第15話 伝説の英雄
魔王の城の奥に夕陽が沈む。無防備に這いつくばったエルフの戦士達は、まるでこの世の黄昏にも見えて、二度と見られないかもしれない夕陽の美しさに心を打たれた。
先程まで死闘を続けて、足の踏み場も無いほど死体が転がる中で、三人は生涯最高の充足感を得ていた。
城から出てきた魔人の一人を討って、残るガルムに百頭と駆けつけた三人の魔人が率いる亜人数百体との連戦に突入した。
三対五百以上の多勢に無勢の極みとあっては、エアレンド達も死を覚悟して、ただただ敵を殺す事のみを考えて戦い続けた。
そして日が沈む頃には、この近辺に立つ者は誰一人として居なくなっていた。
三人の魔人族は骸を晒し、ガルムはほぼ全て殺し尽くした。亜人達は半分が死に、残りは支配者が死んだため恐怖に駆られて逃亡した。
勝者となったエルフの勇者達は、体中の至る所に傷を負ってはいても、致命傷を受けていないし、まだ自分達が生きているのを不思議に思う。
「あれだけ絶望的な戦況でも意外と死なないものだ」
エアレンドの言葉に二人も同意した。勿論服の下にミスリルやオリハルコンの防具を着込んで可能な限り防御力を高めてあったが、それだけで勝てる程魔人は甘くない。
それでも生き残れたのは、彼等もシング達に準ずる類稀な戦士に他ならない。
今は体力を限界まで使い果たして、起きるのも億劫だから転がっていても、暫くすれば歩ける程度に回復するだろう。
後は城の方がどうなっているのか気になった。
先程まで死闘に明け暮れて、地響きや地より湧き上がる光がぷっつりと途絶えているのに、今まで全く気付いていなかった。
アレがシング達と魔人王の戦いの余波なら、途切れたという事は雌雄は決したはず。
「彼等はどうなったのだろう」
「私達が生きているんだから、きっと魔人王を討ったに違いないさ」
フェンデルの疑問を、グロースが確信をもって解いた。
確かに魔王は強大で、噂通り不死身かもしれない。しかし、そんな化物とてシング達ならきっと討ち果たしてくれると信じていた。
暫らくして日が完全に落ち、星が瞬く頃になって、城から複数の歩く人影が見えた。影の数は三つ。
先頭を歩く竜頭が見えて安堵するが、影の数の少なさにエアレンド達の心臓が跳ね上がった。
それでも落ち着いて再度確認すると、見慣れない巨大で凶々しい斧を持つシングの首あたりにしがみ付いているカナリアが見えた。
バグナスはフラフラになって歩いており、隣にいるレヴィアを抱えたギーリンの姿と、所々破損が見える≪いくさ丸≫を確かめて、心底安堵した。
三人はノロノロと立ち上がり、五人の真の英雄を出迎えた。
「その様子なら魔人の王は君達が倒したのだな」
「そう言って差し障りはありませんな。お三方も壮健で何より」
「君達五人の栄光は、我々と子孫がこの世の終わりまで語り継ごう」
「よしてくれ。俺は栄光なんて似合わねえから願い下げだ」
バグナスが虫を追い払うように手を振って拒否の意思を示す。カナリアも憔悴した様子で、首を横に振った。
次にエアレンドはギーリンと抱えたレヴィアを見た。あのやかましい同族の少女が一言も発しないのは珍しい。よほど疲れ切って眠っていると思ったが、彼女を抱いたドワーフがあまりにも悲痛な目をしているのに気付き、まさかと己の目を疑った。
「ギーリン、レヴィアは疲れて眠っているのだろう?」
「…………………」
「ギーリン!!なぜ黙っている!?」
「うるせえッ!!」
堪らず詰めたエアレンドをギーリンが一喝して黙らせる。
そしてエルフ達は、偏屈で粗野だが気の良い戦友のドワーフの瞳から大粒の涙が零れるのを目の当たりにする。
彼等もギーリンの涙で全てを悟ってしまった。抱かれた少女がもう二度と眠りから覚める事は無いのだと。
「なんでこいつが死ななきゃならんのだ……そういうのは俺やシングの役回りだろ」
魂を引き千切るように搾り出したギーリンの呟きを契機に、エアレンド達も同族の魂が既に大地へと還ってしまったのを嘆き悲しむ。
七人はそれぞれの形で事切れたレヴィアのために悲しみを露にした。
暫らくしてから、リーダーのシングがここから離れる事を提案して、全員が同意した。魔人王を討っても魔人族が死に絶えたわけではない。疲弊した状態で弔い合戦を仕掛けられたらひとたまりもない。疲れ切った足をノロノロと動かして復路を刻む。
斥候役のエアレンド達が周囲を警戒しながら、一行は夜通し歩き続け、どうにか日が昇る頃には、行きの最後に野営した岩陰まで戻ってこられた。
クタクタになった七人は交代で見張りをして、昼まで仮眠を取って疲れを癒す。そうしてまた黙々と歩き続けて、三日後には道程の半分を過ぎた。
