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東人剣遊奇譚  作者: 卯月
第三章 なまくらの名剣
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第18話 ニート



 ヤトがデュプレ家から宝剣を盗み出してから数日が経った。

 剣は一度も人目に触れていない。出来ればちゃんと鑑定したかったが、人目に曝して面倒を避けるために今は自重した。一か月後にカイルと合流した時に彼に鑑定してもらうか都を離れる前日に専門家に依頼するまでお預けだ。

 その鬱憤を騎士達との稽古で晴らそうにも、現在城は緊迫した状況になっていて誰も手合わせしてくれない。

 今朝方ルイが再び暗殺されかけた。下手人はルイの世話役のメイドの一人。彼女は顔を洗う水を持ってくると見せかけてナイフで襲い掛かった。

 しかしルイは一緒に寝ていたクシナに助けられて傷一つ無い。逆に襲ったメイドは腕を折られて取り押さえられた。現在は尋問を受けている事だろう。

 そんなわけで騎士達の多くはルイやルードヴィッヒの警護に大忙し。騎士用の訓練所も閉鎖されているので、ヤトは日当たりのいい中庭で一人剣の素振りをしていた。

 そこに数名が近づき声をかけた。


「もし。鍛錬中に失礼します」


「――――――はい?」


 ヤトに声をかけたのは御付きの女騎士を連れた王妃のリリアーヌだった。彼女とは一度旦那のルードヴィッヒと共に食事をしただけで特に話しかけられるような仲ではないが何か用があるのだろう。

 剣を鞘に納めて布で汗をぬぐい、暗に話を聞く態度を示す。


「あちらでお茶の用意をしてありますのでご一緒に如何でしょうか。その、色々とお話することがあります」


「貴女が僕にですか?…ええ、良いですよ」


 ちらりと見ると中庭の噴水の近くに急遽設けられたテーブルにお茶と菓子が用意されている。快諾する理由は無いが拒否する理由も無く、汗を流した分の水分補給と思って了承した。

 席に就いたヤトは軽く茶に口を付け、リリアーヌもそれに続く。しばらく二人は無言で茶を味わってから、先にリリアーヌがカップを置いて話を切り出した。


「ルイ王子の命を救ってくださった事への感謝を奥方にお伝え願います」


「直接言わない理由はクシナさんが亜人だから?それとも側にいるルイ王子と顔を合わせたくないからですか?」


「………私は今多くの者から疑われています。そんな女が王子に近づけば要らぬ緊張を生みますので」


 リリアーヌの言葉は事実だ。ルイの暗殺に彼女が関わっているかどうか真偽のほどは定かではないが、城の中ではそのような噂が絶えない。

 実際、ルイが死ねば次の王は彼女の産むかもしれない男児になる。暗殺する価値はあるのだから疑われるのも道理だ。

 もちろん否定する声もそれなりにある。あまりに軽挙過ぎるし、もし王の不興を買えば腹の子共々死罪を言い渡される可能性もある。それは見返りも大きいがリスクが高すぎる。

 だが城の者の声はリリアーヌを疑う声の方が大きく多い。だから今はとにかく大人しく身を潜める方が賢明と言えた。


「良いですよ。それぐらいなら僕の口から伝えておきます」


「感謝しますヤト殿。―――ところで貴方は奥方を王子に取られて寂しいと感じないのですか?」


「いえ特に。そもそも取られたわけはないですし」


「あら、そうなのですか。やはり殿方と女とでは考え方が異なるのですね」


 何が面白いのかリリアーヌはクスクス笑う。

 そもそもヤトはクシナをルイに取られたと認識すらしていないので寂しいとも思っていない。一緒に居られる時間が少なくなったのは惜しいが、二人とも四六時中ベタベタするような性格でもないのだからその程度は許容していた。そしてヤトとクシナは究極的には子を成した後は殺し合う仲だ。普通の男女の仲ではない。

 しかしヤトはそこでふと、クシナとの子が出来た未来を考えてみた。竜なのだから卵で産むのか人型を産むかは分からないが、その子にどう接するのかが自分でも想像出来ない。その思考が口から漏れ出す。


「親って何をすればいいでしょうか」


「自分が親にどう扱われたかが指標になると思いますが、まだ母ではない私では何とも」


 そう言われてしまうと却って悩む。家出する以前からも親とは距離があった。理由は色々あるが、一番は己の肉親への情が薄い事だろう。そんな男が父を名乗るのは間違いだろうし、古竜のクシナも卵から還ってずっと一人で生き続けていたと聞く。真面目に考えると夫婦共々まるで親に向かないと今更になって気付いた。

