第8話 飛蝗と蜘蛛
仲間を見送ったレヴィアは改めて女魔人の方を向き、露骨に嫌そうな顔をして指を差す。
「あんな見え透いた視線を向けてたら、狙いがボクだって最初から分かるよ。しょうがないから残ってあげたんだからね」
「くくく、ごめんなさいね。貴女がとっても美味しそうだったから我慢出来なかったの」
言うなり女魔人のローブが内から破れて黒と黄色の縞模様をした二本の太い腕と、わき腹から生える四本の細長い節足が現れた。
さらに口端が大きく裂けると、飛蝗男と似た虫の顎が飛び出る。
「うわー、こっちは蜘蛛かぁ」
「お嬢ちゃんは蜘蛛がお嫌い?私なら美味しく残さず食べてあげるわよ」
「ムシャムシャされるのは嫌だよ!」
レヴィアは絶対にゴメンだとばかりに赤と青の珠玉の嵌め込まれた杖をブンブン振り回して蜘蛛女を威嚇する。むしろその行為がイキが良いと捕食者に歓迎されるとは思いもよらない。
相方同士が仲良くやっているのを見た赤竜と飛蝗の戦士は、もはやジャマは入らぬと察して誇りある決闘を始める。
「我が名はシング。非才ながら赤竜の血を宿す者なり」
「我はタケル。ただ強き者を求める魔人なり」
名乗りを終えた瞬間、魔人タケルが凄まじい脚力による雷光の如き速さで踏み込み、轟音と共に渾身の力を込めた右正拳突きを放った。
シングはそれを読み、カウンター気味に刺突で対応する。リーチの差で剣が負ける筈は無いが、目論見は些か異なる結果になる。
正拳突きの軌道が変化して、裏拳が赤剣の腹に当たり突きが逸れた。そのままタケルは踏み込みの勢いを殺さず、左足の回し蹴りを繰り出してシングの脇腹を蹴り砕く―――と思われたが、その寸前で鞘による二段目の突きを食らってタケルの体勢は崩されて不発に終わる。
タケルは鞘の突きを食らった腹をさする。手打ちの攻撃とはいえ鉄拵えの鞘は天然の装甲をもってしても響くが、これしきで臆するような腰抜けではない。
むしろ挨拶代わりとはいえ初手をあしらわれたのがこの上なく嬉しくて、顎をガチガチと鳴らしてしまう。
そこかしこに転がるゴブリンの死体を二つばかりシングへ蹴り飛ばしてタケルは間合いを詰める。
ただの肉とて爆発的な力で蹴り飛ばされれば、それは立派な囮であり殺傷道具となる。防げば足は止まり、避ければ隙が生まれる。だからシングは避けずにあえて前に踏み込んで、肉弾を鞘で払い、剣の自由を残した。
「だと思ったぞ」
タケルの声はシングの足元から聞こえ、次には腹這いになるまで身を低くしての足払いを食らって転倒した。こうなっては剣もさほど役には立たぬ。
隙を逃さずタケルは竜乗りならぬ馬乗りになって、拳の嵐を浴びせた。殴られるたびに小雨に鮮血が混じり、何本か鋭い牙が折られてはじけ飛ぶ。
「シングっ!!」
「ヒトの心配をしてる場合?」
レヴィアが思わず声を上げ、その隙を見逃さなかった蜘蛛魔人が両手から幾重もの糸を放つ。
粘つく糸がレヴィアを捉え、くっつく糸が増えるたびに彼女の動きが阻害された。それどころか動けば動くほどに糸は身体に絡まって自由を奪われる。
「くっこの!この!」
「ほほほほほっ!!糸に絡め取られた獲物がもがく様を見るのはいつ見ても快感ね」
勝ち誇ったように高笑いをするが、実際の所蜘蛛女のクネはそこまで楽観もしていないし快楽に溺れてもいない。何しろ相手は幼くてもエンシェントエルフ。自分達魔人と同等かそれ以上に優れた種族だ。ちょっと油断すればそれだけで首を獲られるのは自分になる。だから糸で完全に覆い隠すまで決して手を緩めたりはしない。
レヴィアが蚕の繭のようにされつつある状況をシングが黙って見ているはずはない。
彼はハンマーの如く振り下ろされる魔人の拳を無数に喰らってなお意識はしっかりと保ち、逆襲の機を伺っていた。
機はすぐにやってきた。優に百の拳を繰り出したせいでタケルは息が上がり、攻撃の手が緩んだ。それを見逃さず、左手で魔人の右足首を掴んで、技量も何も無いただの怪力で握り潰した。
