無力な手
日常から一転、暗い展開が始まります。
……元からか。
一覇と四季は今、横浜駅前のファストフード店にいる。
一覇はいちごシェイク、四季はバニラシェイクをそれぞれ手にして、じっと自分の手持ち無沙汰な指を見つめている。
ときどき隣にいるお互いをちらちら観察し合い、どう会話しようか考えているようだ。
時刻が午後六時過ぎということもあって、店内は学校帰りの学生でいっぱいだ。なかには久木学園の生徒も多く見受けられる。
四季は赤黄白のストローが刺さった紙コップをまじまじと見つめて、恐々とストローを口に咥えた。中のものを吸い込んでは、また驚いている。
よほど気に入ったのか、飲み進めるスピードがやけに速い。今日一日の様子より、幾分か目元が緩んでいるのは、たぶん一覇の気のせいではない。
そういえば……。
――――マックとかそういう庶民的なもの、初めてなんだろうな。
一覇は自分のいちごシェイクを吸い込みながら、四季の様子を微笑ましく思いつつ観察し始めた。
一覇は幼なじみだからよくわかるけれど、四季はテレビドラマや漫画の中にいるような生粋のお坊っちゃんだ。
家で使うものや口にするもの、見るものが常に一級品。スナック菓子やジャンクフードなんて知らないし、B級品なんて以ての外。
他の同年代の男の子と同じような生活を、四季は知らない。
唯一、知っている庶民的な生活とは、よく遊びに行く日向家だけだった。――――しかし日向家も相当に生活水準が高く、一般的とは言えなかったが。
四季にとっては、日向家こそ「普通の家」だった。
大人と同じ水準を求められる舞台に立ち、学校から帰宅しても稽古や習い事。食事のマナーひとつとっても、ものすごくうるさい。
その職業柄、メディアという目が常にあって、気晴らしに出かけてもうかうかできない。
いまも昔も彼はあまり語らないが、自宅にどこか居心地の悪さを感じているところは、変わらないのだろう。
今日はそういう話もできたら、幼なじみの役目というものを果たせる。
「えーと四季サマ。庶民のシェイクを堪能してるとこ悪いけど、本題をいいか?」
と、ようやっとの思いで切り出すと、四季は我に返った様子で紙カップを押しのける。
「たっ、楽しんでなどいない!」
「はいはいツンデレツンデレ」
四季は形のいい唇を不機嫌そうに尖らせて、再びストローに口を付けながら仕方なく話を進めた。
「それで、あらたまって話とはなんだ?」
「いや、四季になにがあったとかね、いろいろききたいなって。どうして今更霊障士を目指そうなんて考えたの?……時繁様のお達し?」
わずかにはばかられる、この手の話題。切り出した一覇もだが、四季の手に力がこもる。
矢倉時繁は、四季の曾祖父。矢倉家の十二代目当主だ。
一般家庭の出でありながら、矢倉の霊障士としてその名を存分に轟かせた古強者。
現役を退いた今でも、その権力は国内外に通じるほどだ。
見た目通りに昔気質の頑固ジジイで、この人が「黒」と言ったら大根だって紙だって黒である。
四季は昔から、彼には絶対に逆らえない。あとが恐ろしくて、逆らおうとも思わないかもしれない。
四季は手の中にあった紙コップをテーブルに置き、深く俯く。
どんな表情で、どういった思いを馳せているのか。一覇には想像しかできない。
ただ、聴こえた四季の声は、とても重かった。
「……貴様には関係ない」
「お前ほんと、そればっかだな!関係あるよ、幼なじみだもん」
一覇もシェイクが半分残った紙コップをテーブルに投げつける勢いで置き、四季と向き合おうとする。
半分は怒りで、もう半分は……いちばん的確な表現をするなら、愛情か。
関係ある。
この三年半もの時間のなかでずっと、ずっと心配していたのだ。
いまの大仰な態度からは想像しにくいが、昔の四季はとても気弱な性格で、頼まれたり命令されたら断れない質だった。
学校が違っていても、ふたりが遊ぶ場所は日向家かその近所の公園。
公園を根城にしている近所の悪ガキたちは、金持ちで弱々しい四季をいつも標的にしていた。
殴りつけたり、ときには少なからぬ金銭を巻き上げたり。四季に干渉するような親がいないのをいいことに、やりたい放題だ。
だからいつも、一覇が守って面倒を見ていた。
いま思えば一覇にとっては、四季は幼なじみというより弟みたいな感覚だったかもしれない。
