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東人剣遊奇譚  作者: 卯月
第三章 なまくらの名剣
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第15話 血濡れの乙女



 ヤトがフロディス王国の名誉騎士になった。と言っても何の権限も無い形だけの叙勲だ。

 随分と簡単な式で玉座で数名の騎士や貴族の立会いの下、ルードヴィッヒの持った剣がヤトの方に触れられておしまい。

 叙勲にあたり家臣からの反対意見が碌に出なかったのは功績云々より、名誉以外に渡す物が何も無いから。領地も金も魔法の武具すら必要無いのだから誰も反対意見など出しはしない。むしろあまりにもけち臭いからと言ってルードヴィッヒはヤトに『銘』を与えた。

 そして王子を護ったヤトには『護り手』なる二つ銘が付いた。よって今のヤトは『赤刃』改め『護り手』である。剣鬼には全く似合わない名であった。



 名誉騎士になったヤトだが今までと何か変わった事は無い。未だ城の中は暗殺騒ぎでゴタゴタしていて外出は許可されず、部屋の中で鍛錬するか嫁のクシナとベタベタして三日が過ぎていた。

 そろそろ騒ぎも落ち着き始めた王城だったが、別の動きをする者がいた。

 その人物は城の一室のドアを叩き、主の返事がもらえたので中に入る。


「お時間を割いて頂きありがとうございますヤト殿」


「いえいえ、大したもてなしは出来ませんのでお気になさらず」


 部屋に来たのは美麗の女騎士アンジェリカだった。彼女は数日前の事情聴取と打って変わり畏まった口調でヤトとクシナに接する。名誉騎士の肩書は無視しえない重みがあるという事だ。


「お二人には窮屈な想いをさせてしまいましたが、今日からはご自由に行動していただいて結構です。本当に申し訳ありませんでした」


「と言うと毒殺を命じた主犯が分かったんですか?」


「それは今から詳しくお話しします」


 話が長くなりそうなので彼女に椅子を勧めた。椅子に座り、アンジェリカは順を追って話し始める。

 まず最初に分かった事はヤトの言う通り毒が入っていたのはスープだった。そしてスープを運んでいた若いメイドが毒の入った小瓶を持っていたのも調べで分かった。

 メイド個人がルイを狙う理由は薄いので、誰かに命じられたと判断した尋問官は、その日のうちに彼女を強く尋問して黒幕の正体を知ろうとしたが上手くいかなかった。

 何故かメイドは自分の仕事を再開しようとするだけでまともに話が通じなかった。多少手荒く暴力に訴えても彼女は痛がる様子すら見せず、ただただルイに食事を運ぶことだけを求めた。

 さすがに気味悪がった尋問官が、その日は尋問を取りやめて翌日に持ち越しになると、不思議な事にメイドは毒を盛った日の事を全く覚えていなかった。自分が暴力を受けたのもだ。

 さらに奇妙なのは厨房の料理人から運んだ者、食事を用意した給仕など全員を取り調べた結果、その日スープを作った料理人が誰に聞いても知らないと答えた。にも拘らず確かに料理はあったのだ。

 話を聞いたヤトは小さな疑問が生まれた。毒見役が毒入りスープを食べて倒れたのなら作っている最中から食べるまでに毒を入れたのだろう。なら運んだだけのメイドは無関係になる。しかしメイドは証拠になる毒を持っていた。これはおかしい。


「やはりヤト殿もそう思いますか。どうにも今回の犯行はちぐはぐな印象を持ちます。ですがメイドをこのまま無罪放免というのもあり得ません」


 まあそうだろう。いくらおかしな点があると言っても毒という動かぬ証拠を持っていた以上は何かしら罰を与えねば再発の危険性は極めて高くなる。

 よってスープを運んだメイドは城の牢に投獄となり、厨房の料理人は兵士の厳しい監視下に置かれる事となった。即日処刑されなかったのは尋問官や法官もおかしいと思った故だ。

