三章第九話
十日17時に加筆改訂した改訂版と差し替えさせて頂きました。加筆部はほんの僅かなので、旧改訂版とほとんど変わりません。
地下迷宮の主ネームレスは骸骨兵長イースと枝悪魔長デンスを伴い、捕虜の少女らに気取られない様に農場部屋を退室した。
捕虜が寝床として与えられている小屋の前で、体調不良から復帰したチュヴァ、ミラーシ、ナーヴァの三人を囲んだ騒ぎの中、静かに去っていったネームレスに気付いた者は少ない。復調した三人は泣きながら抱きついてきたインファやぺローラの幼少組、囲んで喜ぶブリザを始めとした少女達の相手に忙殺され、チュヴァ達三人以外の少女らは安堵のあまり、感極まって、興奮で、とネームレスが居なくなった事に欠片も気が付かなかった。
一角獣ユーンから診察と治療を施されたチュヴァら三人は、ユーンの高尚だが慈愛を感じさせる言葉使いと、小鬼族長フジャンからの説明で、凄く偉い存在のユーンをネームレスが自分達の為に呼んでくださったのだと認識する。
フジャンではネームレスがダンジョンマスターであり、魔物を創作可能な(うみだせる)事を伏せると、そんな風にしか説明出来なかった。もっともユーンの高尚な言葉使いでは、元農民で学がないチュヴァとミラーシには内容が殆ど理解出来ず。
領主の家に奉公していたナーヴァが何とか解った程度であり、フジャンの説明も声が小さかったり噛んだり「ぁぅぁぅ」だったり「はわわ」だったりと正確に伝わり難く誤解を与え易い物だった。
本来ならばチュヴァ達三人がネームレスに礼をする時にでも、捕虜から恐れられる様な態度で挑む予定だったネームレスが、染み付いた日本人気質『空気を読む』を発動してしまい姿を消した為だ。このチュヴァらの誤解がどの様な影響を与えても、対応を欠いたネームレスの責任だろう。
ホムンクルスのエレナは当然気付いていたが、少女達の騒ぎを治めるのを制されたので己では理解できない深謀遠慮があるのだろう、と無言で見送るにとどまる。同じホムンクルスであるネブラはチュヴァ達の復調を祝う騒ぎを瞳を潤ませながら良かったと眺めていた。
犬人もネームレスに気付かれていなかったが、一行を見送って少女らの騒ぎに良かったねと語り合いながら仕事に戻り、水精霊ミールは何時もの無表情で水撒き中である。
そんな賑やかな少女達の集まりから入浴部屋へと向かう道中で睨み合いが発生していた。ユーンと女淫魔ヴォラーレ、純潔を尊ぶユニコーンとその名の通り人間を乙女を淫逸に引き摺り落とす淫魔、水と油、犬と猿……相容れぬ二種族であった。
ユーンはゆっくりと喜び咽び泣く少女らから離れる、ヴォラーレは先程まで作業していた洗濯の名残である洗濯物が詰まった桶を手に歩き進む。
二人の間で張り詰める緊張感に気付いたフジャンが身を捨ててでも割り込む覚悟を固めたが足が動かず涙目、森妖精族の少女はチュヴァ達の復調に安堵しながらネームレスの真意をはかり思いを馳せる。
フジャンがミールとエレナに視線で助けを求めるも、水精霊は水撒きに集中していて視線に気付かず。エレナは少女達の騒ぎと睨み合いに交互に視線を飛ばしながら「あらあら」とちょっと困った風に微笑む、だけである。
エレナ様、そんなやんちゃな子ね、て微笑ましそうにみてないでたすけてくらはい、漏れなくてもいい液体は漏れそうなのに言葉が漏れないフジャンは言葉が崩れた思考でエレナに必死で助けを求める。動く石像への命令権があるエレナならば、大した手間もなくユーンとヴォラーレを取り押さえられると期待して。
ユーンは頭を低く構え、ヴォラーレに角を向ける。ありとあらゆる病を癒す黄金色の角、だが戦闘の際には強力な武器となる。鋭く尖った先端は、強固な騎士鎧さえ貫きとおす。
ヴォラーレはユーンから発せられる明確な殺意を余裕を感じさせる微笑みと、瞳に蔑みの色を宿して受け流す。気品すら漂う優雅な歩み、それまで引き込めていた蝙蝠に似て非なる羽を背に、頭部に二本の角を出し戦闘体制へ。
