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東人剣遊奇譚  作者: 卯月
第六章 迷い子の帰還
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第18話 花見



 風呂でサッパリしたヤトは直衣という貴族の軽装に着替えて、かつての己の部屋に通された。

 あれから六年の歳月が経っていたのに、家具や書籍は記憶と寸分違わぬ配置のままだ。当然机や窓枠に埃など積もっていない。まめに掃除をしている証拠だった。

 捨てるのに惜しい物など特に無かったのに、わざわざ手を付けていないのは、いずれ自分が帰ってきても良いように配慮したのだろう。


「親心ですか」


 野垂れ死にしたと思って放っておいても気にしなかったのに。子のいないヤトにはよく分からない感情だ。

 板張りの床に敷き詰められた畳の上に座り、中庭に咲く桜をなんとなく眺める。かつてこの部屋で毎年のように見続けた桜は相変わらず風に揺られて花びらを散らしていた。

 物思いに耽っていると外が騒がしい。聞き覚えのある声が耳に入って苦笑する。


「おーいヤト~。この服変だな」


 障子張りを勢いよく開け放ったのはクシナだ。彼女はこの国の貴族の子女が外出用に身に付ける、壺装束と呼ばれる裾を上げて腰布で布を縛る活動的な服を着ていた。本来禁裏では貴族の婦人は小袿というゆったりとした服を着るのが習慣とされるが、クシナ自身が嫌がったのだろう。それでも普段着ている腹と太ももを出した服は拙いので、女官がギリギリ妥協出来る装束を選んだと思われる。

 髪も多少動かしても平気なように、櫛を通して軽めに結い上げてある。銀髪紅眼に白と萌葱色の服はよく映える。

 勝手に出歩くクシナに息を切らして追いかけて来た世話役の女官に、ヤトは労いの言葉をかけた。


「妻の案内ご苦労でした。後は控えておきなさい」


「はぁはぁ、畏まりました」


 本来はクシナを別室に通すはずだったが、役目を果たせなかった女官は、ヤトが妻を連れてくるように命令したという態にしたおかげで、お叱りを受けずに済んで内心ホッとしていた。

 しばらく二人は畳の上でダラけていると、今度は別の女官が訪れる。


「大和彦皇子、奥の方。主上がお呼びでございます」


「主上?」


「この国の支配者で、僕の父ですよ」


「ふーん。ヤトの親か」


 多少は関心を示しても特に気にしない。子育ての習慣の無い竜のクシナにとっては、例え番の親でもそこらの人と一緒。ヤトが会いに行くから付いていくだけだ。

 二人が廊下を歩けば、すれ違う貴族や文官が道を譲るが、通り過ぎると誰もが何やらヒソヒソ内緒話をしている。既に禁裏中にヤトが帰還した事は知れ渡っていた。それも嫁付きとなれば話題に事欠くまい。

 噂話の根源は我関せずと歩き続け、部屋一面に畳を敷き詰めた広間の前で止まる。奥は床が一段上になっていて、誰か座っているが簾で顔は見えなかった。

 ヤトは奥の人物から二十歩離れた場所に正座する。クシナもそれに倣って隣に座るが、彼女は足を投げ出して座った。正座は他国人に難しいので、周囲は咎めない。

 側仕えが簾を上げ、奥に座る皇の顔が露になる。ヤトは畳に頭が付くぐらい深々と礼をした。クシナは特に何もせず近衛兵が目を剥いたが、当人は我関せずと気にしない。


「面を上げよ大和彦」


「はっ」


 再びヤトは頭を上げて、父である皇を真っすぐ見た。念に数度しか会わなかった記憶の薄い父と、今目の前に座る皇はおそらく一緒と思われる。

 正装のゆったりとした束帯を纏っても細い体、頭の冠より長く立った一対の大きな耳、尖った鼻と長い横髭、全身を覆うふっさりとしたこげ茶色の体毛、後ろで揺れる、フワフワした大きな尻尾。狐によく似た風貌は確かに今生の皇。ヤトの実父は狐人の血を色濃く継いだ混血の獣人だ。


