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亡霊×少年少女  作者: 雨霧パレット
第三種霊障士資格試験
42/88

蜘蛛の糸

引用資料:Wikipedia

第三種霊障士資格試験の二次試験は、試験官と霊障武具基盤を用いて対戦する、実戦形式で行われる。

対戦の順番と相手の試験官は、受験番号に関わらず無作為で組まれ、ほかに受験者側に細かなルールはない。まさに実戦、といったていだ。

二〇〇八年四月九日の二次試験も、つつがなく例年通りに行われている————はずだった。

「そ、そこまで!受験番号四十五番、不合格っ‼︎」

審判の男はやや戸惑った様子で、白旗と声で試験終了の合図を送る。

「あ……ありがとう、ござい、ました……」

受験者の男————二十代前半くらいだろうか————はふらふらになりながら、相手だった試験官にどうにか終わりの挨拶する。

「はい、ありがとうございました」

総白髪で長身、全身黒のソッ姿の試験官は息ひとつ乱れた様子なく、きわめて丁寧に笑顔で応えた。

受験者の男が霊障武具基盤の形すら保てなくて仕方なく非武装なのに対して、試験官の男は基盤を手に握るどころか。

ナイフの一本すら、握っていない。

ほぼすべての試験を、霊障武具なしの身ひとつでこなしたのだ。

体力はもちろん、技術も経験も、全てにおいてここで群を抜いているという証。

これで本日の二次試験は、残すところ十人となった。

これまで試験を受けた五十人は全員————この試験官ひとりに敗退している。

本日の試験は、類を見ない高さの難易度を誇っていた。

なぜ、試験のクリアが通年より難しいかというと……この試験官、日本で最強の称号である「第一種」霊障士だからだ。

第一種霊障士————ろくじょうずみという男の圧倒的で反則なまでの強さをあらためて目の当たりにし、一覇はただただ、息を呑む。

————めちゃくちゃだ‼︎

いままで五十人の受験者を相手にして、彼に霊障武具基盤を構えさせたのは、一覇が見ている限りでわずかひとり。

しかしそれも具現化はたった一瞬で、その一瞬で勝負は決まった。まさに、瞬きひとつの間で……。

二次試験の会場は、元老院本部の隣にある立派なコロシアムで行われ、見学は自由となっていた。

保泉が本日の試験官だとわかったとき、四季に強く勧められ、自分の出番まで見学することにして、いまに至る。

————それにしても……。

一覇はちらり、と熱狂する周囲の人々をしげしげと観察する。

実にたくさんの観客がいた。

殺し合いを観察しているような気負いはなく、まるで野球かサッカーでも観戦しているようだ。なかにはビールを片手に、ヤジのような応援をしているオヤジがいる。

それもそのはず。

一般人は生まれてから死ぬまで霊障武具に触れるどころか、霊障術さえ滅多に見られるものではないのだ。

どうりで物珍しさに人が集まるわけだ、と一覇は呆れ半分、感心半分のため息をこぼす。

しかし本日はこれまで、霊障武具同士の戦いがほとんどなかった。

霊障武具戦を観に来たはずの観客たちのフラストレーションは最高潮、保泉へのブーイングすら高まっている。

「あのアホ神父の霊障武具は “こく耀よう”、重力操作をもっとも得意とする特殊型だ」

隣で不機嫌そうに腕を組んで観戦しながら、四季が懇切丁寧に解説してくれる。

霊障武具にもそれぞれ性質と特徴があり、基本的には使用者の性質にもっとも適した性質————だいたいが使用者の性質と同じ性質————が選ばれる。

その性質とは別に、ごく稀だが特殊能力を併せ持った霊障武具がある。

特殊型の能力は陰陽五行思想の五つの性質、そのどれからも外れた人智を超える神のごとき力。

ゆえに扱いが難しく、実戦で使いこなせる境地に至った者は少ない。

「クソバカ神父でさえ、特殊能力は滅多なことでは出せない。どうにも体力の消耗が激しいと、ぼやいていたくらいだ。だからこの際、無視していい。それより重要なのは……」

鋭く唸る四季の言葉を、一覇が引き継いだ。

意見が合ったふたりの視線が交錯する。

「性質、だな?」

頷いてまた、四季はコロシアムの中央で巻き起こる戦いに、視線を戻す。

いまの受験者はそこそこ奮闘しているものの、やはり保泉は汗ひとつかいていない。

「……奴の性質は、僕と同じ『』。『ごん』性質の一覇からすれば、一見してぎょうそうしょうの法則に従い……きわめて有利だ」

五芒星の関係図を思い出してもらいたい。

もく』は『』を生じ、

』は『』を生じ、

』は『ごん』を生じ、

ごん』は『すい』を生じ、

すい』は『もく』を生ず。

相手の要素を補い、強める影響を与えるものを「そうしょう」。その逆に相手の要素を抑え、弱める影響を与えるものを「そうこく」という。