サキュバスであるヴォラーレは本来ならば外見を変化させる技能を持っていたのだが、戦闘系技能と一緒にネームレスから改造にて削りとられていた。それでも角と羽を隠すぐらいは可能であり、削られた技能で生じたPを基礎能力値に割り振っている。
それでも戦闘系技能持ちであるユーンと持たないヴォラーレでは、戦闘能力に大きな開きがあった。加えてユニコーンが持つ技能攻撃属性聖は、種族が悪魔系淫魔であるヴォラーレに非常に有効で正面からの戦闘では彼女に勝機はなかった。
※ ※ ※ ※ ※
ネームレスは農場部屋からDM室へと歩みを進めながら、情報収集を担うインプの長デンスと改めて意見交換していた。その二人の背後をイースが無音で気配もなく付き従う。
人事を含めた組織管理や経営の経験が浅いネームレス、まだまだ試行錯誤の手探り段階である。統率力を落とさない為にそんな姿を配下や捕虜に見せる訳にはいかず、優雅に水面で佇む白鳥が水面下では必死に足を動かしている様に苦悩していた。
だが流石に農場部屋の農作物や畜産、二十六名におよぶ捕虜の世話、戦闘班の訓練計画に破損した武具、矢や手入れ用の砥石を始めとした消耗品の補充等々膨大な仕事・作業量をネームレス個人で処理出来るはずもない。
農場部屋の農作物や家畜の生産育成計画や捕虜管理等はエレナを頂点とした内政班へ、訓練の監修と武具消耗品のチェックと報告はイースと小鬼達にと権限を委譲したり任せている。
そしてそれらに問題がないかの査察、ネームレスや仕事内容への不満等の内偵、交易路への偵察に目標への潜入調査に工作等を任務とするのがインプだ。
最初の創作魔物たるホムンクルス・エレナでも、その忠義と戦技にてネームレスの背後を無条件に任される骸骨兵長イースでも、男と女の関係という生物として限り無く近い距離に居る女淫魔ヴォラーレでも、側仕えで今や誰よりも長く彼の近くで過ごすゴブリン族長フジャンでもなく――地下迷宮で最もネームレスと言葉を交えているのがインプ長デンスである。
戦を優位に運ぶにも、不満を除き反逆の芽を摘むにも重要なのが情報だ。その情報を集め分析して必要な物を報告するインプをまとめ率いるデンスと戦略を担うネームレスの意識の擦り合わせ――どんな情報を優先して切り捨てるのか――から、それらの根幹を成す将来の展望から経営戦略に戦術までと、こと細やかに話し合いを済ませている。
デンスが持つ情報は、もし何らかの事態でネームレスが指示を出せない状況に陥っても、しばらくは代理で地下迷宮を彼の思惑に沿う形で運営可能な程だ。
その中の情報報告の選択に捕虜勢の健康に関するものは省いていた。これはエレナの能力ならば、見逃さず適切な対応が可能だろうとの予想からだ。
だが、今回の件で無理だったと判断したネームレスは、省いていた報告の中から捕虜勢の健康に関する情報を聞き出し、なおかつ現状のインプ数で対応可能かどうかの検討等をデンスと話し合う。
捕虜の健康状態まで把握する密度の情報収集には、インプをそれ専用に最低七体は必要であり、ユニコーンが病気も怪我もすぐに完治可能な現状は無駄である。というのがDM室までの短い道程でネームレスとデンスが結論付けた内容だった。
ネームレスは再びDM室の玉座に座りイースが側で控えている、だが先程と違いフジャンの姿が室内に見当たらない。
農場部屋から出た時はフジャンがすぐに追い付くだろう、と農場部屋詰所に置いておいた魔具のランタンをネームレスが持って出たのだ。デンスは体格的にも会話をする必要上でも持てず、イースは護衛役として持つ訳にはいかず。
ネームレスはフジャンが側仕えとして荷持ちやランタン持ちとなる前は、彼自身が持っていた事もあり危険はないから持てとイースに命じる必要も感じずに持ち続けていた。
ネームレスが玉座に座ってもまだ追い付いて来ないので、念のためにデンスを様子見に戻らせたのだ。それ故に現在DM室にはネームレスとイース、待機させておいた骸骨兵十体しか存在しない。
物音一つしない静寂の中でネームレスは思考に耽るのだった。
ユニコーンの創作に30P消費して、残りの使用可能Pは2715.5P。地下迷宮第二階層の固定ダンジョン化に2500P必要なのに加え緊急用や第一階層の隠し扉等の設置用に100Pは残すと、差し引き115.5P使用可能という計算になる。
