番外編 ホムンクルスと水精霊
地下迷宮の居住区、その食堂に付属するキッチンでエレナはパン作りをしていた。
ボールに、小麦粉、塩、砂糖、ドライイーストを入れ混ぜ合わす。そして合わせた粉を篩に掛ける。
ドライイーストは彼女がDMたる彼に願い、執務室で購入した物だ。
ボールに入れた粉に、人肌程度のぬるま湯を少しずつ注ぎながらかき混ぜ生地を作る。
バターなども願いたいのですが、と思うエレナだがバターや牛乳などの乳製品は購入不可。牛乳さえあればバターやチーズなども自作可能なのだが。
生地をほどよく混ぜ、耳たぶぐらいの固さになったら、打ち粉をまいた台の上へ。
手のひらで台にこすりつけるように、弾力が出たら台に叩きつけるようにこねる。
生地が丁度良い感じになるまで、こすりつけ、叩きつけと交互にこね、ボールに戻すと濡れ布巾をかけ、桶に入れたぬるま湯の上に。
ふぅ、と軽く息をはく。体重をかけた、とはいえ力仕事なので疲労はどうしてもたまる。
乳牛を創作せねば、乳製品は使用不可能。それが彼とエレナが出した結論だ。
時間をおきボールの生地が倍ぐらいに膨らんだら再び台の上に。
ガス抜きをし生地にナイフで丁度良い大きさに等分し丸め、またボールに戻し濡れ布巾をかけ膨らむまで待つ。
膨らんだら水で溶いた卵黄をハケで塗り込んだら、オープンへ。
焼き上がったらパンの完成だ。
食堂のオープン前で、パンの焼き加減を観ながら独り言を漏らす。
「……創造者様、どうか御無事で」
DMたる彼が手勢を率いて地下迷宮から出立してすでに七日が過ぎた。
パンが焼ける匂いが食堂に漂いだす。
エレナはパン作りに使った道具を洗ったりと、片付けだす。パン作りも試行錯誤中、水質や材料の出来。彼好みの固さや柔らかさ、甘さ等々の調整に四苦八苦。
何を出しても(自信作しかテーブルに出さないが)美味しい以外の感想聞いた事がなく。調理者として誉れだが、現状に甘んじる心つもりはない。
仕事に集中する事で、押し寄せる不安を考えないようにしている。
地下迷宮の主にて、創造主たる彼。栄えある『最初の一体』であるエレナ。
彼女は卵から孵った雛が最初に見た存在を母親と誤認するかの様に、狂信的な忠愛を彼に捧げている。
彼の何気ない仕草や癖を頭に叩き込み、視線や行動の速度、微妙な表情の変化から彼の内心をほぼ正確に推し量れるほどに。
彼に望まれれば、その身を喜んで差し出し、死を命じられれば歓喜を持って殉職する。どうか夜伽を望んで頂きたい、褒美を願えるなら迷いなく願い出る。
もし彼の内心に少しでもそんな気持ちがあれば逆夜這いするのに!
