三章第二十一話
ネームレスの地下迷宮は遂に第二階層を創作した。
正確に述べれば第二階層に創作P2500Pを消費して固定ダンジョンを出現させたとなる。
前準備として一階と二階を繋ぐ階段部屋を二日まえに創作していたからだ。
階段部屋の創作にPは必要ないが地上出入口と同じように創作可能数が階層に影響されていた。
地下第二階層はこれまでネームレスが地下迷宮創作魔法を用いて創っていた第一層と違い、事前に用意されていた固定の迷宮を使用している。
ネームレスが第二階層を固定ダンジョン階層にした理由は幾つかある、固定ダンジョン内の魔物は食糧提供の必要がない、倒されても創作Pを消費する事なく再出現する、これらの利点からだ。
無論、こんな利点ばかりではなく、固定ダンジョン創作には膨大なPが必要、地下迷宮の主であるDMの命令に従わない、同階層の魔物以外――DMや同じ地下迷宮の魔物を含め――に襲いかかる、などである。
それでも固定ダンジョンを選んだのは、ヌイ帝国やフルゥスターリ王国に察知されずに骸骨兵や小鬼達ネームレス配下魔物に実戦経験を積ませる為だ。
他にも倒した魔物からの剥ぎ取り、採取による物資収集、これらを仮想資金化し資金収入源とする事で、ネームレスを悩ませている武具の購入等で消費される資金問題を解決出来ないか、との思惑もある。
このような狙いで創作された第二階層の固定ダンジョンだが、ネームレスの計画にない要素が出てきた。
DM室を始めとした地下迷宮中核施設の強制転移である。
ネームレスとしては、利便性、攻略せんとする侵入者への欺瞞などで、しばらくは一階層から中核部を動かす予定はなかったのだ。
地下迷宮を発見されないのが最善なのだが、帝国も王国もさすがにそこまで無能ではなかろう、ネームレスはこう見ている。
本拠地といえる自然洞窟偽装ダンジョン地上出入口よりもダミーダンジョン出入口を交易路近くに。
さらにダミーダンジョン最奥に二階層への階段部屋を置き誘導する事で、侵入者から自然洞窟偽装ダンジョンを二重に目をそらさせる。
一階層のダミーダンジョンで侵入者を撃退するのが一番だが、常に最悪の状況を想定して対策を取るのが上位者としての危機管理だとネームレスは考えていた。
そしてダミーダンジョン、続けて第二階層が突破されても、DM室が自然洞窟偽装ダンジョンにあれば、侵入者心理として魔石が眠るDM室探索は二階層が中心になるだろうから起死回生に必要な時間を稼げる、このような思惑でいたネームレスは中核部を動かす積もりはなかったのだが、まさかの強制転移である。
DM室の玉座に座り地下迷宮創作指示画面で第二階層を固定ダンジョンにしたネームレス、創作を実行したら第二階層画面に固定ダンジョンと中核部が写し出された。
え、そんな操作してないぞ、動揺を何とか飲み込んだネームレスは、落ち着き考えをまとめる為に
「フジャン、食堂に赴き(冷蔵庫型の)食料庫が使えるか確かめよ。
コルジァ、寝室への入室も許可するので中核施設に誰か残っていないか念入りに巡回せよ」
これまでネームレスの寝室に入れるのは人造人エレナ、住居精霊リーン、女淫魔ヴォラーレの三名だけだった。
枝悪魔は長デンスでも寝室への立ち入りを禁止されていたのだが、コルジァに許可を出す。
二人に適当な任務を与え体よく部屋から退室させたネームレスは、動揺を鎮めようと正面の大門に注意を払いながら深呼吸すると両手を何度か開閉する。
昨夜床に呼んだヴォラーレの事を考えて、やはり胸を強調するには伸びが肝心かと謎の結論に達した時には平常心を取り戻していた。
改めて問題点を洗い出し善後策を練ろうとするネームレスの視界に、サイドテーブルに置いていた説明書が携帯に着信が来ているかの如く光っているのが入る。
相変わらず大門を気にしながら説明書を読みといたネームレスは
(そういう大事な情報は先に知らせろ!)
