第10話 死者の主張
土中に穴を掘って連合軍の後方を奇襲したもう一方の魔人アンタレスは困惑の極みにあった。
ナメクジ女のルファに乗せられた形とはいえ、敵の虚を突いて後方を襲ったのはそれなりに愉快だった。
慌てふためく敵の顔を見て蹂躙はとても楽しい。特に後方は明らかに戦い慣れしていない素人が多く、おそらく今回が初陣だと丸わかりのエルフの小僧共も居た。
そいつらを暴力で屈服させて、土の味を教えてやるのはこの上なく楽しかった。
途中で虱の付いた獣人共が戦いを仕掛けてきたので、適当に遊んで「さあ、そろそろ幕引き」という所で追加のオモチャが自分から飛び込んできた。
外見は不健康そうなヒョロい人間の男魔導師と小さな婆だ。とんだゴミが戦場に迷い込んだと思って、さっさと片付けようとしたところでおかしいと気付いた。
何故かゴミの後にゾロゾロと亜人共が三十匹ばかり連れ立っていた。しかもどいつもこいつもまともな身体をしておらず、首が半分千切れていたり、臓物が腹から飛び出て縄のように引っかかっていてもお構いなしだ。当然目には生気など欠片も宿っておらず、曇ったガラス玉がはまっているようにしか見えない。まるで動く死体だ。
そして人間の魔術師が手を動かせば、それに呼応するように亜人の死体が次々こちらに襲い掛かった。
「来やがれ雑魚どもがッ!!」
アンタレスは手始めにゴブリン二匹の頭を掴んで爆散した後、頭を半分斬り落とされたオークの胴を手刀で二つに裂く。
その後ろから死体を踏み潰して進むはらわたの見えたトロルの腹にヒレ手を突っ込んで中から飛ばした。しかし生命力に富んだ、あるいは死体ゆえに頭と手足さえあれば動く半死体は止まらず、彼目がけて岩のような拳を振り下ろした。
「舐めるんじゃねえぞっ!!」
咆哮と共に魔人の全身が震え、トロルの巨体は一瞬でひき肉に代わり、余波に巻き込まれた数匹の亜人と共に赤黒い粘ついたシャワーになって、周囲にばら撒かれた。
荒い息を吐いて、忌々し気に人間の魔導師を睨みつけると、反対に彼は目を輝かせて口笛を吹く。
「いいねぇ!!流石は魔人殿だぜ!今の魔法や念動力じゃねえよな、どうやってやったんだ?」
「あぁ?気安く声をかけるんじゃねえ、ネクロマンサー風情がよッ!」
不快感と殺気を孕んだ怒声が血の臭いの濃い濡れた大気を震わせる。
意外に思われるが魔人族は人やエルフのような人類種と同様に、死者の魂を弄び生と死の狭間を曖昧にする死霊魔法を嫌悪ないし侮蔑する価値観を持っている。
数千年後の後世に語られる伝説には魔人が神に並ぼうとした背神的野心から死者の魂を弄び、あらゆる生命を冒涜する唾棄すべき外道の法を生み出したとされたが事実はやや異なる。
確かに彼等魔人は人類種ほど神は信仰せず、一部の魔人は神に並ぼうと考える者が居るのは事実だ。
永劫の命を求めたり、死後の世界を模索して魂を研究しようとする学者気質の魔人も少数居る。それらが魂を操る術を身に付けて死者を蘇らせるケースも過去には確認されている。
誤解無きように語るがそれらはごく少数の個人的行為であって、多数の魔人族は死者蘇生には関心が無い。むしろ拒否感の方が強い。
彼等魔人族にとって現世こそが全てであり、死後は魂がどうなろうが興味が無い。だからこそ死んだ後に想いを馳せる者を惰弱と蔑み、死人の魂を操る技法を認めない。
これは魂を神の領分として信仰から死霊魔法を否定する人類種とは全く異なる理由と価値観ではあっても、似たような結論に至る奇妙な符号と言えた。
魔人アンタレスも一般的な魔人族の価値観に逸脱せず、死霊魔法には嫌悪感を持ち、それを扱うと思われる外法の魔導師を見下し、殺害を躊躇ったりはすまい。
殺気を向けられた人間の魔導師バグナスは、纏う陰湿な雰囲気からかけ離れた陽気な仕草でアンタレスの間違いを訂正する。
「俺は死霊魔法は使えないぜ。俺がやってるのは単に死体に糸を通して好きに動かしてるだけよ。早い話、死体を使った人形遊びってわけ。こんな風に―――」
本を持っていない方の手を動かせば、連動して亜人達が不揃いで格好悪いダンスを踊る。技術的には中々のモノなのだろうが芸術性は皆無と思われる。
それにアンタレスからすれば厳密には異なる技法と説明されても、死体を動かして使役する行為自体に価値を見出す事は無い。どちらにせよ蔑み、敵として壊すだけ。