「ぐあっ!!」
痛みで体勢が乱れた隙に、今度は腰に差した短刀を抜き、脇腹を切りつけた。
さらに足首を掴んだままタケルをクネ目がけてぶん投げて糸を妨害する。
糸の増量が止まり、レヴィアは風と水の精霊の助けで絡み付いた糸を剥がして自由を取り戻す。
「あーもう、マントが糸だらけだよ~」
粘つく糸だらけになった草色のマントを脱ぎ棄て憤慨する。命よりもマントを惜しむ姿に、赤剣を拾ったシングは少し呆れつつも無事だったのを喜ぶ。
彼女はマントを駄目にされて怒ったまま石の精霊を煽動して、自分の糸が絡まってもがく二人の魔人を石で固めてしまった。
「へへん!これでどうだ~!」
レヴィアが勝ち誇って無邪気にピョンピョン跳ねるも、すぐさま石の山がはじけ飛んだ。
「手妻使いの小娘如きが舐めるなよ」
怒気を漲らせたタケルの胆力でレヴィアは一歩後ずさりした。彼女を庇うようにシングが視線を遮り、剣の切っ先を魔人に向ける。
「移り気は感心しませんな、貴殿の相手は拙者ですぞ」
シングの戦意に呼応するように、タケルは砕けた右足を引きずりながら戦闘続行を選択した。
一太刀で決めるつもりでシングが間合いを詰めたのと同時に、タケルも壊れた足がさらに壊れるのも構わず踏み込んだため、シングは懐へ入られた。腹に集中的に拳打を受けても冷静に剣の鍔元を握って短く持ち、柄頭で顔を殴って怯ませた。
それでもタケルの拳は止まらず、剣と徒手空拳の得物は違えど竜人と飛蝗の殴り合いは続く。
一方、レヴィアとクネの第2ラウンドも拮抗した状態にある。
今度はクネの念動力を加えて蛇のように自在に動く糸に対抗して、レヴィアは風の精霊と共にあり、気流を操って糸を一本たりとも近づけさせなかった。
さらにレヴィアは前方に次々と石柱を立てて障害物として糸を防いだ。これでほぼ敵の武器は封じたと言って良い。
その上、蜘蛛のお株を奪うかのように、足元から蔓や草を伸ばしてクネを捕えようとする。
形勢は互角に近くなったが、意外にもクネは焦ってはいない。糸が通じなくなったら手を変えればよいだけだ。
クネは手から糸を出しつつ石柱を殴りつけた。石は脆く崩れて礫となってレヴィアへと殺到する。それでも彼女は冷静に石の精に逸れるように頼んで事なきを得た。
しかしその間に距離を詰めたクネが直接襲い掛かった。
身体能力に優れた神代のエルフとて少女となれば、魔人である己の方が肉弾戦には分があると判断しての接近だった。
クネの判断は概ね正しい。何よりも重視する戦の中での隙の無い立ち振る舞いは皆無で、達人としての洗練さが欠けていた。実際レヴィアは格闘に関して素人だし、さして力も強くなかった。
ただ、一つ見落としていた事がある。彼女が手にした珠玉の付いた杖を考慮していなかった。
「迅雷よ、我の敵を打ち払え!!」
赤色の珠玉が光り輝き、雷が放たれた。中心部に居たレヴィアと、襲いかかろうとしたクネはまともに雷撃を食らって痙攣する。
「いったーーーーい!!!」
レヴィアは悲鳴を上げられるだけ、まだ余裕があった。もう一人のまともに雷撃を食らったクネは身体の所々が焦げ付き、自力で立つ事すら叶わずうつ伏せに倒れたままだ。
彼女の持つ杖に嵌め込まれた赤い珠玉には雷の魔法の力が宿っていた。それを発動させて雷撃を生み、敵を行動不能にした。
もっとも、使い手も少なくないダメージを食らってしまうのだから、とんだ欠陥品でしかない。
それでも支払った代償に見合う成果があったのは救いだろう。肉の焦げた不快な臭いを漂わせる蜘蛛女がビクビクと痙攣する様子に、痛みで引き攣った笑みが漏れてしまう。
戦場で動けない者の末路は大抵決まっている。心臓を喰われるか、首を刈られて武勲にされるか、だ。
レヴィアは痛む身体を無視してクネの前に立ち、杖の石突を力の限り蜘蛛女の首元に突き刺した。