と思わず説明書を床に叩き付けそうになったが鍛えられた自制心で何とかに踏みとどまった。顔がひきつるのまではおさえきれなかったが。
幾つもの計画を立てる前段階で、ネームレスは説明書やカスタム本などから、あらかじめ収集できるだけの情報は拾い上げていた。
説明書には新たに、中核施設が一階層から転移すると転移魔法陣が出現する事や使用には各魔法陣への登録が必須などの仕様説明、固定ダンジョンを創作した場合は中核施設部屋は必ず固定ダンジョンボス部屋とDM室が繋がるように強制転移される、などが新しく記載されていたのだ。
説明書もカスタム本も頭に叩き込んだネームレス、故に見落としなどでは絶対にない。
しかし悪い情報だけでなく、強制転移後からネームレスが警戒に意識を割いていた、DM室大門からの固定ダンジョン魔物が侵攻してくる事は不可と知れた。
これが己の記憶を奪いDMに据えた――神か悪魔か知らないが――存在が仕掛けた罠かと邪推したネームレスだが、本当に罠ならば侵攻を不可能にしたり説明書を光らせて報せはしないかと頭を切り替える。
「ネームレス様、報告をよろしいですか?」
少し前にDM室に戻りネームレスの様子を伺っていたインプのコルジァが声をかける。
「コルジァか、聞こう」
「はい、執務室、寝室、バス、食堂、応接室と確認して来ましたが誰の姿も見えません。
応接室にある扉が開かなくなっておりました」
強制転移の結果、農場部屋や農家部屋に続く通路から離されてしまった為に、応接室にある扉は開かない。
コルジァの報告が終わるタイミングでフジャンが戻り、食料庫は問題なく使えそうだとネームレスの耳に届けられた。
これで最悪、一階層にいる骸骨兵長イースや豚人武術師範スチパノが救援に来るまで籠城が可能だ。
だが、そんな消極的な姿勢は魔物達に臆したかと受け止められかねない。
ネームレスの基本的な方針は不敗の体勢を整えてから行動に移るという安全第一なモノが多い。
ならば前衛がいない現状、待ちに徹するのが身の安全だけを考えれば正解だろうが長期的な視点からすればそんな姿勢を配下に見せるのは下策だろう。
少なくともDM室に残されたメンバーだけでは対処が厳しい、と他の魔物達が納得するだけの材料が見つかるまでは攻略すべきだ。
そう判断したネームレスは、何故自分が創作した地下迷宮を命懸けで攻略せねばならぬのか、という苦悩を完璧に隠してフジャンとコルジァに攻略準備を命じた。
玉座に座るネームレスは空中ディスプレイに固定ダンジョン地図を写しノートに書きうつす。
己が伝令として単独突破するとコルジァからネームレスに提案があったが、狭い地下迷宮内ではインプの強みである高速飛行がいかせずリスクが大きすぎる、と退けた。
フジャンはそんなコルジァを連れ食堂キッチンにて、ネームレスが執務室で新たに購入した背嚢に食糧を詰めている。
固定ダンジョンに配備されている魔物は巨大蝙蝠などの巨大シリーズが三種、定番の弱粘液、食肉茸などの植物系が二種、魔獣系の灰色狼、妖魔系が三種の合計九種だ。
飛行可能な魔物は巨大蝙蝠だけであり、これならばネームレスの切り札である魔法コンボが使用可能ならば敵無しなのだが。
残念ながら、あのコンボには使用条件があり、おそらく固定ダンジョン内では使えないとネームレスは見ていた。
「ぁぅぁぅ、ネームレス様、用意が整いました」
最近の標準装備だった持ち運び易い折り畳み式のテーブルや椅子をおろし、食糧が詰められた背嚢を背負い、ツルハシ(ピック)を背嚢の両端に吊るし片手に持ったフジャンがそう報せる。
「ご苦労、しばし待て」
地図を書きうつすネームレスの邪魔をしないように見詰めながら、どうすれば二階層への出撃を取り止めて頂けるかと必死に考えていた。
地下迷宮で執務室という武具の購入が唯一可能な部屋をネームレスがおさえている以上、戦いの基本が補給と叩き込まれた魔物達がこちらを見捨てるなどするはずがない。