治療能力が非常に高くまた戦闘能力も一定水準を越えるユニコーンが、この低Pかつ一階層で創作可能な訳はその性質からだ。純潔な乙女にしか心を開かないと言われるユニコーンは、処女を前にすると途端に無力な、そして害悪な存在とかす。
例えば、地下迷宮への侵入者や敵対者と戦闘に突入しても、敵に純潔な乙女が居れば創造主(産みの親)すら裏切って乙女につく。どんなに良好な関係を築いていても。
この性質は説明書にもカスタム本にも記載されておらず、ネームレスが認知していない爆弾である。
もっともネームレスもまさかそんなに簡単に裏切るとまでは思っていないが、伝承や付与技能プライドから戦闘に連れていくのは危険と判断しており、治療や交流に専念させて捕虜からの信を得させる為に農場部屋から動かす積もりはなかった。
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ブリザは姉のチュヴァの復調に心から喜びを感じ、コラゥに抱き付かれ泣いて募る少女らへ困った様な嬉しい様な姿を囲いから少し離れた場所から見ていた。溢れた涙を姉たちに感づかれない様に、と振り返った拍子にヴォラーレの姿と手に持つ洗濯物に気付く。
喜びのあまりに頭から抜けていた、まだ仕事中だった事も思い出し、慌てエレナの顔色を伺う。彼女の顔に困惑を読み取ったブリザは手を叩いて注目を集めながら大声を出す。
「ほら、みんな、まだ仕事中だよ!」
ブリザの言葉で涙をこぶしで拭ったりしながらネブラの元へ向かう幼少組、復帰した姉を含む少女達の大半がエレナの元に集まり仕事の進行具合や人員の割り振りを話し合い出す。ブリザも急いで洗濯物を受け取るべくヴォラーレの元へ走り寄ろうとする。
この時、道中に白馬が居るのが見えたブリザだが、チュヴァらからこの白馬がユニコーンであり治療して貰った恩人(馬?)だとは聞いておらず。角が生えた変な馬だ、との認識しかなかった。
《少女よ、その穢れた悪魔に近付いてはならぬ》
「へ?」
ブリザは頭の中で唐突に響いた警告の念話に思わず足を止め、キョロキョロと辺りを伺う。
《そのままゆっくり後退してエレナの傍らで控えよ》
ユーンは近付いてくるヴォラーレから視線を外さずに、再度ブリザに警告を発する。この念話は広域に向けたものだった為に、エレナやネブラにミール、そして他の捕虜の少女達にも届く。
「あの、それは誤解ですよ。ヴォラ姉さんはたしかにいんまって種族の人ですけど……」
自分達も最初は怖がってたな、とここに連れて来られたばかり、初めて湯浴びをした時の事を思い出しブリザは謎の声に答えた。あれからかなりの時間を一緒に過ごしたが、ヴォラーレから害された事など一度もない。
故郷を母を家族恋しさに泣く少女が居れば、その豊かな母性で郷愁や母恋しさの悲しみが消えるまで抱き締めてくれる。話題が少なく幼い子にありがちな同じ話を何度も繰り返し語りかけても、喜んで聞いてくれて聞き慣れた話題なのに驚いたり悲しんだり笑ってくれる優しい人。
思わず「お母さん」と呼び掛けたら嬉しそうに微笑んで「なあに?」と返事をくれる。いくらチュヴァら年嵩の少女が頑張っても足らない母性を与えてくれるヴォラーレ。ブリザを始めとして彼女を第二の母と慕う少女は多い。
そんなヴォラーレを
《可哀想に、すっかり騙されてしもうて。心配は要らぬ少女よ、我がこれを討ち滅ぼして救うてやろう》
こんな物言いをして殺す宣言すればどうなるか?
病気を癒して貰った恩義のある三人も、初対面のユーンと付き合いの長いヴォラーレどちらを庇うか、味方するか解りきった事だろう。
その念話に込められた害意を敏感に感じ取った捕虜の少女達は、ユーンに止めてと縋り、エレナに懇願したり、ネブラの手を引っ張り背中を押して、と何とかヴォラーレを助けるべく必死に行動する。
守るべき少女や逆らえない純潔な乙女の言葉の暴力の前にフルボッコとなり沈んだユーンだった。