 事件の真相は未だ解明出来ていないが一応の下手人を処断したので、ずっと城内を警戒するのも無理があり、やむを得ず一部を緩める決定を下した。客人兼名誉騎士のヤト達の行動制限解除もそれに入っている。

 なんにせよ自由に動けるのは幸いだ。これで中断していた貴族が個人所有する剣の情報を先に集められる。

 ヤトは早速次の剣の事を考えていたが、それを遮るようにアンジェリカが話しかける。


「それでヤト殿に一つお願いがあるのだが」


「何です?僕は大した事は出来ませんが」


「貴方なら簡単に出来る事です。私と手合わせ願いたい」


 彼女はこれ見よがしに鞘に入った剣をヤトに見せる。既に美麗な乙女の顔は消え失せ、そこにあるのは獰猛な笑みを浮かべた虎か獅子だった。

 ヤトもまた返答代わりに鬼のごとき笑みを見せる。両者にこれ以上の言葉は要らなかった。


 二人は城の訓練所の一つで対峙した。クシナも途中までは付いて来たが、廊下でルイに捕まってしまい渋々そちらに行く羽目になった。

 ヤトはいつもの細剣を、アンジェリカはやや幅の広い両刃の長剣を鞘から抜き放つ。奇しくも両者はオリハルコン製の剣を得物としていた。本来なら訓練用の木剣を使用するが、今回はアンジェリカが真剣を希望した。

 同僚の女騎士達が周囲を囲んで彼女に声援を送っている。

 この国には珍しく女騎士団がある。貴人の女性の警護に男の騎士は色々と不都合なので組織したのだろうが、その華やかさはともすれば男の正騎士団を超えて、国中の男女からの人気を得ていた。

 もちろん実力に偽りはなく、並の兵士など歯牙にもかけない腕利き揃い。だから女騎士達は年長のアンジェリカを信頼して勝ちを疑わない。相手がどこの生まれかも分からない風来坊なら尚更だ。

 しかし騎士達の浅い考えは二人が真剣を構えた瞬間、ヤトのあまりにも強い剣気に当てられて消し飛んだ。気の弱い若年者は震えが止まらず、中には嘔吐を我慢する者まで居る。なのに当のアンジェリカはこの上なく喜悦に震えていた。


「嗚呼、何という剣気。やはり私の目に狂いは無かった」


「そう言ってもらえるとやる気が増します。では先手をどうぞ」


 ヤトの言葉を合図としてアンジェリカが一足飛びで間合いを詰めて刺突を繰り出すも、剣は軽く払われて反撃を受けるが彼女は辛うじてヤトの剣を受け流す。

 さらに彼女は脇を締めて小ぶりの横薙ぎを放ち、躱されてもすぐさま返しで逆に薙ぐ。さらに繰り返す横薙ぎに目が慣れて反撃に移る前に手首の動きを変えて斬るのではなく突きを混ぜた。軽いオリハルコンの剣だから出来る曲芸だ。

 並の相手なら幻惑されて対応を誤るが、今日の相手は無謬の剣士。僅かな変化を見逃さずに易々と受け切り、一度距離を置く。

 息を吐く暇もない二人の剣戟に周囲は呆気にとられる。


「型が崩れてるのを見ると傭兵か冒険者でもやってたんですか」


「ふふふ、数手で見抜きますか。貴方の言う通り、ある人に憧れて色々と」


 至福の笑みを称えたアンジェリカを無視してヤトは風のように速い斬撃を叩き込むが、油断は微塵も無く斬撃より速く横に飛ばれて躱された。逆に彼女は何か小声でつぶやいた後、瞬きする間に反撃の三連撃を繰り出してヤトを守勢に回す。

 一撃一撃が必殺の速さを有する剣に防戦一方のヤトの姿を見た周囲の女騎士はさかんにアンジェリカに声援を送り、既に勝った気になっていた。

 ヤトは何度も繰り出されるアンジェリカの剣を防ぎながら動きに違和感を感じた。今の動きはあまりに速過ぎる。さっきまで手を抜いていたわけではないので、何か別の仕掛けがあるのだろう。

