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経典オタの究極、偽経爆誕。

 「サンスクリット語(=梵語)」とは、方言の対義語である「完成された言語」を意味する「古代インドの標準的な書き言葉」のことです。

 古代インド人であったお釈迦様の言葉を書き留めるには最適な言葉でした。

偽経(ぎきょう)」という言葉、ご存知でしょうか。


 ご存知ない方のために、物凄く乱暴かつ極端に要約すると、「偽経」とは「原典(要はサンスクリット語版)が存在しない経典」のことです。「中国や日本で作られた経典」と考えていただいて問題ないかと思います。イチから完全に創作されたものもあれば、漢訳版の経典を要約したものもあります。その対義語が「真経」。「原典(=サンスクリット語版)が存在する経典」です。


 じゃあ、「原典(=サンスクリット語版)さえあればどんな経典でも『真経』なのか」というと、定義上はそうなります。――まあ、「原典(=サンスクリット語版)が見つからないのは一文字残らず失われただけ」とか「原典(=サンスクリット語版)そのものが後世のインド人の手になるもの」とかいう可能性も無きにしも非ずですし、『般若心経』のように原典(=サンスクリット語版)があっても「いやそれは逆輸入されてサンスクリット語訳が後追いで作られたものだ」(byジャン・ナティエ)なんて説をぶち上げられている経典もありますから、原典(=サンスクリット語版)の有無にあまりにもこだわるのは、ナンセンスなのかも知れませんが。


 ちなみに儒教と道教と仏教が三つ巴の争いを繰り広げた中国においては、道教が「仏陀は老子の弟子」とする『老子化胡経(ろうしかこきょう)』をでっちあげるや、それに対抗して仏教は「老子は仏陀の弟子」とする『老子大權菩薩経ろうしだいげんぼさつきょう』をでっちあげる、といった具合で、互いに偽経を連発して、マウントを取り合っていきます。


 さすがにこうした泥仕合は論外としても。


 当時の仏教人気にあやかったのか、経典というものに憧れでもあったのか、儒教の経典と言っても過言ではない『父母(ぶも)恩重経(おんじゅうきょう)』(正式名称は『仏説(ぶっせつ)父母(ぶも)恩重(おんじゅう)難報経(なんほうきょう)』)という経典も作られています。こちらは「とにかく父母の恩に報いるべき」という儒教的教えを説きまくるだけの経典ですから、悪いことなんて一言も書いていないはずです。


 だから、内容が良いとか悪いとかじゃないんです。

 ただ、現状では「お釈迦様のお言葉を書き留めたもの」を経典の最初の定義としてしまうと、胸を張ってクリアできない経典が出てきてしまう、というだけです。

 仏陀を推しとして人生を捧げてきた信者たち、後世の仏教者たちの愛が暴走して手が止まらなくなったのかもしれませんね。

 露骨な伏線です。

 本文中で使うことがありますので、心の片隅にでも留めておいていただけたら幸いです。

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