31.『帰った方がいい』と『置いていかないで』
廃教会の地下室で私たちが見つけたのは作用し続けたままの異世界転移の魔法。そしてその魔法はティセが元いた世界に繋がっていた。
しかし、道具はどんどん増え続けるのみで一向に減る様子が無い為、どうやら一方通行らしい事と、チーリが見つけた日記によれば、異世界転移の魔法は異世界の人間をさらってきて売り払う目的だった事から、相互に行き来する事は不可能だと私とティセはそう思っていた。
そこへ突如チーリから尋ねられた『ティセは元の世界に帰りたいか?』という質問。
それをわざわざ聞くという事はつまり……ティセは元いた世界に帰ることができるという事なのだろうか。
チーリの言葉を聞いて黙考していたティセは、やがてその口を開いてチーリの問いに答えた。
「……まぁ、帰れるなら、かな。もうこっちの世界に来てから25年ぐらい経っちゃってしまっているから、今更元の世界に帰るのもちょっと怖いという気持ちもあるけどね」
ティセの言葉から帰りたいという意思を確認したチーリは、何かを決意したように両方の手のひらをぐっと握りしめ、胸の前で構えてみせた。
「むー、そうですか。ではチーリ、ティセママの為に異世界転移の魔法、がんばって覚えるです。それをチーリが覚えたならきっとティセママは元の世界に帰ることができるに違いないですよ」
「え? 本当にできるのチーリちゃん?」
「わけないですよ」
どうやらチーリにはそれが将来的に可能らしく、その答えを聞いたティセは驚きを隠せない様子だ。
チーリは言葉を続ける。
「……前に、シィおねぇちゃんに話した事あるですけど、チーリは両親が昇天してからティセママとシィおねぇちゃんに出会うまで、チーリにはこの世界では自分の居場所が無いと思っていたです。
なのでチーリは、この世界から消えたくて逃げたくて、転移の魔法を覚えようとしてたのですよ。
結局、転移の魔法と異世界転移の魔法は別物だと気づいてなかったですし、今のチーリは、ティセママとシィおねぇちゃんのおかげで、この世界にもチーリの居場所がまだあると思えるようになったですから、異世界転移の魔法はもう覚える必要が無いという気持ちになっていたのですよ。
だけど、ティセママが元いた世界に戻りたいというなら話は別です。チーリはティセママのために異世界転移の魔法を覚えるです」
そう話すチーリだったけれど、私はある疑問が湧いていた。それは……。
「でもチーリは魔力低いんだよね? この異世界転移の魔法、明らかに必要な魔力膨大そうだけど……」
この地下室にある魔力の残滓だけで、異世界転移の魔法を使うには膨大な魔力が必要であることがうかがえる。それを魔力が少ないと自覚までしているチーリの魔力量では、仮に覚えたとしても魔力が圧倒的に足りず、覚えたとしても使えないのではという疑問が湧いていたのだ。
しかし、チーリは私の疑問に対して全く問題ないという反応を私に見せる。
「多分大丈夫なのですよ。一からだったら多分チーリの魔力量ではダメだったですけど、この地下室で動き続けている異世界転移の魔法は、一方通行ですけどティセママの世界に運良く繋がっているです。だからこの魔法の向きを逆にする方法さえわかればティセママは元いた世界に帰れるに違いないです。
そしてそれをするぐらいならきっとチーリのしょぼしょぼ魔力でもいけるはずなのです。万が一チーリの魔力量ではやっぱり足りないとなった時のために、魔力を吸収できるようにする魔法も覚える事にするです。それでこの地下室に漂ってる魔力の残滓を吸収しながら魔法を使えば、ティセママが元いた世界に帰れる日は必ず来るのです」
「そうなの? ……それじゃ、念のためお願いできるかなチーリちゃん」
「任せるですよー。チーリは、ティセママのために異世界転移の魔法、なんとしてでも覚えてみせるですよ」
元いた世界に帰れるかもしれない、その言葉を聞いてティセが期待したような顔をしてチーリにお願いをしたのだけれど……。
私は知らず知らずのうちに胸の内がズキッと痛くなってしまった。だって異世界転移の魔法で、ティセが元いた世界に帰る日が来てしまったら……。私は……私とチーリは……。
私は、その疑問をティセに聞くことが怖くてどうしてもできなかった。
『ティセは、元いた世界に帰っちゃう時は、私とチーリを置いて帰ってしまうの?』と。
一人、平静を装いながらも不安な気持ちでティセたちとは反対の方を向きながら少し俯いてしまう私。その僅かな動きから、私が何を考えているのか勘付いてしまったのだろうか、ティセが私を背後から突然抱きしめてきた。
「シーーーィちゃんっ」
「わっ、ティセ、突然なにするの?」
考えに夢中になっていた為にティセの不意の抱きしめに思わず驚いてしまい、あたふたしている私に対して、ティセは優しくささやく。
「シィちゃん、私が元いた世界に一人で帰っちゃうと思っちゃってるでしょ?」
「あ……」