それがなくても忠誠心が高いエレナ、骸骨兵長イースが救援に動くのはフジャンでも簡単に予測する事ができる。
ならば態々命を落とす危険を犯す必要を感じない、この程度の事はネームレスも重々承知の上での決断なのだろうから、あまり異を唱えて不興を買うのも遠慮したい。
フジャンはすでに一度、背嚢に食糧詰めを命じられた時、非常に遠回しながら出撃を諌めている。
無理はしない、と聞かされているので他に思いとどませる説得材料がフジャンには思いつかず。
「待たせたな。フジャン、コルジァ、いくぞ」
フジャンが「ぁーぃーぅ……」と悩んでいる間に地図の書き写しを終えたネームレスが玉座から立ち上がり大門に向かってゆっくりと足を動かす。
硬材のエルム材で造られた六尺棒に柔軟革鎧姿で、普段着ているフード付きのロープを脱いでいる。
そんなネームレスから差し出された地図が写してあるノートを受け取ったフジャンは、真新しい小剣を腰に差しているが片手にピック、もう片方にノートを持ち身体に馴染んでいる柔軟革鎧を身に付け、背嚢を背負った姿で続く。
コルジァは武具の類いは身に付けておらず、かわりに中身を入れ換えた鶏の卵を抱えていた。
同じ物がフジャンの腰にあるポーチに八個用意されている。
「フジャンは大門が閉じないように開いておけ」
ネームレス一行は固定ダンジョンに繋がるDM室大門の前で段取りの最終確認を。
「コルジァは自分の安全を第一に。それ(卵)を使うタイミングは任せる」
ネームレスも実戦訓練には陣頭指揮に立つ予定だったが、DMという立場で、まさかほぼ単独でいきなり固定ダンジョン最終守護魔物と戦うはめになるのは想像外だ。
立地的には当然の事だがDM室の手前は二階層ボス部屋である。
フジャンやコルジァに気取られないように深呼吸をして気を静めたネームレスは大門を開く。
色素欠乏の為にただでさえ白い顔色を真っ青にしたフジャンが扉を体で押さえて閉じないようにした。
「ぁぅぁぅ、ご、ご武運を! 逃げるのは恥ずかしい事じゃないですよ! 危ないならすぐに戻って来てくださいね!?」
フジャンの涙目と震える声を背後にコルジァを従え、油断なくボス部屋全体に視線を飛ばし、部屋の中央に一体しか魔物が居ない事を確かめ念の為にコルジァに伏兵がいないか調べさせる。
魔法を使えば簡単に知り得るが今からの戦闘を考えて僅かばかりの魔力消費も控えた。
魔物の数が多めならばすぐさま撤退する積もりであったネームレスだが、敵が単独なようなので慎重に足を進める。
部屋の天井に触れそうなぐらいに飛んだコルジァが卵を抱えたままに、ネームレスの死角となる物陰や部屋の隅々を調べ出す。
体長が二百五十センチはある鋼のような筋肉の固まり、その巨躯に見劣らない巨大な両手用の戦斧を木の幹のように太い腕で構え両目に殺意の極炎を燃やしネームレスを涎をだらだらと滴しながら睨み付ける。
視線を外さずに蹄のある足で石畳の床を摺り足で近付いてくる魔物、巨体から発する殺意が魔物を一回りも二回りも大きく見せていた。
だがネームレスは心臓の弱い者ならば心臓麻痺をおこしかねない迫力にも怯む事はない。
スチパノと対峙した時程は恐ろしくないな、と冷静に観察する。
ボス魔物は摺り足でネームレスに近寄りながら両手用戦斧を右肩に乗せるように構え鋭く武器にもなる二本の角が生えた頭を低くした。
「ネームレス様、他に魔物はおりません」
頭上からコルジァがそう報告すると同時にボス魔物が雄叫びをあげながらネームレスに向け駆け出す。
大門を押さえているフジャンにすらビリビリと雄叫びで震える空気を感じさせ、床を踏み抜かんばかりの迫力でネームレスに迫る魔物を見て
「うきゅ」
意識を飛ばすフジャン、それでも意地か使命感か大門が閉まらないように扉に体を預ける形で倒れた。
迫り来るボス魔物に意識を集中させているネームレスとコルジァは気絶したフジャンに気付けるはずがなかった。




