最強の霊障士
ざり、と金属が擦れる鈍い音が聴こえた。
背筋が泡立って振り返ると、悪魔がふたたび武器を手に構えている。
「ぐ、ぎ……違う……違う……」と、相変わらずわけのわからない独り言を呟いて、しかしゆっくりとこちらに向かってきた。
「しつっこいな、クソっ!」
残された手札のしょぼさに、思いきり毒づいた。
相手も今は急いでいないが一覇の場合、怪我で消耗している四季を庇いながらの歩みは、決して速いものではない。
武器もない、逃げ足も絶望的。
残ったカードは
「僕を置いて、一覇だけでも逃げれば……」
「あーそうですか、じゃ!……なんて、今更言えるかよっ!!」
ずり落ちる四季を歯を食いしばって力の限りで抱え直し、できる限りで早足に逃げようとする。
その間にもなにか策がないか、頭をフル回転させるが、やはりそう簡単に逃げ切れるものではないらしい。
だが。
「一覇……?」
四季は急にぴたりと立ち止まった、すぐ側にある一覇の横顔を、怪訝な顔で見つめた。
右手に握りっぱなしだった『お守り』が、自分の存在を主張するみたいに急に熱くなった。
まるで彼女が呼んでいるみたいに、思えた。
また独り善がりのもの悲しいヒロイックか?自分にうんざりだ。————違う。
違う、今度こそ。
すぐ側の壁際に四季をおろして、自分は悪魔のもとへ。
その足取りは、決して自棄を起こしたようではなく、しっかりとしている。
「一覇!?なにを」
「いまなら、大丈夫だから」
振り返って、微笑むその顔は、颯爽と敵に立ち向かう背中は。
頼もしい、四季が憧れた、かつての少年のものだった。
『一覇』
声が聴こえた。優しく温かい、天使の声。
真っ直ぐに正面を向いて、右腕を手前に伸ばし、天に捧げるかのごとく基盤を支える。
————瞬間。
一覇の周囲に滞留していた橙色とライムグリーンの光が、複雑にせめぎ合い絡み合い混じり合い。
三度の収縮、明滅を繰り返し、やがてひとつの武器になる。
霊障武具基盤の“かぐや”は、鮮やかなライムグリーンの輝きを纏って、本来の姿であるところの曲刀の形を得た。
しかし、一覇の記憶にある“かぐや”の刀身とは、どうやら違うようだ。
美しい、ほんとうに美しいの一言に尽きる。炎をそのまま氷にしたような苛烈さと、透明感を持ち合わせている刀身だ。
柄は曲刀というより、古式ゆかしい日本刀に近い。燃えるような紅の紐で彩られている。
彼女はこれまでの鬱憤を一気に晴らすかのように、鮮烈で痛烈、そして力強くエンジンを唸らせる。
たんっ。
と、まるで無駄な力が入っていない音なのに、とんでもない飛距離で宙に舞い、悪魔との距離を一気に詰める。
————……体が、軽い。
溜まっていた霊子が抜けて、体まで軽くなったのか。
視界もさっきよりずっと鮮明で、痛いくらいに綺麗で。そう、これは————
「覚醒……したみたいだ」
四季は惚けたように口を開けて我知らず、ぽつりと漏らした。
もちろん霊障士にマンガやアニメであるみたいな、『覚醒』なんていう現象はない。
だがいま、一覇に起きたことを、もっとも的確に表現するならば……。
舞のように軽やかに、曲刀“かぐや”を自在に操り、さっきまで強敵だった悪魔を圧倒する一覇。
真っ直ぐで綺麗な正眼の構えで、大上段の一撃。
「ぐぅぅ……っ」
悪魔は肩に負った傷口を押さえて、苦しそうに低い呻き声をあげている。効いているようだ。
一覇は続けて、がら空きのわき腹を狙った。曲刀を大きく横一閃に凪ぐ。
しかし悪魔も必死に応戦して、とっさに鎌で防御。そのまま緊迫した鍔迫り合いに持ち込まれる。
互いに予断を許さないなかで、悪魔が食いしばった歯の間から、ふと漏らした。
「ぐ……ぐ、酒呑……童子、さま……?何故……です、か……」
「……?」
決して気を散らさないように、目の前の敵に注目しながらも、一覇はわずかに眉をひそめた。
————酒呑童子?
あの伝説の鬼がなぜ、ここで出てくる?鬼がコイツらの首領だからか?
