第10話 騎士の誉
閲覧席でヤトとコルセアが戦い始めた一方、アレーナでは岩竜が遅めのランチとしゃれ込んでいた。クシナに言わせれば若いオスらしい―――彼はキマイラの死骸を美味しそうに貪って腹を存分に満たしていた。
ロスタはさっさと残った生贄の女性達を解放してアレーナから逃がした。後はどうなるか分からないが、そこまで責任を負う理由は無い。
彼女は段々と数の減った観客席を見て思案する。事前の打ち合わせではとりあえず騒ぎを起こして闘技場地下に捕らえられている剣闘奴隷から注意を逸らす役目は果たしたと言える。後はこのまま注意を引きつつやって来る兵士達を適当にあしらって、主のカイルが首尾よく奴隷達を救出してくれるのを待つばかりだ。
噂をすれば影とやら。開け放たれたままの扉から数十名の武装した兵士が雪崩れ込む。ただし誰もが及び腰のまま竜やクシナ達には近づかず、遠巻きに様子を窺うばかりだ。
では何故彼等はアレーナに押し寄せたのか。答えは兵士達の後から姿を見せた二人の身なりの良い若い男達が教えてくれた。
「まったくよー、せっかくの休暇が台無しだぜ。そう思うだろカッサンドロス?」
「ボヤくなフィロタス。あのオッサンに顔と恩を売っておけば後々便利だ」
「へいへい。ま、カワイイ娘ちゃんとお近づきになれると思えば悪くないか」
金髪色白の軽薄な雰囲気を纏うフィロタスと呼ばれた男と、彼にカッサンドロスと呼ばれた黒髪長身の男の二人組がクシナ達と対峙する。
「よーうお嬢ちゃん。俺達こういう者でさぁ、出来れば大人しくしてくれねーか。そっちの角の姉ちゃんも竜を大人しくさせてくれ」
フィロタスの手から赤い十字の光が伸びる。ロスタの持つ柄だけのフォトンエッジと形式が違い、鍔からも短い炎が出ているが彼も紛れも無くフォトンエッジを持つ魔導騎士だ。
同じくカッサンドロスも獰猛な笑みを浮かべて両刃の部分から赤光の迸る戦斧を構えた。彼はさらに斧をロスタに向けて武器を捨てるように仕草で伝える。
「そのフォトンエッジをどこで手に入れたかは知らんが、現役のセンチュリオン相手に勝てると思うなよ。今なら命は保証してやる」
「紳士的な申し出は誠にありがたい話ですが、当方にも大事なお役目がございます。何も言わずにお引き取りを」
ロスタの拒絶の意思に対してフィロタスは無言で斬りかかろうとしたが、クシナが牽制に投げた鎖を切り払うために動きが止まる。
出鼻をくじかれたフィロタスは舌打ちして軽薄な笑みを引っ込めて相方に負けず劣らずの殺気に満ちた笑みを見せる。さしずめカッサンドロスが餓狼なら、彼は牙を剥く豹だ。
「おーしそっちがその気なら加減抜きでやってやるよ!そっこーで片付けるから、カッサンドロスはそっちの角とドラゴンを頼むぜ」
相手の返事を聞く気すらないフィロタスは深く踏み込み刺突を放つが、ロスタは危なげなく切り払って逆撃に繋げる。それを鍔で受けながら力で押し込もうとしたが、ゴーレムの彼女は見た目より遥かに力が強く、フィロタスの方が押し込まれた。
それでも彼は王の近衛、冷静に理力を使ってロスタの足を崩して鍔迫り合いから脱した後、一刀のもとに切り伏せる――――のはずが、寸での所で膝立ちのまま受けられてしまい、距離を取った。
両者は一見互角のように見えるが、フィロタスは一層深い笑みをロスタに向ける。それは虚勢ではなく確かな余裕のある笑みだ。彼は唐突に光刃を消して犬を寄せるように手招きした。明らかな挑発にロスタは眉一つ動かさなかったが、好機と見て一足飛びに斬りかかるも、理力によって態勢を崩されて剣をあらぬ方向に向けられてしまう。そして再び迸らせた赤光に左腕を裂かれた。