魔人は未だに踊っている手近なオークの死体に触れ、頭や胴体を粉々に破壊して、確実に数を減らしていく。
戦力がどんどん減ってもバグナスは余裕を崩さない。一部の亜人の死体を壁にして安全を確保しつつ、努めて冷静に魔人の蹂躙劇を観察していた。
当然、単なる死体如きが魔人に勝てるわけもなく、かつての主人に襲い掛かった亜人は碌に傷も負わせられずミンチになって大地を赤黒く染めたに過ぎない。
「おらっ三流!ご自慢の死体はあと少しだぞ!」
「お代わりはあちらに用意しておいたぞ」
陰険魔導師の指差す先には、やはり血塗れの動く死体になった亜人が数十匹は見えた。ここは戦場、死体など幾らでも用立てられる。
馬鹿にされていると思ったアンタレスの頭に血が上る。
「そんなんいるかよっーーーー!!死ねやカス野郎ぉがああッーー!!」
バグナス目がけて一直線に突っ込み、妨害しようとした死体亜人を次々壊して最短距離を疾走する。
障害物になった死体のせいで多少時間がかかっても、相手が貧弱な魔導師なら十分捉え切れる。
壁になった最後のトロルに体当たりしつつ、死体をミンチに変えて無防備のバグナスを捕捉した。
あと一秒で貧弱な頭に触れて振動波で跡形も無く出来る距離まで詰めた時点で、アンタレスの背筋に雨とは違う冷たい汗が流れた。
(誘い込まれた!?)
「そうだよなっ!死体を幾ら壊しても意味がねえ!なら、操者を狙って来ると思ったぜ!!光よーーー!!!」
雨の降る天へとかざした魔導師の手から太陽が発現した。
至近距離からの強烈な光魔法にアンタレスの目は焼かれ、ヒレ手は何も掴めず空を切ってしまう。
どれほど強い魔人族でも戦場で視界を奪われ、足を止めてしまう大失態を犯した間抜けに戦神は微笑まない。
アンタレスは光の闇の中に囚われたまま仰向けに倒され、手足に強烈な痛みを受けて悶える。
光の闇から解放された魔人が最初に目にしたのは、手足を斬り落とされた血を噴き出す己自身だった。
「クソがッ!!」
「アンタの力はよーく観察したぜ。体のヒレを高速振動させて対象を粉々にする。けど直接触れているか、至近距離でないと効果を最大限発揮しないし、念動力との併用は無理、だろ?」
バグナスの答えにアンタレスは無言を貫いた。沈黙は肯定と見做すという言葉もある。
推測通り亜人の死体を破壊したのは常に手を直接触れている時か、肉体に極めて近い位置にあった時だけだ。そうでなければもっと遠距離から肉壁もろともバグナスを狙って殺せたはずだし、念動力を使って引き寄せてから殺す事だって出来た。
それが出来ないというのは、言ってしまえば破壊力は高くとも利便性には難があると、さらけ出しているに等しい。
仮にアンタレスがもう少し冷静に事を運べていたならば、バグナスももっと難儀をしただろう。そうならなかったのは死体操作をする敵を軽視していた部分があったからだ。
相手の力量を思想で判断するのは誤りであり、アンタレスはバグナスが戦場であらゆる死体を扱う節操無しの卑劣な魔導師として警戒するべきだったのだ。
そう……敵だけでなく、死体なら味方であろうとも戦力として活用する外道と察せなかったが故に、手足を失い危機的状況に陥っている。
アンタレスの手足を斬り落としたのは、彼が奇襲して殺害した連合軍の戦士達だった。
自らが殺した相手に武器を突き付けられて見下される様に、怒り心頭になって罵声を浴びせる。
「てめぇ…敵だけでなく味方まで弄びやがって!!」
「弄ぶ?人聞きの悪い事を言うなよ。俺は死んだ奴の心残りを減らす手伝いをしてるだけだぜ。こいつらは『俺達はまだ戦える!』って言ってるぜ」
バグナスは神妙な顔つきで戦士の一人の口元に耳を当てて、声を聞いているような仕草で何度もうなずく。
「俺を殺した魔人を倒す機会を与えてくれて感謝する――――だってよ」
「へっ!そんなに慈悲深いなら、さっさと俺を殺して死体を跡形も無く燃やしてくれや!」
アンタレスは既に己の生を諦めた。だからせめてこんな畜生外道に命乞いをせず、魔人族として誇りある死を望んだ。
だがバグナスは想像を上回る悪辣さを以って、価値ある敗者を利用する事を選んだ。
これにより敗者であるアンタレスは生涯最悪の数分を経験する事となる。
人類種連合軍と魔人軍の戦いは既に決した。
