第7話 戦場を駆ける
決戦当日は朝から小雨の降りしきる冷えた日だった。
戦場に選ばれた平野で、人類連合軍三百名と、十名の魔人族に率いられた亜人軍団およそ千体は二千歩ほど距離を隔てて対峙している。亜人の半数以上は小さく不潔なゴブリン、次に多いのが獣の皮一枚を腰に巻いた数百のオーク。さらに巨躯を誇示するように棍棒を高らかに掲げるトロルが十体ほど確認出来る。
それら亜人を統率する魔人族は見当たらない。おそらく最後列でふんぞり返っているのだろう。
エアレンド達三人はやや後列に配置されていつでも弓を引く準備をしていた。さすがに初陣の若者が最前列に立つ無謀な行為は他の戦士たちがさせなかった。
グロースは対峙する醜悪で下劣なゴブリン達が金切り声を上げて嘲笑っているのを忌々しそうに見つめている。奴等にとって数で劣る自分達は単なる餌にしか見えないのだろう。忌々しい事この上ない。
「ふんっ!あんな矮小なゴブリン風情は私が纏めて射抜いてくれる!!」
相手に聞こえない距離でも弓に矢を番えて威嚇する。仮に聞こえてもゴブリンがエルフの言葉を理解するなど出来そうにないのは分かっていても、何か行動せねば落ち着かなかった。
苛立つグロースを近くに居た獅子人の女槍士が見かねて落ち着かせる。
「いい気になってるのは今のうちだけだよ。首を飛ばされるまでは好きにさせてやりな」
獅子人の鋭い牙を見せる威嚇のような獰猛な笑みで落ち着いたグロースは矢を矢筒に戻した。
敵軍がオーク集団を先頭に徐々に距離を詰めてくる。このままいけば敵は数分後に矢が届く範囲にまで近づく。
ほんの少し余裕のあったフェンデルは昨日酒を飲み交わしたギーリン達が気になって彼等のいる最右翼を見た。
彼等も剣や杖を持ち、戦の準備を済ませていた。竜頭のシングは血のように赤い剣を、レヴィアは赤と青の珠玉の嵌め込まれた杖、バグナスとカナリアは無手だった。
そしてギーリンはなぜか鎧を纏った大型の狼に跨って白銀の槍を構えている。
「ドワーフが狼に跨っている」
「猪の見間違いじゃなくてか?」
「ゴブリンの真似事かな」
エアレンドとグロースが好き勝手言う。ドワーフは手足が短いので乗馬が苦手だ。だから代わりに大型で力の強い猪に騎乗する事はあっても、狼に乗る話は聞いた事が無い。むしろゴブリンが飼い慣らした野犬ないし狼に乗って騎兵の真似事をする事の方が知られている。
「あれはギーリンが作ったカラクリ仕掛けだよ。奴は鍛冶以外にゴーレム造りも得意で、意のままに動く狼の≪いくさ丸≫に跨って敵を蹴散らすのさ」
獅子人が指差した先の狼型ゴーレムの両肩から白銀の刃が前面に飛び出す。彼女が言うにはあの刃でこれまで何度も敵亜人を切り裂いたらしい。
昨日の時点で三人に見せびらかさなかったのは自慢する気が無いのか、戦場でこそ自慢すべきだと思って隠しておいたのか、当人に後で聞いてみたくなった。だからまずはこの戦に生き残らねばならない。
適度に緊張が抜けた三人のエルフ戦士はもう焦らず、開戦の角笛を待った。
両軍の距離が八百歩まで狭まった時、連合軍から重厚な角笛の音色が響いた。
音を合図にエルフを始めとした弓使いが矢を番え、弓を限界まで引き絞り、敵軍目がけて放った。
五十を超える様々な色の矢は数の多さにいい気になっていたゴブリンやオークに次々と突き刺さった。亜人達は慌てふためき、さらに第二射目の矢で味方の数が減ると、臆病なゴブリンが背を向けて逃げ出した。
しかし逃げるゴブリンがそのまま逃げおおせる事は無く、後ろのオークに捕らえられて見せしめに生きたまま身体を引き裂かれて、残りの肉は降りそそぐ矢の盾にされた。
「この軍団は教育が行き届いている」
大型の弩に新しい矢を装填する狼人が呟いた。彼は前の戦で亜人が矢だけで逃げ出して、腹を立てた後ろの魔人達に皆殺しにあったのを見たらしい。その時は勝手に敵が減って楽だったと笑う。
先制攻撃で幾らか敵兵が減っても所詮はゴブリンだ。大勢に影響は無く、次の角笛の合図で連合軍は後列からの矢の援護を受けて真っ向から突撃した。
エアレンド達は後方から必死で矢を放ち、突撃する戦士達を援護する。その甲斐あって、敵亜人を蹴散らして深く切り込み、勢いのまま押している。
さらに連合軍の両翼端が敵軍の端と交戦して、あっという間に亜人を蹴散らして囲いを作ってしまった。
空から俯瞰して見れば数が少ない方が敵を半包囲する、かなり珍しい陣形になっている。
