表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
亡霊×少年少女  作者: 雨霧パレット
スタートラインはここから
34/88

箱庭で揺れる人形劇

封鎖された現場で誰よりも遅く……深夜まで事後処理を続けて、保泉は終電ギリギリの電車移動で皇槻家に戻った。

一応は車も持っているが、都心や横浜市内なら電車の方が駐車場の問題がなくて都合がいい。

横浜市中区の一部分にある広大な皇槻家の敷地は、半分くらいは森になっている。

一般的な地図上では『皇槻神社』として登記されている、由緒ある土地だ。

()()()い朱色と白で彩られた寝殿造りの、その最奥部……主人の部屋に併設された浴室に、保泉は直立していた。

「日向一覇……まるで“彼”の生き写しですね。このこともご存知で?」

大判サイズのバスタオルを新しく用意して、間仕切りの向こうにいる主人が湯冷めしないよう待ち続けている。

まるで忠犬だ、とときおり自虐することもあるほどに、彼女には忠実なつもりでいる。

本来であれば侍女の役目なのは当然なのだが、彼女は余計な人を嫌う。

ほとんどの世話を保泉に任されている理由が、これである。

いくら相手が子持ちの人妻とはいえ、自分は男なのだから、浴室での世話だけは止めさせてもらいたい。そう思う日もある。

彼女————《最上の巫女》(こう)(づき)(たか)()は、頼りない(とう)でできた間仕切りの向こう側に男性がいる、という気負いを感じさせない、軽やかな声で答えた。

