18 膝枕って足が痺れる
国王陛下じゃない。
さっきまで間違いなく国王陛下だと思っていた人が突然別人になっていた。
図書室で一度会ったことがある。彼はアーシェル。あのときもこうして国王陛下の体を奪ったの?
「何か知りたいことがある?」
「知りたくないことだらけよ」
国王陛下はどうされてしまったのか。何故ここにアーシェルがいるのか。そんなこと知ってしまったら後戻りできなくなってしまうことくらい、わたしにもわかる。
「まあ、ぼくも何でも教えてあげるわけにはいかないんだけど」
「だったら、国王陛下を返してください」
「それはできない」
アーシェルは立ち上がった。手を伸ばして組んで、片足を上げて、体の細かな動きを確かめるみたいに。
「キースがぼくに身体を明け渡したのは、彼のペナルティだからね」
「ペナルティ?」
「ぼくにもキースにも、守るべきルールがあるってこと」
では今、国王陛下はそのルールを破ったの?
わたしは何の話をしていたの?
魔法の灯りが少し暗くなった。夜に吸い込まれそうなアーシェルの黒い髪が、端正な顔に影を落とす。国王陛下の顔のはずなのに全く別人に見える。
「さっきの結界は見事だったね」
わたしがさっき咄嗟に張った結界だろうか。大きな魔力を感じて、周囲に広がらないように力をその場に固定した。
癒しの聖女のはずなのに、わたしは未だに前世で使っていた結界魔法の方が得意だし、癒しの方は期待されないように、あんまり訓練していないからショボショボだもの。
「あの魔力は、アーシェルのもの?」
アーシェルはとても美しい笑みを浮かべた。
「それを答えると、ペナルティに触れるかもしれないから教えられない」
ということは、アーシェルはペナルティに触れたくなくて、国王陛下の身体のままで何かをしたいということかしら。
それは多分良くない。
アーシェルは国王陛下じゃない。
わたしの前世の記憶が、証明できないけど確かなことだと知っているのと同じように、アーシェルと国王陛下は別人だとわかる。
この国の王は国王陛下だ。アーシェルじゃない。
返してもらわないと。
だってアーシェルは光ノ国の……。
「前世のわたしとの婚約破棄をしたのは、あなたよね?」
「あの時の聖女の婚約者の、アーシェル第二王子がぼくかと聞かれたら、明確に違う。『ぼく』は聖女に婚約破棄なんて馬鹿なことはしないよ」
「でもあなたはアーシェルだわ」
それは間違いない。証拠はないけど、わたしはそうだと知っているの。光ノ国のアーシェル王子は聖女の筆頭だったわたしの婚約者で、彼に婚約を破棄されてわたしは処罰として従軍することになった。
討伐戦での魔物の咆哮、鋭い爪に含まれる猛毒、いろんなものを思い出してしまったわたしは寒気に自分の腕で体を擦った。すごく思い出したくない記憶。
「あのときのやり直しをしよう。ぼくは君との婚約を破棄しない。君は聖女として、国母として、国を守ればいい」
「わたしが婚約しているのはあなたじゃなくて、国王陛下よ」
「同じ身体だよ。君以外には誰にもわからない」
「でもわたしは知っている。やり直しなんてしたくない」
どうしたら国王陛下を取り戻すことができるのかしら。このままだとアーシェルが国王陛下に成り代わってしまう。ルールがわからないペナルティをアーシェルに課すことができれば、国王陛下は戻ってくるの?
「そんなにキースがいいの?」
譲らないわたしに、少し不貞腐れたようにアーシェルが言う。国王陛下のこんな表情は見たことがないからとても新鮮だわ。なんだか子供っぽい。違う、これは国王陛下じゃなくてアーシェルだから。
「わたしが望んでいるのは平穏な暮らしよ」
「ならぼくはその未来を君に渡すよ。ぼくを王にして。聖女が認めればぼくは夜ノ国の王になれる」
「聖女はそんな権力持っていないの」
手袋を外そうとするけど、汗で貼り付いてうまくいかない。目線を動かさずにさりげなく、と思っているのに。
やっと外れた手袋をベンチに置いて、わたしも立ち上がった。灯りが更に暗くなっている気がする。もしかしてこれは国王陛下の魔法かもしれない。アーシェルに変わってしまったことで魔法が切れてきているのかも。
「聖女だからだよ。聖女は王を──」
外れない指輪の石を内側に回して、てのひらでアーシェルの頰に触れる。
前回アーシェルは、国王陛下のくださった指輪のラピスラズリに触れて消えたんだと思う。同じ方法が効くのかはわからないけど、石に触れた瞬間、アーシェルはわたしの手をつかんで、苦しそうに眉を寄せた。
「ひとつに、する──」
苦しげな吐息がなにかを呟いて、アーシェルはがくりと頽れた。
指輪のせいなのか、さっきの会話でアーシェルがペナルティを犯したのか、よくわからないけど多分国王陛下はもとに戻ったと思う。
よくわからないけど。
だって国王陛下の寝顔なんて見たことないからわからないのよ。
今?
ベンチの下の芝生に座って、国王陛下に膝枕してるとこ。
意識のない国王陛下をそのままにしておけないし、ベンチまで持ち上げる力もないし、仕方ないじゃない。
国王陛下がいる間は気を利かせてプリメイラ様は護衛から外れてくれているけれど、そろそろ探しに来て欲しいなあ。
足が痺れてきたけど今更下ろせないじゃない。
国王陛下、割と重たいの。知らなかったよぅ。




