませんか?」

「?え、えぇ……確かです。幼い頃、母に母子手帳を見せてもらった記憶があります」

小学生の頃、学校の課題で『自分が生まれた時のこと』というテーマの作文を書いたことがある。

自分が生まれた時の両親の感想や、あれば当時の写真を持ち寄り、クラスメイトの前で発表した。

そのときに母が、押し入れに大事に仕舞っていた二冊の母子手帳をわざわざ出して、一覇たちが生まれた時の喜びを話して聞かせてくれた。

母子手帳にはびっしりと、生まれた日付に時間や天気、予防接種の記録や成長過程、その日に起きたことが手書きでびっしりと記されていた。

母に愛されている証拠のように感じられて、子供心になんだか喜ばしかった。

「弟さんは、その翌日?」

と尋ねる鷹乃の銀瞳は、粘つくような重苦しさを感じた。

たぶんこれまでで一番に、核心に迫る話題かもしれない。

一覇はそう直感し、少しだけ間をおいてから注意深く答えた。

「……それが、なにか?」

「昔から双子というのは、不吉の象徴だと怖れを抱かれます。日向家は皇槻の系譜でも旧い家系ですから、なおさら信じられたでしょうね」

ボックス席から立ち上がり、歌うように舞うように、鷹乃はじっとりと一覇の頬に指を這わせる。

一覇の頬を滑る、長く白く細い鷹乃の指は、ひんやり、しっとりしている。

長い睫毛に縁取られた銀の瞳が、一覇の奥の奥まで見透かさんと覗いているようだ。

世界中で『絶世の美女』と謳われる皇槻鷹乃だが、いまばかりは腹を減らして餌を目の前にした、爬虫類を連想させるぎらぎらした表情だ。

万人が美しいと思うはずの白磁の肌でさえ、どこか人間らしく見えない。

「なにをおっしゃりたいのか、わからないのですが?」

そこでにたぁ、と。

悪魔のような寒気さえ感じさせる微笑みで、鷹乃は囁いた。

「あなたがたおふたりがご存知ない、深ぁい秘密……知りたくありません?」

「知る必要はありません」

「……!」

いつの間にか、一覇のすぐ側には四季が立っていた。

まるで一覇を庇うように、鷹乃から守るように、一覇の前にずんずんと進み出でる。

四季の怒り肩が、いつもよりいっそう際立っていた。

「彼はそのようなこと、知る必要はありません、鷹乃様」

四季は念を押すように低い声で唸り、強く繰り返す。

背中越しの一覇からはそれが見えないが、たぶん彼のいまの表情は、怒り狂った豹のごとく獰猛で鋭いだろう。

しかし暖簾に腕押し。鷹乃はハンカチを袂から取り出して口もとに当てて、くすりと小悪魔的に微笑み、

「それは彼が決めることではなくて?矢倉十四代目」

「鷹乃様のたいして面白くない道楽に付き合う必要はないと、そう申しているのです」

普段は気さくに、“四季さん”、“おばさま”と呼び合う親類の彼らが、いまは互いの役職の上で話しているということがよく伺えた。

四季の黄金の瞳が鷹乃を睨み、鷹乃の銀瞳が四季を射抜く。

息が詰まる緊張の空気が漂い、流れ、鷹乃の浅いため息ひとつで霧散した。

「それもそうね。長く生きるとダメですね、つい調子に乗ってしまいます」

固くなっていた空気が解けていき、鷹乃は袂から財布を取り出して一覇に「お会計をお願いします」と告げるも、

「レモン水はサービスですので」

一覇にぴしゃりと言われて、鷹乃はまたしてもくすりと微笑んだ。

鷹乃を見送るために出入り口へ先に向かう一覇の背中に、しかしまたしても鷹乃は悪戯っぽく声をかけた。

「あぁ、最後にひとつだけ」

「?」

思わせぶりな台詞に、仕方なく振り返る。

まだなにかあるのかと、多少うんざりした顔をしてしまったかもしれない。

それもまた、彼女にとっては予見できる範囲であり、面白い反応なのだろう。

「弟さんは、お元気かしら?」

なんて世間話的に気安く尋ねるものだから、一覇もこればかりはさすがに眉をひそめて答えた。

「……弟はもう死にました。あなたほどの方が、うちの事件についてご存知ないとは思えませんが」

日向家の事件は当時、海外にまでセンセーショナルに報じられたときいている。

あの絶対血統家でもっとも旧い皇槻家の、最大の分家である日向家のスキャンダルとあれば、一般人でも驚くのだろう。

一覇の名は当然のごとく伏せられていたが、公にも両親と次男は死亡したと伝えられているはずだ。

皇槻家の後妻である鷹乃だが、あの当時から皇槻家に仕えており、すでに【最上の巫女】として広く名の知れた存在だった。

報道されていない秘匿情報も、彼女であれば把握しているとみて間違いなかろう。

だが彼女は不思議と、本気でうっかりしていたみたいな驚いた様子で、目を丸くしている。驚いた、というのはたぶん、うっかりしていた自分に対してだ。

「……そう、そうね。そういうことになっていたわね」

ぶつぶつと独り言を呟き、何事かに深く納得した様子である。

「……?」

あとから追いついた四季と顔を見合わせて、お互いに「なにかわかるか?」と無言で尋ね合うも、双方ともに思い至らないようだ。

そうこうしているうちに、鷹乃はようやくひとりの世界から脱した。

「またお会いしましょう、日向一覇さん。そのときあなたは————」

かららん、とドアベルが軽やかな音を響かせる。

くるりとファッションモデルのようにターンすると、長く優美な銀髪がふわりと華やかに広がった。

嫌な感じのする含みを持たせて、鷹乃は笑う。

「————いったい、何者なのかしら、ね」


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