さらに止めとばかりに突き刺した杖を抉り込んで雷を流し、蜘蛛魔人の頸椎を修復不可能なまでに破壊した。
クネは解読不能の断末魔を上げた後、二度と立ち上がる事は無かった。
勝者となったエルフの少女は勝ち誇るよりも全身に走る痛みから、喜びなどそっちのけで怒りに燃えていた。
「あんの陰険バグナスめ~!何でこんな不良品がボクに相応しいんだ~!!後でとっちめてやる!!」
高貴な生まれのはずの神代のエルフに似合わぬ遠吠えは、残念ながら杖を作った当人には届く事は無かった。
女同士の戦いに決着がついた頃、竜と飛蝗の戦いも佳境を迎えようとしていた。
シングは都合二百を超える拳打を食らって全身が腫れ上がっていた。
タケルは片足が潰れた他に、剣で脇腹と顔を切られて出血が酷い。
それでも両者の戦意は全く衰えておらず、むしろ得難い好手敵と巡り会えた幸運に喜びを感じてさえいた。
だからこそ決着をつけねばならない。引き分けなどという興醒めする結末はいらなかった。彼等は誇り高き戦士ゆえに、戦いの中でしか生きられない。
タケルはバッタがそうであるように、彼もまた飛蝗の姿を持つ者として、この戦いで初めて背の翅を広げて空を舞う。
なぜ今まで彼は飛ばなかったのか?それは飛翔する事が必殺の一撃の始まりだからだ。
相手の頭上を取り、虫の王として縦横無尽に飛び回って狙いを読ませない。敵が動き回っても巨大な複眼が捉え、歴戦の戦士の勘によって動きを読み切り、何者をも逃がさない。その上で重力を味方につけた強力無比な蹴りを敵に叩き込む。
タケルはこの技で何人もの強い戦士を屠ってきた。今度の赤竜の戦士とて同じ事だ。
シングは頭上を支配する難敵の動きを捉え切れない。しかし狙いは凡そ見当がつく。だから次に備えて、その場で待つ事を選んだ。
動かないシングを見てタケルは狙いを頭部に定め、一気に急降下する。
それは他の追随を一切許さない―――――流星の如き疾さで急降下したタケルは直前で半回転。一切のスピードを殺す事なく、回転力に全体重を加えた左足に破壊力を一点集中。比類なき無双の一撃たる踵落としを竜の頭へと叩き込んだ。
「む?これは……」
しかし生涯最高の一撃は竜の頭を砕かず、その右肩を砕いたに過ぎなかった。
タケルは必殺の一撃が不発に終わった事に落胆はしなかった。己の不足も恥じない。
シングはタケルの狙いが頭への必殺の一撃だと見抜いていた。だからギリギリまで動かず、攻撃の直前にほんの僅かに身をずらして急所を避けた。
必殺の一撃は放った後に最大の隙を晒してしまう。よって放てば確実に息の根を止めなければならない。そうでなければ死ぬのは己自身に他ならぬ。
彼の運命は決まった。
足をシングの肩に乗せたまま動きを止めたタケルの胸を短刀が貫いた。
心臓を半ばまで斬られて力を失った飛蝗は仰向けに倒れた。
「いやはや、危のうございました。硬気功で身を固めておらねば、拙者は真っ二つでござった」
砕けた右肩を左手で擦る。口調は軽くても紙一重の勝負だった。
シングの言う硬気功とは丹田で練った気を全身に纏い、飛躍的に防御力を高める技法だ。この技によって流星に匹敵する必殺の一撃に耐え切って反撃に転じた。
しかし防御を高めると言っても限度があり、もし目論見よりタケルの一撃が上であれば死んでいたのはシングの方だ。それでも臆さず己の頑強さを信じて命を賭けられるのが竜の戦士の強さでもある。
「……全力は尽くした。悔いはない」
「拙者も貴殿の事は忘れませぬ」
「一ついい事を教えてやる。俺の王はもっと強く、不死身だ」
それだけ言い残して、誇り高き魔人の戦士は事切れた。
シングは死闘を尽くした戦士の亡骸に一礼した後、短刀を抜いて鞘に納める。墓を作るにはまだ早い。
そして辛くも勝利した仲間の少女の無事を喜び、転がる赤剣を拾って再び戦いに身を投じた。