白磁の肌が融けて見るも無残な有様だったが、幸いロスタはゴーレム。痛みも無ければ生身より遥かに頑丈。何食わぬ顔で反撃して隙を晒した敵の腹を浅く切り裂く。
「ぐおっ!!やりやがったな!――――つーかお前人じゃないな!!」
「ご慧眼恐れ入ります」
慇懃に礼をしたロスタをフィロタスは脂汗を流して忌々し気に睨む。
今の所両者は痛み分けだ。ロスタの左腕は痛々しいが外装を焼かれただけで稼働には支障はない。フィロタスは腹を斬られたが、実際は肉を僅かに焼いただけで内臓までは達していない。痛みは酷いが戦いに支障のある怪我ではなかった。二人の戦いは拮抗していた。
一方カッサンドロスはクシナと彼女に懐いた岩竜と対峙してどう攻めるべきか様子を見ている。幾ら魔導騎士でも竜相手に単騎は厳しい。裏を返せば彼はクシナを何ら脅威に見ていなかったが、その代償をすぐさま払わされる事になった。
岩竜がチロチロと口から火を出し始めたのに気を取られたカッサンドロスは一瞬で距離を詰めたクシナに反応し切れずに拳の一撃を胸に受けて吹き飛ばされた。普通ならこれで決まりだが、相手は並の兵ではない。咳き込みながらもゆっくりと立ち上がり、ギラついた眼で斧を構え直した。
今度はカッサンドロスの方がクシナに肉薄して渾身の力で斧を叩き込むも、逆に真っ向から拳をぶつけられて斧の片刃を粉砕され、勢い余って反対の刃が使い手の肩口から鳩尾にまで食い込んだ。
心臓にまで達した深い傷の痛みとショックで朦朧とした意識の最中、カッサンドロスが最期に観た光景は血煙を上げる左手に息を吹きかけて煙を消そうとしているクシナだった。
有り得ない、なんだこの化け物は。後ろの竜よりこの女の方がよっぽど強い。理不尽だろ、ふざけやがって!
徐々に薄まる意識の中で彼は思いつく限りの罵倒をし続けて、やがて息絶えた。
相方が息絶えたのを目の当たりにしたフィロタスだったが彼はまだ平静を保っている。それどころか徐々にロスタを圧し始めていた。彼女は左腕以外にもあちこち肌が焼けていたが、フィロタスの方は腹の傷以外は無傷だった。
理由は幾つかあるが、最も大きな点は技量と経験の差だ。十年以上修練を積み、幾多の死闘を生き延びた魔導騎士の技と業は常人を凌駕する性能を秘めた最上級ゴーレムを打ち負かすほどだ。
しかし惜しむべきは肩を並べて共に戦う相方が既に果てており、カッサンドロスを殺したクシナと彼女に懐いた岩竜がいつ加勢するか分からない状況は極めて不味い。
『撤退』の二文字がフィロタスの頭に浮かぶが、後ろで兵が見ている前で無様に逃げる―――それも女に背を向けてみっともなく逃げるなど栄光あるセンチュリオンの魔導騎士に出来る筈が無かった。
覚悟を決めた騎士は瞬きすらせず目を見開き、向かい合う少女を視界に捉え続けながら間合いをジリジリと詰める。
そして極限まで力を溜めた脚で一気に跳び、揺らめく炎の剣をロスタに突き立てた。
同時にフィロタスもフォトンエッジで胸を貫かれて力を失い、ロスタに抱えられるように倒れた。
「………なぜ手を抜いて狙いを外しましたか?」
ロスタは光刃に貫かれてはいなかった。彼の剣はロスタの横腹を掠めただけ。最初から刺し貫く気はなかったのだろう。
フィロタスは困惑するロスタの瞳を覗き込んで面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「俺は……生き方と……死に方を自分で………選びたかった…だけだ。……騎士として……剣…で死ぬ」
