第12話 哀歌
カイルの生まれ故郷に逗留して、既に二ヵ月が経っていた。エルフの森は常春の気候を維持しているので分かり辛いが、暦の上ではそろそろ春が訪れる時期になっている。
片足を除いて骨だけになったヤトの手足も、既に九割近く元通りに再生した。残りの一割は二ヵ月以上碌に剣を握らなかった間に鈍ってしまった分である。
だからここ最近は昼間をほぼ鍛錬に費やして、元の精妙な技量に戻そうと地道なリハビリを続けている。
カイルも日々エルフの長の一族としての格式張った教育を受けている。若干スケジュールが詰め込み気味だったので、やや辟易していていた。
元より彼は盗賊として教育を受けていたのもあって、どちらかと言えば自由な気風を好む。そこにいきなり話し方を変えろとか、詩を読み上げる時間は結構な苦労だろう。
幸い楽器の扱いはロザリーやギルド員から手ほどきを受けていたため苦にならず、勉学の合間の貴重な息抜きになった。
故郷に帰れたのは嬉しいが、既に自由気ままな生活と、仲間との冒険が恋しくなり始めていたカイルだった。
尤もそれだけの理由で家出するつもりはない。それに夜にはまた祖父や老エルフ達の昔語りが楽しみだったので、まだまだ村を出ようとは考えていない。
この一ヵ月毎晩当事者から語られる、三千年前の≪アーリマ戦役≫の話は極めて貴重だ。それを放棄してはあまりにも勿体ない。
エアレンドは外で育った孫の気質をよく理解している。自由で刺激に満ちた森の外へまた出て行かないよう、引き留めているのだろう。だから一度に語り尽くす事はせず、毎晩小出しに話を聞かせていた。
森を出た三人の駆け出しエルフの初陣話を皮切りに、伝説として語り継がれる逸話は素晴らしいものだ。
外法により巨大化した砦ほどもあるカエルとの戦い。
魔人王が飼っている百体の幻獣を相手取った湿地の会戦。
魔人と邪妖精の大軍勢との戦いで壊滅的被害を受けつつも、決して諦めずに再起を図った誓いのシーン。
海に潜む巨大な海獣とその一族を味方に引き入れるべく向かった、絶海の孤島への心躍る冒険。
劣勢を覆す起死回生の一手として、高位神官の命を賭した神降ろしの儀により降臨した『戦と狩りの神』による逆転劇。
一つの国を滅ぼし、玉城に居座った魔人達から故郷を奪還しても晴れなかった亡国の王子の悲しみ。
両陣営に味方した古竜同士の人知を超えた大激戦。
単なる自慢話とは異なる、勝利の喜びと敗北の痛み。勝てども決して還ってくる事の無い戦友への哀悼。普通では絶対に築く事の叶わない特別な絆で結ばれた日々。
それら全てが老人達のかけがえのない青春の一幕であり、苦い別離の記憶でもある。
そうしたお伽噺も全ては過去の出来事。『アーリマ戦役』が人類連合軍の勝利に終わった結末が既に知られているのだから、いずれ終わりは訪れる。
日は沈み、闇が主役となる刻限。空には満点の星空が顔を出し、もはや村の日常と化した饗宴と夜の昔語りが始まる。
篝火の横に並べられた山川の多彩な馳走に、クシナは遠慮無しに手を伸ばして、果汁のタレを付けて香ばしく焼いた鯉にかぶり付く。
古竜として永遠に近い命を生きる彼女にとって、エルフの昔話など大して興味は無い。あくまで美味い食事を出してくれるから顔を見せているに過ぎない。
そんな性格だから人類種と魔人族の生存競争に関心も無く、ただ食っちゃ寝の生活を数万年も続けていられた。
だからこそ只の人でしかないヤトが、彼女に並々ならぬ情愛を抱かせたのは、稀有な出来事と言える。
ただ、強いて言うなら彼女も竜と人の間に生まれた古の戦士シングには、少しばかり関心を持たずにはいられない。己と伴侶のヤトにも彼のような強い竜人が生まれるのなら、それは歓迎すべき事実である。
クシナが焼き魚を一匹食べ終わる頃、これまでと同様に三人の老人が今日は何を話すかを相談していた。
そこにカイルが前から疑問に思っていた事があると前置きをして、エアレンドに質問した。
「前から思ってたんだけど、魔人の王は『不死王』って呼ばれてるけど、三千年前に倒されて人類側が勝ったんだよね?」
「ふむ……やはりそこに気が付いたか」
「実は凄くしぶとかっただけなのが真相だったり、特殊な仕掛けで不死になってただけとか?」
孫の追求にエアレンドは何も返さず、ただ隣に座る二人の親友の顔を交互に見て、さらにロスタの水晶の瞳をじっと見つめた後、小さく溜息を吐いた。
三人の端麗でありながらも皺の刻まれた相貌には、深い悲しみの色がありありと見える。
「我々は直接『魔人王』の死を見ていない。しかし彼奴がどのような最期を遂げたかは知っている」
「そう、あの五人の英雄――――いや、四人から直接聞いた」
「彼等は確かに魔人王アーリマの野望を打ち砕き、世界に平和をもたらした。それが事実だ」
鉄のような重く苦しい声に乗って、決して英雄譚と呼べない哀歌が紡がれる。




