出典と書いて言い訳と読む?
いざ始まった肝心要のトークがしみじみとつまんない。
トーク係のBAが「人体には365のツボがある」と言い出し、それを「ツムラが言っていた」と発言する。
向かって左に設置されたホワイトボード辺りに控えていた人が、ジグソーパズルの額みたいなのに入れたツムラの当時の新聞広告(一面)をオーディエンスに向けて掲げた後、額をホワイトボードの上に置く。
効果音として適宜、太鼓の音が挟まれる。
一連の流れにポカン。ツムラもまさかこんな二次使用をされているとは夢にも思わないだろうね。
かと思えば、
トーク係が何か言う、
額係(?)がその発言を貼り付けたマグネットシートをホワイトボードに叩きつけて貼る、
太鼓係が適宜、太鼓を叩く。
――え? 授業参観?
その後もただひたすら、トーク係がドヤ顔で何か言う→額係が発言をホワイトボードに叩きつけるか額を掲げるかする(太鼓係は適宜、太鼓を叩く)というルーティーンで進み続けるセミナー。
これでもか!
これでもか!
とばかりに出典を突き付けられて、逆にどんどん猜疑心が高まっていく感じ。
本人たちからしたら「何を引っ張ってくるかが腕の見せ所」という気持ちなのかもしれないけれど、こんなの、引用の継ぎ接ぎしかない論文を見せられているようなもんじゃん。これで38万なんか取るの?
こんなやり方しかできなくて、わざわざ新しい流派を立てる意味ある? 言うなれば「各動画から無断拝借してきた『素材』を新たな加工もせずに継ぎ接ぎして勝手にナレーション入れたまとめ動画」みたいなもんでしょ?
まあそれが「念佛宗」の本質なのかもしれないけれども。




