第1話 魔の住む国
タルタスという国がある。ヴァイオラ大陸北西部の台地に築かれた国だ。標高が高いので平均気温が低く土地が痩せているのと相まって、国民の食は牧畜と酪農によって賄われている。隣国との交流は消極的で、台地に行くための道が限られている上に険しく、商人も好んで行くような場所ではない。
そして国民の特異な価値観もあって各国は好き好んで外交使を送り込む事も無く、お互いを見ないように振舞うのが常であった。
その価値観とは絶対的なまでの魔法至上主義。そしてそれに付随する非魔法行使者への苛烈な階級差別だ。魔法が使える者は全て支配者階級となり、使えぬ者はどんな生まれであっても容赦無く奴隷身分へと置かれた。
これは大陸では有り得ない統治制度だ。
そもそも魔法とは親から子に遺伝しない特異な技能でしかなく、金銭や土地のように譲渡も出来ず継承もしない。例え王の子だろうが魔法が使えるとは限らず、平民から魔法の才を持つ子が生まれても何ら不思議ではない。
魔法が使えなければ例え王の子でも奴隷に落ちるとなれば、どう権力や財産を継承すればよいのか。仮に数千年の寿命を持つエンシェントエルフならあるいは使いこなせる制度だろうが、定命の人族なら甘く想定しても必ず百年で国は亡ぶ統治機構だろう。
しかしタルタスは崩壊せずに何百年と国家として命脈を保ち続けている。
なぜか?
理由は至極簡単。王家と貴族の家に生まれた子は例外無く魔法が使えるからだ。
確率的にあり得ないはずの出来事が起こり続けた故に、あり得ない統治制度が生まれて今なお存在し続けていた。
過去にはそのあり得ない理由を探ろうと外部の者が数多く、かの地を訪れた。
結果は無惨な物で誰一人として帰っては来られなかった。それ故に周辺国は率先して交流を持とうと思わず、タルタスも必要最低限の国家交流に留めて互いを見ないふりをし続けた。
それでもタルタスは高地の貧しい土地だったので最低限外部から食糧を調達せねば生存を維持出来ない事もあり、少数の商人がタルタス王の許可を受けて出入りはしていた。食糧の代価は良質な鉱物資源やそれらを加工した品々だった。
なお許可を受けなかった商人は一切の庇護を受けられず、身ぐるみ剥がされた上で殺されるか奴隷として使役されるかの二択が待っていた。流石にこれは商人の身内から不満が出てたが、タルタス側は一顧だにしなかった。
なぜなら王国とは王の所有物であり、許可無く勝手に踏み入った者が悪いと言えばそれがまかり通るからだ。
だからタルタスの貴族にとって商人でもない見知らぬ他国人など野犬どころか虫けらでしかなく、例えば暇潰しにペットをけしかけて殺したところで誰も咎める者は居なかった。
その日、タルタスの貴族令嬢ピアスはペットのティコを伴って領地の街を散歩していた。厳格な父を持つ彼女にとって外でペットと戯れるのが貴重な遊び時間だった。
御付きの使用人と護衛は少し離れて付いてきている。雑用をさせる使用人はともかく、本当は護衛などいらないが、貴族の格式を蔑ろにしてはいけないと父に言われては仕方がない。
外出用の膝までのズボンと合わせた動きやすいブーツの踵を鳴らして石畳を跳ねる。今日はいい天気。きっとこんな日は良い事があるに違いない。
「ふふ、もしかしたら運命の人が私の前に現れるかも。ね、ティコ。あなたもそう思わない?」
「GURURURURU!!」
「なーんて、あなたに言っても分からないわよね」
ピアスは首を傾げるティコに抱き着いて自慢の鬣を撫でてやる。ティコは主人にされるがままだったが、いつもの事だったので気が済むまでさせていた。
毛繕いを終えると、主従は散歩を続けて坂道の多い街をゆっくりと登り続けた。
タルタスは台地とはいえ高地なので完全な平地が無いため街には坂が多い。家々も傾斜を平らに均すか利用したまま建てられている。幸い鉱物資源や石材には事欠かないので石造りの街並みは景観も良かった。
街の住民はピアスとティコの姿を見ると一目散に家に入るか路地裏へと逃げ込んだ。
そんな扱いを受けてもピアスは気にしない。あれは己に畏怖するが故に姿を見せないように必死で身を隠しているだけだ。ネズミや虫と何も変わらない。寧ろせっかくの散歩を邪魔されずに気分が良い。あんな下等動物でも主人の意を汲むように動くのだから父の教育熱心さには尊敬を覚える。
だがティコの方はそうもいかない。何かを主人に訴える。
「GAUGAUGAU!!」
「えっ、お腹が空いたの?あなた、朝ごはん食べたじゃないの!?もうっ、太るからダメよ!」
「GUUUUU!」
「私はダメと言ったわよ!後ろの使用人を見てもダメ!あれは家の道具なんだから、お父様の許可無しには食べないの!」
主から何度も拒否されたティコはシュンと鋭利な棘のある尻尾を垂らして落ち込む。