道半ばを過ぎれば少しは心身に余裕が出来る。四日目の夜営中、エアレンドは思い切ってシング達に、魔人王との戦いで何があったのかを尋ねた。
「………アレは、魔人王アーリマは真の意味で不死でござった」
「シンの字の剣や俺の槍で、何十回と心臓を潰して首から上を斬り飛ばしても死にやがらねえ」
「俺の数々の魔具や魔法で焼いて凍らせて腐らせても、数秒あれば肉体は元通りよ」
「私やレヴィアの魔法でも同じだったわ。与えた致命傷が百を超えてからは数えるのも止めたの」
「なら君達はどうやって不死の魔王を倒したんだ?」
グロースの疑問は尤もだ。不死身の魔人とどれだけ戦っても死なないなら、倒せたとは言わない。
その疑問にバグナスが陰鬱な笑みを張り付けて答えた。
「あの魔王が余裕ぶっこいて口を滑らせたのさ。『我が肉体は決して滅びぬ』とよ。つまりそれ以外の魂や精神はその限りじゃない。どうにか魂を壊せないか考えた」
「それで私が≪豊穣神≫の神託魔法で魂を攻撃したのさ。でも、やっぱり年寄りの弱った精神じゃダメさね。神器で強化しても、倒すには至らなかった」
「そしたらよ、レヴィアが言ったのさ。エルフの魂は他の種族の比じゃない強さだから自分がやる、ってな」
「だが、レヴィアはエルフの魔法使いであって神官ではないぞ。どうやって神託魔法を使った?」
疑問を口にした途端、バグナスは酷く顔を歪めて事実を教えてくれた。
彼が開発した≪魂砲≫と名付けた魔法を用いて、レヴィアの魂を砲弾に加工して魔人王にぶつけた、と。
この回答には流石にエアレンド達も怒り、バグナスを罵倒した。彼は罵倒を甘んじて受け入れ反論しなかった。
代わりにシングとカナリアがバグナスを擁護した。
あの時はそれ以外に魔人王を倒す手段が無く、レヴィアを犠牲にしなければ、いずれ自分達が根負けして全滅していたと。
「むしろ私みたいな老い先短い年寄りが代わりに死ぬべきだったのさ!!なのにあんな若くて良い子が死ぬなんてっ!!」
「それを言うなら、頭目たる拙者こそ命を散らすべきでした。辛い役目を負って頂いた魔術師殿の代わりに、至らぬ拙者を責めなされ」
「変に庇うんじゃねえよ二人とも。興味本位であんなクソッタレな呪法を編み出した俺が悪いんだ」
バグナスは死人のような生気の無い顔で、ひたすら己を責める言葉を呟き続ける。
その姿を見て、エルフの三人は罵倒を止めた。最も悲しみと怒りを抱いているのは彼自身だと気付いたから。バグナスにとってもレヴィアはかけがえのない仲間だった。
「それで、そのレヴィアの魂が決め手になって魔人王は倒れたと?」
「いえ、まだ魔人王は死んではおりませぬ。肉体から魂が弾き飛ばされたに過ぎなかったのです」
「ではその魂は一体?」
「そいつは俺の呪法で、別の入れ物に放り込んで封じてある。念のため魂を六つに分けてな」
バグナスはそう言って懐から魔導書を取り出す。
残りの五つはシングは愛用の赤剣、カナリアの神器の銀杯、レヴィアの使っていた珠玉の杖、ギーリンの≪いくさ丸≫、それとシングが持ち帰った斧だ。
「あの斧は魔人王が使っていた斧でして、非常に優れた魔法具でもありました」
「半端な入れ物じゃあ、魔人王の魂を縛り付けられなかったのと、万一逃げられたら困るんでな。使えるモノは何でも使った」
「そうか。魔人王の体は?」
「魂引っこ抜かれても、首を切ろうが心臓潰しても再生しやがるから、城の地下に放置した」
出来れば肉体も何とかして封印したかったと悔しがったが、死闘を繰り広げて余力の無かったシング達は、やむを得ず魔人王の肉体を諦めた。
それに肉体と魂を近づけておくと、バグナスもどうなるか分からなかった以上、二つを離しておくに越した事は無い。
さらに念のため、エアレンド達には今教えた魂の封印は当面隠しておくように口止めをした。
アーリマが倒されても、魔人族自体は滅んでいない。残党が王を復活させようと、六つの器を奪いに来るかもしれない。
せめて器をバラバラに離して人知れず隠すまで、真相は闇に沈めておくのが賢明だった。
「そういう事なら今の話は、我々の先祖とレヴィアの魂に誓って千年は公言しない」
三人は弓や剣を握り、硬く誓いを立てた。
心残りはあれど、ともかく魔人との戦いが終局へと向かうのは朗報だ。
残る大きな問題はギーリンだ。彼はこの四日間、まともに話もせず、ただレヴィアの亡骸を抱えて歩き続けた。
一応食事はするし、睡眠も執っているように見えるが、何よりも好きな酒に一切手を付けていないので、皆彼を心配していた。
そんな彼が翌日の朝食の時に、ポツリポツリとエアレンド達に話しかけた。
「この鉄板娘をこのままにしておけねえ。エルフの弔い方を教えてくれねえか」