 参った。子を作る事だけを考えて後の事を考えていなかった。少し真面目になって子が出来るまでに考えた方が良いかもしれない。

 単なる茶飲み話が意外な所に転がって考えさせられた。

 暫くの間、二人は子供と親について語り合っていると、物々しい雰囲気の数名の男の騎士が兵士をゾロゾロ連れてやって来た。


「王妃様。王陛下がお呼びでございます。どうかお早く」


「……分かりました。ではヤト殿、楽しいお話でした」


 どう見てもただ事ではないが、リリアーヌは顔色を変えず優美ながら重い足取りで中庭を後にした。

 一人残されたヤトは少し考えてから席を立った。



 リリアーヌは玉座の間へ通された。部屋の最奥にはルードヴィッヒが玉座に座り、少し離れた椅子にはクシナの膝に座るルイがいる。クシナが居るのは今朝襲われて精神的に弱っているので甘えたいのだろう。まだ六歳では仕方がない。

 壁際には何人もの武装した騎士と兵士が直立不動で並び、幾人もの貴族が開け放たれた扉を通るリリアーヌを好奇の目で、あるいは冷ややかな目で見ていた。


「お召と聞き参上しました」


「うむ。身重のお前をわざわざ呼びつけてすまない。ただ、穏やかではない事が分かってしまったのでな」


 リリアーヌは数年連れ添った夫の言葉がいつになく強張っているのに気付いた。その理由が側付きの秘書官の口から発せられた。


「今朝、ルイ殿下を襲った使用人が自白しました。その者はリリアーヌ王妃に子供を人質に取られてやむを得ず命令に従い殿下を殺そうとしたと話しています」


「そのような戯言を本気で信じているのでしたら、貴方の勤労精神を疑います」


「数日前にその使用人が王妃様と何か話しているのを他の使用人十名以上が目撃している証言があります。そして実際にその者の子供が監禁されているのを兵士が救出しました」


 リリアーヌが秘書官を睨みつけるが、彼は淡々と先程の事実を復唱した。どうやら弁明に付き合う気は無いらしい。

 もちろん彼女自身はそんな事をした覚えは無い。だが彼女とて貴族の娘。これが政治的に仕組まれた浅ましい陰謀だと分かっていても、それを覆す手が無いと本能的に分かってしまった。

 最後の手段として夫であるルードヴィッヒに身の潔白を主張するが反応は芳しくない。酷く痛みを伴った震える声で妻に語るだけで精一杯だった。


「私もお前を信じたい。しかし、多くの者の証言と証拠があっては如何な王でも罪は覆せぬ。無能な夫を責めよ」


「陛下は決してそのような事はありません。陛下が死ねと仰せならば私は喜んで死にましょう。ですがお腹の子だけはどうか……」


 跪いて夫であり王の慈悲を乞う様は周囲から痛ましさに隠された冷笑の対象となった。

 貴族からすれば邪魔な二人目の王妃とその子供が一緒に居なくなれば、そこに自分の血縁の娘を送り込むチャンスが生まれる。今貴族の頭の中は、どの娘を王に献上するかの選別で一杯だった。

 そこに空気を読まず乱暴に扉が開け放たれた。


「どうも。ちょっとお邪魔します」


 重苦しい雰囲気を微塵も気にせず玉座に入って来たのはヤトだった。ずかずかと遠慮無しに絨毯の上を歩く様は傲慢そのものだったが、周囲は誰も声をかけられなかった。

 そしてルードヴィッヒの前で立ち止まり、取ってつけたような微笑のまま王に話しかけた。


「この場で発言しても構いませんか?」


「許す。しかしこの国の事はこの国の者の問題だ。他国人のお前が入り込む余地は無いぞ」


「ええ、大丈夫です。じゃあ王様から許しが貰えたので遠慮しません。この中にポールと名付けられた方はいますか?」


 玉座の間の観衆がざわめく。急にやって来てよく分からない事を言い出す男など摘まみ出されても文句を言えないが、相手は王から直接名誉を授けられた騎士だ。公然と無視するのは難しい。

