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隠し念仏と隠れ念仏。

 「隠し念仏」と「隠れ念仏」では、意味や内容がかなり違うので、念のためおさらいをしておきます。


 江戸時代に東北で生まれたとされる「隠し念仏」は、当時の浄土真宗そのものを「世俗化している」と批判して決別し、あくまでも「親鸞や蓮如の正当な教え」を受け継ぐことを目的としました。その割に、「人では人を救済できない」「自力(=布施などにより功徳を積んだり念仏を唱えたりすること)は無意味、他力(=阿弥陀様の本願力)を信じろ」「人々を救済できるのは他力(=阿弥陀様の本願力)のみ」と説いた親鸞の「他力本願」の教えと真っ向から対立したり、親鸞が否定した神秘体験を重視したり、密教の儀式を取り入れたりと、独自の進化を遂げてしまっているのが「隠し念仏」の大きな特徴と言えます。「隠し念仏」にとっての「人々の救済」とは「(親鸞や蓮如の)正当な教えを受け継ぐ指導者(=人)である『善知識』(=生き仏)が『儀式』によって行なうもの」であったからです(他力本願どこ行った?)。そのため幕府は元より、浄土真宗そのものからも「異端」「邪教」と批判され、二重の弾圧を受けました。


 これだけだと「念佛宗」がちらついてしまう人もいるかもしれませんが、「隠し念仏」には「念佛宗」にはない大きな大きな特徴がありました。「儀式を行なう善智識が信徒から金を取ることもなければ、権威となる寺院の建立もしなかった」んです。だって隠してますからね。


 一方、江戸時代に九州で生まれたとされる「隠れ念仏」の方は、「隠れキリシタン」の浄土真宗版です。「浄土真宗」という宗教そのものが税金がらみの問題で九州では公的には弾圧されていたから信仰を隠した。それだけです。特別な儀式とは何ら関係ありませんし、浄土真宗そのものともめたことも勿論、ないと思います。

 江戸時代から連綿と受け継がれて土着の宗教化しているはずの「隠し念仏」の流れにあると言いながら、40年前に唐突に登場する「念佛宗」の不思議。なおかつ儀式を行なう善智識が信徒から金を取り、権威となる寺院も建立する「念佛宗」の不思議。

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