「えぇ、もちろん。予見というのも、つまらないものですよ」

「どこまで()えていらっしゃるのやら……ワタシも一度は視てみたいものです」

ぱしゃん、と鷹乃の手遊びに反応して、湯が踊り跳ねる。

(ひのき)の湯船から湯気が立ちのぼり、龍のごとく踊り狂うさまを、保泉はなんとなく目で追った。

水蒸気を追いかけることに特に意味はなく、暇つぶしに最適だっただけだ。

それでも気を引き締めているつもりで、彼女の一挙手一投足に注目を置いている。

「面白いことは……まぁ、たまにありますけれど。お勧めはしかねます。常人では気が狂いますよ」

どうやら、かけた軽い罠に、徐々に近づきつつある。

内心でほくそ笑んで、保泉は彼女を追い込もうと言及する。

「貴女は常人ではないとでも?」

しかし彼女はふふふ、といつもみたいに悪戯っぽく笑って、ぬるりと答えた。

「少なくとも、普通の女性ではありませんね」

「確かに……おっと、失礼しました」

思わずくっくと笑ってしまった。

いついかなるときでも、主人に対して礼儀を欠いてはいけない。これが保泉なりの、執事の最低限の矜持である。

————まったく……この御方は。

いくら細かい網目のように罠をはろうと、こうしてするりと抜けてしまう。

とある理由から彼女に仕えて、もう三十年になるが、いまだに罠にはまってくれない。

それどころか、たぶん彼女は保泉の目的を知っている。だけど黙って生かしているし、こうしてそばに置いて重宝している。

重要な役割を与えるし、必要とあらばたぶん彼女は保泉を擁護するだろう。でも……

————最後には、スパッと切って棄てるんでしょうね。

思わず出るのは、苦笑だ。

皇槻鷹乃という女性の、不思議で底知れないなにかの力と魅力に、今代最強の保泉でさえ笑うしかない。

皇槻家の出ではない、絶対血統家の分家ですらない一般家庭の娘が、あろうことか皇槻の後妻。

彼女がなぜ希少な予見者として生まれ、《最上の巫女》と称されるほどの能力を有しているのか。

三十年の時を共にしても、いまだ紐解かれない謎。

ただ。

鷹乃にとって、保泉の力がいまのところ必要。

保泉もまた、鷹乃のそばにいることで果たせる目的がある。

気持ちのいいくらい利害の一致があるから、なにをしてもお互いに見て見ぬふり。

でも、肝心の懐には、簡単に入れない。

すべてが容易に白日のもとに晒されてしまうのは、面白くないから。

「ワタシたちの関係は、それくらいでちょうどいいのかもしれませんね」

ほとんど独り言のような保泉の結論は、鷹乃も深く納得のようだ。

「貴方のそういう素直なところ、わたくしはとても気に入ってるわ」

腹の探り合い。ときに軽い糾弾と、冗談の応酬。

きっとこれからもこの関係は崩れず、むしろ日に日に面白味が増していくのだろう。

どちらかが飽きたときが、止め時である。

「……それにしても」

鷹乃は思い出したように、湯船の(へり)に置いていた、二枚の戸籍謄本のコピーを眺めはじめた。

飾り気のない黒のフォントで、戸籍の持ち主の情報が一切合切記載されている。

一枚目は『日向一覇』。

一九九二年十月九日生まれの、長男。

出生地は、神奈川県横浜市中区。

届出人は祖父。

父は『(ひゅう)()(けい)(いち)』、母は『(ひゅう)()()(なえ)』とされている。

二枚目は『(ひゅう)()(いつ)()』。

出生地や父母の欄は一枚目とほとんど変わりないが、出生日が異なっている。

一九九二年十月十日生まれ、次男。

双子で誕生日が違うことは、彼らに限らずともままあることだ。

二番目が午前零時を跨いで生まれたなら、もしくはなにかほかの要因から日がずれたなら、医師は正確な情報をカルテに記す義務がある。

その一方で、両親が学校においての学年などを考慮して出生届を記入し、同じ日に変更する場合も多くある。

別に違法でもなんでもない。

だからこの戸籍謄本には、なんら不可解な点はない。

ないはずなのに、鷹乃は彼らの名前と、出生日の欄を愛おしそうに撫で回し、くすりと小さく微笑を浮かべた。

————これは、間違いなく……

「本当に……“彼”なのですね。ふふ、わたくし、生娘にでもなった気分です」

悦びをいっさい隠すことなく、綺麗な鈴の音みたいな声が弾んでいた。

鷹乃の人当たりのいい顔が、珍しく意地悪そうに嗜虐心を孕んで歪むさまは、一種の狂気を帯びている。

愉悦。あるいは歓喜。

————このときをずっとずっと、ずっと待っていたのです。

「……あら」

あまりの興奮に手が震えて、うっかり戸籍謄本を二枚とも水に浸けてしまった。

ありえないことに、黒いインクが滲んで文字が消えてしまったようで、紙はまっさらな状態になった。

「……本物をご覧になったら、いかがです?」

まだ本当に“彼”だという確証はない。確かめるべき。

彼女がしょっちゅう気にしている噂は、ただの眉唾物だ。

保泉が一応、そう示唆してみるが、恥ずかしがり屋の彼女のことだ。

「いまは、まだ……」

ほらね。

こういうところは、貞淑といったところか。

間仕切り越しの保泉からでは、いまの表情は見えない。

でもたぶん、神話から飛び出した女神のような美貌に、お茶目な照れを浮かべているはずだ。

「そのときではありませんよ、保泉」

そのときが来たら、彼女は魔王のごとき手腕で根回しをして、望むようにことを運ぶのである。

「左様で」

恐ろしや、とまた妙な笑いがこみ上げた。

本当にそのときが来たら、いまみたいに笑っていられないのだが。

保泉はひとつ、もしもの話を浮かべた。

たとえば彼女が真に常人であるというのなら、きっとこの“せかい”そのものが歪んでいるのだろう。

この“せかい”すべての人々が、糸の切れた人形であるとすれば。

皇槻鷹乃はすべてを与えられた超高性能の自律式人形である。

こうも神様に愛された皇槻鷹乃という人形は、これからいったいどんな色を見るのだろうか。

たぷん、という湯が檜に当たる音が聴こえたので、保泉はずっと手にしていた大判のバスタオルを差し出した。鷹乃が湯船から上がったようだ。

バスタオルと交換で、びしょびしょの紙切れが差し出されたので、それはくずかごに丸めて廃棄。

とても四十代半ばとは思えないくらいに滑らかで白く、人妻特有の艶めかしさを併せ持った肢体は、保泉が差し出したバスタオルに包まれている。

美しい銀色の長い髪が濡れた背中に貼りついて、それもまた色気を醸し出しているようだ。

「これからも、彼らを見守ってあげてくださいね……保泉」

保泉は低く腰を折り、主の命令に即答した。

「仰せのままに」

鷹乃が着替える間に、風呂上がりの茶を用意するからと、保泉は浴室をあとにした。

ひとりになった鷹乃は濡れた身体を拭きながら、ご機嫌にうたを歌いはじめる。


————ここは(ボックス)(ガーデン)

————我らその小さき(あめ)(つち)を生み出し、かの地を七日にて創造す。

————全能の創造者たる我らは(つく)(よみ)(ゆめ)(うつつ)を以て、かの地に汝らを残す。

————いざ()かん、我らが(せい)()

————流れ()つれば、(すなわ)ち『解放』。


不思議なリズムと音の響き。日本語のようでいて、日本語には当てはまらない抑揚がある。

コケティッシュな鷹乃の声なら、なおさら妖しさに磨きがかかる。

四季折々の景色を楽しめるように配置された日本庭園。

その庭園に向かって造られた全面窓からでも、欠けた月が輝いてみえる。

瞬きを繰り返すみたいに、ゆっくり満ち欠けする月が、鷹乃には愛おしくも憎たらしい。

「わたくしの……わたくしだけの、《ボックスガーデン》。そうでしょう、ねぇ?」

つう、と窓越しに、小さな月を指で撫でる。

怨み?妬み?

いやこれこそが、彼女にとっての愛情だ。

ほんとうの《愛》を知らない彼女の愛情表現は、とても醜く歪んでいる。

でも芯には、誰もが持ちうる飢餓があるのだから、きっと純粋な気持ちなのだろう。

赤い唇で、想い人の名をなぞる。

「ヨルムンガンド」

————箱庭で迷う可哀相な羊は、誰?



いろいろ伏線張りまくりました。

はじめましての読者様もいらっしゃるのかな?

妖しい美女のお目見えです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