しかも悪魔はあろうことか、真っ直ぐに一覇を見て言っている。————一覇に、言っている。
鬼……とりわけ『童子』の名を冠する者は、鬼魔のなかでも一目置かれている。
その理由は単純に、彼らが賢くて強いからというだけではない。
《祠の悪鬼》を含めて、すべての鬼魔が童子との〈血の契約〉に従って、生かされているから……らしい。
一覇にも〈血の契約〉なるものがどういうもので、いったいどれほどの意味があるのか、よくわかっていないが。
「う、うぅぐ……酒呑童子、さま……」
悪魔はなにか、抗えざるを得ないものに抗うような、苦悶の表情を浮かべる。
「く、そが……酒呑……どう、じ……」
「意味わかんないこといってんじゃねぇよっ、悪魔……っっ!!」
絡まる鎌を無理矢理に振りほどき、一覇は刃をそら高く振りあげた。
————次で……決めるっ!!
「消えろっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!」
一覇の曲刀が悪魔の胸を突くか、その直前のことだった。
黒い大きな十字架が、代わりに悪魔の胸を容赦なく串刺しにした。
背後から刺されたのか、生温かい血が一覇に降り注ぎ、顔と白かったシャツに染みを落とす。
「ぐ……がっ……」
「いやはや。見事なお手前ですね、少年。いや————」
悶え苦しむ悪魔の背後に、背の高い妙な男が立っていた。
白黒の、裾が長い修道服。やや長めの髪は総白で、右眼はなんの変哲もない黒なのに、左眼はゾッとするほど美しい紅色。
背格好だけでも充分目を引くものがあるというのに、その存在感は圧倒的。
四季も元芸能人なだけに惹き付けられるものがあったが、それとは真逆というか。きちんと聖職者に見えるのに、敵に回すと恐ろしいような気がした。
とても優しそうな穏やかな目元だが、瞳の奥になぜかうすら寒いものを感じる。
「日向家最後のご長子、日向一覇くん」
耳ざわりのいい滑らかなバリトン・リリコで、男は一覇の名を呼んだ。
目が合ってこのとき、一覇は初めて男の左眼が義眼だと気づいた。
————誰、だ……?
一覇がぼんやり見ている間に、男はゆったり、しかしてきぱきと混乱の現場を整えていく。
「このまま持っていってください。皇槻家で解析します」
「えっ!?しかし……」
男よりも身分が下らしい、霊障士の正装を身につけた青年が困惑の声をあげた。
しかし男は相変わらずゆったりと構えた言で、いまだ戸惑う青年にきちんと安心できるよう伝えた。
「ワタシの武器はお気になさらず。このままにしておけば、強力な拘束具にもなりますからね」
それからほかの大人たちにいくつか指示を飛ばし、荒れた現場はあっという間に沈静化されていく。
少し落ち着いたところで、男はふたたび一覇に目を向けた。
「……さて」
悪魔を搬送する様子を眺めながら、男は先ほどよりも親しげな笑みを貼り付けて、いまだ呆然と座りこむ一覇へ丁寧に挨拶を送る。
「あらためまして、『こんばんは』と『はじめまして』。ワタシのことは、そこの彼からきいておりますか?」
男はニコニコしながら、視線を一覇から、応急の手当を受けている四季にちらと送った。
男が言う「そこの彼」というのが四季のことだと、すぐにわかる視線の飛ばし方だった。
一覇はいまだ目の前で起きたことに驚いて、言葉が出なくて、ただ幼い子供のように首を横に振る。
それでも男が特に気を悪くした様子はなく、むしろ「予想通りだ」と言わんばかりに、面白そうにくすくす笑いだした。
「でしょうね。……あぁ、お気になさらず。彼はワタシのことが嫌いですから」
「嫌いというか、大大大っ嫌いだ」
四季の横やりには、しかしぴしゃりと苦言を呈する。
「アハハ。それでもキチンと挨拶くらいはしなさい。君のその無礼さは、十点減点ですよ」
四季は心底嫌そうな顔を浮かべて、苦々しい口振りで仕方なしに、ボソボソと定形ばった挨拶の文句を述べる。
「……お久しぶりです、師匠」
————師匠?
