第4話 捕虜救出
地図を手に入れた街で英雄扱いになっているのを知らない四人は二日の空の旅を経て、タルタス国内の南西部にあるブレスという街を訪れた。
ブレスはそれなりの規模の街で、総人口二千人程度は住んでいる。主な産業は牧畜と限られた平らな土地を用いた大麦栽培。この国ではよくある小規模食糧生産都市だ。
このくらいの大きさの街になると外部からの商人もそれなりに訪れるので四人はそこまで注目を集めない。精々商人の護衛がうろついていると思われているのだろう。
平和などこにでもある街だったが、住民の顔と雰囲気は明らかに暗く重い。見渡す限り誰も彼も余裕が伺えず、病人のように生気が乏しい顔をしている。
普通なら子供の騒がしい声やその親の叱る声が聞こえてくるはずだが、そうした光景は一切見当たらず、どちらも無言で荷を運んだり、職人仕事に励む様を見るだけだ。
その住民も全員薄汚れてボロボロの服を身に纏っている。服そのものが貴重品なので何度も直して着るのはどこの国も同じだが、それでもこの国民の着る服は限度を超えて修復してあった。それだけ貧しく、新しい服を用意する余裕が無いのだ。
だから四人を見る住民の目は穏やかとは対極にある、欲に塗れた強奪者の目をしていた。
こういう時に四人の容姿はマイナスに働く。何せ若く整った顔立ちは荒事にはまるで向いていないように見える。それぞれ武器を所持していても、どうせ見せかけだけで碌に使えもしないと勝手に思い込んで見下す。
だから阿呆共は四人をただの得物として狩ろうと決めた。
四人の前に一人の痩せた虎人が腕を組んで立ちはだかる。
先頭のヤトが虎人を避けて進もうとしたが、彼は横に動いてそれをわざわざ阻んだ。そして後ろや左右からは何人もの角材を持った同じように痩せた若い男達が取り囲む。
この時点でヤトとカイルは何が起きるのかを察した。だから男達が何か行動を起こす前に動いた。
ヤトは翠剣を鞘に入れたまま腰から抜いて目の前の虎人を殴り飛ばし、カイルは弓を手に後ろを囲んでいた男達を数人纏めて打ち据えた。
弓はエルフの村で餞別に貰った業物だ。森の奥地に生える樹齢数千年の大樹から落ちた枝を曲げて作られており、弓としてだけでなく強靭な鞭としても使えた。
その証拠に弓で打たれた男達は派手に出血して文字通り身を引き裂かれた痛みで転がり呻く。
男達はまだ自分達が何も要求していないのに先制攻撃を受けて怯んだ。この手の連中は攻撃するのは得意でも、されるのは慣れていない。
そしてあっという間に半分以上が返り討ちにあって、残りは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
「なんていうかさー、病んでるね」
「どこの国でも上が阿呆で民に余裕が無いとこんなものですよ」
カイルのぼやきにヤトが呆れを含んだ相槌を打つ。大陸を東から西に渡り歩いたヤトの言葉には重みがあった。
だが運が悪かった。
「そこの下郎。どこの誰が阿呆だと?」
後ろから怒気を孕んだ声が聞こえた。
ヤトが振り向くと、そこには馬車の中から太った男が顔を出した。男には興味が無かったが、馬の代わりに馬車を曳いていた二人の熊人に目が行く。
熊人は粗末な腰巻以外は裸で肌には無数の生傷がある。今も出血している事と御者の手の鞭には血が付いていたのを見て、さらに呆れの溜息を吐く。
馬車の男はヤトが返事をしなかった事と己に恐怖を抱かなかった事を不快に感じて、供の護衛に斬るように命じたが、クシナとロスタを見て嫌らしい目付きになった。何を考えているのか丸分かりだ。
「私はこの街で秘書官を務めるトラキアである!貴様はこの私を侮辱した!故に今この場で処刑するつもりだが私は慈悲深い!」
「それで?」
「貴様の連れの女二人を差し出すなら命だけは助けてやる!今すぐ目の前から消えるがいい!!」
「分かりました」
ヤトは視認すら不可能な速度の居合で中のトラキアごと馬車を横に真っ二つにした。ずり落ちた馬車の中からは裸の猫人女が這い出て逃げて行った。ついでに護衛も全員逃げた。
運が悪かったのはヤトではない。トラキアだった。
「お望み通り、視界から消してあげましたよ」
これ以降ヤトはトラキアを一切見ず、代わりに馬役の熊人二人が繋がれていた鎖を翠刀で斬る。
熊人は何が何だか分からないといった顔をしたが、本能的にヤトに頭を下げた。
民衆は関わり合いになりたくないので誰も一向に近づこうとはしない。しかしどこからか小さな白い物体が飛んで来て、カイルの足元に転がった。拾い上げて見ると紙で包まれた石だった。
