月光虫が揺らめく幻想
夜の横浜は、中華街のネオンサインやベイブリッジのライトなんかで煌々と輝いていて、なんだか妙に艶かしい。
彼がよく見ていた夢のなかに出てくる、月がない幻想の町を照らす月光虫が漂っているようだ。
昼がない常闇の町。
煌びやかな妖しい、そんなせかい。
子供の頃から彼が思っていたことだが、思い切って兄に打ち明けてみたところ、よくわからないと首を傾げていた。
確かに普通の子供は考えないことだと、今になってみるとよく理解できる。
体が弱かった彼は、幼い頃からよく読書をして過ごしていたから、運動好きの活発な兄よりも想像力が豊かなのだろう。あの夢はきっと、その表れなのだと。
いまも思い出すのは、暖かな陽で柔らかく照らされた庭先ではしゃぎ、幼馴染の少年を連れ回して遊ぶ兄。
彼はその様子をいつも表面上は穏やかに、本を片手に縁側で眺めていた。
羨ましいのもある。
病気がちでいつも母の横にいた彼にとって、自由に走り回る兄の世界は、とても広く感じられた。
ただそれよりも、彼は兄に強く憧れて焦がれていた。
兄の世界を見てみたい。
兄のように自分の足で歩き、走り、このせかいの空気を感じたい。
弱いからって重荷のように、疎まれるような自分ではなく。
眩しく太陽のように輝く、夢見ていたヒーローのような兄に。
兄に、なりたい。
いつしかその想いが、彼に絡みついて取れないものになっていた。
「なにをしてるんだよ」
と同僚の男がぶっきらぼうに問いかけるので、彼も素っ気なく答えた。
「……べつに」
「ったく、ボケッとしてんなよな」
顔面が痛々しくピアスで鋲打ちされた派手な男は、不機嫌でつまらなさそうにマントを翻す。
「やぁね、隼人。あんまりそのコをいじめると、あのおじーちゃんに嫌がらせされるわよ」
毒々しさすら感じる甘い声で、この場にそぐわないフリルたっぷりのワンピースをまとった少女が男を窘める。
彼女の指先で、本当に毒々しいピンクのネイルが、煌々と灯る夜のネオンに負けず劣らず主張している。
くすくすと、彼を嗤う声たち。
別に影でなにを言われていようと、どう思われようと知ったことか。
こいつらと馴れ合う気はない。
この組織に身を置く理由は、ただひとつ……兄を殺すため。
世界一羨ましくて、世界一大好きで、世界一憎い————兄さんを、この手で殺す。
そのためにボクは、この茨の道を選んだんだ。
兄さんを殺して初めて、ボクはボクになれるんだ。
兄さんがいなくなって初めて、ボクはこのせかいで息を吸える。
彼の、血のように殺気立った紅色の瞳が、夜の深く折り重なった天鵞絨に妖しく輝いている。
強い憎しみに。
深い恨みに。
悲しみに、濃い羨望にぎらぎらと光る。
まるであの幻想の町を淋しく漂う、月光虫みたいだ。