「六年も顔を見ぬと、見違えるものだ。幼き頃は母の面影があったが、今は益荒男の顔ぞ」


「主上はお変わりないようで、大和彦も安堵いたしております」


 ヤトは内心、久しぶりに使う畏まった都言葉を面倒に思いつつも、形式は崩さないように無難な言葉を紡ぐ。

 それでも百戦錬磨の政治の妖魔にはあっさりと見抜かれているわけだが。


「六年の禊はいかがであった?」


「世の広さを実感しておりました。得難い経験を数多く致しました」


「朕は葦原より出た事が無く、異国より流れる品々を見て、無聊を慰める事しか出来ぬ。羨ましく思うぞ」


 そこで皇は足を投げ出して暇そうにしているクシナを見た。まさか剣の化身のようなあの息子が自ら妻を得るとは想像だにしなかった。品性の欠片も無い鬼女とはいえ、否応なしに興味を持ってしまう。


「それで、伴侶を得たと聞いた。名を何と申す」


「儂?クシナだ」


「その名は英雄の妻の……」


「彼女は生まれてより名を持ちません。故に殺し合いの後、名を最初の贈り物にしました」


「…………そうか」


 やはりあの息子の選んだ女だ。尋常ではない。最初に片腕なのは気付いていたが、もしや息子に斬り落とされたのか。むしろ、それぐらいでないと釣り合わないとも言える。

 あのまま凶事が無く、そのまま許嫁を娶っていたら、別の騒動が起きていたやもしれぬ。咎が無いと言い切れないため、放逐したのは正しかったと思う。

 その後、六年ぶりの親子の対面は他愛のない話をして、ヤトがしばらく逗留すると伝えると、皇の政務も推していたため中断した。

 二人が退席する際、父親が言い忘れた事があったと呼び止める。


「そなたの母の事だが、既に実家に帰した。会いたいと言うなら呼び寄せるが如何する?」


「無用の気遣いです」


 息子が一言で切り捨てたため、父はそれ以上語らなかった。

 話すべき事は話し終えたので、退席しようとしたヤトは一つ忘れていた用件を思い出した。


「それと、餞別に頂いた赤剣は途中で砕けてしまいました。柄だけでもお返し致した方がよろしいでしょうか」


「………あれをか。ならば長門彦の墓前に供えよう。後で人を寄こす」


 皇は幾らか迷った末に、受け取る事を選ぶ。これで父と子の再会は終わった。

 自室に戻る際、ヤトは巡回していた衛兵を呼び止める。


「『泉上綱麻呂』はまだ禁裏に出仕しておるのか」


「はっ、本日はおられませんが、五日に一度は指南のため鍛錬場にお越しになられます」


「そうか。ご苦労」


 いないのなら日を改めて挨拶に行けばいい。それまで他にする事もある。

 部屋に戻るとカイルとロスタが待っていた。カイルはヤトと似たような直衣に、ロスタは貴族の女官と同じ服を着ている。

 弓や槍は禁裏では使えないので預けてあるが、何かあった時のためにナイフやフォトンエッジは携帯している。


「どうこの服、似合ってる?」


「そこそこ似合ってますよ」


 カイルは顔が良く、身体も鍛えてあるから着崩れする事も無いので、言葉通り様になっている。


「それで今後の予定ですけど、僕はここの書庫で調べ物があるから引き籠ってます。衣食住は保証しますから、クシナさんとカイルは観光でもしててください。案内が必要なら手配します」


「むー。儂を放っておくのか」


 クシナは旦那の放置宣言に不満タラタラだ。食事と寝る時は一緒と言って、どうにか収めてもらった。

 それに今日の所はゆっくり過ごすと決めてあるので、控えていた召使に茶と菓子を持ってこさせて、庭の桜を見ながらちょっとした花見などをして、四人は穏やかに過ごした。



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