反対に後ろにいた使用人達はあからさまに安堵した。このマンティコアには何人もの同僚が食われている。余程の粗相をしなければ大丈夫だと分かっていても恐い物は恐い。
マンティコア――――――それは獅子の頭と胴体にサソリの尾を持つ幻獣。大きさは成体になっても牛と同程度で幻獣としては小型の部類だ。それでも強靭な顎と牙、尾の棘には猛毒があり、戦士十人と対等の強さを有する。
主食は主に肉。それも人の肉を好むので、別名はそのまま『人食い』と呼ばれている。
このティコも生まれた時からピアスの家で育てられて人の肉を食べている。領主のピアスの父は誰彼構わず人を食べさせず、領地の罪人や使い物にならない使用人を選んで処分を兼ねて食べさせていた。だから腹が減ってもいきなり人に襲い掛かった事はほぼ無かった。
大人しくなったペットに気を良くしたピアスはそのまま街の一番上にある丘まで足を延ばした。
街を一望する丘は風の遮るものが無く、春の涼しくも強い風が吹いている。手入れの行き届いた長い黒髪が風で乱れるが、ピアスにはそれが心地良かった。ティコも同様だ。
「良い風ね。――――あら、あれは誰かしら?ちょっと、あの下にいる四人組に見覚えがある?」
「はっ――――――いえ、私は存じません。外から来たのでしょうか?ですが商人にしては荷がありませんし、身なりからして他家の使いでもないです」
ピアスは街の広場に見慣れない四人組を見つけて、使用人にも顔を確認させたが彼等も四人組に心当たりはない。それを聞いて彼女はにんまりと笑みを浮かべた。使用人は次に何を言うのか察した。
「ふーん。じゃあティコに食べさせてもいい肉ね。良かった、おやつが見つかったわよ」
ティコは主の言葉に喜びの雄叫びを上げた。そして四人組を引き留めるために先に使用人を向かわせてから、主従はゆっくりと丘を下りた。
ピアス達が街の広場に降りてきたのを見計らって使用人は四人組から離れた。
「ご苦労様。どうだったの?」
「ははっ、どこの許可も得ていない旅人でした」
「そう。こんにちは旅人さん、貴方達にお願いがあるんだけど」
突然見知らぬ令嬢に話しかけられた旅人達。男が二人、女も二人。全員が若くそれなりに容姿が整っていた。
彼等は特に気にすることなく彼女の話を聞く。
「この子のおやつになって食べられて欲しいの。返事は聞かないわ」
ピアスの宣言と同時に、ティコは旅人の一人に猛然と飛び掛かった。
右腕の無い角の生えた銀髪の女性はただ、己に飛び掛かろうとしたマンティコアを見つめて左腕を振り上げた。
か細い女の腕の抵抗など蟷螂の鎌でしかないと思われたが、今回は相手が悪すぎた。
ティコは女に獅子の面を殴り飛ばされて、首から上が千切れ飛んでどこかに行ってしまった。残った胴体は護衛の一人を下敷きにした。
ピアスは思考が追い付かずしばらく放心したが、十秒以上経ってから現状を認識して首を失ったペットに駆け寄り涙を流す。
「うそっ?うそっ!?うそよっ!!なんで?なんで!?なんでなのよっ!!なんで顔が無いのよ!!」
色とりどりの刺繍の施された華やかな服が吹き出す血によってどす黒く染まるのをまるで気にせず、彼女は涙を流して変わり果てた友に縋りついた。
「弱いくせに儂を喰おうとするから返り討ちに遭うんだぞ」
銀髪の女性の呆れた言葉にピアスは顔を上げた。端整な顔は涙と友の血で見るも無残だったが、それ以上に憤怒が相貌を大きく歪めていた。
そして彼女は立ち上がり、燃え上がる激情に駆られながらも凍えるような声色で詠う。
「凍てつく風の刃よ、我が怨敵に冷情なる死を与えたまえ!」
詠唱によりピアスの周囲に幾つもの氷の塊が生まれ、それらは次第に大きく形作られる。
五つの氷塊は人と同じぐらいの巨大な氷柱となって、鋭利な先端を仇へと向ける。
「ティコを殺した罪は万死に値する!!」
復讐鬼と化した少女が手を振り下ろした。五本の氷柱は高速で飛翔して女性を貫いた―――――――はずだったが、前に立ちはだかる剣士の男が持つ盾によって全て弾かれた。
「おっ!その短剣は盾にもなるのか」
「ええ、縦に長く伸びるだけが能ではないみたいです」
剣士が掲げた盾は一瞬で盾から短剣へと姿を変える。それだけでなく柄に鬼灯の装飾の施された短剣をその場で横に薙げば、ピアスの首が宙を舞った。
少女の首を飛ばしたのは剣士の手から十メートルは伸びた剣身だった。
首無き身体は膝から崩れ落ち、主従は共に首から流れ落ちる己の血の中に沈んだ。
「聞きしに勝る国ですね。まあ、それでこそ来た甲斐があったというものです」
「それはアニキだけだよ。それはともかく、予想はしてたけど早速やっちゃったかー」
連れの少年が呆れながらもさして慌てなかったのは、この国に来た以上騒動を覚悟していたからだ。
魔の住む国へと降り立った四人。ヤト、クシナ、カイル、ロスタ。彼等はいきなり血の歓迎を受ける事になった。