囲いの一端を担うシング達は、まさに鬼神の如き働きで醜悪な亜人達を蹂躙していた。
先陣を切るギーリンが白銀の槍でオークの首を刎ね飛ばし、騎乗するカラクリ仕掛けの狼≪いくさ丸≫の肩に備えた一対の刃がゴブリンを纏めて串刺しにした。絶命したゴブリンを振り払って身軽になれば、今度は刃が真横に展開して、すれ違いざまに亜人を手当たり次第斬り殺す。
ギーリンに続く赤い竜の戦士シングは僅かに反りのある赤剣を流麗に操り、瞬く間に五体のオークを数十の肉塊に変えてしまった。彼の剣技はたとえ敵さえも魅了するほどに美しく冴え渡り芸術の域にさえ達していた。その上で巨躯を誇るトロルをも一刀両断する剛力も兼ね備えた、一片の疵も無い至高の剣といえよう。
そして一党が突出しているのは何も戦士達だけではない。魔法使い達もまた並の使い手ではなかった。
人間の魔導師バグナスの手より放たれた閃光はゴブリンやオークを纏めて薙ぎ払い、光の触れた部分を消し炭に変えてしまった。あの陰湿そうな雰囲気とは正反対に、彼は光の神託魔法の使い手だった。
エアレンド達の同族、エンシェントエルフのレヴィアも決してバグナスに見劣りはしない。彼女の同朋たる草花の精霊が飛び掛かるゴブリンを絡め取り、降り注ぐ小雨が雹へと変われば礫となって、動けないゴブリンを打ちのめす。あるいは風の精霊が不可視のハンマーとなってオークの棍棒を腕ごと潰した。
唯一、ミニマム族の神官カナリアは直接敵と交戦しておらず、最後尾で杖を手に警戒に当たっている。元より彼女は老人で『生と豊穣の神』に仕える神官は暴力とは縁が無い。自衛以外の戦いを期待するのは酷だ。それに昨日卓を囲んだ時に、自分の仕事は飯の支度と治療だと言っていた。だから彼女の出番はまだ無い。
彼等のような一騎当千の優れた戦士達の働きにより、三倍の兵力差でも半包囲陣形を保ち、戦を優位に進める人類連合軍。
それが敵指揮官の魔人達には大層面白くなかった。彼等魔人にとっては従属する亜人など替えのきく家畜で、戦で減った所で交配させてまた増やせば事足りる程度の価値しかない。その程度の虫けらでも命を賭けて敵を減らせるなら、過分な誉だと言えよう。
問題は既に二割は討たれているのに、禄に敵を倒せていない事にある。
亜人軍団の最奥、戦場にそぐわない瀟洒な椅子に十名の異形の男女がふんぞり返り、戦況を眺めて呆れ返る者、怒りを隠さぬ者、喜悦に身を震わせる者などがいる。
彼等こそ亜人軍団を支配し、このヴァイオラ大陸全てを手に入れようと覇道を突き進む魔人族だ。
「まったく!薄汚い亜人如きではどれだけ数を集めても無駄でしかないか!!」
「やむを得んさ、所詮は悪食と繁殖力だけが取り柄の家畜だ。まあ、トロルぐらいはマシな働きをしているようだが」
「様子見は終わりにして、早く私達が戦いましょう!!あぁ~また美しくて高慢ちきなエルフを捕らえて、手足を融かして命乞いをさせられると思うと立っちゃうわっ!!」
「誰かこの気狂いナメクジ女の息の根を止めろ!虫唾が奔るぜ!」
隣の椅子にへばりついているように座っていた、カエルに太った蛇を合体させて人の女の顔を張り付けたような奇怪な生き物が股を手で弄びながら、聞くに堪えないセリフを放つ。
それを隣で聞いた体中に魚のヒレのような形をした突起物を備えた男が絶叫する。
さりとて共にいる同胞の諍いに興味の無い者も居る。彼等は微塵の油断も無く、じっと敵の姿を見据えていた。
「……この戦場にも益荒男はいるらしい。早い者勝ちという事で悪く思うなよ」
緑色の肌をした赤い複眼を持つ昆虫のような顔の男は椅子に座ったまま常識外れの脚力を見せて跳んで行く。他の魔人達は出し抜かれたと数名が怒りを露にして虫男に続くように自らも戦場へと躍り出る。
遅れたヒレ男も急いで歯ごたえのある獲物を探しに行くつもりだったが、隣のナメクジ女に肩を掴まれて押し留められた。
「ちょいとアンタレス。私が入れる穴を掘ってほしいんだけど」
「ふざけんなルファ!!何でだッ!!」
「前に頼みを聞いてやったのを忘れたとは言わせないわよ。ここで借りを返しなさい」
アンタレスと呼ばれたヒレの魔人が心底忌々しそうに口をつぐんだ。そしてどこまで穴を掘ればいいのか尋ねると、ルファと呼ばれたナメクジ女は連合軍の一角を指差す。
「あの最後列まで頼むわよ」
「ちっ!」
アンタレスは舌打ちしつつ、両腕を地面に突き刺した。すると腕がどんどん沈み、反対に周囲の地面が盛り上がったように見えた後、人が三人は入れるような大穴が出来た。
