「神道が仏教から生まれた」?
日本においては「『仏』という概念よりも『神』という概念の方が古い」ということは、「仏」を「蕃神」(=外来の神)と呼ぶ『日本書紀』(欽明天皇十三年十月条)や、「隣国客神」と表記する『日本霊異記』(上巻第五「信敬三宝得現報縁(三宝を信敬し、現報を得る縁)」)を読めば分かるはずなのに、唐突に「神道は仏教から生まれた」とドヤ顔で言い出したBA。――え? マウント?
いやいやいや、「神道」と「仏教」って言ったら共食いの関係じゃん。共食いの成れの果てが八世紀に入ってからの一体化(=神仏習合)でしょ?
新参者でよそ者の「仏教」なんか、古代神祇信仰(後の「神道」)の世界観そのものを丸パクりして、「神もまた煩悩に苦しむ存在で、仏法によって救済される」(=神身離脱)とか説いたくせに。それで日本の土着の信仰ともいうべき古代神祇信仰(後の「神道」)の支持層を総取りしようとしたくせに。
その辺は、ギリシャ神話が周辺の国々の土着の神々を異形の化け物化して討伐対象にするとか、わざわざ女性化してゼウスの妻の一人に押し込めるとか、ゼウスの子の一人に押し込めるとかして、自らの神話の中にねじ込んだのと同じような手口だよね。
「教祖」も「教典」も「教義」もない、ないない尽くしの古代神祇信仰(後の「神道」)は古代神祇信仰(後の「神道」)で、「仏教」の「救済」って概念を丸パクりして、自然に脅威に対する見立てや理由づけに過ぎなかった「神」に救済機能を搭載してみたり、「仏像」なる偶像作りを真似て「神像」なるものを作るようになったりとか、色々やり返してるけどね。
それを何? 「神道は仏教から生まれた」だァ? 「本体は仏菩薩で神は仮の姿」とか言い出した本地垂迹の成立は十世紀ですけど? それとも「単なる神祇信仰に過ぎなかった名無しの信仰」が「仏教」と区別するために「神道」と名付けられたと言われていることを拡大解釈してみた? じゃなきゃ「中世神話」でも引っ張り出してみたの?
「中世神話」を下敷きにしているんだとしたら、箔付けのためにどれだけ「お釈迦様ガー」だの「聖徳太子ガー」だのと鎌倉時代以前の話を持ち出して来たところで、いやそもそも「神道は仏教から生まれた」とか言っている時点で、「念佛宗」は鎌倉仏教までしか遡れないってことなんだよね。いくら同じ「キリスト教」であっても、ルター派やカルバン派が宗教改革より前にまで遡れないのと一緒だよ。
「中世神話」の詳細については、次回に譲るということで。