 そして十を超す剣撃を無傷で捌いた所で注意深く観察していたヤトが答えに辿り着く。


「風ですか」


 ぽつりと呟いた一言でアンジェリカの剣が止まった。


「なぜそう思いましたか?」


「肉体強化魔法にしては剣に重みが無いが異様に速く、周囲の空気の流れに乱れが大きい。風魔法か剣に宿る風の加護で剣速を上げてますね」


「慧眼ですね。そして私の神託魔法『風迅剣』をこうまで防ぎ切ったのは貴方が初めてです」


 アンジェリカは自らの技を見破られても笑みを崩さない。いや、それどころか頬を赤らめていた。まるで初めて男に柔肌を見せる乙女のような仕草だった。

 女騎士の内面など理解しようがないが、彼女が何をしたかは分かった。神から授かった神託魔法による『風』で剣を加速しているのだ。こうした使い方はヤトも初めて見る。

 信託魔法は基本的に炎や雷を相手にぶつけるように用いる。風の魔法も竜巻や風の刃を相手に飛ばすような使い方が多い。アンジェリカのように剣技に織り交ぜるような使い方は例が無く、初見で対処出来たのはヤトの極まった直感と技量に加えて彼女の剣が素直過ぎたせいだ。剣意を先読みすれば幾ら速くとも、音より遅ければ防ぐのはそう難しくない。

 ヤトは思いもよらない剣技を味わい興が乗り、ならば返礼をするのが作法と思い、剣を構え直した。

 対するアンジェリカは相手の苛烈にして凶悪な剣気に息を飲み、絶え間無い歓喜の波に身を委ねて気が抜けてしまった。

 その隙を逃すはずもなく、ヤトは刹那の間に踏み込んだ。


 ――――――剣閃が奔る―――――――


 訓練場に居た者の中で何が起こったのかを見極められた者は一人もいなかった。よしんば見た所で目の前の光景を脳が処理しきれず理解を容易く超えただろう。

 ヤトとアンジェリカはほんの数秒前まで正面から対峙していたが今は互いに背を向けていた。

 そして女騎士の身に変化が生まれる。彼女の両足、両腕、両脇腹、下腹部、喉頭の―――軽鎧を避けた箇所―――計八ヵ所から血が滲み、言葉すら発せず剣が手から零れ落ちた。

 剣閃の正体は刺突―――それも刹那の瞬きから繰り出される八連突き。一手だけでも捉えられない高速剣が八度繰り出された。ただの手合わせゆえにほんの僅か突いただけだが、実戦ならアンジェリカは血華と共に命を散らしている。

 これが三か月間エンシェントエルフの村で磨き続けた業の結晶――――絶技『紅嵐』。

 ヤトは微動だにせず立ち尽くすアンジェリカを攻撃せず、ゆっくりと互いの顔が見える位置まで戻って声をかける。


「まだ続けます?」


 彼女は血の滲んだ腹部に手を当てて、無言で首を横に振った。青い騎士服に赤い血が染みて紫の部分が少しずつ広がっていた。

 周囲の女騎士達は何が起きたのか分からず騒ぎ立てるが、勝敗など当人が決めるだけで外野が何を言っても覆るはずがない。手当てを勧める同僚にも小さく拒否の声を伝えた。

 そして何かを決めて顔つきの変わったアンジェリカは改めてヤトに向き直った。


「素晴らしい戦いでした。ヤト殿と戦えた事は終生の誉です」


「僕も貴女と戦えて良かった」


 二人は互いの業を讃え、剣を鞘に納めた。

 模擬戦を終えたアンジェリカが同僚から医務室へ行くように強く勧められる。刺された場所の幾つかは急所なので念のため治療が必要だった。

 しかし彼女は治療を受ける前にヤトに近づき、顔を赤くしながらおずおずと告げる。


「あの……また私と戦ってもらえますか?」


「もちろんです。貴女とならいつでも歓迎しますよ」


 それだけ告げると彼女は訓練場を出て行った。

 その時同僚達はアンジェリカが恋する乙女になっていたのに気づいた。



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