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亡霊×少年少女  作者: 雨霧パレット
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朝靄のうつつ

暖かい春暁の陽射しが、過ごしやすい木造二階建ての(ひゅう)()家に惜しげもなく降り注いでいた。

広くとられた庭と向き合う縁側に、幼なじみの少年と並んで座っている。

(いち)()の母が作ってくれた甘いショートケーキとミルクたっぷりの紅茶を平らげて、庭を眺めておしゃべりしていたときだった。

『一覇はかっこいいよ!僕の……僕のヒーローだ』

一覇よりもだいぶ背が高くひょろっとした、着物姿の見目麗しい少年が青みがかったさらさらの黒髪を揺らして興奮気味に言った。

いつもは腰を丸めておどおどして、絵に描いたような気弱なくせに、このときばかりはなんだか強気に感じられる。

舞台にたてば老若男女の誰もを魅了する切れ長な金の瞳は、本物の琥珀のようにきらきらと輝いていて眩しい。

一覇に羨望の眼差しを一心に向ける彼は、夢に浮かされたひとりごとみたいにぽつりと呟いた。

『僕も……僕も一覇みたいに、強くなりたいな』

その言葉に、しかし一覇は責め立てられるような心苦しさを感じる。こころのなかでは思いきり、その空間が割れんばかりに叫んでいる。

————やめろ。オレはそんなんじゃない。オレはお前が思っているような、強いヤツなんかじゃない。弱い……やっと大切だと思えた女の子ひとり救えない、弱い人間なんだ……。

『“一覇”』

ほら。

呼んでいる。

『どうして君だけが生きているの?』

長い黒髪を流した墨のようにたなびかせる少女が、ふわりと音もなく舞い降りた。

こんなに暖かい陽射しのなかにいたはずなのに、冷たい氷のような細い腕で一覇は包まれた。(ざく)()(いし)のように透き通った赤い瞳が、重く一覇を責める。

やがてその眼底は崩れ落ちて闇のようにぽっかりと穴が空き、血の涙がどろどろと流れ出した。その涙は一覇の頭を粘つくようにつたい、彼自身の涙のように目尻を汚す。

真綿で首を締め付けられるような、緩く長い苦しみが続いている。まるで……そう、呪いだ。

少女————(かみ)(やま)()()の腕のなかで、一覇は泥のような思考に落ち込んでいく。

————本当に……どうしてオレだけ生きているんだろうか。

家族はみんな殺されて、でもオレは何もしないで、こうしてのうのうと生き残っている。自分のこの脚で立ち上がることはしない。

誰かに手を差しのべられるときを待って、ここにじっと、膝を抱えて座り込んでいる。

あのとき誓った言葉は、嘘?

どんなに傷つき、折れて、泥だらけになり、汚れてしまっても。たとえこの脚が折れて砕けてしまっても、道が見えなくなっても這いずり回る。

そう約束したんだ。あの————たった一本の気高いキンモクセイのしたで、彼女と……。

電気のスイッチを切り替えるように、一瞬で景色が変わる。

今度は空中庭園のなかにいた。これだけ広くてさまざまな植物がたくさんあるのに、キンモクセイはたった一本しかない。

爽やかな風が吹き渡る空は、深い常闇。幾万もの星ぼしがあるのに、あってしかるべきの月は見当たらない。

美しくも懐かしい、天女の()(ろう)()

『————ンド』

誰かがオレを呼んでいる。キンモクセイのしたで、いつも通りに彼女が待っている。

違う、オレは……×××××××じゃない。なのに。

その上質な琴を優しくつま弾いたような声はひどく懐かしく、そして震えるほど愛おしいとこころが張り裂けそうなほどに呼んでいる。

狂おしいほど燃えたぎった、形容しがたいほどに強い《愛》があふれる。

彼女に手を伸ばそうとしたら、またしても電気が消えて付け替えられたかのように、急に景色が変わった。今度は古びたアパートメントの一室だった。

斜陽に照らされた六畳一間の和室の窓際で、一覇は手製のエプロンを着て台所にたっている人物を愛おしげに見つめていた。彼女は長く美しい黒髪を後ろにまとめていて、化粧の類をしていなくても美しい。

中古のラヂオから流行りの歌謡曲が流れているなかで、トントントンと、包丁がまな板を叩く規則的な音が響く。小さな真鍮の鍋がコトコト音を立てて、食欲をそそるいい香りが部屋に満ちている。

穏やかな時の流れを感じさせる、ノスタルジックな雰囲気。ふいに、自身に注がれる視線に気づいた彼女が振り向いた。

「……どうかしたのですか?」

美しく黒い切れ長の瞳が、穏やかに微笑んでいた。彼は伸ばしていた腕を慌てて引っ込めて、眩しそうに目を細めて答えた。

「いや……なんでもないです、————さん」

一覇の喉から聴き覚えのない声が漏れた。

————だれだ?彼女は……だれだ?

わからないはずなのに、感慨にも似た深い想いが溢れている。

どこか薄ぼけて雲がかかったような奇妙な光景が、まるで古い映画のフイルムみたいに映っている。

その映画のなかで、彼女はただ微笑んでいた。自分もまた、微笑んでいた。

……『一覇』

————オレは……だれだ?

「一覇、一覇ってば。目覚まし鳴ってるよ」

一覇はその可愛らしく温かみのある優しい声で夢から(うつつ)に浮き上がり、三秒くらいぼーっとしてからのそのそと布団から這い出て枕元のうるさい目覚まし時計を止めた。そして、すぐ頭上にいるはずの少女を見上げる。

極度の近眼と乱視で、はっきりとは見えない景色。天井のクリーム色と照明器具の純白が水彩絵の具を染み込ませたようにぼんやり映っていた。

なのに宙に漂うしゃぼん玉のような光たちは、しっかりとその姿を現している。ふわふわと漂い、感情に応じて青や黄色、赤に変色する。ほかの同業者のなかには声が聴こえたり人型に視えたり、触れたりできるときいているが、一覇には『しゃぼん玉状』として映されている。

そうして比較してみると、いかに『彼女』が異質で異常な存在であったのかがよく理解できて、苦虫を噛み潰す。

もっと早く気づいてあげられたらとか、うまく対処できなかったのかとか、後悔ならいくらでも浮かんでくる。

だが同時に、あのときはただの子供だったのだから、という当然の言い訳も思いついてしまい、さらに顔をしかめた。

すぐに歪んだ唇を布団で隠したものの、しかし目の前にいる彼女は幸い気づいていないようだ。

「おはよう、一覇。寝癖、直してきてね」

少し変わった色合いのセーラー服の上にエプロンを羽織った、ふわふわの栗毛をツインテールにまとめた少女が優しく笑っている。一覇はまだぼやっとしている頭を軽く振って、情けなくはにかんだ。

「……おはよ、宝」


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