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東人剣遊奇譚  作者: 卯月
第六章 迷い子の帰還
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第9話 銀狼の騎士



 エアレンドは剣を握る手の震えを止めようと必死だった。

 切っ先の向こう側の、ヒキガエルのような面をした魔人ルファは恐怖におびえる小鹿の如き己を見て、嗜虐心を掻き立てられて下種な笑みを浮かべている。

 つい先ほどまで共に戦っていたグロースとフェンデルはもう一人の土中より現れた、奇妙な腕を持つ魔人と戦い倒れた。二人が生きているのか死んでいるのかさえ確かめられない。

 今は数名の獣人と拮抗した戦いを繰り広げて、こちらに構ってる余裕は無さそうだ。


「ひょひょひょ!子ウサギちゃん、そんなに怖がらなくてもいいのよ」


「だ、黙れ!醜悪な魔人に臆する私ではないぞ!」


 声が裏返っているのが自分でも分かる。今の己は手の平の中で暴れる小さなネズミと大差が無かった。

 初陣のエアレンドの目から見て、戦は自軍の優位に運んでいたように見えた。最前線で一騎当千の戦士達がバッタバッタと亜人達を薙ぎ払い、始まりから勢いはこちらに傾いていた。

 もっとも、優位だったのは魔人の本格介入までだった。様子見を止めて自ら戦い始めた魔人のせいで天秤は戻された。

 あまつさえ後方への奇襲によって連合軍は浮足立ち、多くの戦士達が討たれ始めた。

 エアレンド達の居た後方にも魔の手は伸び、突然地中から現れた魚のヒレのような腕を持つ魔人アンタレスと、ヒキガエルのような顔とナメクジのような体を持つ女魔人ルファによって、この場に居た者の多くが倒れた。

 当然若いエルフ達も応戦したものの、敵の奇襲による精神的優位と豊富な戦闘経験により、後方は半壊していた。

 エアレンドも力量差からとっくに倒されているはずだが、相手のいたぶるような戦い方のおかげで、今もどうにか両の足で立っていられた。

 魔人ルファは口から連続して汚らわしい粘液を飛ばす。エアレンドは幾つか風の精霊に退けてもらい、残りを固い足さばきで何とか避ける。先程からずっとこの調子で逃げ惑っていては、子ウサギ扱いも無理はない。

 飛んでくるのが単なる唾液であれば、不快感を抑えて攻撃に転じる事も出来た。しかし粘液が付着した個所を見れば、可能な限り避けざるを得ない。

 敵の粘液が触れたモノは鉄の武具も死体も、異臭を放ち融けてしまった。エルフ自慢の弓も抗するには至らず、既に木屑となっていた。残る武器は長短一対のミスリル剣のみ。魔人を討つには致死性の溶解液を躱して懐に入るしかない。

 どうにか隙を見つけて近づこうにも、無限にも思える粘液攻撃を避けるだけで手いっぱいだ。精霊も手を貸してくれるが状況は全く好転しない。

 焦燥感だけが蓄積していく中、不意に足が滑り転倒してしまう。地面に撒かれた粘液に足を取られたのだ。


「ぐわぁ!」


「ぐふふふ!!足元に注意を払っておかないとダメよ」


 まだまだヒヨコ―――ルファは粘液で皮膚が融けて痛みに喘ぐエアレンドを見下ろして嘲る。


「ふぁふぁふぁ、可愛らしい坊やをどう食べようかしら?丸飲みは勿体無いし、手足を引き千切ったら血が出ちゃう。……そうだわ!足からゆっくり口の中で溶かして、骨までジュースにして味わってあげるわ」


