7/60
布施「させてやる」?
お釈迦様が貧乏人に布施を強要したエピソードを得意気に語り始めた妹。
オチは「我執を捨てさせたかった」らしい。
「他人の我執を捨てさせるという自分の理想に執着した釈迦の話」ではなかったらしい。
私にセミナーを受けさせることに執着している人間が、ドヤ顔で何の寝言を言ってるんだか。
「布施はそもそもさせてもらうもの」と、布施する側が思うのは別に勝手だと思うけれど。
「布施を受け取る側は我執を引き受けてくれる?」
「布施させてやっている?」
その理論、危険じゃないの?
そもそも布施を享受する側が「布施させてやる」とか「それがお前のためになる」とか説法で言うのって本当に正しいの?
それって「お客様は神様です」って客側が言っちゃいけないのと同じ理論じゃないの?
それとも「他人のため」とかいう免罪符さえあれば、「あなたのためを思って言ってるのよ」系の執着は正当化されるとでも言いたいの?
何にせよその「念佛宗」とやらでは、「布施」を搾取する幹部と、「布施」を供給するその他大勢の間には、明確な上下関係があるってことなんでしょうね。