中身を見たカイルはヤト達にここから離れる事を提案した。三人は反対せず、手近な裏路地へと入った。
路地は狭く、二人が並んで歩けばもう隙間が殆ど無い。おまけに生ゴミやら汚物が散乱しており、その腐った臭いが鼻をいたく刺激してクシナは鼻を摘まんだ。
「これ見てよ」
路地に入ってからしばらくしてカイルがヤトに紙を渡す。紙には急いで書いたと思われる簡単な地図と走り書きが記されていた。そして地図の一か所は赤く塗られていた。
「ここに来い―――ですか。どう見ます?」
「罠の可能性は低いと思うよ。僕らを嵌める理由が無い」
「まあそうでしょうが。ふむ…行くだけ行ってみますか」
情報が足りないが、あの秘書官の一派という事は無いだろう。最悪何かの謀だったとしてもこの四人なら力ずくで突破するのは容易い。
四人は最低限警戒しつつ地図に記された赤い点を目指して路地を五分ほど歩いて、目的の場所らしい建物に辿り着いた。
そこは裏路地の中でも一層奥まった場所で、真昼でも光の差さない薄暗い区画に居を構えた酒場だった。
「『墓場亭』ってここで良い…よね?」
「看板にはそう書いてありますよ」
カイルは名前からして本当に商売する気があるのか疑ったが、看板に出ている名と紙に書いてあるメモの名が一致しているので一応信じて、半分腐って隙間だらけの扉を押して慎重に中に入った。
中はかなり暗いがエンシェントエルフのカイルには見えている。テーブルや椅子の半分は壊れた残骸で、カウンター奥の酒棚は碌に酒瓶が無くガランとしている。これだけ見ても真っ当に営業しているようには見えないが、床に目をやると何故か掃除をしたように埃が取り払われていた。誰かが手入れをしている証拠だ。
そして音を立てないように腰の短剣を引き抜き、扉の後ろに隠れていた者の首に突き付ける。
「うおっ!?ま、待て!!落ち着け!俺は敵じゃない!」
「なら手からナイフを落としてよ」
扉の後ろに隠れていた男は言う通り握ったナイフをその場に落としつつ、反対の手を腰の後ろに回そうとしたが、カイルがさらにナイフを首に押し当てたので動きを止めた。
「そこまでにしてくれ。そいつの言う通り、あんたらとやり合う気は無い。というか俺達二人じゃ喧嘩にもならん」
部屋の奥からランプを持った顔半分が火傷に覆われた隻眼の男がやって来てカイルを諫めた。
男はランプをテーブルに置いて部屋全体を照らす。
「汚い所だが連れも中に入ってくれ。食い物と酒ぐらいは出そう」
男の言葉に残りの三人も一先ず警戒を解いて中に入った。
ヤト達はランプの置かれたテーブルを中心に、扉の傍に立つロスタを除いて適当な椅子に座り、元から酒場に居た二人の男も向かいに座った。カイルにナイフを突き付けられた方の男は座る時に足を引き摺っていて、よく見たら膝から下が木の棒に代わっていた。
「まず自己紹介をしておこう。俺はヤニス、こっちはコスタだ。それと石を投げたのは俺だ。あと、どっちも≪タルタス自由同盟≫のメンバーだ」
「なんですそれ?」
「この国の魔法至上主義と圧政に反発して抵抗運動をしている集まりさ。俺達を知らないってことは、やっぱりアンタ等この国の者じゃないな」
外部からの来訪者が極めて少ないこの国で外国人を見る機会は少ないので、片足のコスタは四人を物珍しそうに眺めた。
そしてヤトとカイルは抵抗勢力が居る事にさして驚かない。この国で力を持たぬ者がどう扱われるかは既に肌で実感したので、反発する者が居ても何らおかしいと思わなかった。
軽い挨拶が済むと、ヤニスが奥から食事を持ってきた。テーブルには燻製肉と羊のチーズ、それと干しイモが並ぶ。飲み物はヤト達用にヤギの乳を、ヤニス達は酒を大事そうにチビチビ舐めるように飲む。
三人は出された食料をそこそこ摘まんで腹を満たす。
「大した物を出せなくてすまん。この国はどこも貧しくてな」
「これでもこの街はまだ恵まれている方なんだぜ。貴族共が贅沢しなきゃ、だけどな」
街の住民の余裕の無さを見れば彼等の言う事が正しいのは分かる。貧しい土地で特定の階級が贅沢をすれば弱者に皺寄せが来るのは当たり前の話だ。
とはいえ、それはこの国が解決する事であって部外者の四人が気にする必要は無いが、それで済む筈が無い。
ヤニスは太った秘書官を殺した腕を褒めちぎってあからさまにヤトを持ち上げる。あるいは連れのクシナやロスタを美人と褒めて友好的な素振りを見せる。
「旅で立ち寄ったと聞くが、ここに長く留まるには色々と不都合があるだろう。良ければ力になるぞ」