図星を突かれてしまった。
私の中に芽生えているのは、『ティセには元いた世界に帰って平和に暮らしてもらいたい』と思う気持ちと、『私とチーリを置いていかないで、このままこの世界に私たちと一緒に残ってほしい』という、相反しあう2つの気持ち。
その気持ちの折り合いを見つける事ができずに黙りこくっていると、まるで私の気持ちを全て把握しているかのように私を抱きしめたまま、優しく頭を撫でてくるティセの温かい手。
その撫で方は今までで一番優しいものだった。
そして、ティセが口にしたのは私が一番聞きたかった言葉。
「安心して。私はシィちゃんもチーリちゃんも置いて元いた世界に帰るつもりは無いよ。2人がこの世界に残りたいと思っているなら残る方を選ぶしかないけれど、もし帰れる日が来たら、私は2人も連れて行きたいな。
だって私たちは親子なんだもん、まぁ、まだシィちゃんには母親だとあまり認めてもらってないけれどね」
「本当ですかティセママ。チーリ行くです。一緒に行きたいです」
そう素直に喜ぶチーリに対して、私はというと……。
「……でもバンシーの私がティセの世界に行ったら、多分みんな混乱しちゃうよ」
素直に、私も行きたいと言えばいいのに……どうして素直になれないの私は。
「大丈夫だよ。私の世界には魔法も何も無かったから、私の聖女としての力は勿論、シィちゃんのバンシーとしての力も、チーリちゃんの魔力も全て消えてしまうと思うけれど、みんな普通の人間と同じように生活できると思うよ。それに、私はやっぱり2人と離れたくないもの」
「……だけどバンシーとしての力が無くなったとしても私の成長はきっと遅いままだから、きっとティセとチーリまで奇異な目を向けられると思うよ」
まるで、自分が行けない理由を探すかのように、『でも、だけど』を繰り返す私。
「奇異な目を向けられても平気だよ。私は2人の母親だもん。だから安心して。私が守ってみせるから」
「チーリも平気です。なのでシィおねぇちゃん。一緒に行くですよ。チーリ、ティセママとシィおねぇちゃんがいればそれだけで幸せなのです」
それに対するティセとチーリのの『大丈夫、だから、一緒に』という、固い結束で繋がれたような強い言葉。そんな2人の言葉で、私の胸の内が温かくなっていく。
……であるならば、私も覚悟を決めよう。
「……うん、ありがとうティセ、チーリ。私も、ティセとチーリが一緒なら、何処へ行ってもいい。
だからお願い。ティセが元いた世界に帰る時は私とチーリも一緒に連れてって」
それが私の決意だった。
その私の言葉を聞いてホッとしたのかティセもチーリも安堵したような表情を私に見せる。
「ただまぁ、帰るのはこの世界にいられるかとなった時の最終手段にするわよ。私もなんだかんだこの世界に馴染んじゃっているし、元の世界にいなかった空白期間が長すぎて、何が何やらさっぱりになっているに違いないしね。
あと、文化が違いすぎるからシィちゃんもチーリちゃんも慣れるまでかなり大変だと思うから、行く事になったその時は頑張って覚えてね。
……あ、こんな話をしてたらウォシュレットを使いたくなってきたわ。なんでこの世界にはあれが無いの……。あれを知ってしまうとウォシュレットが無い生活がとてもつらいのよ……25年以上この世界にいるけどこれだけはいつまで経っても慣れないわ……」
聞き慣れない単語を口にするティセ。私にはその言葉の意味は全くわからないけれど、魔法が無いと言っていたからそれとは違う別の技術が発達してたのかな、ティセがいた世界は。
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その後、私たちは教会の小部屋からではなく、地下通路の出口から外に出てみると、すっかり日も暮れ、空には夜の帳が降りており、私がティセと初めて会った日の夜のような星月夜だった。
その空を眺めながらティセは私たちに聞こえるような声で独り、つぶやく。
「もしかしたら、私は異世界じゃなくて、あの星の中のどれかに私が住んでいた国があるのかも、なんてね」
……星に?
「星って人が住めるの? ただの光る点でしょ?」
「……そこからかー」
ちょっと待って。なんで『あー』って顔するのティセ。だって星だよ? ただ夜になると光る点だよ。そこに人が住んでるわけないじゃない。
もしかしたら、ティセが住んでいた世界では、星に人が住む事が可能だったのかもしれないけれど……本当なのかな。私にはよくわからない。
……そういえば、ティセに人形にはティセの名前が書いてあるとは教えてもらったけれど一つ気になる事があったのを忘れていた。
それは人形に書かれている文字数。ティセの名前が書いてあるというなら、『ティセ・オーガッタ』と書いているはずなんだけど、見た限り書かれているのはたったの4文字。
名前が書いているという割には文字数が足りない気がするんだけど……まぁいいか。