彼の地下迷宮からの出撃時も下賤の身ながら差し出がましいのを承知で反対した。処分覚悟の進言だったが咎められず、だが聞き入れられもせず。
ならば一緒に連れて行って欲しい、と願い出たがこれも却下されたのだった。
最終的に「留守を頼む」との彼の命で、エレナは地下迷宮に残る事に。
己の創造主である彼の敗北などあるはずもない、と信じているが心配する事は別。彼が何時帰還しても問題ないように、野宿でもなるべく良い物が食べれるように。
胸奥からわきでる不安を押し殺し、働いているのだった。
太陽が木々に沈み、辺りは暗闇に包まれていた。現代社会と違い明かりを灯すのもコストが高いため、農民も町人も日が昇ると同時に働きだし日が沈むと家へ帰る。
ホムンクルスであるネブラの目は、小鬼のように闇の中でも暗視が効く事もなく。
外部とリンクしている農場部屋での作業や、明かりがない部屋や廊下などの作業に光源を必要とする。彼がダンジョンから離れている間は、所有魔力が低いホムンクルスは魔具でなく油を消費するランタンを使用していた。
普通のランタンでは野菜や麦などの状態を確認、処置する事は難しい。 故にネブラは日が暮れてからは掃除など、エレナの仕事を手伝っている。
ご主人様早く帰って来て欲しいな。
掃除に使用した道具を所定の場所へ片付けながらネブラはそう思っていた。設計段階で奉仕種族と製作されたホムンクルスにとって、主人の役にたつ事が幸福であり存在意義だ。
無論、出立前に作物の世話を任されたのだが、自分の仕事ぶりを見て評価して貰いたい気持ちは大きい。見られてないからと手を抜く様な真似など思いつきさえしないが。
ネブラはエレナほどの忠誠心も、愛情もない。いやエレナが異常なだけで、ネブラとて彼の盾代わりになるぐらいの忠誠心はある。
好きか嫌いか問われれば、大好きだよと返す程度の好意は持つ。肉体関係を命じられれても嫌悪感なども感じないだろう。実際に命じられれた時どう感じるかは解らないが。
ネブラはとぼとぼと疲れた身体を引きずるように、農場部屋に戻る。
エレナ(先輩)はまだまだ働く様子で食堂から出てくる気配はない。
入浴する前に顔を見ておこう、そう考えながら農作業などの重労働で鈍い歩調を叱咤し歩む。
にわとりさんやひよこさんは、おそうじまえにこやにもどしたし……
急速に訪れた眠気にふらふらになり、頭の回転も鈍る。何とか農場部屋の彼女達が使用してる部屋までたどり着くも、そこで力尽き玄関を開けたすぐ先の床に轟沈してしまったネブラだった。
彼が出立してから彼女達、ホムンクルスの会話も減り、夜間の勉強会も中断となっていた。簡単な礼儀作法と計算を身に付け、夜間のお喋り会と化していた為に二人共気分が乗らないので自然消滅気味に。
これを残念がっているのは水精霊のミールだ。常に無表情で無感情な瞳をし、会話に参加する事もないがエレナとネブラの話を聞いているミール。
勉強会に姿を現したミールを気遣い、二人は何度か話題を振ったりなどもしていたが、どうも話を聞きたいだけらしいと理解してからはそういう事もなくなった。邪険にしている訳ではない、勉強会に来た時は笑顔で迎え入れる二人なりの気遣いである。
ネブラが小屋に戻ったのを感知したミールが、彼女の寝床ともいうべき小川から今夜は勉強会あるかな、と小屋に入り玄関先で爆睡するネブラを見つけるのも自然な流れだった。
しばし床で眠るネブラを観察、これまでに見て聞いて覚えた知識を総動員してネブラの服を脱がしてベッドの上まで運んだのはミールにしては上出来といえる。だから脱がした服を玄関先で放置していたり、本当にベッドの上に置いただけで毛布などを上からかけなかった事は許してあげて欲しい。水精霊である彼女にベッドで寝る習慣や意義など理解しにくいし、服とて魔力を纏っていてなおかつ外見的年齢以外は基本的な水精霊の外見を与えられているだけなので服の意義もまた理解し難いのだ。
今夜も勉強会はないのか、と小屋から出て小川に戻るミール。勉強会があるのは好き、とは思えるがないとわかった時に飛来するぽっかりと何かがなくなったような、意味もなく移動速度が遅くなる事などを嫌い、と思いつつ肉体を水に戻して小川に溶け戻る。
そして以前とは比べられぬ程に強化された記憶力で保管された好きな記憶を再生する。
それは以前の勉強会だったり、彼女に肉体化できる力を与えた存在とネブラの三体で農作業をした記憶だったり。
そうしてここに呼ばれるまでは感じた事などない日が昇るまでの長い時間を過ごすのだった。
地下迷宮の留守を任された彼女達がこの様な夜を過ごしていた時に、主である彼は初めての殺し合い、戦闘を経験するのだった。




