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布施「させてやる」?

 お釈迦様が貧乏人に布施を強要したエピソードを得意気に語り始めた妹。

 オチは「我執を捨てさせたかった」らしい。

 「他人の我執を捨てさせるという自分の理想に執着した釈迦の話」ではなかったらしい。

 私にセミナーを受けさせることに執着している人間が、ドヤ顔で何の寝言を言ってるんだか。


 「布施はそもそもさせてもらうもの」と、布施する側が思うのは別に勝手だと思うけれど。

「布施を受け取る側は我執を引き受けてくれる?」

「布施させてやっている?」

 その理論、危険じゃないの?


 そもそも布施を享受する側が「布施させてやる」とか「それがお前のためになる」とか説法で言うのって本当に正しいの?

 それって「お客様は神様です」って客側が言っちゃいけないのと同じ理論じゃないの?

 それとも「他人のため」とかいう免罪符さえあれば、「あなたのためを思って言ってるのよ」系の執着は正当化されるとでも言いたいの?


 何にせよその「念佛宗」とやらでは、「布施」を搾取する幹部と、「布施」を供給するその他大勢の間には、明確な上下関係があるってことなんでしょうね。

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