指揮官を担う魔人族の半数を討たれた魔人軍は半壊し、生き残った亜人達は我先にと逃走した。
残る魔人族も劣勢を巻き返せないと判断して、それぞれ余力のあるうちに撤退を選んで姿を消した。
ここから先は敵ではなく時間との戦いになる。
辛うじて生き残ったグロースとフェンデル。彼等はカナリアに救われて、どうにか息を吹き返して、今は倒れて動けない負傷者を探し出している。
フェンデルは倒れたオークの下敷きになっていた兎人の斥候を引っ張り出す。兎人は右腕が無かったので、手早く紐で肩を縛って出血を最小限に留めて担ぐ。
グロースも生存者を探しているが多くは既に息絶えた戦士ばかりだった。それでもどうにか虫の息のドワーフを一人見つけて、急いで抱えて走る。
二人はほぼ同時に重傷者をある場所に連れて来た。既に同じような負傷者も連れてこられて、一帯は簡易救護所のような体を成していた。
見た目から分かる軽傷者は多少医療の心得のある者が治療に当たり、骨折の接合や止血を済ませて手伝いに回るか別の場所で休息を得ていた。
重傷者は従軍医師や治癒魔法を使える神官が治療する。フェンデルが連れてきた兎人はすぐに千切れた右腕の患部を焼いて止血してから縫合に移る。
グロースが抱えた死に瀕したドワーフの戦士は、老ミニマム族の神官カナリアが担当した。彼女もまた癒しの魔法を『生と豊穣の神』より授かった稀少な神官だった。
彼女は腹から湧き水のように大量に血が噴き出す患部を的確に探し出してから、手に持った銀製の小さな杯を天へと掲げた。
「天より我らに恵みを与えし『生と豊穣の神』よ。消えゆく命の灯に再び力を与えたもう」
杯に光が集まり、カナリアが杯を傾けるとキラキラと光る液体が滴り落ちて、ドワーフの腹から噴き出る血を洗い流した。
すると今まで息も絶え絶えだったドワーフの顔が急に安らかな表情になり、礼を口にするほどに力を取り戻した。
「良いって事だよ。でも流れた血は戻らないから、しばらくは戦っちゃダメ」
傷が癒えたドワーフは仲間のドワーフに担がれて離れた場所に移されて、次の重傷者が運ばれる。今度は眼窩にナイフの突き刺さったまま痙攣した人狼族だった。
彼女の戦いはまだまだこれからだ。
その後、カナリアはさらに七名を癒した時点で疲労を理由に休息を求めた。
彼女は手伝いをしていたグロースとフェンデルを誘い、共に救護所から少し離れた木の下の石に腰かける。疲れから顔の皺が一段と増えたような印象を受けた。
懐から水筒を取り出して水を一口飲んで息をつく。
「ふいー、これしきで息が上がるんだから、歳は取りたくないねえ。若いあんた達が羨ましいよ」
「何を言いますか。並の使い手なら三人も癒せば限界と聞きます。なのに貴女はその何倍も死から遠ざけたではないですか」
「そうです。我々だってカナリア殿に癒していただけなかったら、とっくに命を奪われていた」
二人のエルフは弱音を吐く彼女を強く励ました。ただ己の命を救われただけでなく、多くの戦友達の命を繋いだ行為はただ敵を殺すより尊い。
しかしカナリアは銀製の杯を手の中で弄びながら、大した事はしていないと謙遜する。
「これで負担を減らしてるから、私みたいなババアでもそれだけの怪我人を癒せるんだよ。『豊穣神』と杯を残してくれた昔の神官に感謝しないとねえ」
決して自らの力だけではない。カナリアは己の仕える神の住まう天へと祈りを捧げる。
彼女の話では、銀の杯はかつて敬虔な『豊穣神』の神官が命を賭した神降ろしの儀によって生み出した神器と伝わっている。その神器を補助に用いる事で、治癒魔法の負担をかなり減らして、通常の数倍近い魔法の行使にも耐えられた。
そして神器の現継承者として、シングが頭を下げて同行を求めたのが仲間との付き合いの始まりだそうだ。
「若い子たちが頑張ってる姿を見てねえ、年寄りの冷や水と分かってても手を貸してあげたくなったんだよ。後はこの杯を引き継がせる見込みのある子が居れば言う事無しさね」
カラカラとした笑いには少しだけ寂しさが込められている。この様子では後を託す者はまだ見つかっていないらしい。
湿っぽい雰囲気になってしまったのを察して、カナリアはまだ負傷者が居ないか見回りに行くと立ち上がる。若い二人も放ってはおけないので追従して、三人は今一度血生臭い戦場へと戻った。