「で、僕達に何をさせたいのさ。ただの親切心で言ってるわけじゃないでしょ?わざわざ使い慣れないお世辞まで使ってさ」
率直な問いにヤニス達はあからさまに動揺した。気付かれてないと思ったらしい。
大方こちらにおべっかを使っていい気にさせて汚い仕事でもさせるつもりだろう。あるいは先程のような圧政を敷く貴族と戦わせる気か。
カイルの分析に二人は反論もせず、ただ頭を下げて認めた。
「すまん。あんたらを利用しようとしたのは確かだ。だが、俺達には手段を選んでいられん事情があってな」
「そうなんだよ。実は俺達の仲間の殆どが街の代官の屋敷に捕らえられちまって」
二人は聞いてもいない事情をペラペラと話し始めた。
全てを聞き終えて話を纏めると、この街の悪代官を排除するために活動していた≪タルタス自由同盟≫は数日前に側近の秘書官の一人を殺害した。大きな成果に湧き祝杯を挙げるヤニス達だったが、すぐ後に隠れ家を代官の兵が急襲、大半の仲間達が殺されるか捕らえられて代官屋敷で拷問を受けていた。
ヤニスの目やコスタの片足もその時の戦いで失われている。何とか仲間を助けたかったが碌に戦力の無い状況では奪還も不可能だった。
打つ手が無くなり、せめてもう一人の秘書官を刺し違えてでも殺そうと様子を窺っていた時、そこに現れたヤト達がなんの躊躇いもなく秘書官のトラキアを殺害してしまった。
「その時、俺は生まれて初めて神様を信じたくなった。ヤト、あんたが手伝ってくれれば恐い物なんて無いってな。あのクソ強え代官だってきっと倒せる!」
「強い代官?」
「引退したセンチュリオンの魔導騎士―――余所の国じゃ近衛騎士って言うのか?とにかくその代官は爺のくせに化け物みたいに強いんだよ。噂じゃあ若い頃は北で何十体もの幻獣や巨人を狩ったとか。実際その爺が一人で仲間の大半を殺しやがった」
ヤニスの言葉にヤトが興味を持ち、コスタが魔導騎士について補足した。
曰く、他の貴族と違い、戦闘者として専門の訓練を受けた比類無き戦士。炎の刃を自在に操り、王の敵対者に須らく死を与える死神。出会ったが最後、慈悲無く相手を狩り殺す怪物。
詳しい事は殆ど分からなかったが、それでもこの国の民からは恐怖と死の権化として扱われる戦闘集団という事だけは分かった。
ヤトにとってはその情報だけで十分だったが、利益の無いカイルは難色を示して牽制する。
「それで僕達を隠れ家に誘導した。でも僕達が手伝う理由は無いし、戦う気も無いよ」
「だろうな。あんたらは余所から来て、この国に何の関わりもしがらみだって無い。金で雇おうにも俺達は貧乏で出せる物だって精々この食料ぐらいだ。無理を言ってるのは分かってる!それでも力を貸してくれ、この通りだ!!」
ヤニスは膝をついて額を床に擦り付けて頼み込む。コスタも不自由になった足のまま同じように頭を下げた。
しかしこの行為に心を動かされる者はここに誰もいない。ヤトもカイルもクシナも見知らぬ誰かが拷問の末に殺されようが関係無い。道具であるロスタは語るに及ばず。
ただ、ヤトは既にその代官と戦う気でいた。彼等の意志や境遇に心打たれたわけではない。弱者がどれだけ虐げられようが死のうが興味は無い。単に強者と戦いたいだけだ。
カイルはそれが分かっていたので、せめて何がしかの利益を得ようと考えた。
出した結論は無い者から無理に得るより、ある所から奪うべきだ。
「力を貸すのは良いけどさ、その代官の屋敷にある価値のある物は僕等が貰うけど良い?」
「!ああ、もちろんだ!!俺達は仲間を助けたいだけだ!宝石も金貨も何でも持って行ってくれ!!」
「交渉成立だね。で、いつ屋敷に行くの?」
「仲間がいつまで無事か分からない。出来れば早い方がいいから、今夜にでも―――」
「いいえ。今すぐ行きましょう」
「なっ?い、いや、けどよぉ、こんな昼間じゃ大勢兵が詰めてるぞ」
「夜だろうが見つからずに負傷者を救い出すなんて土台無理な話です。なら、真っ向から攻め落として堂々と凱旋しましょう」
ヤトの提案になおも反論しようとしたコスタは声が出せなかった。彼はヤトの殺気を宿した瞳に呑まれていた。さながら竜に睨まれたカエルといった風体だ。コスタは荒事に慣れていても本業の戦闘者ではないので真性の剣鬼の殺気は辛かろう。
そして反対意見は出てこなかったので、すぐさま代官屋敷に攻め入る事になった。
各々の役割はカイルとロスタがヤニスと共に捕虜の救出を担当。ヤトとクシナは武力担当で敵兵および代官を一人残らず倒して退路を確保する。
碌に歩けないコスタは悔しそうに酒場の外で五人を見送った。