本当に弟がいる身でありながら、その実は自分が下みたいにやんちゃしていたので、どうにも感じにくかったのだろう。
日向一家があんな事件に巻き込まれて、河本家に引き取られてからも。
ずっと四季のことは頭の隅にあった。
どうしているかな、またいじめられていないかな。淋しくないかな。泣いてないかな。
いつだって、家族みたいに大切にしていたんだから。
「っ……一覇には関係ないっっ!!ぼ、俺は平気だ!」
四季はこの話題で予想される結末が我慢ならないとばかりに立ち上がり、大声でなかば叫んだ。勢いで膝裏に押し上げられた椅子が、音を立てて倒れる。
拒否されたような――――そんな気がした。
一覇の思いは、単なるお節介だったのだろうか。幼なじみといっても、首を突っ込んでいけない領域だったのか。
周囲の客が、一様に立ち上がった四季に注目を向ける。
客たちの咎めるような視線に気づいた四季は、熱くなった感情を冷やしてゆっくり椅子を拾い、腰をおろす。
なにかを誤魔化すようにストローを吸うが、中身はとうに空だった。
ズゾーッと喧しくて汚い音が、より四季の羞恥を煽る。
「……なぁ、その“ぼ”ってなに?今日会ってから、ずーっと気になってたんだけど」
とにかくいまは話題を逸らさないと、と使命にも似たなにかを感じて、一覇は今朝から気になっていた点を指摘する。
「きさっ、貴様には関係にゃいっ」
「噛んだ」
けらけら笑っていると、四季が一覇のいちごシェイクを奪って、空にする勢いで一気に飲んだ。
しかしいちご味は四季の口に合わなかったらしく、すぐに突き返してきた。できることなら吐きだしたい、みたいな苦々しい顔をしている。
仕方ないのでわずかながら罪滅ぼしの意味を込め、お気に召したご様子のバニラシェイクを買い足して与えた。
口直しをしているつもりなのか、四季は先ほどよりも目に見えてゆっくり飲み進めている。
四季の身体の大きさはあの頃とほとんど変わっていないので、大人しくしていると自然に昔を思い出す。変わったのは、髪の長さくらいなものだ。
再び微笑ましく眺めて、シェイクと一緒に新しく買ったフライドポテトをつまむ。
ぽつりぽつり、なにげなく会話は始まった。
「一人称……『俺』だったっけ?『僕』じゃなかった?」
「……関係ないだろう」
いかにも寡黙ぶってポテトをかじるものだから、ここら辺で意地悪してみたくなる。
「『僕も一覇みたいになりたいな』っ」
大げさな女子みたいに身体をくねっとさせて、キラッと瞳を大きくして。
仕上げにキャッ♡なんておぞましく気持ち悪い裏声で、「四季の真似」をしてみせる。
ぶほっ。
四季の白いシェイクが、辺り一帯に吹き飛んだ。
四季の隣でパソコンをいじっていたサラリーマン風の男が、不愉快そうに顔を歪める。
「あーあ、きたねー」
おろしたての制服が汚れていないか気になって、一覇はブレザーの裾を引っ張った。
漆黒のブレザーには、しみ一つ付いていない。
シェイクで顔を汚した四季が、顔を真っ赤にしたり青くしたりと、忙しそうにしどろもどろになる。
「きっききききききさっ貴様覚えて……」
その瞬間、水を得たナントカみたいに生き生きとした笑みを、一覇はペタッと貼り付けた。
「覚えてるよぉ、いろいろと。なにから話そうか?あれにする?ほら、四季が」
「もういいっっ!!」
プイっと、一覇に背中を向けてなお、ポテトに手が伸びるのはお年頃。
こうしたやり取りも、内容自体は大きく変わっているのに、とても懐かしい。
「つまんなーい」と今度は一覇が唇を尖らせると、四季がまだ赤い顔を少し背けて、なんだか申し訳なさそうにきく。
「じゃあ……あの日のことも……」
「あの日?」
四季の表情に軽い陰りがさしたことに、一覇はすぐ気づいた。
言いづらそうに続きを口にする四季は、とても苦しそうだ。
「……貴様の、家が」
「あぁ……覚えてるよ」
今度は一覇が俯き、自らの弱い拳を見つめていた。
あの日のことは、忘れるはずがない。
「父さんと母さんと、逸覇が鬼魔に殺されて」
燃えさかる炎のなかで、父と母が倒れている光景。
家族の団欒スペースに敷かれたカーペットに、大量の鮮血が染み込んでいる。リビングは鉄臭く、そして熱い。
ギラギラした赤い眼が、たったひとりになった一覇を睨みつけている。
逸覇は……弟はどこにいる?