「あ、ああ。そうだな。その方がレヴィアも安らげるだろう」
「本当ならよぉ、西の生まれた森に帰してやりてえ。でもそこまで待ってたら身体が腐っちまう。そいつは幾らなんでも可哀そうだ」
ギーリンの提案に異論をはさむ者は居なかった。
食事を終えた七人は、近くの小さな森の奥に、レヴィアの亡骸を運んだ。
エルフは森で生まれ、森に還る。だから埋葬場所も森だ。
木々の少ない少し開けた場所に穴を掘り、亡骸を入れた。人族のように棺は使わない。副葬品の類も入れない。
エルフにとって授かった命を森に還すだけだから、土を被せて上に拾った木の実を蒔いて終わりだ。
後は木の実が遺体を養分にして、百年かけて大樹を生やす。こうして命を巡らせて世界を維持するのがエルフの死生観だった。
埋められた仲間に最後の別れとして、シングとカナリアがそれぞれの信仰の形式で祈る。
バグナスは祈る事はせず、一歩離れた場所で、ただ眺めていた。
そしてギーリンは小さな酒瓶を墓前に置いた。
「お前、酒が弱いくせにこいつを飲みたがってたからな。全部やるから好きなだけ飲んで酔い潰れろ」
言うべき事を言ったギーリンはさっさと森から出て行ってしまう。残った六人は咎めない。彼の頬を伝う涙を見たから。
そして七人は第三軍の駐屯地へ帰還した。多くの義性を払い、魔人軍との決戦を勝利した第三軍は、軍団長ミューゼルから今回の戦の真の狙いと魔人王討伐の成就を聞かされた。
戦士達は自分達が囮扱いされた事には複雑な反応を見せたが、多くは勝って戦が終わった事を喜び、シング達を称賛する声を上げた。
一部は自分なら魔人王を倒せたと嘯いたが、ならばシング達以上に強いのかと問われると殆ど口を閉ざした。
英雄への嫉妬も相応にあったが、七人全員が浮かれもせず、ただ静かに戦死者への鎮魂の杯を傾ける姿に毒気を抜かれた。
その後、魔人王を討った四人は英雄として、各王から賞賛と山のような褒美を与えられた。
しかしそれら全てを置いて、何も言わずに行方をくらませた。エアレンド達も何も受け取らず、早々に帰り支度を整えて故郷の森に引っ込んだ。
地位と財宝に見向きもしなかったシング達を真の英雄として、人々は伝説として長く語り継いだ。
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大戦の終焉、英雄の去就、同族の死。
それらを唄い終えた三人の老エルフの瞳から一筋の涙が零れる。彼等の流す涙が何に向けられたのかは当人にしか分からない。
当事者から語られた古の英雄の結末を聞いたヤト達の反応は様々だ。
竜であるクシナは英雄譚にさして心を動かされる事は無い。精々が美味い飯を彩る飾り付けぐらいに思う程度だ。
ヤトもどちらかと言えばクシナに近く、直接戦えない相手の逸話を聞いたところで盛り上がらない。ただ、不死身の魔王の類似例は最近見ているのもあって、不死身の相手をどう殺すかの参考程度にはなった。
ロスタは表情こそ変えないが、やはり話を聞いている間は給仕の仕事が完全に止まっている。彼女の中で何が起きているのかは誰も窺い知れない。
カイルは知られざる三千年前の英雄譚に心を躍らせ、盗賊としての本能が刺激されて、英雄たちの残した封印具の行方が気になった。特に兄貴分から渡された魔導書がその一つなのはほぼ確定している。他の五つもどこかに人知れず眠っているに違いない。金銭的な価値よりロマンが疼く。
だからカイルは祖父等に封印具の行方を聞いてみた。
「さて、我々も大戦の後は二度と四人に会っておらん。寂しいものだ」
「バグナスの書がなぜ北の地で魔人の封印に使わていたのかも我々には分からん」
「我々のような数千年を生きる種族ならともかく、三千年も経てば誰もが死に絶え、残った物は様々な者の手を渡り、何者も行方を追えぬ」
道理である。勿論カイルに封印した魔人王に何かするという考えは無い。何が起こるか分からない災厄に進んで手を突っ込むような行為と理解している。
それに広いヴァイオラ大陸のどこにあるかも分からない、もしかしたら海を越えた異大陸に渡っているかもしれない道具を、二度も手にする機会が巡って来る事は無いはず。
しかし、それでも一目見たいと思う衝動は小さいながらも消せそうにない。向こう見ずな少年の持つ、一種の恐い物見たさという奴だ。
その証拠に魔導書は、戦友の遺品として祖父エアレンドに手渡した。どうせ中身も読めず使い方すら分からない、精々好事家に売り払って小銭を得る程度なら、所縁のある者に譲った方が気分が良い。
後日、渡した魔導書は村の保管庫に安置された。仮にも魔王の魂を一片でも封じた書だ。手違いがあってはならぬので、取扱は厳重にして見張りも立てた。