 魔人のおぞましい考えに恐怖と不快感で顔が引き攣る。何としてもそんな未来は回避したいが、今は立ち上がる事すら困難だった。

 ゆっくりとナメクジのような身体をくねらせて近づくルファに生理的嫌悪感から嘔吐して、幼い頃の記憶が俄かに蘇る。

 ヒキガエルの口が大きく開かれ、中で蛇のようにのたうち回る舌を見たエアレンドは己の死を覚悟した。

 しかし武運はまだ彼を見捨てていなかった。

 突如として鋼のごとき狼がヒキガエルに体当たりして、その巨体を物ともせずにその場から弾き飛ばした。


「おーい戦友よぉ。まだ生きてたな」


「ギ…ギーリン?」


 窮地に駆けつけた髭の薄いドワーフに手を貸してもらい、エアレンドは何とか立ち上がる。


「なんでぇ、素っ頓狂な声出しやがって。まあ、初物なりによく生き残ったな」


 ドワーフ特有の飾り気の無い粗野な、しかし親情のある笑みを向けて胸板を軽く叩いた。

 そうかと思えば口元を引き締め、槍を構えて魔人へ備える。≪いくさ丸≫も彼の傍らに侍り、いつでも飛び掛かる体勢を取った。

 弾き飛ばされたルファは大したダメージも無く、平然と起き上がって乱入者をじっと見つめる。その様はまるで嵐の前の静けさと似ていた。


「私ってドワーフは嫌いなのよ。骨太で硬いし、髭がチクチクして食べ難いったらありゃしない」


「俺もよお、カエルは美味いから好きだが、てめえみたいなナメクジの合いの子なんぞ願い下げだ」


「ぐふふふ!!――――――食事の邪魔をして楽に死ねると思うなよ!!」


 怒気を滾らせたルファは口から無数の粘液を吐き出して、ギーリンを跡形も無く融かそうとした。


「アレは肉を融かすぞッ!!」


「わーってるよ!さっき見てた!いくさ丸!!」


 主の声に命を持たぬ鋼の狼は行動で応え、自らの身を挺して溶解液をその身に受けた。

 鉄すら溶かす粘液を食らい、あわやごみ屑になる未来を辿ると思われた狼は、まるで何ともないかのように振舞った。


「そいつの装甲はアダマンタイトとオリハルコンの複合製だ!てめえの汚ねえ唾液なんぞ効きやしねえ!!そして俺の傑作はこれからが本領だぜ!!」


 主人の掛け声に≪いくさ丸≫が呼応する。

 次の瞬間、狼の全身がバラバラになって飛び散り、幾多の装甲が自らの意思を持ったようにギーリンの身体を覆った。

 金属が噛み合う音の末にそこに居たのは、くすんだ鈍い銀色の光沢を放つ、武骨ながらも計算し尽くされた機能美に特化した造形の、荒々しい狼を模した鎧兜を纏う小柄な騎士だった。


「美しい…」


「へっ!見てくれだけじゃねえのをこれからお目目を開いてよーく見とけよ!!」


 銀狼の騎士から聞きなれた低い声がする。騎士は間違いなくギーリンだ。

 彼は俊敏とは言い難い足の遅さながら、勇猛果敢に魔人に突撃。ルファ目がけて白銀の槍を突く。

 鋭い刺突はしかし容易く裂けられて、彼女の太い蛇のような尻尾で打ち据えられた。

 身が弾かれて槍と共に地面を転がり、さらに追い打ちとばかりに巨体に圧し掛かられて潰されるのを待つ身になってしまう。


「ひょほほほほ!!ご立派なのは見た目だけねえ!さあ、騎士さんはどうするのかしら?」


「あー?じゃあこうするかねえ」


 勝ち誇るルファが唐突に聞くに堪えない悲鳴を上げて血塗れで転げ回った。代わりにゆっくりと立ち上がったギーリンの鎧の両肘から二本の刃が突き出て、血を滴らせていた。

 重傷を負った魔人に情けをかけず、群狼さながら無慈悲に獲物に喰らい付いて、対のブレードを嵐のごとく操り滅多切りにした。

 それでも生命力に富んだ女魔人は死に切らず、ただ敵を殺す事だけを考えて突進する。

 もっとも、強者と戦うより弱い相手を食う事だけを求めた食欲魔が怒り狂った所で戦士に勝てる道理は無い。

 ギーリンは冷静に側に落ちていた槍を足で蹴り上げて掴み、速さはあっても猪のように真っすぐ突進するだけのカエルを串刺しにした。


「俺は百舌鳥じゃねえから、てめえは食わねえぞ」


 魔人が絶命した手ごたえを得てから槍を引き抜き血を振り払った。

 エアレンドは威勢の良い事だけ言って肝心の魔人を碌に討てず、ただ見ているしかなかった己の弱さを恥じると共に、強く美しい銀狼の騎士に強烈な憧れと嫉妬心を抱いた。

 戦友のエルフの内心を知ってか知らずか、ギーリンは誰が見ても気持ちの良くなる豪快な笑いで受け流す。

 それから肩を叩いて仲間達を助けようと言って、ドタドタ音を立てて走り出した。そのコミカルな仕草が何ともアンバランスでおかしく、笑いを我慢出来ない。おかげで妬心は薄れ、尊敬の念がそのまま残った。



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