一覇は目をぱちくりしながら、それからはやや気さくに交わされる二人の会話をしばらく見守っていた。
「やだなぁ、堅苦しい。いつも通りでいいですよ」
「貴様が言ったんだろう!?だいたいっ、貴様が今更のこのこと……ここになにをしにきた、インチキ神父!」
「わぁお、相変わらず毒舌」
「……誰のせいでこうなったと思っている……っ!」
四季は今にも抜刀しそうなくらいに怒りを浮かべていたが、それでもカソックの男はヘラヘラと笑っていた。
「戯言もこれくらいにして。ワタシからご挨拶申しあげます」
しばし四季を怒らせて楽しんだのちに、男は本題へと入りこむ。
「ワタシの名は六条保泉。皇槻家所属の第一種霊障士で、一応、鷹乃様の執事を務めさせていただいております」
カソック姿の男……保泉はす、と一覇に握手を求めた。
その名は、おそらくいまの日本で、いや世界でも知らない者はいないだろう。
六条保泉といえば、平成では初めてにして、いまのところ唯一の第一種霊障士————いわば今代で最強の名を轟かせている。
その一方で《最上の巫女》として世界中に知られる皇槻鷹乃の執事として、皇槻家の顔役も果たしているのだから、どれだけ有能かは言わずもがな。
霊障士を目指す、あるいは現職にしている者であれば誰しもが、一度は憧れる人物のひとりであろう。
かくいう一覇も、実は密かに憧れを抱いていた。
学校に通う身でも、教師とは別に師匠を見つけて付き従う霊障士は多くいる。副業としていわゆる『霊障塾』で稼いでいる、高名な霊障士もいるほどだ。
一覇は師と仰ぐなら、義父の八尋か保泉がいいと常々考えていた。
そんな大層な人物だからこそ、一覇たちがあれだけ奮闘しても倒せなかった悪魔を、たった一瞬の一撃で屠った。————当然の結果といえよう。
一覇はさまざまな緊張で痺れていた指をようやくほぐして、保泉の握手に笑顔ともなんとも形容しがたい表情で応えた。
世界一の霊障士の手は、自分よりも大きくて筋張っている。
「あ、えと……いまは河本、一覇です……第四種です。……その、」
一覇が言葉を泳がせているのは、保泉が正装ではないことへの戸惑いかと思ったのか。
本当のところは、まさしく雲の上の存在と突然の遭遇に、思考とテンションが追いつかないだけなのだが。
保泉はファンサービスとばかりに、気さくに答えてくれた。
「あぁ。副業として、教会の神父としてもお務めしておりますので」
「とんでもなくインチキだがな」
鼻で嘲笑う四季に、しかし保泉は特に咎めはしなかった。
「しかし……ふむ」
それよりも一覇に興味があるのか、無遠慮にしげしげと見回している。
顎を揉んで、やがて不敵でいやらしげな笑みを浮かべて呟いた。
「これはなかなか、面白いことになっているみたいですね。……四季様」
お耳を拝借、と四季に耳打ちして、なにやらふたりで内緒の話を始めた。
一覇にはなにがなんだかわからないが、やがて四季が顔を真っ青にして怒りだしたところを見ると、いい話ではないようだ。
「っ!?なっ……そ、それはだめだっ!!」
「だめもなにも。君に拒否権はありませんよ」
にべもなく拒否を拒否し、外国人のオーバーアクションよろしく首を横に振る。
「第一にこれは、あの方のご指示ですので。ワタシにはなんとも」
四季が悔しさで歯噛みしているのを、面白がるように一瞥してから。
「では日向十二代目。また、お会いしましょう」
保泉は颯爽と踵をかえして、現場の指示に戻っていった。
保泉が仕事をしている頼もしい背中を、一覇と四季はただ黙って見ていた。
お互いになにも言わないけれど、たぶん……
彼の後ろ姿をいつかの未来と重ねて、いまの無力を嘆いている。
いまのオレたちは、自分を守るだけでいっぱいだ。
もっと強く……強くならないと、いけない。いまのままじゃ、だめなんだ。
それこそテレビアニメのヒーローみたいな、ひとを守れる圧倒的で非科学的な強さ。
幼かったあの頃、君は瑞々しい林檎のように火照った笑顔で言った。
『一覇はかっこいいよ!僕の……僕のヒーローだ』
————あのときのオレは、なんて答えていたっけ。
たぶん恥ずかしがって、でも嬉しくて。誇らしげに笑っていた。
オレは……
誰かに誇れる強さを、持っているのだろうか。
強さ、ってなんだろう。
いまのオレたちには、世界中の数学者たちが躍起になる懸賞問題よりも、ずっと難しかった。
迷う戸惑う、箱庭の羊は、誰?
新キャラ登場です。
よろしくお願いします!




