22 やっぱり聖女でした
「私を選んでくれたということは、私との婚約に納得してくれたということで良いのだな?」
「は?」
あ、このシチュエーション知ってる。隣に国王陛下が座って、すごく近い距離でのぞきこんできて、婚約について詰められて。
一旦引いた手汗がまたどばっと湧いてきた。顔にも熱が、汗が、うわあお化粧が崩れる。誰これメイクが剥がれる。心臓がバクバク鳴るのは国王陛下に聞こえているのかしら。明るい室内での美形の圧がすごい。ちょっと耐えきれない。
そういえば国王陛下がアーシェルに変わる前、この話をしていたのだった。
それで何かがペナルティに触れた。
だめ、国王陛下の顔が近くて何も考えられない。藍色の瞳の中に、ラピスラズリのようにチカチカする金色の星が見える気がする。綺麗すぎて吸い込まれそう。
ひどく甘く聞こえる声が蕩けて滴るみたいに囁く。
「婚約破棄などしない。来年には婚姻式だ」
いつも厳しそうに眇められている眉が緩んで、長い睫毛の目が細められる。
これはアレかしら。
キスの距離……。
目を閉じそうになったところで、タン、とテーブルにグラスを置く音がした。
大公閣下がいたのよ!
忘れてる場合じゃないのよ!
目先の美形にクラクラしてときめいてるんじゃない、しっかりしてわたし!
「来年の話は今はいい」
わたしが大公閣下に顔を向けたのに、国王陛下との距離は近いまま、めちゃくちゃ視線を感じるけど、もう一度向き直る勇気が出ない。
顔熱い。危なかったわ。うっかり大公閣下の前でファーストキスを披露するところだった。
まだ心臓は鳴り止まないけど、落ち着かなければ。
「結界のことだが」
「はい」
大公閣下が話を逸らしてくれたので、ありがたく乗っかる。国王陛下が至近距離から少し離れた気配がする。こわくて確かめられないけど、助かった。
「ソニアが聖女に就任してから、魔獣の被害が激減しているのはその結界の力だと思う」
「あの、それは魔獣の活動周期の関係だと聞いています」
「それもあるかもしれん」
確かにここ十年近く、大きな魔獣の被害はない。このソニアの体では危険な魔獣に出会ったこともない。夜ノ国は魔獣対策が取られているし、辺境には対魔獣に特化した魔法師団もいる。魔獣の活動には周期があって、今は鎮静期だと言われている。魔獣被害が少なくても不思議ではない。
わたしが知っているのは記憶の中で、光ノ国で襲われた魔獣だ。
光ノ国、という言葉を思い出して、少し気持ちがざわついた。何かを思い出せそうな。
「ソニア」
国王陛下がわたしの肩に手をかけて体を引き寄せた。されるがまま、わたしは国王陛下の胸に倒れ込む。
「君は聖女として結果を出している。何も心配しなくていい」
「まあ、そういうことだ」
ああ、わたしはこの国の役に立っていたのね。
かすり傷しか治癒できない、いつか本当の聖女があらわれるまでの繋ぎ。何故かずっとそう思い込んできたけど、わたしが毎日捧げていた祈りは無駄ではなかった。
祈りは結界になって、魔獣から国を守っていた。
ちょっと泣きそう。お化粧が。多分汗とかで既にだめな感じになってそうだけど。
「ありがとう、ございます」
わたしが聖女でいることの居心地の悪さを、国王陛下も大公閣下も知っていたのね。何に対してかわからないけど、感謝の気持ちを口にした。
国王陛下は肩を抱く手に力をこめてくださった。
大公閣下は微笑んで見守っている。
わたし、聖女でいていいんだ。
胸に重くつかえていたものが軽くなった気がした。
それでもお化粧を思って涙はこぼすまいと、顔に力を入れていたら、控えめに扉がノックされた。
気がつくとずいぶん時間が経っている。
プリメイラ様がお水を持って戻ってきたけど、お水は大分ぬるくなっていた。お待たせしたのね。申し訳ない。
プリメイラ様は国王陛下の胸に顔を埋めて踏ん張っているわたしと、ニヤニヤしている大公閣下を見比べて、お化粧直しにいきましょうとわたしを連れ出してくれた。
「よかった」
プリメイラ様が王宮のメイドさんたちに、わたしのお化粧直しの手配をして、別室に通して、お茶を淹れてからほっとした声で言った。
「お化粧は酷いけど、とても良い表情になりました」
まっすぐ見つめてくれるプリメイラ様の顔は、国王陛下みたいに甘くはないけれど、心に響く。
わたしはゆっくり頷いた。
「さあ、お化粧を直して、陛下に惚れ直していただきましょう」
あー、しんみりしたけど、そういえば夜会はまだ続いているのね。
そしてまだ帰ってはいけないのね。