「おらっ!さっさと来なナメクジ!」
「はいはい。……待っててねぇ可愛い可愛いエルフの坊やたち。うふふふふふ」
彼女の視線の先には必死で弓を引くエアレンド達の姿があった。
「楽勝だの、えぇ?シンの字よぉ」
「今の所は……でしょうな。ですがまだ魔人とは一度も相対しておりませぬ」
シングは話しながらも散発的に襲い掛かるオーク共の首を確実に刎ねて決して後ろには抜かせない。
一党は戦場の最前線であってもまだ余裕を保っていた。ギーリンは一度シングに先頭を譲って後ろに下がり、休憩と称してヒョウタンに入れた蒸留酒を水のようにグビグビと飲んで一息入れた。
後衛の魔導師組も魔法を行使するタイミングをずらして息を切らさないように気を配る。疲れればカナリアから特製のハチミツドリンクを貰って栄養補給を欠かさない。
シングは常人より頭二つは高い身長で油断なく戦場を見渡す。
戦況は人類連合が優位に進めて、既に敵亜人の三割を討ち取っていた。
自軍の形勢不利を感じ取ったゴブリンの多くが恐怖に駆られて逃げ出し、見せしめで後ろのオークに殺されても、そのオークも既に一部が敵前逃亡を始めていた。
人間の戦ならとっくに勝敗は決しても、これは魔人との戦である。不甲斐ない眷属がどれだけ死んだところで彼等は怒りこそすれ、臆病風に吹かれる事はあり得ない。
「となればそろそろお出ましでしょうな」
「ふん、噂をすれば…だぜ」
バグナスが鼻を鳴らして空を見上げる。
シングの予測は当たり、風切り音を唸らせて雨と共に何者かが飛来する。
転がる死体などお構いなしに踏み潰し、緑の虫男が威風堂々と姿を現す。レヴィアは男の顔を見て昔沢山捕まえたバッタみたいだと思った。
異形の身でありながら王の如き風格を纏う魔人族の男は、ガチガチと顎を鳴らして赤く大きな複眼をシングに向けて、極めて簡潔に要求した。
「お前、強いな。俺と戦え」
飛蝗男は半身のまま開いた左手を前に突き出し、握った右手を腰だめに構える。
シングはこの隙の微塵も無い構え一つで飛蝗魔人がただならぬ使い手と見抜き、赤剣を構えた。
ギーリン達も油断なく武器を構えた矢先、戦場のそこかしこで上がる亜人以外の悲鳴に意識が削がれた。
「あいつらも始めたか」
飛蝗魔人の呟きで何が起きているのかすぐに察した。傍観していた他の魔人達も戦に参加し始めたのだ。それだけで優位に進めていた戦況があっという間にひっくり返されそうになっている。
さらにいつの間にかゆったりとしたマントを羽織った、これまた異形の風貌の女が飛蝗魔人の隣に立っていた。女の顔は無数の産毛で覆われて、真っ黒な目が八つ、額には二本の触角が生えている。こちらも魔人と見て間違いあるまい。
ここでシングは目の前の魔人達に隙を見せず、僅かに思案する。戦の優劣は魔人の参戦でひっくり返り、形勢不利になったのはこちらだ。今はまだ拮抗していても、損失が増えれば次の戦に差し障る。
早急に目の前の魔人を倒して援軍に向かわねばならぬ。しかし己の中の血がこの飛蝗の武人と心行くまで一騎打ちで死闘を演じたいと叫ぶ。一党を預かる頭目として恥じるばかりだ。
だから己への罰を下さねばならなかった。
「……已むを得ませぬな。こちらの魔人達は拙者に任せて、皆様は他の魔人を討って頂きたい」
「お前また悪い虫が騒ぎやがったな。まったく、我儘なリーダーだよ!」
一党の総意を代弁したバグナスが怒りと呆れを滲ませてシングを罵倒する。普段は冷静沈着で何事にも己を抑えて行動しているのに、肝心な時に責務を放り捨てて我を通そうとする。こうなっては意地でもチームプレイはしないと全員が経験から知っていた。
同時にこの竜戦士の強さは誰もが知っているから、負けはあり得ないと確信を持ってしまい、結局は了承する羽目になる。
一党内で最年長のカナリアもお手上げとばかりに、シングの好きにさせてやろうと思った。それに他の場所で絶え間なく聞こえる戦士たちの絶叫も捨て置けない。
カナリアとバグナスは≪いくさ丸に≫跨るギーリンの後ろに相乗りする。なぜかレヴィアだけはその場から動かない。
「向こうは二人だし、ボクも残るよ。三人は早くエアレンド達を助けてあげて」
「鉄板胸のくせに見栄を張りやがって!死んだら承知しねえぞ!!」
ギーリンは怒ったような口調の中に、不安で仕方がない気持ちを隠して、悟られないように振り返る事もせず、すぐさま戦友達の救援に向かった。なお人生経験豊富なカナリアにはバレていたが。