力無く咳き込む騎士をいたわるようにロスタは膝に寝かせる。なぜ敵でしかない男に情けをかけるか彼女自身もよく分からなかったがともかく行動に移していた。
「…けっ……どうせなら……生身の…女に……抱かれて………死…………」
それっきりフィロタスは軽口を叩くのを永遠に止めた。
センチュリオン二人が破れた事に恐れをなした兵士達は我先にと逃げ出し、アレーナには人間は一人も居なくなった。
アレーナでの死闘に決着が付いたのとは違い、閲覧席の戦いは未だ続いていた。
豪奢な席は椅子や調度品の残骸が散乱して見るも無残。壁に吊るされた見事なタペストリーはどれも半ばから荒々しく裂かれてボロ布と化した。幾つもの柱が砕かれ、滑らかな床も度重なる仕打ちに勝てず無数に抉れていた。
この惨状を作り出したのは他ならぬ主人のコルセア。彼は鞭型のフォトンエッジを縦横無尽に操り、己が財貨を悉く破壊し尽くしていたが、ただ一つ刺客だけは壊せずにいた。
鋭敏な足回りで視界の外へ外へと動き続けるヤトを一度も捉えられず、炎の軌跡は虚しく虚空を切り裂くばかり。
コルセアの名誉のために言っておくが、彼は肥満体の見た目に反して技量はそこまで悪くはない。流石に魔導騎士と比すれば一枚落ちるが、大蛇の如き変幻自在の動きと音速に達する衝撃波を伴う比類無き威力の鞭は決して侮るべきものではない。
常人であれば一撃とて避ける事すら困難のはずだった。一撃、ただ一度でも鞭頭が触れさえすればひ弱な平民の肉体など粉々に―――いや、動脈の一本さえ潰してしまえばそれで事足りるというのに。それすら叶わぬ現状に怒りと理不尽が全身を駆け巡る。
苛立ちを隠しもせず、ただ儘に鞭を振るい続けるが、それでは当たらないのは道理である。ヤトは冷静さを欠いたコルセアの目線と手首の捻りから鞭の軌道を予測して回避行動を取り続けていた。狙いと初動が見え見えの攻撃など幾ら速かろうが喰らうわけがない。
とはいえヤトの手元には食器ナイフしかないので攻め手に欠ける。最悪鞭の一撃を片腕で防御して一気に近づく捨て身戦法も出来るが、そこまでは追い詰められていない。出来れば無傷で鞭の乱舞を掻い潜り、あの肥満体にナイフを突き刺すのが理想だ。
殺気溢れる鞭を回避しながら何か手は無いか考えていると襤褸切れになった赤いタペストリーが目に付く。ヤトは口にナイフ二本を咥えてボロ布を二枚拾って広げるように投げつけた。
コルセアは向かって来る赤いボロ布を小賢しいとばかりに鞭で引き裂いたが、それが大きな隙となって刺客を見失った。
周囲を見渡すがどこにも敵は見当たらない。しかし彼は大きな痛みと共にヤトの居場所を知る事となる。
「ぐあっ!!」
コルセアは苦悶と共に鞭を取り落とした。彼の両腕にはそれぞれ銀製のナイフが突き刺さっている。
同時にヤトがコルセアの背後に着地する。彼はタペストリーを投げた瞬間に真横に跳んで視界から消え、さらに上に跳んで布切れに注意を向けたコルセアの頭上を取って両腕にナイフを投げたのだ。
「筋は良かったのに修練が足りなかったようですね。まあ領主ですから仕方ないですか」
両腕は使い物にならないが、念のために鞭を拾って確保しつつ第二目標の領主を生きたまま捕らえた。タナトスの指令に十分応えたと言える。
後はカイル達が剣闘奴隷を首尾よく解放すれば≪タルタス自由同盟≫の勝利だった。