注意したいのは「相生」は相手を強めるので常によい、「相剋」は相手を弱めるので常に悪い、という捉え方ではないことである。

陰陽五行思想の前進となる陰陽思想には、陰陽二元論というものがある。

陽は善ではなく、陰は悪ではない。

陽は陰が、陰は陽があってはじめて一つの要素となりえる。

陰も陽もどちらも、あくまで森羅万象を構成する要素のひとつに過ぎない。

それは陰陽五行思想にも引き継がれている。

五つの性質の関係性は、五つすべてが揃って、はじめて世界が成り立つ。

とはいえこれこの場においては相手を倒すための戦いであり、それぞれに向き不向きの性質があるというものは、変わりはしない。

現代におけるおんみょうじゅつの授業で使用されている教科書では、陰陽二元論的な見解はほぼ排除されている。

陰陽術はあくまで霊障術の補助的役割であり、霊障術はと殺しあう、戦闘のために磨かれた技である。

日清戦争で清国に勝利して以来、日本の霊障術という分野の発展は大きくなった。

清国から大量に奪い取った資料や蔵書で得た知識で、当時の霊障庁は惜しげもなく研究や実験を繰り返していた。

口にするのも憚られるような非人道的な実験も、非公式だが行われていたという記録がある。

第二次世界大戦の敗戦で、資料の一部がGHQに没収されていなければ、いまごろ霊障術は祓魔術を超えるとさえ予測されていたくらいだ。

その名残、そして解体ではなく再編された日本軍の存在が相まって、霊障士軍国の日本では、霊障術というものは戦闘術であるという認識が強い。

しかし一方で、陰陽術に慣れ親しんだ霊障士たちのなかには、陰陽五行思想を重んじる者も少なくない。

積み重ねられた歴史をたどればなるほど、確かに先人がたの教えも決して棄てるべきではない。

四季はあらかじめ自販機で買っておいた缶コーヒーのうち、微糖のものを一覇に差し出した。

冷たいものを買ったのだが、この季節にしてはやや早く常温になっているようだ。

四季は好みのブラックコーヒーに口をつけ、やや渇いた喉を湿らせる。

「別に僕は陰陽五行思想がすべてだという(たち)ではないが、利用しない手はない」

研鑽を重ねた先人がいるからこそ、いまの霊障術が存在するのだ。

四季も大日本帝国霊障軍人であった曽祖父の教えが生きて、その点に関してはやや大日本帝国式の霊障士寄りになっていると自覚している。

しかしやはり現代に生きる若者である、曽祖父よりは柔軟性に富んだ思考ができる。

歴史に想いを馳せるか、技術の進歩を感じるか。

いうなれば理系と文系の違いであろう。

それぞれに思想や知識が違う、だから異なる結論に至る。

しかし技術や歴史がどうのより、その結果がすべてではないか。

少なくともいまの四季は、そう思っている。

どちらにも利用できる点はあるし、どちらが間違っているとかはない。

物事は柔軟性が必要である。

勝負は決した。

やはり保泉の一方的な勝利で終わった。

受験者はもう満身創痍で、一覇たちにも係員が二人がかりで医務室に搬送している様子が見える。

「これまでの受験者のなかには、もちろん『ごん』性質の者もいた。いまの男も、『ごん』性質だ。にもかかわらず、奴にかすり傷ひとつでも負わせられたやからは、誰もいない」

通常の試験官が相手の二次試験であれば、受験者をだいたい五等分にして休憩を挟む。

試験官が交代する時間も設けるわけなのだが、今回に限って試験官は保泉ひとり。

しかも休憩なしで、だいたい一試合にかける時間が十分くらいがせいぜいなので、通常よりだいぶ巻きで進行している。

それでも保泉に、疲労の色がほとんど見えない。

たまに水分を補給している様子があったが、おそらくその時間も三分とないだろう。

「というか、普通に実力差だけでも鑑みて十割十分、突き抜けて負ける」

まるでバケモノを見る目で、保泉がペットボトルの水に口をつける姿を苦々しく睨みつけて、四季がうなる。

「おいおい……もうちょいオレを信じろよ。いいセンいくかもよ?」

「黙れゲロ野郎。貴様ごとき、僕にすら絶対に勝てない」

これまでの圧倒的な、模擬試合にすらならないものを見せられてもなお、軽口を叩く一覇の額にコツンと、たしなめる意味で小さく拳を当てた。

「衆人環視があるからなにがあっても殺されることはないだろうし、いままでの経過を見るに、奴は本気で戦う気がない。たぶん試験官を引き受けたのも、教会に迷える子羊が来なくて暇だから、が本当の本音くらいだろう」

保泉が携帯電話を耳に当てている。誰かと通話しているようだ。

その余裕がありすぎる様子を見ていた観客のひとりから、「早く霊障武具だせよ!」と直接的なブーイングがかかる。その声でほかの観客にも火がついたのか、不満をためていた観客たちの声が高まった。