信じられないくらいの昏い恐怖のなかで、一覇は弟の身を案じた。
あの瞬間を思い出して、一覇の背筋が震えた。隣を見ると、四季が不安そうな、怪訝な表情を浮かべている。
彼なりに気遣ってくれているのだと思うと、こんなことで落ち込んでいた時期の自分が報われる。
しかし。
「そうじゃない!」
『そうじゃない』
と、四季は言った。ほとんど叫びだすような前傾姿勢でだ。
一覇には幼なじみの言いたいことが、まったくわからなかった。
「なにも……覚えていないのか……?」
訝しみ、憐れむような四季の瞳。
彼がぼそっと放った、その一言の意味。
やはりわからない。
こうして覚えているじゃないか。
目の前で父と母、弟は死んだ。たったひとり、自分だけが生き残った。
なにもできなかった。ただ守られるだけで、誰も救えなかった。
この苦い、焼け付くような思い。
ちゃんと覚えているではないか。
いったい四季はなにが言いたいのだろう。
そのときだった。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!」
外から女性の鋭い悲鳴が聴こえた。
店のBGMに話し声という騒音のなかにいながら聴こえた、尋常ではない悲鳴だ。
一覇と四季は同時に階段を駆け降りようとして、しかし階段の狭さにつっかえる。
「どけよツンデレ!オレが行く!」
「貴様こそさがれ!俺が行くのだ!」
喧喧囂囂と言い合い殴り合いの途中。同時に足を滑らせて、もみくちゃになりながら落ちた。
結局、頭に仲良くたんこぶを作って、二人揃って路地を走っている。
四季はまだぶつくさ文句をたれているが、一覇はそれを無視して悲鳴の方向を探っている。
すると、人の群が円を描いている一点が見つかった。おそらく騒ぎのもとがここにいる。
二人は緊張から喉を鳴らして視線を合わせ頷き、人垣を抜ける。
そこには……
もはや人かどうかも判別がつかない、肉の塊と骨の欠片、内臓らしきものが散らばっていた。
解体というよりは、食い荒らした感じだ。
残したものは、不味くて嫌いだから棄てたといったところか。
鉄錆の臭いが辺り一帯に充満して、むっと頭が重くなる。
この、人ならざる所業は。
「鬼魔だ……」
「あぁ、そうだな。とりあえず警察に連絡しよう」
一覇の漏れでた声に、四季はあくまで冷静さを崩さずに答えた。慣れた手つきで携帯電話を取り出し、警察に通報。
四季が手短に状況説明をしているあいだ、一覇はただ呆然と血まみれの路地を眺めていた。
最初のうちは平気だったのに、次第に胃のあたりが熱くなり、喉の嚥下が始まった。
胃の中をすべて吐き出して、さらに血の臭いで頭がくらくらする。
霊障士候補生……公的に立派な免許証を与えられて第四種霊障士になったとしても、しょせんはただの学生だ。
誰に対してもなにも、できることはない。
それを一覇は痛感し、歯を食いしばった。