 仕方なく、身分を問わずポールが数名名乗り出た。


「ではデュプレ家のポールさんはどなたです?」


「それなら私だが、いったい何のつもりかね?」


 不快そうにヤトの前に現れたのは口ひげを生やした三十歳過ぎの小柄な男だった。数日前の夜に聞いた声と同じだ。

 ポール=デュプレはこんなどこの生まれとも分からない下賤な輩に対等な口を利かれるのは不愉快極まりないが仕方なく我慢していた。

 そんな心情などどうでも良いヤトは懐から鬼灯の短剣を取り出すと、ポールは目を見開いて驚く。


「この短剣は魔法的仕掛けがあると思うんですが、詳しく教えていただけませんか」


「な、なぜ貴様がその剣を持っている!?それは当家の家宝だぞっ!!」


「もちろん貴方の家に置いてあったのを借りたからですよ。まあ扉の鍵は壊してしまいましたが」


「この盗人が!!衛兵!この不埒者を捕らえよ!」


「まあ待てポールよ。ヤト、お前はこの場で罪を告白するために許しを得たのか?」


「いいえ、単に剣について聞きたかっただけです。そういえばその夜にポールさんの屋敷でちょっと気になる事を耳にしたんですが……聞きます?」


 ヤトの言葉にいきり立っていたポールは僅かに動揺した。その変化を見逃さなかったルードヴィッヒは捕縛しようとした衛兵の動きを止めて、詳しく話せと命じた。


「四日前の夜にこの人の屋敷で何物かと話しているのを隣の部屋で聞いていました。内容はルイ王子の毒殺失敗の叱責」


「で、でたらめだっ!私はそんな話は知らない!」


「その人物は魔人と名乗ってましたね。お伽噺の魔人族かどうかは分かりませんが、その人物から子供一人自分で殺せない無能の根性無しと馬鹿にされてました」


「なんだと、私のどこが無能だ!!それに魔人がどうだの、そんな女は貴様の頭の中にしか無い、ありもしないでっち上げだ!!陛下、惑わされてはなりませんぞ!!」


 顔を真っ赤にして喚き散らすポールとは対照的にヤトは余裕しゃくしゃくといった風体で佇んでいる。そして部屋に居た貴族の中には、何かに気付いてポールに視線を向ける者も居る。ルードヴィッヒも同様だった。

 暫くポールの聞くに堪えない罵倒が息切れを起こすまで続き、終わった所でルードヴィッヒが重い口を開いた。


「双方の意見は出尽くしたようだな。私もポールに聞きたいことが一つある」


「はっ、如何様なご質問にもお答えします」


「お前はなぜその魔人とやらが女と思ったのだ?」


「はっ?…………!!い、いやそれはその――――」


「二人の話をつぶさに聞いていたが、ヤトは一度も女とは言っていない。にもかかわらず、なぜお前はその魔人とやらを女と思ったのだポール?」


 ポールはルードヴィッヒの質問に即座に答える事が出来なかった。それでも数秒後に毒殺しようとしたのがメイドだったからと弁明したが、既に部屋にいた者達の多くは彼に疑惑の目を向けていた。


「お前とヤトの証言だけでは審議は無理だ。これはじっくりと腰を据えて調査せねばなるまい。騎士達、兵を連れてデュプレの屋敷を捜査せよ。王が許す」


「陛下!!」


「ポールは暫くの間、城で聴取せよ。ただし手荒に扱うな、貴族として遇せよ」


 王の号令により、騎士と兵は動き出した。ポールは数名の騎士に囲まれて穏便に同行を求められたが、みっともなく反抗してその場を動かなかった。やむを得ず、屈強な騎士達が両腕を掴んで宙に浮かして運んだ。それでもまだ足をバタバタと動かして抵抗したが、よく鍛えられた騎士の肉体は貧弱な小男の蹴りでは小揺るぎもしない。

 地獄への入り口に等しい玉座の間の扉に一歩、また一歩と近づくにつれてポールの顔は青褪め、藁にもすがる想いで横を見ながら叫んだ。


「おいニート!主人が危機に瀕しているのだぞ!!なぜ助けない!」


「主人じゃないからよ。貴方とは契約しただけで対等。無能じゃないなら自分の不始末ぐらい自分で何とかしなさい」


 部屋の壁際に控えていた黒髪のメイドが侮蔑を隠しもせずに吐き捨てた。

 それでもポールは何度も助けろと命じると、メイドのニートはウンザリしながら彼の腕を掴んでいた騎士の一人に話しかける。


「そいつをこの世から解放してあげなさい」


「―――――分かりました、我が主」


 騎士は腰の短剣を抜いて何の躊躇もなくポールの首に差し込み半分ほど切り裂いた。

 玉座に血のシャワーが降った。



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