波のように、観客の声が会場に広がっていく。

「でも、もっとも危惧すべき存在が、奴の後ろにはいる」

騒々しい会場内にいるにもかかわらず、四季の声は一覇の耳によく届いた。

発声法からして違うのだろう、決して大声を張り上げたわけでもないのに、切り取ったようにはっきりと聴こえる。

「おばさまはいつも僕たちに優しいが、容赦ない一面がある。なんの目的があってこんなこと仕組んだのか、僕にはわからない」

四季に向ける鷹乃の笑顔は凪のように穏やかで、柔らかいもの。女性らしい、母性を感じる。

だけどときおり、ほんの一瞬だけ。

底冷えのする視線を注がれるときがある。

その理由は、四季にはわからない。

少し怯えながら、ただ黙って、視線がそっと外れるのを待つ。

鷹乃はなにも言わず、また実の母のように愛しさをもって触れてくれる。

「おばさまがお考えのことは、誰にも……理解できまい」

支配者の眼だ。

四季の直感がそう呼んでいる。

小さな箱庭に置いた家や樹木、人形を眺めているような、そんな全能なる神の視線。

彼女がヒトを慈しむのは、たぶん虫かごや水槽を観察するひとと同じような感覚なのだろう。

一覇に構うのも、そんな理由のひとつなのかもしれない。

観察していた水槽に、面白い個体が入ったから……そんなところか。

「だからなるべく、『普通に負ける』!おばさまの興味をこれ以上そそらせないために、貴様はあくまで普通でいるんだ」

一覇はあの、ひゅう家で生き残った最後の人間。

鷹乃でなくたって、興味をもつ人間は大勢いる。

ここで変に目立つようなことをしたら、そういった妙なやからを刺激しかねない。

もう一覇にはつらい思いをせず、なるべく普通の生活をしてもらいたい。

あんな過去は、全部、棄ててもらいたい。

「無様に負ける自信はあるけど?」

「貴様は自分に自信があるのかないのか、ハッキリしろ!」

一覇があまりにも自信満々に、妙な後ろ向き発言をするものだから、四季の気も軽く抜けそうだ。思わずくすりと笑ってしまった。

たぶん一覇は狙っている。

目を合わせて、互いにくす、と微笑んだ。

一覇が負けず嫌いな性分なのは、幼なじみという立場から四季もよく味わっている。

だがこれは、命のリスクを背負った問題である。

「だがなんでもいい、負けろ!無駄にいい頭で戦略を練って、いい勝負に持ち込むとか、そういうのは絶対に控えるんだ!」

「ひっどいアドバイスですねぇ」

「「‼︎」」

突然、会場に設置されたスピーカーから保泉の、よく通るバリトン・リリコが響いた。

ふたり同時にコロシアムの中央部に注目すると、そこにひとりで立つ、マイクを持った保泉と目が合った。

相変わらずの余裕しゃくしゃくな笑みを浮かべ、黒と紅色の瞳が光っている。

「二十点減点です。そう弱気なところが、君のもっとも悪いところです」

観客たちの視線は一斉に、一覇と四季に集中する。

興味を隠すことをせず、誰もがメディアで見たことのある四季の顔を無遠慮にジロジロ眺めていた。

四季もまた臆面することなく、観客の視線も声も無視して保泉に怒りの視線を浴びせる。

「かったるくなってきたので、順番を変えさせていただきます。受験番号444番の、ひゅういちくん」

「……っ!」

この世界に明るい一部の観客が『日向』の名を聴き、一斉に騒ぎたて始める。

一覇の輝く金髪は、嫌でも目印になる。いままで四季に集中していた視線が、今度は一覇に向かっていくのがはっきりと手に取るようにわかった。

よくない噂と不安が伝播して、会場の空気がひりついた。

係員も騒がしくなった会場の雰囲気を不安に思い、ことの発端である保泉を止めようとしている。

だがもう、その判断はやや遅かったようだ。

風になびく総白髪をかきあげて、涼やかに向けるは戦意。

決して敵意ではない。悪意かどうかは、果たして現状では判断しかねる。

「どうぞ、こちらへ」

節くれだった長い指を、丁寧に差し出すような仕草。まるでダンスに誘うかのような、実に優雅で紳士な動作だ。

薄い唇は、なにを考えているのかわからない、貼り付けたような笑み。

なのに少し目尻がたれた瞳は依然、一覇との戦闘を熱く強く切望している。

隣にいる四季に目を向けると、彼は視線で「誘いに乗るな」と強く訴えている。

そう。これらはすべて、皇槻鷹乃が巧妙に仕組んだ、なにかしかの罠かもしれない。

張り巡らされた蜘蛛の糸に、いまにもかかるかもしれない、その瞬間。

一覇は、

「上等じゃん」

わずかに高揚した笑みで、保泉が待つコロシアムの中央に向かった。


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